自分を捨てる旅
第14回

“同行二人”を思いながら野川を歩く

暮らし
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もう10年近く前の夏のある日、友人と二人で歩いた日立の街。そして今年、冬のある日に私はひとりで調布の街と野川を歩いた。

写真のおかげで友人と過ごした時間を思い返すことができる

友人が死んでしまった。急なことだった。その知らせを受けた日の夜、私は久々にその友人に会う予定だった。音楽が好きだった友人が大阪で催しを企画して、そこに私も参加することになっていた。事実を受け止めきれないままその場に行ってみたが当然その友人は現れず、宙ぶらりんな気持ちが今も続いている。

有名人でも、もう少し近い知り合いでも、誰かの訃報を聞いたとき、私はいつも自分と亡くなった人の距離のことばかり考えてしまう。故人とすごく親交の深かった人がいて、その人が受けた悲しみに比べれば、自分の思いなど取るに足らない気がする。自分の心の中に今、悲しみがあることは確かなのだが、その悲しみの大きさに自信が持てない。卑屈な考え方だと思うのだが、寂しい寂しいと、素直に言葉にすることができない。

実際、友人はすごく多くの人々と関りあってきたようで、関係の深い仲間が周りにたくさんいる。それに比べれば、私がその友人と過ごした時間、交わした言葉の量は、ちょっとしたものだと思う。半日ほど一緒に飲んでいたはずなのに、何を話したかまったく覚えていないという時間もある。今となって思い出せる場面は数少ない。

頼りない記憶のなかで、それでもいちばん鮮やかに脳裏によみがえるのは、友人が暮らす実家のある茨城県日立市を訪ねたときのことだ。それは2014年の夏で、私がそれまで長く暮らした東京から大阪へ生活の拠点を移す直前の時期だった。

その頃、友人は実家のある日立市に「塙山(はなやま)キャバレー」というバラック建てのスナック街があることを知った。一度そこに飲みに行ってきたそうで、時代の流れに取り残されたような雰囲気のあるその場所が気に入ったらしかった。そして友人は、そういう古い飲み屋街が好きな私に「よかったら行きませんか? そこで飲んで、うちに泊まっていってください」と声をかけてくれたのだった。

それで夏のある日、私は東京駅から高速バスに乗って日立市へ向かったのだ。午前10時頃のバスに乗って、正午過ぎには日立に着いた。と、私が書くことができるのは、その日にスマートフォンで撮った写真が数点、今もパソコンの中にデータとして残っているからである。画像データと一緒に撮影した日付と時刻が記録されていて、そのときにその写真を撮ったスマートフォンはとっくに壊れてしまったのに、データだけは不気味なほどに正確なままだ。

とにかく、撮ってあった写真のおかげで、それをよすがにして、その日から翌日にかけて友人と過ごした時間を思い返すことができる。私は昼の12時過ぎに日立に着いて、友人に教わった通りの停留所でバスを降りた。すると、停留所のすぐそばに車が停まっていて、私を迎えてくれたのだった。車から現れたのは友人の両親である。その時間、友人は海辺でアルバイトをしていて、友人の両親だけが迎えにきてくれていたのだ。

その友人の両親に会うのはそのときが初めてだった。いきなり会うことになった両親と、三人で昼食をとることになった。12時39分、私は「日立おさかなセンター」という場所にいたらしい。その施設に併設されたレストランに入り、13時3分に、お刺身と天ぷらと蕎麦がセットになった豪勢なお膳が私の目の前に運ばれてきたようだ。

初めてお会いした友人の両親と「日立おさかなセンター」へ
ボリューム満点の定食を御馳走になった

友人の両親はすごく物腰の柔らかい方で、「よかったらビールも飲んでください」と勧めてくれて、写真の中にビール瓶は映っていないけど、たぶん私のことだから、すすめられるがままに飲んだはずだ。代金はご両親が支払ってくださった。すごいボリュームのお膳だったので、たぶん、お腹がはちきれんばかりになった。

ご両親とどんな話をしながら食事をして、さらにそのあと、再び車に乗せてもらったのかは思い出せないが、13時56分、私は海にいたようだ。友人はその海で、夏のあいだ、海水浴場の監視員のアルバイトをしていた。失礼ながら、決して体を動かすのが好きそうな友人ではなかったから、「そんな人が監視員って、いいんだろうか」と笑いたくなったが、何か大変なことでも起きなければのん気な仕事だそうで(きっとその場に他にちゃんとしたスタッフがいたからだと思う)、友人はすでにその仕事に慣れているようだった。

この砂浜で私は友人のアルバイトが終わるのを待った

あとは何も憶えていない

私のためにおそらくご両親が海の家からレンタルしてくれたパラソルとビーチチェアーが写真に映っている。たしかそこでご両親は車に乗って一旦ご自宅へ戻られ、私は一人で海辺に残って、友人のアルバイトが終わるのを待ったのだ。

14時40分、海辺でゴミを拾っている友人の姿を撮った写真があり、そのすぐあと、ほんの短い動画を私は撮っている。海に向かってスマートフォンのカメラを向けていて、近くに設置されていたらしいスピーカーから、かせきさいだぁの『じゃっ夏なんで』という曲が流れているのが録音されている。アルバイトをしているあいだ、友人は砂浜一帯に流れるBGMを選ぶ権利を持っていて、それがこのアルバイトに対して友人が最も魅力的に感じている部分らしかった。「好きな音楽をかけて、砂浜の見回りやゴミ拾いなどして、夕方になったら終わり」と、もし本当にそれだけでいいのだと考えれば、たしかにそんなにいい仕事はあまりないように思えた。

動画には残ってないが、ハンバートハンバートの『おなじ話』という曲も流していた。私はその歌をそれまで知らず、「いい歌だな」と思ってそのときにメモしたから、今も憶えている。友人はダンスミュージックが好きで、自分でも曲を作ったりDJもしていたけど、そういうジャンルではない、もっとリラックスして聴くような音楽も好きで、幅広く色々知っているのだった。その後も次々といい曲が流れてきたはずだが、スピーカーの性能に対して音量を大きくし過ぎているのか、どの曲もひしゃげたように聴こえて、なんだか痛快だった。

夕方、友人の仕事が終わる頃に再び友人のお父さんが車に乗って我々を迎えにきてくれて、17時38分には「塙山キャバレー」まで送ってもらっているようだ。

友人が案内してくれた2014年頃の「塙山キャバレー」
それほど広くない敷地にこんなふうに店がひしめいている

日立製作所のお膝元の日立市だから、仕事を終えた社員の方が一杯飲んで行けるような場所がこうして生まれたのか。その歴史について我々は深く知らなかったが、「どこ行きましょうね」と、常連さんばかりであろうなか、少しでも気軽に入れそうな店を探してまわったはずだ。

時間的に2軒目だろうか、18時50分にどこかに店内を撮った写真があって、友人が酒を飲んでいる横顔を撮った写真があって、その次の写真はもう翌朝のものだ。

どこだかわからないけど、ここで私と友人は酒を飲んだ

だからその夜のことは私のあいまいな記憶に頼るしかないのだが、暗くなるまで塙山キャバレーの店をハシゴして、カラオケのできる店で私も友人も歌を歌ったはずだ。私はそういうとき、年配の常連さんに「おっ! 古い曲知ってるんだねー」みたいに言われたいから昔の歌謡曲を選んで歌ったりするけど、友人にはそういうこずるい考えはなく、TMネットワークかB‘zか、どっちかの曲をすごい大声で歌っていて、迫力があった。

店を出て、友人の実家まで夜道をしばらく歩いて帰り、途中、コンビニで酒を買い足した記憶がある。布団を敷いてもらった居間でもう一度乾杯して、二人とも酔っていたから早々に寝たと思う。

翌朝のことで覚えているのが、友人が「歯ブラシとかひげそりとか使ってください! ビジネスホテルでもらってきたのがたくさんあるんで」と言ってくれたことだ。私はまさに歯ブラシもひげそりも持たずにそこに来てしまっていたので、すごく助かった。気を遣ってくれる、優しい人だと思った。

しかし、それ以降の記憶はまたしてもおぼろげで、実家で朝食を御馳走になり、再びお父さんのお世話になって、車で「日立市かみね公園」へ連れていってもらったことぐらいしか憶えていない。11時14分、友人がザリガニ釣りをしている写真、11時31分、友人がペンギンにエサをやっている写真がある。

そのとき、一緒に見たはずのキリン。友人はこの動物園が好きでよく来るらしかった

のんびり公園を歩いて、それで日立駅まで送ってもらって、そこから私は電車で東京へ帰ったような気がする。車の窓から日立の街並みを見ながら「若い人が減ってしまって、結婚式場がどんどん葬儀場になってるんですよ」と友人がぼそっと言っていた気がするが、あとは何も憶えていない。帰り際にどんな話をしたのか……。なんで私の記憶力はこうもだめなのか。

「つげ義春のマンガみたいに石を売る仕事がしたい」

とにかくそれが2014年の夏の日のことで、それからも、どの機会も短い時間ではあったが、関東や関西で顔を合わせたりしていた。それらの記憶はほとんど忘却の彼方だが、しかし、2019年に私は友人と大阪で会っていて、そのときのことはよく覚えている。その時期、友人は四国八十八か所を、「区切り打ち」と呼ばれる、何度かに期間をわけるスタイルで巡礼していて、ついに全行程を巡り終え、「帰りにちょっと大阪に寄るので会いませんか」と連絡をくれたのだった。

JR新今宮駅で午前11時に待ち合わせて、「マルフク」という、ホルモン焼きが人気の立ち飲み屋へ行った。ちょうど大阪に来ていたもう一人の友人と3人で、ビールケースを重ねただけの簡易な屋外席で乾杯した。

新今宮の「マルフク」で乾杯した

友人はお遍路の旅を終えたばかりなので、ずっと握って歩いていた杖を持って、巡礼用の白いバッグを肩から下げ、リュックのうしろには遍路傘と呼ばれる、頭にかぶる傘をくくりつけていた。そんな姿で明るいうちから外でビールを飲んでいいのかと聞いたが、それとこれとは別らしかった。

遍路傘には「同行二人」と墨書きがしてある。私はその意味をどこかで聞いて知っていた。巡礼の最中、巡礼者は常に弘法大師と共にある。一人で歩いていても、弘法大師と二人でいるのだ、という意味の言葉だ。私と似たようにものぐさなはずの友人が、どういうモチベーションがあったのか知らないが、巡礼を達成した。そしてその歩みは弘法大師と共にあった。なんだかそれは、考えれば考えるほど、笑えてしまいそうなことだった。

それでも今思えば、決して楽な道のりではない巡礼の旅を、「区切り打ち」のスタイルでとはいえ、友人は達成したのである。そこには何か、私の想像の及ばぬ切実なものがあったのかもしれない。でも、目の前でビールをグイグイ飲んでいる友人に、まったくそのような切実さは感じられない。それがよかった。「マルフク」でホルモンを食べたあと、私たちはさらに「たつ屋」でホルモン鍋を食べた。

それから3年とちょっとしか経っていないというのに、友人がこの世にいないというのはなんとも不思議なことだ。私に優しくしてくださったご両親の悲しみは、想像しようにもしきれない。私と友人はよくお互いの健康についてやり取りを(といってもそれも手短なものだったが)していて、「お互い元気になんとかやっていきましょう」と前向きに約束をしあうこともあれば、「まあ、いつ死んでも後悔はないですよ」と友人が言うようなときもあった。実際に死んでいるのはどういう感じか、それを聞くことはできない。それを言葉にすることは、友人にはもうできない。

2023年の1月、私は新幹線に乗って東京へ向かっていた。調布市の調布文化会館という施設で、「マンガ家・つげ義春と調布」と題された展示イベントが開催されていて、それを見に行きたいと思っていた。それは友人の訃報を聞いてから間もないタイミングで、友人もつげ義春のファンだったから、悲しい知らせに背中を押されるようにして、どうしてもやはり行こうと思って新幹線の切符を買った。

私も友人も働くということに消極的で、冗談でよく「つげ義春のマンガみたいに石を売る仕事がしたい」と言いあっていた(そう考えると友人の「海で好きな曲かけてゴミ拾う仕事」はかなり理想に近いな)。この展示を、友人もきっと見たかったろうと思う。

昼過ぎに調布駅に着き、まずは会場へ……行かずに、「八幡」という中華料理店を目指した。その中華料理店はつげ義春のなじみの店で、今の建物は建て替え後のものらしいが、その店の2階に住んでいたこともあったという。先に同じ展示を見に行った人がSNSに「この展示に来たらここも行っておかねば!」みたいに書いていたのを私は目ざとく見つけていたのだ。遅い時間になると昼休憩に入ってしまうようだったので、先にそこへ行った。

八幡神社という神社のすぐそばにあるから「八幡」という屋号らしい。赤いのれんをくぐり、カウンターでラーメンを食べた。ラードが効かせてあるような、あっさりしつつも食べ応えのある味で、とても美味しかった。

つげ義春がかつて2階に住んでいたという「八幡」
シンプルなようでいてクセになる旨さの「ラーメン」

「八幡」と同じくつげ義春のゆかりの地であるという八幡神社の境内を歩き(先ほどの「八幡」も含め、水木しげるのマンガにも出てくる場所だという)、境内の骨董市でつげ義春が中古カメラを買ったという布多天神社へも足を延ばし、ようやく展示会場へ向かう。

八幡神社は水木しげるの作中で「猫娘」の住みかに設定されているという
今も骨董市が立つという布多天神社の境内

返ってくる答えは私の想像でしかない

「マンガ家・つげ義春と調布」展は、平日だというのに盛況だった。公共施設で開催される催しだからか、入場無料で、それにしては見ごたえもあった。何より、つげ義春の作品のなかに登場する調布周辺のスポットが詳しく紹介されていて、そこにはもちろん先ほどの「八幡」や神社についての言及もあり、つげ義春の作品の世界を歩けた気がするのもうれしかった。

展覧会限定グッズとして、主人公が石を売る『無能の人』という作品をモチーフにしたクリアファイルが売られていたので、自分の分と友人の分を買った。渡す術はないが、たぶん欲しかったはずだ。

「あのマンガみたいに生きていきたい」と友人と話したことがあった

展示会場を出て、私は展示内で紹介されていた、調布の“つげ義春スポット”をさらに歩こうと思った。「調布百店街」という横丁を抜け、ナビを頼りに「祇園寺(ぎおんじ)」のほうへ。つげ義春の『散歩の日々』という作品のなかに「G寺」という名で登場するのが、その祇園寺という寺らしかった。

スナックやガールズバーがひしめいていた「調布百店街」
「G寺」という名でつげ義春の作品に出てくる「祇園寺」

境内に「閻魔堂(えんまどう)」があって、つげ義春の妻の藤原マキが、絵日記のなかに(おそらく)その閻魔堂の閻魔像をのぞいたことを書き残している。

ギョロッとした目がおそろしい閻魔像がお堂の中にいた

お参りをして、境内を出る。つげ義春の『散歩の日々』には、祇園寺に行ったあとに野川という川沿いをだいぶ歩いたという記述がある。それを真似して歩いてみようと思った。

夕暮れの空になりかけていた

調布駅前は大きなショッピングビルがそびえるような、いかにも整ったエリアという感じだったけど、野川まで来るとかなりのどかだ。川のすぐほとりまで下りられるようになっていたのでそこを歩く。

つげ義春も歩いたという野川のほとり

川の流れる音を聞き、鳥の鳴き声を聞き、少し先にかかっている橋の上を子連れの自転車が走っていったり、スマホを見ながら高校生が歩いていたりするのを見て、暮れていく空を見て、足下の草を見る。

ただただ、野川を歩く

誰も周りにいないし、いいか、と思ってマスクを外すと少しうるんだ空気の匂いがして、ただぼーっと歩いていても、瞬間ごとにあれこれ感じているものだなと思う。生きていると、常に色々感じていて、それが生きていることなのだとしたら、死んでしまったということはなんなのか。自分が主体となって何かを感じることはできないけど、でもこの景色のなかに溶けているようなことなのか。それは気持ちいいことなのか、少し寂しいことなのか。そんなふうに、生きている人間にわかるような何かではないのだろう。

頭の中で友人にずっと話しかけながら私は歩いているけど、返ってくる答えは私の想像でしかない。私の知っている友人は、ずっと近くにいた人からすればごく一部、しかもたぶん、お互いいつもどこか緊張していたから、よそ行きの顔だったと思う。それでも、私にとって、それは私に与えられた貴重な友人との思い出で、それが今もぼんやりとだが、私の心の中にある。同行二人、同行二人、と思いながら、私は私なりの友人の像と共に今いるつもりで、野川の流れに沿って歩いていた。

*   *   *

スズキナオ『自分を捨てる旅』次回第15回は、2023年3月17日(金)17時配信予定です。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。

  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
連載「自分を捨てる旅」
  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
  25. 連載「自分を捨てる旅」記事一覧
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