自分を捨てる旅
第18回

幸福な四ツ手網小屋と眠れない私

暮らし
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四ツ手網という魚の漁法がある。四角い網の四隅を十文字に交差させた棒を海中に沈めておいて引き上げるというシンプルなものだ。漁師たちが始めたものだが、ある時期から観光用にも小屋が貸し出されている。数年前に体験して楽しかった思い出を胸に、仲間と岡山へ向かったのだが――。

「釣れますかね……何かかかるといいですけど」

もう何年も前、友人から「体験レポートを書いてみたら?」と教えてもらったのが岡山県の四ツ手網だった。「よつであみ」と読む漁法の一種で、四角い網の四隅を十文字に交差させた棒(かつては竹を使っていたようだ)で固定し、それを海中に沈めておいて引き上げるというもの。「四つ手網」とか「四手網」と表記する場合もあるし、その四ツ手網漁を行うための小屋そのものも含めて「四つ手小屋」「四ツ手網小屋」と呼びもするようだ。

四ツ手網という漁法自体は岡山県に限らず昔から各地で行われてきたものらしく、そういえば、数か月前に米子を旅した際、中海の沿岸を歩いていたら、かつてそのあたりで四ツ手網漁が行われていたと石碑に記されていた。船から網を海中におろし、エビや小魚を獲って佃煮にして食べていたそうである。

私が数年前に訪れた岡山の四ツ手網は、児島湾という瀬戸内海の小さな湾に沿って並ぶ小屋から直接海中に網を下ろすスタイルだった。そのときに小屋の持ち主に伺った話によると、そもそもは近隣の漁師が、自分たちの生業とする漁とは別に、仲間を集めて宴会をしたり、気ままに過ごすための小屋として使われてきたらしかった。海中におろした網を引き上げ、そのときかかった獲物を酒の肴にして楽しもうというわけだ。特定の獲物を必ず釣るぞ、と意気込むよりは、何がかかってもかからなくてもそれはそれでよしとする、遊びの要素が混じったものとして認識されているらしかった。

かつては人力で網を上げ下げしていたらしいが、近年は電動モーター式となり、小屋の中からリモコンで操作するだけで簡単に網を動かすことができるようになった。地元の漁師たちのための小屋だったのが、ある時代から観光用にも貸し出されるようになり、春先から秋頃までをシーズンとして利用されているのである。近年の大型の台風の影響で壊れてしまった小屋も多く、全体としての数は年々減っているらしいが、現在でも児島湾に面して10軒ほどの小屋が残っている。小屋の規模や設備はまちまちだが、だいたい一棟1万円~1万5千円ほどで借りることができる。

私が初めて四ツ手網を体験したのは12月の初めで、電話をかけた小屋の主から「いいですけど、もうシーズンが終わっていて、寒いと思いますよ」と言われたのを半ば強引に借りたほどで、実際、夜は相当に冷え込んだ。それでも十分楽しかったのだが、「次回は5月頃にお越しください。その頃がいちばん気候もいいですし、魚もこの季節よりはかかると思いますので」と言われていたのがずっと心に残っており、いつかその5月に再訪したいと思っていた。それからしばらくしてコロナ禍となって、いよいよ機会を逸し、気づけば長い時間が経ってしまった。

そこにきて、先日、私がかつて書いた体験レポートを読んでくれた友人が「四ツ手網に行ってみたいんですけど、よかったら一緒にどうですか?」と声をかけてくれた。その誘いに背中を押されるように、日程を調整し、以前利用させてもらった小屋の主に数年ぶりに電話をかけ、5月末のある平日に四ツ手網の小屋へ行くことになった。

小屋がある一帯にいちばん近い駅はJR西大寺駅で、JR岡山駅から赤穂線の電車に乗って25分ほどの距離だ。岡山の中心地からそれほど遠いわけではない。まずはその駅前に集合し、近くのスーパーで必要な物資や食材を購入することにした。

公共交通機関を使って四ツ手網小屋まで行くならJR西大寺駅が最寄りとなる
駅前にはいくつか大型のスーパーがあるのでまずはそこで買い出しをする

これは初めて四ツ手網を体験した際もそうだったのだが、事前に小屋の主に「もしかしたら魚がそれほどかからないかもしれないので、バーベキューをして食べるための肉や野菜を買ってきたほうがいいですよ」と教わっていた。釣果がまったくないということもあり得るから、それでもなんとかなるように、ある程度は準備しておくのが安心なのである。焼いて食べる用の食材やたくさんの酒、紙皿だの割り箸だの、最低限あったほうがよさそうなものを買い込んだ。

西大寺駅から児島湾岸までは7kmほどの距離があり、駅前からタクシーに乗って20分ほどだったろうか。とにかく、それぐらい移動しただけで、目の前に静かな水面が広がるだけの景色になるのが不思議だ。今回は、私を含め総勢7名というグループで利用することになっていたので、複数のタクシーに分乗して向かった。

車中、運転手が「四ツ手ですか。釣れますかね……何かかかるといいですけど」と言っていた。なんとなく、あまり期待できないんじゃないか、というニュアンスだった。これは小屋の主からも何度か言われていたことだが、どうやら最近の気候の変化に伴うものなのか、昔ほどは魚がかからないイメージが地域の方に共通してあるようだった。ちなみに昔は「ベイカ」という小さなサイズのイカが山ほどかかったと、それも小屋の主が言っていた気がする。さて今回はどうだろうか。

「うまい!」と言いながら私は酒を飲むのみ

数年ぶりに再訪できた四ツ手網小屋。ここでひと晩を過ごす

小屋の中に入ると「そうだそうだ、こんな感じだった」と懐かしさがこみ上げる。小屋の奥は全面が窓で、外はすぐに海(小屋自体が海の上に立っているので当たり前だが)。左手に流しや冷蔵庫がある。部屋のなかほどに絨毯の敷かれた小上がりのようなスペースがあって、6畳もないだろうか、そこにテーブルとソファが置かれていて、7人ではちょっと手狭かもしれなかった。

私たちが借りた小屋の内部はこんな感じ。小屋によって広さも設備も少しずつ違うらしい

窓の外には四ツ手網が設置されていて、天井から吊り下げられたリモコン(「上」「下」のボタンがあるだけのシンプルなもの)でそれを上げ下げする。上げてみて、目ぼしい何かがかかっていたら、窓から柄の長いタモを突き出して掬い取る。

海中に沈んでいる網を適当なタイミングで引き上げる
そして網にかかったものがあれば掬い取る、これが四ツ手網漁のすべてだ

この日、1回目の網上げでハゼを含む小魚と大量の小エビがかかった。やはり前回、12月に来たときよりもかかりがいいように思える。

なんだかいきなり色々かかった

前回初めて四ツ手網漁を体験したときと今回とでひとつ大きく違うのは、魚介類に詳しいメンバーがいるということである。特に、私と同じライター仲間で、前々から四ツ手網のことが気になっていたという玉置標本さんがいるのが心強かった。玉置さんは、釣り好きという言葉の範疇に収まりきらないような旺盛な好奇心の持ち主で、珍しい漁法で珍しい魚を獲ったり、魚以外にも、野草とか山菜を追い求めてはそれを美味しく調理したり、また、麺類に並々ならぬ興味を持って自分で麺を打ってみたりと、色々している方である。

玉置さんは、網にかかった獲物を見て「あっこれは何々だね」「じゃあ何々にして食べたら美味しいかもね」と即座に判断してくれる。そして、実際にその場にある調理器具を使い、最適と思われるやり方で料理し、食べさせてくれるのだ。今回私は、玉置さんをメンバーに誘ったということだけで、もう役目を果たしたと言ってもいい気がした。

たとえば玉置さんは、1回目にかかったもののうち、小エビは刻んだネギと水で溶いたお好み焼き粉と混ぜ合わせてかき揚げに、小魚は素揚げにして出してくれた。これがもう、どちらも驚くほどに美味しいのであった。

大量の小エビはかき揚げに
四ツ手網小屋の脇に立つ玉置標本さん

さらにありがたいことに、参加メンバーのひとりであるSさんが日本酒に詳しい方で、こんな場で飲むのにぴったりだという日本酒を持ってきて、適温にお燗をして振舞ってくれた。なんと贅沢な取り合わせだろうか。

この方たちに身を委ねていればもうあとは大丈夫だという気がした。私は酒を片手に小屋の近くをうろうろし、暮れていく空を見たり、穏やかな水面を眺めて過ごした。

美味しい魚と美味しい酒。ぼーっと海を見て過ごす時間

しばらくして小屋に戻ると何やら大物がかかったようだった。「ヒラ」という魚で、岡山県外ではあまり食べられないものらしい。

この日いちばんの大物「ヒラ」がかかった

玉置さんによると、ヒラは小骨が多いのが特徴で、丁寧に「骨切り」の処理をして食べると美味しいんだとか。そういう知識が当たり前のように出てくるというのがすごい。自分の知らない世界の法則に通じている感じである。玉置さんはその後、ヒラを捌き、半身を刺身に、残りの半分をバーベキュー網で焼く用に分けてくれた。

特にヒラの刺身は絶品だった。弾力のある食感、クセのない、どこまでもクリアな味わい。獲れたての魚は、それだけでどれも味が綺麗なのだとわかる。

シャクシャクした歯ごたえと透明感のある味わいが素晴らしいヒラ刺し

その後も、少しだけかかったベイカの刺身、シャコの刺身など、玉置さんが調理してくれるのを食べて「うまい!」と言いながら私は酒を飲むのみ。気づけばすっかり夜が深まっている。

獲れたものをどんどん入れていく鍋も美味しかった

「あなたはもう一生分のお酒を飲んでしまったんです」

四ツ手網の小屋がある一帯にはコンビニも商店もなく、住宅や工場があるだけだ。15分ほど歩いたところに自販機があるというので、甲類焼酎を割って飲むためのドリンクを買おうと、そこまで歩いていくことにした。

夜の四ツ手網小屋もまた美しい

周りを田んぼに囲まれた夜道を歩く。周囲から蛙の鳴き声がする。その鳴き声は「あちこちから聞こえる」というような程度のものではなく、音の壁としてぶつかってくるようである。しかも、音の帯域が広いというのか、高い声でリズミカルに鳴く蛙、振動するように低い声で長く鳴く蛙など、蛙の種類自体が様々なのだろうか、音域の異なる鳴き声が混然となって辺りを覆い尽くしているのだった。

「夜の田んぼってこんなに賑やかなんですね」と、一緒に自販機まで歩いた誰かが言った。そんな暗い道をしばらく歩き、自販機の明かりは頼りないほどにポツンと現れた。お茶と炭酸ジュースを買って、来た道を引き返す。明かりが灯った小屋が見えてきて、自分がいつもの居場所から遠く離れた土地にいることを感じる。

午前1時頃だったろうか、誰が言いだしたわけでもないが「そろそろ消灯しようか」という雰囲気になった。小屋には毛布が数枚あったが、前回の経験から、この季節でも寝袋を用意しておいたほうがいいことを参加者に事前に伝えておいた。そう言った私も、普段は寝袋などまったく使う機会がないから、今回の旅に先駆けて通販で購入してあった。小屋の電気をあらかた消し、小上がりスペースの端にそれを広げて体を突っ込んでみたが、それで眠れるというものでもなかった。いつもと違う環境で、また、私は普段から夜明けまで起きていてしまうほうなので、眠気がなかなかやってこないのである。

眠れないとなると、酒を飲んでしまう。寝袋の枕元にはスーパーで買った甲類焼酎のボトルがあって、こんなこともあろうかと大きいサイズのを買ってあったから、残りはまだまだある。それを紙コップについでは飲み、それでも眠れなくてまた飲んで、と、矢継ぎ早に繰り返した。あとで思えばそれがよくなかった。

結局、それでも簡単には眠れず、何度も夜中に目が覚めた。眠っているみんなの迷惑にならぬよう、静かに小屋の外へ出て、夜の海をしばらく眺めたりした。午前4時半頃になって、空が明るくなり始めた。ずっと酒ばかり飲んでいて、私の体調は限界を迎えつつあった。ここ最近、あるレベルまで酒を飲むと、急にそれ以上受け付けなくなってしまい、あとはただただ不調が続くのであった。

雑魚寝する参加者一同。みんなそれなりに疲れたろうと思う

夜明けの海辺にうずくまる。つい数時間まで楽しかった分の代償を支払うときが来たというように、体中がもう重たくて辛くてどうしようもない。せっかくの楽しい時間なのに、それを受け止める体力がないというのは、なんとも寂しいことである。横になったり、海辺に突っ伏したり、そんなことを繰り返してようやく朝が来て、みんなが起き出してくる。

網を上げれば魚がかかり、それを玉置さんが料理してくれるのだが、もう私はそれを美味しく味わうこともできず、ただみんなの様子を眺めていることしかできない。そこにいるのにいないような、まるで幽霊になったような気分で、横になったり、気持ち悪くなれば外に出たりを繰り返した。

丈夫な体が欲しいと思いながら海辺にたたずむ

10時頃から小屋の中の片づけを始め、11時過ぎにタクシーに迎えに来てもらって西大寺駅へ向かった。そこからみんなで岡山駅まで行き、荷物をロッカーに預けて辺りを歩くことになった。この、四ツ手網のあとの岡山散策も私は楽しみにしていて、当初の予定では大阪へ電車で戻れるギリギリの時間まで飲み歩くつもりだった。しかしそんな体力は少しも残っておらず、とりあえずふらふらとみんなについて行くので精一杯だった。

参加者のひとりで、各地の美味しいお好み焼きを食べ歩いているというAさんが案内してくれた「やっちゃん」という店まで歩いて向かう。「やっちゃん」は団地の一隅にあって、数年前の台風で飛んでしまったというので看板もない店なのだが、地元の方に厚く支持されているようで、店内で食事していく人はもちろん、持ち帰り用のパックを近くの公園で食べる人もいるようだった。

知る人ぞ知るお好み焼きの名店だという「やっちゃん」

我々一行は店内で食べていくことにする。酒が飲みたければ店から歩いて10分ほどの距離にあるコンビニで買って自由に持ち込んでいいらしかった。そこで、注文を先に済ませておいてそのコンビニに向かうことになったのだが、そのときの私はもう真っすぐ歩くこともできないほどで、なんとかたどり着いたコンビニのトイレにしゃがみ込んで、しばらく動けなかった。

以前、健康診断の結果が芳しくなくて再検査をしに病院に行った際、医師に「あなたはもう一生分のお酒を飲んでしまったんです」と言われたのを、トイレの中で思い出していた。等しく与えられた資産を、とっくに自分だけが使い果たしていて、もうまわりのみんなと同じようには過ごすことができないというような、そんな寂しさを味わいながら、炭酸水だけ買ってなんとか店まで引き返す。鉄板で焼かれた美味しそうなお好み焼きを、私はひと口食べるのがやっとで、どこまでも悲しく、情けなかった。お店の方が「朝ごはん食べ過ぎたんやな。無理しないでいいから」と、優しく言ってくれるのがまた申し訳ない。

いつか元気なときに思う存分食べてみたい

今までの人生のなかで無駄に飲み続けてきてしまった酒を、こんなときのためにとっておきたかったなと思い、同時にそれがわがままであることもわかっていた。私が手をつけられなかったお好み焼きを美味しそうに食べているみんなが、ただただ輝いて見えるのだった。

*   *   *

スズキナオ『自分を捨てる旅』次回第19回は、2023年7月14日(金)17時配信予定です。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』、『集英社新書プラス』、月刊誌『小説新潮』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『酒ともやしと横になる私』、『関西酒場のろのろ日記』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『「それから」の大阪』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』がある。

  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
連載「自分を捨てる旅」
  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
  25. 連載「自分を捨てる旅」記事一覧
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