自分を捨てる旅
第15回

米子、怠惰への賛歌

暮らし
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いくつか用意された候補から行き先がランダムで決まるJR西日本の「サイコロきっぷ」。この連載にこんなに適したきっぷも他にないだろう。2月のある日、午後に新大阪を出て、米子に向かうことになった。

世の中がどんどん便利になっていくのに、仕事量が減ってない

去年の夏に買って、そのおかげで楽しい旅ができたJR西日本の「サイコロきっぷ」がまた発売された。昨年、私はそれを2回使って、一度は広島の尾道に、もう一回は福岡の博多に行った。「サイコロきっぷ」は5000円で買うことができる割り引きキップで、往復で5000円という安さなのだが、行き先はいくつか用意された候補からランダムで決まる。こっちでは選べない。私のように暇がたくさんあって「安く行けるならどこへでも」と思って過ごしている人間には打ってつけのきっぷだが、果たして他に買う人はいるのかなと思った。しかし、予想以上に好評だったらしい。第2弾として、広島を起点にしたものが昨年10月に発売され、そして2023年の初頭に、再び新大阪発のキップが第3弾として発売されたのだった。

この連載にこんなに適したキップも他にないだろうから、もちろん買うことにした。アプリ上でサイコロを振って、決定した行き先は出雲だった。出雲か……出雲大社、出雲そば、それぐらいしか知らないけど、きっと行けば楽しいだろう。ぼんやり考えながら過ごした。出発日は期間内であれば自分で選ぶことができるので、なんとなく先送りにしてしまっていて、気づけば使用期限が迫っていた。

「待てよ、残りの期間を考えると、この日に行って、この日の夜には戻ってこなければならない」と、毎度そうなのだが、いざ実際に動き出すとすでに選択肢がかなり限られてしまっている。予約してみようとインターネットで検索すると、使用期限が近いこともあってか、出雲へ行く特急電車の席はもうほとんど埋まってしまっている。席が取れるのは、たとえば昼過ぎに大阪を出て夕方に出雲に着く電車とか、その逆に、向こうを昼前に出て夕方に大阪に戻るような、つまり、現地での時間に余裕がない電車ばかりである。

まあでも、使わなければキップが無駄になってしまうわけだ。無理にでも行くしかない。そこで考えたのが、出雲まで行かず、目的地を米子にするという手だ。今回のサイコロきっぷでは、目的地が出雲になった場合は、米子で降りてもいいという決まりになっていて、新大阪から見ると米子の方が出雲より手前なので、電車に乗っている時間を短くすることができる。その分、向こうで長く過ごせるのだ。出雲大社と出雲そばはまた今度にして、米子へ行くことにした。

新大阪を14時過ぎに出る九州新幹線に乗る。50分ほど乗って岡山駅まで。そこで「やくも」という特急電車に乗り換え、米子に着いたらもう17時半頃らしい。

缶チューハイを買い、つい先日、タイトルに惹かれて買ったバートランド・ラッセル『怠惰への賛歌』のページをめくってみる。1872年生まれの哲学者、バートランド・ラッセルが1932年に書いたのが『怠惰への賛歌』という文章で、この本にはそれをはじめ、15篇の文章が収められている。

本を適当にめくりながら電車に揺られている時間が好きだ

或る時、何人かの人が、ビンの製造に従事しているとする。彼らは、かりに一日に八時間あて働いて、世間で必要とする数だけのビンを作っている。ところが、或る人が同じ人数で、前の二倍の数のビンを作ることができる方法を発明するとする。だが二倍の数のビンを必要とする世の中ではない。即ちビンの値段はすでに非常に安くなっているので、これ以下の値段では、もう一つも売れなくなっている。こうなると、分別のある世界でなら、ビンの製造にたずさわる人々は、誰でも八時間労働をやめて、四時間働くことにするので、その外のすべてのことは、万事前と変わらないだろう。だが実際の世界では、このやり方はふしだらと考えるだろう。それで、人々はやはり八時間働き、出来たビンは多すぎ、経営主のうちには破産するものがあり、前にビン製造に従事していたうち半分のものは、仕事にあぶれる。

バートランド・ラッセル(堀秀彦、柿村峻 訳)『怠惰への賛歌』(平凡社ライブラリー/2009年)

「ふしだらと考えるだろう」とバートランド・ラッセルが書いているのは、つまり、たくさん働くことが美徳で、暇な時間が多いということは人間的に徳の低いことだという考えが根本にあるため、せっかくビンの製造性能が上がっても、人は暇にならず、倍のビンを作るだけということだ。

本当にそうだ。世の中がどんどん便利になっていくのに、仕事量が減ってないというのは、結局そういうことなのだろう。だんだん眠くなってきて本を閉じ、気づけばもう岡山で、駅の売店でもう一缶の発泡酒を買い足し、「やくも」の車窓から雪景色をぼーっと眺めていたら米子に着いた。

取材時は2月のはじめで、窓の外には雪が残っていた
ホームとホームを結ぶ高架には「海、山、旅のドラマは米子駅から」とある

駅の外はもう夕暮れの町だ。平日はこういうものなのか、人の姿もそれほどない。地図アプリで検索して、出がけに慌てて予約した宿に向かう。駅から歩いて数分の場所にある「ビジネス・インよなご」、一泊3000円。

すごく安くて助かる宿

「トイレは部屋にはなくて共用です。お風呂は1階にあって好きなときに入れます。いいお湯ですよ」と宿の方に案内してもらう。

ここが今日の私の部屋だ

「いい店が見つかりますように」と手を合わせて歩く

荷物を置いたらすぐに鍵をフロントに預け、外へ出る。もう18時だ。せっかくの米子の夜を少しでも堪能したい。駅と反対側に歩いていくと米子本通り商店街のアーケードが現れ、そこを抜けると雨が降ってきた。

夜の米子本通り、閉まっているお店が多かったけど良い雰囲気だった

どこか飲める場所はないかと探しつつ歩く。飲み屋街らしき路地に「咲い地蔵」という地蔵が祀られていた。「わらい」と読むようだ。お地蔵さんたちは傘をさしていて、それは雨が降ってきたから、誰かが持たせたのだろうか。さすがにそんなことはないか。「いい店が見つかりますように」と手を合わせて歩く。

夜の路地に現れた「咲い地蔵」
店内は明るかったがもう営業していないようだった「末広亭」

ひとりで旅に出るのは気楽だし、行きたい場所まで多少遠くても歩いたり、かと思えばやっぱり途中でやめたり、何もかも自分のペースで決めていけるのがいいのだが、飲み食いに関しては寂しい思いをすることが多い。私は食が細く、特に酒を飲みだすとすぐに満腹になってしまうほうなので、あれこれ食べたい気持ちはあるのに果たせないことが多い。

数日前に会った人に「米子に行くんです」と言ったら、その人が「え! 米子、だったら絶対行ったほうがいい店がありますよ! 太田和彦さんが絶賛していて」と教えてくれた店があって、歩いていてその店を見つけたのだが、外に出されたメニュー表を見るにコース料理が基本となるお店らしく、食べきれる自信がなかったのでやめた。美味しいものが好きでお酒にもつきあってくれる気のおけない人が一緒にいてくれたら、と思わずにはいられない。

しかしひとりだ。さらに路地裏を歩き「大衆の殿堂 鳥好」という看板が煌々と明るい店に入ることにした。

「大衆」とある店なら安心な気がした

メニューを見てもお手頃な価格で、ホッとして生ビール。そして名物だという「どて煮」と焼き鳥の盛り合わせをもらう。

知らない町のよさそうな店で飲む生ビールの美味しさよ
鶏肉がすごく柔らかいどて煮

調子に乗って鳥取の地酒「日置桜」も追加してほろ酔いとなり、また外へ。今度は「出現地蔵」の地蔵堂があった。立札の由来を読むに、井戸の底から出現したお地蔵さんらしい。だから出現地蔵か。

面白い名前のお地蔵さんが米子にはたくさんいるようだ

飲んで食べて、でもまだ19時半だ。こういうとき、どうしたらいいんだったっけ。もう一軒ぐらいなら行けるか。でももうそんなには食べられないし、と、せっかくの時間の使い方が急にわからなくなってしまった。結局こんな私でも、暇を持て余しているのか。雨のなかを歩いていたら夜の港に出た。電灯に照らされた静かな水面をじっと見ていたら、ここで今私がすーっと姿を消しても誰も気づかないだろうなと考えて少し怖くなってきた。

米子の夜の港の風景

駅のほうへ引き返す。雨に濡れたのもあって肌寒く、「そうだ、銭湯ないかな」と検索してみる。私の泊る宿の割と近くに「米子湯」という銭湯があって、幸い今日のこの時間も営業中のようである。救われたような気がしてそこへ向かう。

米子駅からそう遠くない場所にある町の銭湯「米子湯」

この米子湯、浴場内に入ってみて驚いたのだが、絵本作家の長谷川義史の絵があちこちにある。浴室の壁画も長谷川義史さんの描いた大山だ。長谷川義史さんは大阪の人で、大阪のローカルテレビ番組でもよくその姿を見る。たいていは町を歩き、行く先々で出会った風景や人を、愛らしい絵にしていて、ササっと描いた風に見える絵も、どれもすごくいい。私はファンだ。あとで調べて知ったことによれば、100年以上の歴史を持つ米子湯が2012年にリニューアルする際、かつて米子湯に来たことのあった長谷川さんのことを思い出して銭湯の壁画制作を依頼をしてみたところ、快く受けてくれたそうである。そして壁画だけでなく、銭湯内のあちこちに絵を描き、タオル用のイラストなども描いてくれたのだとか。

その壁画をじっくり眺めて体を温めた帰り際、許可を得て男湯の入り口の絵を撮らせてもらった。

こんな可愛い絵があちこちにある

外へ出ようとすると番台の方が、「外は冷えますので湯冷めされませんよう」と言ってくれた。そんな言葉をかけてもらったことにじわっとした喜びを感じながら、米子駅に併設されたコンビニへ向かう。宿で飲む酒をここで買っていこうと思った。すると駅舎に隣接しているショッピングビルのような建物の壁に「ラーメン」が左右反転した文字と、「牛骨」とあるのが目に入った。米子は牛骨ラーメンがご当地の味なのだと聞いたことがある。小食と言いつつ、ラーメンは食べられてしまう私はそこへ向かう。

牛骨ラーメンが食べられるらしい
看板が隠れて見えないが「大和」という店のようだ
牛骨ラーメンが一杯450円だ

米子湯で温まった体がさらに内側からも温もり、すっかり元気になった気がした。会計をした帰り際、「雨が降っているから足下にお気を付けて」と、お店の方が言ってくれた。米子は帰り際に優しい気遣いを見せてくれる土地なのだろうか。部屋に戻り、コンビニで買った「鷹勇(たかいさみ)」という地酒のワンカップを飲みながら、再び『怠惰への賛歌』を開く。

ひまをうまく使うということは、文明と教育の結果出来るものだといわなければならない。生涯、長い時間働いて来た人は、突然することがなくなると、うんざりするだろう。だが、相当のひまな時間がないと、人生の最も素晴らしいものと縁がなくなることが多い。多くの人々が、このすばらしいものを奪われている理由は、ひまがないという以外に何もない。

バートランド・ラッセル(堀秀彦、柿村峻 訳)『怠惰への賛歌』(平凡社ライブラリー/2009年)

特になんの目あてもなく米子に来て、こうしてぼーっと酒を飲んでいる私が、90年以上前の人が書いた文章に「うんうん」と心の中でうなづいている。眠気が訪れ、早々に眠る。

怠惰にしかいられないからこそ

翌朝、8時前にはチェックアウトして宿を出た。12時台の電車に乗って大阪に帰らなければならないから、それまではたっぷり米子を歩きたい。幸い、雨は昨日の夜のうちに降りやんだようだ。昨日歩いた通りも、違って見える。

朝の米子のアーケード

「洋燈」と書いて「らんぷ」と読む喫茶店に入って「ロースハムドッグ」のモーニングセットをいただくことに。マスターがひとりでやっていて、客は私だけ。窓から朝の光が差し込んで、いい時間だった。カウンターに「珈琲は時間の芸術です」と書いてある。時間の芸術か。いいな。

創業50年以上になるという老舗喫茶
じっくり焼いてくれたロースハムドッグが美味しい

店を出て、あとはもう、本当にあてもなく歩いた。残念ながら営業時間ではなかったが、「日の出湯」という名の、こちらもなんとも魅力的な銭湯の前を通りかかったり、湊山公園という、昨日私がかなり近くで港を眺めていたらしい海沿いの公園を歩いたりした。

いつか行ってみたい「日の出湯」の可愛い看板
湊山公園の海沿いの遊歩道がすごくよかった
白鳥が水面に波紋を作っている

米子駅の近くまで戻り、「実重菓子店」という駄菓子屋に入ってみる。87歳になるという女性が店番をしていて、米子のこと、お店のことを話して聞かせてくれた。創業150年、今で3代目だという。昔はおかきやおまんじゅうも作っていた。旦那さんとふたりでやっていたが、旦那さんは亡くなり、今はひとりだとか。「米子はのんびりしていいところですよ」という。

創業150年になるという「実重菓子店」
娘さんが仕入れを手伝ってくれているから豊富な品揃えなのだという
在りし日のご夫婦

何度か通りかかって気になっていた「ローダンのラーメン」という店が開いていたので入る。鳥取と島根に数店舗あるチェーンのラーメン店らしい。「正油味ラーメン」が550円で、そこに生玉子を入れて600円。こんなに美味しいラーメンがあるのかと思うほどに好みの味だった。

また食べにに来たい「ローダンのラーメン」
生玉子を溶いて麺と絡めたらとても美味しかった

電車の時間となり、岡山駅へ向かう「やくも」に乗る。さっき「実重菓子店」で色々買った駄菓子をつまみながら、地酒のワンカップを飲む。

実重菓子店で聞いた話を思い出しながら帰路につく

『怠惰への賛歌』と言いつつ、私が米子でお世話になったのは、どこも地道に毎日を積み上げてきた老舗ばかりだったなと思う。創業から50年とか100年とか、私などには想像も及ばない長い時間の連なりの先にある場所を、ひょいと訪れて「いいないいな。こんな場所があることを知れるから、旅はいいな」などと私はのん気に言うだけだ。自分が怠惰にしかいられないからこそ、なおさら、積み重なったものに畏怖を感じるということもあるのだろう。

毎日のように誰かが掃除して、手入れして、何か料理を作ったり、品物を売ったり、その場に立ち続けてきた店が米子にいくつもあって、そのありがたさと、私がこうして怠惰であることをどう結びつけていいものかと考えながら私は私の来た場所に引き返していく。

*   *   *

スズキナオ『自分を捨てる旅』次回第16回は、2023年4月14日(金)17時配信予定です。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』、『集英社新書プラス』、月刊誌『小説新潮』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『酒ともやしと横になる私』、『関西酒場のろのろ日記』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『「それから」の大阪』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』がある。

  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
連載「自分を捨てる旅」
  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
  25. 連載「自分を捨てる旅」記事一覧
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