まだ会って3回目の友人のFさんとふたりで名古屋へ行くことになった。新幹線に乗れば1時間もかからない距離だが、ちょっとした旅行ではある。旅先で、誰かの、自分の知らない話を聞きながら歩くのが、私はとても楽しい。
「とにかく量だけは食べてしまうほうなんです」と、スイスイ食べていく
名古屋にライブを見に行った。友人のFさんとふたりで新幹線に乗って行くことになった。
Fさんと会うのは3回目だった。昔からの友人というわけではない。というか、私はほとんどまだFさんのことを知らないのだった。「また今度飲みましょう」とメッセージを送り合っていた流れで、Fさんが「この前見たchelmicoのライブがよかったです」と言っていた。
私はその少し前に中村佳穂というシンガーのライブを大阪で見てすごく感動して「次のライブも見に行こう」と思ったのだが、調べてみると中村佳穂の次のライブは名古屋で、chelmicoのツアーにゲストとして招かれているとのことだった。
そんなことがあって聞いたFさんの話だったから、「あ、今度chelmicoのライブに中村佳穂が出るっていうのでちょっと気になってたんです」「おお、それはいいですね!」「もしチケットが取れたら行きましょうか、名古屋!」という展開となり、チケットが取れたので本当に名古屋に行くことになったのだった。
Fさんは京都に住んでいて、私は大阪に住んでいる。どちらからでも、新幹線に乗ってしまいさえすれば1時間もかからずに名古屋に着く距離だが、とはいえ、ちょっとした旅行ではある。せっかく行くのだからと、昼には向こうに着くように早めに出て、ご飯を食べたりお酒を飲んだりして夜のライブまでの時間を満喫しようという計画になった。
しかし、待ち合わせて新幹線に乗って聞いたところによると、Fさんは年明けから体調を崩し、1日入院して点滴を打ってきたという。そんな状態で大丈夫なのかと思ったが、それは持病で慣れていることであり、今は元気だとか。ただ、お酒はしばらく控えないといけないそうだ。

1日の入院ではあったが時間を持て余し、病室で新海誠の『天気の子』を見たそうである。Fさんは同じ新海誠の『すずめの戸締まり』はあまり好きじゃなかったが、『天気の子』のほうはそれよりはいいと思ったそうで、それは、少年期に留まっていたいという思いと、成熟した大人にならなければいけないという義務感とのあいだで揺れている新海誠がそのまま作品に投影されているからだとのこと。Fさんが作品を批評する言葉が面白く、「なるほどー」と相槌を打ちながら缶ビールを飲んだ。
新海誠の話が終わらぬうちにもう名古屋駅だ。JRの在来線で金山駅へ向かい、そこから市営地下鉄に乗り換えて日比野駅で降りた。この駅の近くに、「名古屋市中央卸売市場本場」という大きな市場があって、その市場内の食堂がいいと聞いたことがあり、そこで昼食をとることにしたのだった。

「一力」という食堂に行くことにした。店内はほぼ満席の賑わい。平日だからか、お昼休みに食事をしに来たらしいスーツ姿の人々が多くいる。

大衆食堂らしいメニューの幅広さで、カレーライスもラーメンも親子丼もある。しかし、人気なのは刺身や煮魚や焼き魚から好きなものを選べる「日替わりランチ」らしくて、私はそれを選ぶ。生ビールも注文した。


隣のFさんは刺身の盛り合わせ定食と、アジフライも頼んでいる。刺身の盛り合わせだけでかなりの量があり、そんなに食べられるのかなとちょっと心配したが、「とにかく量だけは食べてしまうほうなんです」と、スイスイ食べていく。

私の注文した「日替わりランチ」では、いろいろ用意されたお魚からひと皿選ぶことができるのだが、迷った末、「げんげの煮付け」を手に取った。箸先でつまむのが難しいほどぷるんぷるんと柔らかい。私は食べるのが初めてで「げんげとはこういうものか」と驚く。「げんげってこんな魚らしいですよ。深海魚」と、Fさんがいつの間にかスマホで検索した画像を見せてくれた。深海魚だからこんなに柔らかいのか。Fさんは「ちょっともらってもいいですか?」と、端っこのほうを食べている。
私はもう、生ビールが入っていく余地がないほどに満腹となった。一旦、名古屋駅まで戻り、腹ごなしに周辺を散策することにした。「円頓寺商店街という辺りまで歩くと、よさそうな喫茶店がたくさんあるっぽいです」とFさんが調べてくれたのでそれに従う。
過去の自分がすぐ近くを歩いていたのかもしれなかった
歩きながら、Fさんがかつて名古屋に住んでいたという話を聞く。Fさんが静岡県の浜松の生まれだというのは前に会ったときにちらっと聞いていたが、名古屋にも住んでいたのだな。高校を出て浪人することになったFさんは、その浪人時代の一年を名古屋で過ごしたらしい。
浜松には自分の志望校向けの予備校がなく、そうなるといちばん近いのが名古屋ということだったそうだ。浜松に住んだFさんからすると名古屋は地理的にそう遠い場所ではなく、最寄りの大都市という感じだったとのこと。
予備校時代のことを聞きながら歩く。ほとんどが部屋と予備校の往復で、名古屋の町を歩いたりは全然しなかったこと。親元を離れて初めてのひとり暮らしだったから生活が荒れ果ててめちゃくちゃになったこと。予備校で一年学んだけど結局志望校には合格できず、浜松の家に戻ってもう一年勉強したこと。予備校時代にできた友達とは趣味が合って、今も連絡を取り合ってたまに会うこと。こうして誰かの、自分の知らない話を聞きながら歩くのが、私はとても楽しい。自分が予備校生になって、心細さと自由とを感じながら名古屋を歩いているかのような気分になってくる。
向こうに「円頓寺本町」という文字が大きく見え、どうやらその下はアーケードの商店街になっているようだった。



円頓寺本町商店街とそこから通りを挟んでつづく円頓寺商店街は名古屋市内でもいちばん古い商店街だそうで、あちこちに古い建物が残っている。また、そういう建物の風合いを残しつつ今風に再利用しているらしきお店なども目につき、尾道の商店街を歩いたときの感じに似ているなと思った。古いものが古いままに現役でいられるならそれはもちろん最高だけど、廃墟になってしまわずに、新しい用途に使われていくのも素晴らしいことに思える。


Fさんが「ここがよさそうです」と教えてくれた「喫茶ニューポピー」はちょうど満席で、「こちらに電話番号をお書きください。席が空いたらお電話します」とのこと。電話が来るのを待ちながらさらに散策をつづける。
商店街の切れ目に「どて焼き 五條」という店が現れ、記憶が逆流してきて足元がふらっと揺れるような気がした。ずいぶん昔、いつだったか全然思い出せないが、確かにこの店に来たことがある気がする。ものすごく濃厚などて焼きを食べたような……。「初めて歩く町だ」とさっきまで思いながらうろうろしていたが、忘れてしまっただけで、過去の自分がすぐ近くを歩いていたのかもしれなかった。

商店街に戻り、神社でおみくじを引いてみた。「吉」だった。
「自分の足下をちゃんと見とかんと折角の輝かしい運も逃げてってまうよ 幸運を見きわめるチャンスに乗りゃあせ 身を持ち崩したらかん」
と、名古屋弁(なのかな?)でいろいろ書いてあるおみくじだった。「商売 今がチャンスだで思う通りやりゃあ」「賭け まあ潮時だがね」「病気 急な事あるで気を付けやあ」……。
ズボンのポケットの中の電話が鳴る。「喫茶ニューポピー」からだ。「3分で行きます!」と言って向かう。

古い蔵を改装してできたらしきお店で天井が高い。我々は階段をのぼった先の3階の席に通された。メニューのなかに記載のあった店の歴史によれば、この店の前身は1977年に名古屋駅近くで創業された「喫茶ポピー」で、その閉店後、長い月日の紆余曲折があって円頓寺商店街近くの四間道という現在の場所にリニューアルオープンしたのだとか。
コーヒーを飲みながらFさんの話を聞く。どこからかFさんの家族の話になり、いろいろと難しい局面を乗り越えてきたことを知る。
「人間は誰でも心の中に獣みたいなものが住んでいると思うんですけど、それをみんなうまく飼いならしていて。でも、それができなくなると人間らしい部分が獣に食べられて、獣はどんどん大きくなって、最後は獣そのものになってしまうんじゃないでしょうか」
とFさんの言葉を聞きながら、自分の中に獣がいるとしたらそれはどんなやつで、どんな大きさだろうかと考える。私は家族にも友人にも「いつも楽しそう」「お前は恵まれている。楽に生きてるほうだよ」と言われることが多く、それはそれでそう見えているならいいことだし、まあ実際のん気な暮らしだとは思うが、不安や寂しさはいつも消えない。
それが大きくなりそうになったとき、私はそこら辺を散歩したり、酒を飲んだり、誰かにこうして話を聞かせてもらったりして、獣とうまくやっていけているのだろうか。私の獣よ、おとなしくあれ。
コーヒーカップの底は乾き、外に出るともう夕暮れが迫っていた。


「受験落ちても将来まあまあ楽しいよってあの頃の自分に言いたいですよ」
なんだか「じゃあ、また」とFさんと駅で別れてそれぞれの場所へ帰っていくのが自然であるかのような気分だったが、そういえばこのあとのライブが目的でここにいるのだった。
名古屋駅まで戻り、ライブ会場である「Zepp Nagoya」のほうへ向かう。途中、Fさんが「うわ、レジャックですよ! レジャック!」と足を止めたのが「名鉄レジャック」というレジャービルの前だ。そこの1階にある「四代目横井製麺所」という釜揚げうどんの店で、予備校帰りにいつも食事をしていたらしい。というか、浪人時代に名古屋で食べたものといえば、この四代目横井製麺所のうどんだけだったそうだ。

「ここでうどんと天ぷらを毎日食べてたからその時期めっちゃ太ったんですよ。懐かしいわ」「食べていきますか?」「いや、いいです。でもお店の前だけ写真撮っていいですか?」と言って少し先へ行くと、すぐFさんの通っていた駿台予備校の大きなビルがあった。

「完全にここです。あー、あの一年、暗黒だったなー!」とFさんが駿台の巨大な看板をスマホで撮影し、私も撮った。Fさんは当然だとして、私がなぜ駿台予備校の看板を撮影しているのか。撮りながら「何この写真?」と思って笑えた。

目的地の「Zepp Nagoya」は駿台予備校を通り過ぎたさらに先にあって、そこへ向かって歩きながらFさんが「でもまさか駿台の先まで歩いてライブを見に行く日が来ると思いませんでした」と言う。「受験落ちても将来まあまあ楽しいよってあの頃の自分に言いたいですよ」

開演まで時間があったので、近くのゲームセンターやサイゼリヤで時間を潰した。会場に入るとすぐに中村佳穂のライブが始まった。この前、大阪で見て感動したライブとは編成が大きく異なり、そのときはツインドラムでとにかくバックバンドの音が分厚かったけど、今回はボイスパーカッションとベースと中村佳穂の鍵盤と歌という3人編成だった。しかしそれはそれでかえって3人それぞれの演奏の間合いの妙が強調され、また、中村佳穂の歌声の豊かさや激しさもむき出しになる感じがして、今回もすごく感動した。

途中、中村佳穂が舞台上にひとりになってわらべ歌の『あんたがたどこさ』をカバーするパートがあったのだが、その即興っぽい演奏のなかで「止められないグルーブ」というようなフレーズを歌っているのが聞こえ、とめどなく湧き上がってくる獣のエネルギーをこの人はこうして音楽として外に解放しているかのもしれないと思った。いろいろな獣の在り方がある。
中村佳穂とchelmicoがだいたい一時間ずつライブをして、最後に一緒に一曲歌って、華やかな時間が終わった。Fさんもchelmicoの好きな曲がたくさん聴けたと楽しそうだった。
本当なら感想を言い合いつつ飲んで帰りたいところだが、ここは名古屋であり、Fさんはお酒を控えなければならない。真っすぐ名古屋駅まで、また駿台の前を通って戻り、新幹線に乗った。
私は缶チューハイを飲み、Fさんはカフェオレを飲みながら、人のまばらな新幹線の自由席に腰かけている。Fさんの目の前のテーブルの上には、名古屋では有名らしいメーカーの「鶏皮揚げ」というおつまみのパックが置かれている。新幹線に乗る直前に、売店でFさんが買ったものだ。
封を開けてそのかけらをひとつふたつと食べながらFさんが言う。「うちのおばあちゃんがここの工場で働いてたことがあるんですよ。おばあちゃん、愛知の人で」「工場で鶏肉の毛抜きをしてたらしくて、いくつかの工程のなかでほとんど毛のない状態になるんですけど、抜き残しがある場合があるから最終的にチェックするらしくて」「確認して、あったら毛抜きを使って抜くんですけど、おばあちゃんが仕事やめたときにもらってきたその毛抜きがずっとうちにあって」「かなり普通のと比べて大きい毛抜きなんですけど、それがさすがで、すごい細い毛も抜けるんですよ」と、そんな聞いたこともない話を笑って聞きながら、いい一日だったなとしみじみ思った。
驚くほどあっという間に新幹線は京都駅に到着し、Fさんは「じゃあまた。ありがとうございました!」とそこで降りていった。さっきまでのことが本当だったのが信じられないほどに今私はひとりで、いつもの大阪に向かっているのだった。
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スズキナオ『自分を捨てる旅』次回第13回は、2023年2月17日(金)17時配信予定です。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』、『集英社新書プラス』、月刊誌『小説新潮』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『酒ともやしと横になる私』、『関西酒場のろのろ日記』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『「それから」の大阪』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』がある。