ワンルームから宇宙を覗く
第9回

末吉が嫌い

学び
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宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わる、宇宙工学研究者・久保勇貴による新感覚な宇宙連載! 久保さんはコロナ禍以降、なんと在宅研究をしながら一人暮らし用のワンルームから宇宙開発プロジェクトに参加しているそうで……!? 地べたと宇宙をダイナミックかつロマンティックに飛び回る、新時代の宇宙エッセイをお楽しみください。

末吉が嫌い。人生で嫌いなものの20位以内には入ると思う。

末吉と初めて出会ったのは、たしか小学一年生の頃だった。小学校の友だちから得た情報によると、世の中にはどうやらおみくじというものがあるらしく、それはお正月に神社で売っているらしく、そりゃあもうワクワクドキドキ楽しいものらしかった。というわけで、初詣を兼ねたお出かけの間も、僕の頭の中はおみくじでいっぱいだった。おみくじやりたいおみくじやりたいおみくじやりたい、と父ちゃん母ちゃんに無心に訴え続け、うるさいと怒られながらもなお、おみくじおみくじおみくじおみくじ、と父ちゃんの腕をぶんぶん振り回し、ショッピングモールでの退屈な初売りタイムを耐え抜き、やっとの思いで引いたおみくじで現れたのが、末吉だった。友だちからの事前情報では、大吉、中吉、小吉、凶の存在しか聞かされていなかった。

何だこれは。末吉。読めないし、聞いたことないし、なんか分からんけど、本当に直感でしかないんだけど、ちょっと微妙そうな運勢である。いや、でもまだ分からない。字面的には、大吉の仲間に見えなくもない。曲がりなりにも吉ではあることは間違いなかろう。まだいける。まだ負けたわけじゃない。

「あら、吉って書いてるねえ~」「良かったねえ~」「良いこと書いてるねえ~」

末吉を前に固まっている僕を見て、すかさず父ちゃん母ちゃんが牽制を入れる。凶の手前の一番微妙な運勢だなんて教えたら鬼グズりするのは目に見えていたため、「とにかく吉ではあるね」とゴリ押す作戦だった。もし凶が出たら、「実は凶が一番出る確率が低いから実質当たりみたいなもんなんだよ~」と逃げるのがうちの親の常套手段なんだが、末吉ではもうこれぐらいしか策は無い。

しかし、こういう時に限って兄はちゃっかり大吉を引き、大吉のおみくじを隅から隅まで元気に音読し、僕は兄の大吉と比較して自分の末吉がいかにしょうもない運勢かをすぐに悟った。この時から僕は末吉が嫌いになった。大人たちの白々しさが嫌いだったのかもしれない。今は良くないけどまあそのうち良くなるんじゃないの、知らんけど、みたいな無責任なことが、末吉のおみくじにはたくさん書いてあった。

小学校の頃毎朝見ていためざましテレビの星座占いコーナーでも、末吉みたいなやつがあった。8位のやつ。嫌いだった。

1位から5位までは、最高の一日です!良いことあります!大吉!中吉!ぐらいのテンションで、6位と7位はまあ普通の一日です、小吉ぐらいです、って感じなんだけど、その下にしれっと書いてある8位、これがいかにも末吉ポジションだった。その下の9位から最下位まではごめんなさい、凶です!みたいな感じで高島アナも同情しながら読んでくれるんだけど、8位は全然良いことが書いてないくせに、でもまあ吉ではあるんだから良いじゃない、みたいな乾いたトーンで読まれるから腹が立つのだった。いかにも末吉らしい白々しさ、憎たらしさがテレビから滲み出ていて、おうし座が8位の朝は嫌な気持ちになるのだった。生まれた時に太陽が大体おうし座の方に見える時期だった、というたったそれだけのことで僕の人生を決めつけないでほしい。

小学校も末吉みたいだった。先生たちはよく末吉みたいなことを言った。君たちは良いよなあ、まだ若いもんなあ、何にでもなれるもんなあ、なんてことを言った。無限の可能性があると言われたって、選べる未来はいつも有限で、もちろん、未来を選ぶ権利が子どもにいつでも与えられているわけじゃなかった。どうなってしまうかなんて全然分からないのに、でもまあ人生分からないから楽しいんじゃないか、みたいな白々しいポジティブを押し付けてくるのが、いかにも末吉みたいだった。中学の先生も高校の先生も、末吉みたいなことを言った。大学でも、大学院でも言われた。

末吉みたいな土曜日もある。大して予定も入れてないのになんかやらなきゃと焦ったりして、結局一日中ダラダラするような土曜日。でもまあ土曜日だし、どうせ明日も休みだし、なんて末吉みたいな思考回路であっという間に一日が過ぎる。過ぎた。夜19時、醤油ラーメンの写真を見ていたら醤油ラーメンが食べたくなって、家の前のファミマまで歩く。一日中ワンルームに引きこもっていたので、24時間ぶりぐらいに家を出た。今日は満月がきれいだよ、と友達が教えてくれたけれど、雲ばっかりで全然何も見えなかった。iPhoneのお天気アプリは、まあ雲がたまに晴れたり晴れなかったりするんじゃないの、知らんけど、と末吉みたいなことを言っていた。

若いっていいよなあ、君はまだまだこれからだね、大丈夫だよまだ若いんだから、そうやって今でもまだ末吉みたいなことをたまに言われる。でも、案外本当にそうなのかもしれない、とも思う。別に毎日良いことばっかりあるわけではないけれど、そんなに悪いわけでもなくて、幸せばっかり感じているわけではないけれど、必要なものは大抵満たされていて、まだやり直しの利く年齢でもあって、曲がりなりにも吉ではあって、まあ吉なんだから良いじゃないと言われればそうかもしれないなあとも思ったりする。憎たらしいけれど、生活ってそういうものかもしれない。僕らの生活は末吉なのかもしれない。

ある少年に末吉みたいなことを言ったことがある。研究所のオープンキャンパスで、僕がペーパークラフトのお兄さんをやっていた時だった。その少年は、紙を折るのがこわいと言った。遠視用の、大きな眼鏡をかけた少年だった。

「じゃあ次は、この線に沿ってこうやって折ってね」

「やだ!こわい!」

「大丈夫、大丈夫。こうやって折るだけだから」

「無理無理!こわい!」

「分かった、じゃあ自分のペースでゆっくり折ってみようね」

「無理無理無理!」

「どうしてこわいの?全然こわくないよ」

「やだ!もうやめる!」

あまりに激しく抵抗するので、隣にいた少年の母親は顔を真っ赤にしてしまって、少年の遠視用の眼鏡はギョロッとした目を一層大きく写していた。怯えた目だった。すいません駄目そうなので家に持って帰ります、と軽い会釈をして少年と母親は逃げるようにいなくなってしまった。僕は末吉みたいな無責任なことを少年に言ってしまった気がした。人生には無限の可能性があって、それを決めなければいけないのはいつでも自分で、自己責任で、一度選んだら元には戻らなくて、それは本当はこわいことだろう。それなのに、大丈夫、こわくないよ、なんて末吉みたいな言葉をかけたのだ、僕は。

醤油ラーメンは大して美味しくない割にカロリーの罪悪感だけは一人前で、罪の意識を少しでも滅ぼすべく、たまらず散歩に出かける。アパートの前に出ると、さっきの雲が切れていて、隙間から大きな月が見えていた。聞いていたとおり、きれいな満月だった。友だちへ報告するためにカメラを構えていると、でっけえなあ~、という声が聞こえて、自転車に乗ったおじさんが横を通り過ぎていった。突き当たりの歩道橋の脇では、おばさんが僕と同じ格好で眉間にしわを寄せながらカメラを構えていた。みんな、同じ夜空を見上げていた。街がゆるやかにつながっているようだった。

僕らの生活は末吉なのかもしれなくて、別に毎日良いことばっかりあるわけではないけれど、そんなに悪いわけでもなくて、幸せばっかり感じているわけではないけれど、必要なものは大抵満たされていて、例えば醤油ラーメンが欲しいと思った時には醤油ラーメンを手に入れることができて、曲がりなりにも吉ではあって、撮りたい時に月を撮ることができて、幸せのチーズケーキは幸せで、これだけ飲んでも3000円でお釣りが来て、朝からサウナでととのって、推しが尊くて、五連勤おつかれ自分乾杯、神引き10連ありがとう、チーズ月見まじ愛してる、二期決定あざます、寝癖きゃわ、短めのコースだけど念願の100切り達成したよ、平日のこの時間空いてて嬉しいな、しんどかったけど今日も元気にピノ食べられたから幸せ、天使のふわふわオムライス、天使のふわふわマットレス、悪魔のささやきポテト、本日もJR東日本をご利用いただき誠にありがとうございます、ありがとね、今日の爪ほんと優勝、ほんと、うちの猫さん見て、うちの猫氏、ネッコ、ネッコ!、昨日まではこんな小さかったのに!、生活は、幸せのモンブラン、これは喜びの舞いをするおじさんとおばさん、神アプデじゃん、生活は末吉みたいで、運営さんありがとう、どういたしまして、こちらこそ、こんばんは、すごいねえ、若いねえ、明るいねえ、元気だねえ、まあるいねえ。

「まあるいまあるいまあるいねえ~」

公園から陽気な歌声が聞こえてきて、思わず足を止める。小さい子どもとおばあさんが懐中電灯とランタンを持ちながら、手を繋いで歩いていた。軽い会釈をして、僕も公園に立ち寄ってみる。

「コウヤくん、そろそろ帰らないとねえ」「やだやだ」

「おうちでお団子いっぱい作ったでしょう」「もういっかい、もういっかい」

「もう~今日は十五夜さんなのよ」

おばあさんが渋々カメラを構えると、子どもは満月に向かってロケットみたいなポーズを取った。

「ほら、コウちゃんお月様まで届くかな~」

「ざんねん、届きませ~ん」

星占いがまだれっきとした科学だと思われていた時代、人は今よりもはるかに真剣に、懸命に、夜空を観察していたらしい。この世界の法則も何もかも分からない中で唯一頼りになりそうなのが、規則正しい星の動きだったんだろう。きっと星の動きには何かのメッセージが隠されていて、神様の意思と対応しているはずで、それを解き明かせば国家の命運も、自分の運勢も見通せてしまうはずだった。天界と地上は繋がっていて、神様はいつでも見守ってくれていて、だから、月までの距離は今よりもずっと近かったんだと思う。

「コウちゃん、お月様のとこまではどうやって行くのかな~?」「ラケット!」

「そう、ロケットだね~」

僕らは今、月が38万km彼方にあることを知っていて、地球が世界の中心ではないことを知っていて、星たちは僕らのことを近くで見守っているわけではないことを知っている。天界と地上は繋がっているわけではなくて、だから、星の動きなんかに悩まされることなく自分の人生を自由に生きるべきだと言う。食べたいものを食べて、好きな格好をして、自由に愛し合うべきだと言う。だけど、自由はこわい。自由な世界を自分で選択していくことはこわい。取り返しのつかないことをして、でも自己責任だから、と切り捨てられるのはこわい。全部が予定調和の人生なんかは嫌だけど、運命には理由が欲しい。だから、今日もめざましテレビの星座占いがある。それに救われる人がいる。

「コウちゃんが大人になった頃には、みんなお月様に行けちゃうかもしれないねえ~」

その日の夜の公園は、いつまででも座っていられるぐらい快適な気温だった。

「おばあちゃん、うらやましいなあ~」

僕はもしかしたら今、とても幸せなのかもしれない。まだ若いんだから大丈夫だよ、だなんて末吉みたいなことすらも、いつか言われなくなっちゃうのかもしれない。君たちは良いよなあ、まだ若いもんなあ、なんて無責任なことを、いつか誰かに言いたくなったりしちゃうかもしれない。みんなが月に行けるかもしれない孫の未来を、うらやんだりするのかもしれない。

「あら、コウちゃん見て見て」

「ほんとに雲ひとつないお月様になったわ」

見上げると、さっきまでの曇り空が嘘みたいに晴れていた。雲ひとつない夜空の黒いスクリーンに満月がポツンと浮かんでいて、距離感を失ったまま天球に張り付いているようだった。だから、簡単に手が届いてしまいそうだった。ほら見ろ、雲がたまに晴れたり晴れなかったりするだろ、とiPhoneのお天気アプリに言われたような気がした。いや別に天気ってそういうもんだろ。知らんけど。

筆者について

くぼ・ゆうき。宇宙工学研究者。宇宙機の制御工学を専門としながら、JAXAのはやぶさ2・OKEANOS・トランスフォーマーなどのさまざまな宇宙開発プロジェクトに携わっている。ガンダムが好きで、抹茶が嫌い。オンラインメディアUmeeTにて「宇宙を泳ぐひと」を連載中。

  1. 第1回 : ワンルームから宇宙を覗く
  2. 第2回 : 宇宙の旅行、十字の祈り 宇宙旅行元年、前澤友作さんと平野陽三さんの打ち上げを見つめて
  3. 第3回 : 宇宙開発の父・糸川英夫と、とある冬の日
  4. 第4回 : 後輩クンとはやぶさとバブル
  5. 第5回 : 巨人の腰にぶら下がる
  6. 第6回 : ボイジャー、散歩、孤独、愛
  7. 第7回 : 選んでも選ばれてもない
  8. 第8回 : 静かだった
  9. 第9回 : 末吉が嫌い
  10. 最終回 : 呪/祝いたい
連載「ワンルームから宇宙を覗く」
  1. 第1回 : ワンルームから宇宙を覗く
  2. 第2回 : 宇宙の旅行、十字の祈り 宇宙旅行元年、前澤友作さんと平野陽三さんの打ち上げを見つめて
  3. 第3回 : 宇宙開発の父・糸川英夫と、とある冬の日
  4. 第4回 : 後輩クンとはやぶさとバブル
  5. 第5回 : 巨人の腰にぶら下がる
  6. 第6回 : ボイジャー、散歩、孤独、愛
  7. 第7回 : 選んでも選ばれてもない
  8. 第8回 : 静かだった
  9. 第9回 : 末吉が嫌い
  10. 最終回 : 呪/祝いたい
  11. 連載「ワンルームから宇宙を覗く」記事一覧
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