淡路島にある商店街の銭湯と同じ建物の立ち飲みスペース「ふろやのよこっちょ」。近隣の飲食店をサポートするために持ち込みが自由で、常連たちの持ち込みの定番だった刺身の盛り合わせを提供する魚屋「林屋」が閉店してしまうと聞いた。最終営業日の2023年の8月30日、フェリーに乗って淡路島に向かった。
「淡路島の岩屋に行ってみませんか?」
淡路島の北部にある岩屋という町が好きで、何度も訪れてきた。神戸市と四国の徳島県の間に浮かぶ淡路島へは、神戸市側からなら明石海峡大橋を使って車で行くことができて、多くの人は高速バスか自家用車かに乗って向かうのだと思う。
明石海峡大橋が1998年に開通するまでは、神戸側から淡路島へ行くのには海路しかなく、フェリーのルートが複数あったそうだ。しかし、橋が開通すると、それらのほとんどは運航をやめ、2023年現在では「ジェノバライン」という高速船が唯一、本州と淡路島を結ぶ海路として残っているのみである。

私は車の運転ができないので、淡路島へ行くのはもっぱらそのジェノバラインに乗ってのことである。ジェノバラインはJR明石駅から歩いて10分ほどの距離にある明石港から出ている。すごいスピードで海を渡り、明石海峡大橋の下をくぐって10分ちょっとで淡路島の岩屋港に到着する。
「魚の棚商店街」という活気ある商店街が観光地としても有名な明石と違い、岩屋はいかにも離島の港町という雰囲気だ。それこそかつて、本州側からのルートが海路しかなかった頃は淡路島の北の玄関口として賑わったそうなのだが、明石海峡大橋の開通以降、商店等も徐々に減り、今では“寂れた”と表現したくなるような街並みになっている。
フェリーを降りて少し歩くと「岩屋商店街」のアーチがあって、いくつかの飲食店や旅館が点在している。商店街のなかほどに「扇湯」という、戦前から続く古い銭湯があって、アイスブルーの外観が目を引く。銭湯と同じ建物に、「ふろやのよこっちょ」という名の立ち飲みスペースがあり、主に週末にオープンする。そこで酒を飲むのが楽しくて、私は岩屋に行くのだ。

ふろやのよこっちょは扇湯と岩屋の町を盛り上げようと有志が立ち上がって作った場で、近隣の飲食店をサポートするために、持ち込みが自由になっている。近くには「紋六」というお好み焼きや焼きそばの店があって、焼いてもらったものをテイクアウトすることもできるし、「マイマート」というローカルスーパーでも惣菜が手に入る。それに加えてもうひとつ、「林屋」という魚屋があり、そこで刺身の盛り合わせを買ってふろやのよこっちょに持ち込むのが常連たちの定番だった。「2000円分でお願いします」と、予算を伝えて注文すると、活きのいいものを見繕ってくれる。
林屋は創業80年以上になる老舗で、新鮮な魚介類を店頭で販売するほか、併設された「鮓 林屋」では、その魚介類をネタにした握り寿司を食べることができ、予約しないと入れないほど人気があった(私はその寿司店のほうへは行ったことないが)。
その林屋が、主要スタッフの高齢化を理由に2023年8月いっぱいで閉店してしまうことになった。「え! じゃあこれからふろやのよこっちょに何も持ち込めばいいんだろう」と、よく一緒に岩屋へ行く仲間と嘆き合ったものだが、残念ながらそれは決定事項らしい。
林屋は木曜日が定休日で、2023年の8月31日は木曜にあたっていたため、30日の水曜が最終営業日になるそうだった。
そしてその30日の水曜日は、平日でもふろやのよこっちょが営業している特別な日にもあたっていて、つまり、その日に岩屋に行けば、最後に林屋の刺し盛りを食べつつ酒が飲めるのだ。そうと知れば逃すことのできない貴重な機会なのだ。
私は思わず漫画家のラズウェル細木さんに連絡をした。ラズウェル細木さんは長期連載シリーズ『酒のほそ道』の作者として知られる方で、私の尊敬する酒の先達である。もともと、私が長く付き合っている酒場ライターのパリッコさんが、共通の友人を介してラズウェル細木さんと交流を深め、パリッコさんがラズウェル細木さんと飲む場に私も呼んでいただいて、と、人の縁に便乗させてもらうような形で知り合ったのだった。

そして、ありがたいことにその後も幾度となく酒の席をご一緒させていただくことになった。特に、私が大阪に住んでいるため、ラズウェル細木さんが関西にいらした際に声をかけていただき、関西のあちこちの酒場を案内させてもらうことが多くあった。
私の住まいに近い大阪の天満や京橋といった歓楽街で飲み歩いたこともあったし、神戸や京都方面まで足を延ばすこともあった。甲子園球場で高校野球の試合を見ながらキンキンに冷えた生ビールを飲んだのもいい思い出だ。
コロナ禍以降、ラズウェル細木さんが関西に来られる機会が減り、来たとしてもあちこちに飲みに行くようなことは控えているようだった。2023年になってようやくコロナ禍の収束ムードが漂い始め(今また改めて流行しつつあるとも聞くが)、ラズウェル細木さんが近いうちに関西に来られるつもりだとも聞き、そんなこともあって「淡路島の岩屋に行ってみませんか?」と図々しくもお声がけしてしまったのだ。そこに林屋という店があり、それが8月末で閉店してしまうことも合わせてお伝えした。
その結果、ラズウェル細木さんから「いいですね。行ってみますか」といったお返事があり、そのようにして、淡路島行きが決定した。普段私が大阪でよく一緒に飲んでいる飲み仲間の数人にもすぐ伝え、それに応じてみんな「行きます!」と力強い返事をくれた。会社の休みを取得して参加するという仲間もいた。
と、そのようにして2023年8月30日、私たちは淡路島の岩屋へ向かうことになった。ラズウェル細木さんと私と、大阪でフリーライターをしている橋尾日登美さんの3人は正午にJR明石駅に集合した。
「ここに住んでる人はどんな人なんでしょうね」
もうふたり、駆け付けてくれることになっている山琴さんと今野ぽたさんのふたりは、朝早い船に乗ってすでに淡路島へ渡っていた。今日が林屋の最終営業日なので、早い時間に行って刺身の盛り合わせを確保しようとしてくれたのである。
先発隊の努力に感謝しつつ、後発隊の3人は船が出る時間まで明石駅周辺を散策することにした。前述の通り、明石駅近くには魚の棚商店街という通りがあり、名物のタコをはじめとした魚介類を売る店、練り物を売る店、野菜を売る店、玉子焼き(明石焼き)の専門店などが立ち並んでいる。

ラズウェル細木さんは明石に来るのが初めてだそうで、魚の棚商店街のあちこちのお店を見て、「これは色々買っていきたくなりますね」と楽しそうにしていらした。
とはいえ、私たちはこれから淡路島へと渡る予定だ。買い物したい気持ちをグッと堪え、商店街を端から端まで眺めるのに留めた。そして、商店街を抜けた先にある「明石焼き ゴ」に入って船の出る時間までひと休みしていくことにした。

座敷に上げてもらって瓶ビールの大瓶を分け合い、オーソドックスな明石焼きと、チーズと餅が入ったものを注文する。するとお店の方が、テーブルに1枚の紙片を置いていった。よく見ると難読漢字の読み取りテストで、全部で10問の問いが記載されている。6問正解したら5%、8問正解で10%、全問正解で20%を食事の合計額から割り引いてくれるのだという。

「ひょっとしたら全問正解なのでは?」などと思ったが、店主に採点してもらうと、10問中7問正解とのこと。5%は割引になるのでまあよかったといえばよかったが、自分が「こうじゃないですか?」と強引に答えたところが間違っていたりして、少し恥ずかしかった。
ちなみにこの漢字テストは、明石焼きが焼き上がるまでの暇な時間を楽しんでもらおうと店主が考案したものらしい。天井近くを見上げると難読漢字がずらっと並んでいて、それを全部読めたら1年間無料で食事ができるのだとか。何人か、それに成功した方の写真が飾られていた。
運ばれてきたばかりの、どう考えてもアツアツの明石焼きをラズウェル細木さんは勢いよく口に放り込み、その熱さに悶絶されていた。

「冷めてもうまい」がこの店のキャッチフレーズで、なるほどその通り、アツアツ状態よりもかえって少し時間が経ってからのほうが出汁の味が感じられる気がした。
「美味しいですね」とのんびり食べていると船が出る時間が近づいてきた。それを逃すと次の便は1時間後になってしまうので、速やかに店を出る。
ジェノバラインの乗り場近くにある酒の自販機で船の上で乾杯するための酒をそれぞれが買い、船に乗る。屋内スペースにたくさんのシートが並んだ1階席と、オープンエアの2階席があって、私は2階で風に吹かれて行くのが好きなので、みんなでそっちへ行く。


船が明石港を出ていくとき、港に立つ「アーバンライフ明石」というマンションが見える。それをラズウェル細木さんがじっと眺め、「ここに住んでる人はどんな人なんでしょうね」と言った。それを聞き、このマンションで生活している自分を少し想像してみる。魚の棚商店街で魚や野菜を買って料理して食べたりするんだろうか。洗濯物を干したついでに、窓からジェノバラインが行ったり来たりするのを眺めることがあるかもしれない。
そんなことを思っているうちに、船は一気に加速し、それからはもう、大きな声で話しかけないとお互いの言葉が聞き取れないほど、風とエンジンの音に包まれる。うねる海面をぼーっと眺めていると、明石海峡大橋が徐々に近づいてきて、その下をくぐる。

橋の下を見ることができたからといって特別な驚きがあるわけでもないのだが、この瞬間が大好きだ。いつも神戸の海に来ると遠くに明石海峡大橋が見えて、その、あるときは遠くに見えていた橋の下を、別のときの自分が通り抜けていく、という感覚は何度回を重ねても新鮮だ。遠くから見ていた自分と、今そこにいる自分との視線が交差する気がして面白い。
船が岩屋港へ近づき、速度を落としてゆっくり着岸する。出口のほうへ歩いていくと、向こうに、先に島に着いていた山琴さんと今野さんが見える。地元の方に出迎えてもらったかのような喜びを感じつつ、これで今日のメンバーが揃った。先発隊のふたりによると、林屋の店頭は朝から人で賑わい、刺し盛りを注文することはできたが、用意できるのは夕方になるらしいとのことだった。
「お酒を飲みながら、のんびりとできあがりを待ちましょう」と話し合い、岩屋商店街へと向かう。

「ちょっとこれは、忙しくなりますよ」
今日の店主を務めるSさん(ふろやのよこっちょは店主が日によって代わるスタイルなのだ)が店を開けてくれていたので、早速そこで飲ませてもらう。


「なるほど、いい場所ですね」とラズウェル細木さんが言うのを聞いて、私はホッとした。明石まで来て、さらに海を渡って、とだいぶ遠くまでお連れしてしまったのを半分申し訳なくも思っていた。
ただ、ラズウェル細木さんはどんな場であれ、楽しんでくださる人である。それこそ、夏の甲子園球場の炎天下の下まで冷えた生ビールを飲みに行くような人だ。そこに待っているのがたとえ手の込んだ料理や酒でなくても、何か面白い場があって、酒が飲めるのであれば、「これもなかなか」と楽しんでくれる。
自分より30歳近く年上のラズウェル細木さんが、そんなふうに常に好奇心旺盛に、様々な酒の場を軽い足取りで楽しんでいるということに頭が下がる。ラズウェル細木さんはいつも穏やかで、何に対しても、誰に対してもオープンな姿勢で向かいあっておられ、笑いを忘れず、そして酒が好きで、酒が強い。自分もこんなふうに歳を重ねたいといつも思う。
そんなラズウェル細木さんと、好きな飲み仲間たちと一緒にいい日に淡路島まで飲みに来られたことが私はうれしくてならなかった。「今ここにいる」と思うだけでじわじわと喜びがこみ上げ、ニヤニヤ笑ってばかりいる。

それぞれが好きな酒を好きなペースで飲みながら、時折、林屋の様子を見に行く。注文していた盛り合わせができていたら、店頭の冷蔵ケースに予約者の名前を書いた紙片とともに置かれているはずだという。
山琴さんが行って、今野さんが行って、「まだまだらしいです」と帰ってきて、それからしばらくして私も様子を見に行ってみる。


鮮魚店の方も寿司屋の方も今日で閉店しまうという
店頭に自分たちの分がまだないらしいのを眺め、再びゆっくりふろやのよこっちょへと戻っていく。仲間たちが飲んでいるのが見え「どうでした?」「まだまだですね」「ですよねぇ」と言葉を交わすのもなんだか楽しい。

先に順番が回ってきてうなぎの蒲焼きを買えたという方がその場いる人に大盤振る舞いしてくれたのをいただいたり、「紋六」でそば焼きを買ってきて食べたり、ほろ酔い気分の中で幸福を味わう。。


18時になって、もう一度林屋の前に様子を見にいってみたところ、ついに私たちの注文した刺身の盛り合わせが用意されていた。


店頭には地元の方や車で来た常連客らしい人々が集まっており、お店の方と言葉を交わしている。「明日からどこで魚買うたらええんや」「どこか探してもらわな」「今までありがとう」と、別れを惜しむ声をうしろに聞きつつ、仲間のもとへ戻る。

豪快なまでに分厚く切られた刺身を「じゃあ僕イカもらいます」「じゃあ私はハモで」などとみんなでつまみ、カウンターで地酒をもらってきて、またおかわりして、と、そんなことを繰り返しているうちに気づけば夕暮れだ。

その時間からさらに人が増え、一層賑やかになった。扇湯の営業をサポートしたり、ふろやのよこっちょの運営をしたりしている団体「一般社団法人 島風呂隊」の松本康治さんや槙のぞみさんも現れ、「ナオさん、今度、ふろやのよこっちょの一日店長しませんか」と声をかけてくれた。

それからもしばらく飲んで私はだいぶ酔い、帰り際、酔った勢いでラズウェル細木さんに聞いてみた。「今度ふろやのよこっちょの店長をやらないかと言われたんですけど、一緒にどうですか?」と。するとラズウェル細木さんは「……わかりました。涼しい季節になったらやりましょう」と真剣な眼差しでおっしゃり、「やるからには色々考えなくちゃ。ちょっとこれは、忙しくなりますよ」と笑うのだった。
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スズキナオ『自分を捨てる旅』次回第21回は、2023年10月13日(金)17時配信予定です。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』、『集英社新書プラス』、月刊誌『小説新潮』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『酒ともやしと横になる私』、『関西酒場のろのろ日記』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『「それから」の大阪』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』がある。