ぼんやり者のケア・カルチャー入門
第13回

ドラマ『エルピス』が描く、守るべき者がいる人間の弱さと悪について

カルチャー
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『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』で話題の堀越英美さんによる新連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」。最近よく目にする「ケア」ってちょっと難しそう……でも、わたしたち大人だって、人にやさしく、思いやって生きていきたい……ぼんやり者でも新時代を渡り歩ける!? 「ケアの技術」を映画・アニメ・漫画など身近なカルチャーから学びます。第13回のテーマは、話題のドラマ『エルピス』と凡庸な悪、そしてケア。

※この記事にはドラマ『エルピスー希望、あるいは災いー』の物語の核心部分に触れる記述を含みます。

「(子供と一緒にいると)うちは自分が弱なった気がします」。

ファッションデザイナーの小篠綾子をモデルにした2011年度のNHK連続テレビ小説『カーネーション』に、印象的なセリフがあった。戦前昭和の時代に立体裁断を編み出し、洋裁で身を立てる道を猪突猛進に切り開いてきたヒロインの糸子は、赤子を背負いながら、ふと弱音をもらす。「(子供と一緒にいると)うちは自分が弱なった気がします」。すごいセリフだな、と思ったので今でも覚えている。

女の一代記ものといえば、小さい頃はおてんばで、年ごろになれば恋する乙女になり、結婚して子供を産んだあとは子供のためならどんな苦労にも耐える肝っ玉母ちゃんになるというイメージしかなかった。そうしたテレビ空間のなかでは、「守るべき者がいる人間は強い」「女は子供を産むとたくましくなる」「母は強し」といったキラキラした言葉しか聞けないのだろうと思い込んでいた。でも、『カーネーション』は違った。

出産前の糸子は、自らの才覚で商売を拡大し、親を含む家族を養ってきた。恋愛に興味すらなく、結婚も周囲に押し切られて家族のためにしたようなものだった。当然、子供を産んだらさっさと仕事に復帰するつもりでいたが、その見立てが甘かったことに産後の糸子は気づく。乳児は生まれたその日から夜泣きを始め、想像以上に手がかかる存在だった。同時にかわいさも想像以上だったから、糸子は子供にかかりきりになり、仕事もままならない。ただ、糸子が言っていた弱さは、職業人としてのそれではなかった。乳児はふにゃふにゃしたもろい生きもので、四六時中ケアしなければならず、不安はつきない。この不安はいつ終わるのだろう、と糸子は考えて、気づいたのではないだろうか。人間はふにゃふにゃしたもろい生きもので、いくら大切に育てようが、自分が一生守りきることはできないのだと。戦争、天災、病気。子供を大事に思えば思うほど、不安はふくれあがる。自らの力を疑うことなく仕事に邁進してきた糸子は、そんな自分を初めて弱いと感じる。

『カーネーション』が放送された2011年は、一瞬のうちに子供を奪われた親、親を失った子供の人生がひっきりなしにメディアに映し出されていた時期でもあった。幼子を抱え、妊娠中でもあった身としては、悲しみに共振して落ち込むことも多々あった。人間なんて酸素がなければ、強い衝撃を受ければ、あっけなく生命活動が終わってしまう。ゲームと違って残機もない。そんなもろい存在を大事に思いすぎること自体、何かの間違いだとすら思えた。当事者ならともかく、直接関係のない災害でいちいち落ち込む自分は、いくらなんでも弱すぎやしないか。そんなふうに感じていた時だったからこそ、「自分が弱なった気がします」という言葉に心を射抜かれたのかもしれない。今まで描かれなかった人間像と言葉を紡ぐ脚本家・渡辺あやの名も、記憶に刻み込まれた。

ドラマ『カーネーション』と『エルピス』の共通点

渡辺あやが久々に脚本を手がける連続ドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』が放送されると聞いて、もちろんモニターの前に飛びついた。物語は架空の深夜情報番組『フライデーボンボン』の収録現場から始まる。この番組のスタッフである20代のディレクター岸本拓郎(眞栄田郷敦)と30代の女性アナウンサー浅川恵那(長澤まさみ)、そして50代のチーフプロデューサー村井喬一(岡部たかし)の三人が中心となって、連続少女殺人事件の冤罪疑惑を追っていくというのが核となるストーリーだ。

エルピス —希望、あるいは災い— | 関西テレビ放送 カンテレ
長澤まさみ主演『エルピス—希望、あるいは災い—』公式サイト。落ち目となったアナウンサーと仲間たちが、10代の女性が連続して殺害された事件の冤罪疑惑を追う中で、一度は失った“自分の価値”を取り戻していく姿を描く社会派エンターテインメント

裁判制度の闇、警察、政権与党、テレビ局の腐敗を描いた挑戦的な内容だけに、プロデューサーの女性はテレビ局を移って6年がかりで放送にこぎつけたという。ネットニュースでそのことを知った当初は、そこまでして冤罪を描きたいという動機がよくわからなかった。だが、鑑賞するうちにその疑問は消えた。このドラマで描かれているのは、冤罪そのものというよりは、『カーネーション』の糸子が感じていたような守るべきものを持った者の弱さであり、それが組織的な悪を支えているということなのだと気づいたからだ。

パワハラとセクハラで若手に忌み嫌われている村井、スキャンダルから落ち目になって村井に「ババア」「更年期」と罵倒されても無表情で流す浅川、エスカレーター式の名門校を卒業し、社会のことより番組のアシスタントガールと付き合うことしか頭にない岸本。一見ジャーナリズムとは縁遠そうな三人が、ひょんなことから真相解明に動きはじめる。善と悪の間で揺れ動き続ける彼らは絶対的な善ではないが、絶対的な悪も登場しない(黒幕である大門副総理は純然たる悪人に見えるが、肉声をともなってドラマに絡んでくることはほとんどない)。代わりに、三人の周りには悪に加担する善人たちがたびたび現れる。彼らが見せるのは、守るべきものがある者の弱さだ。

最も印象的なのが、八飛署の刑事・平川である。当初は警察署を守るために松本死刑囚が犯人だと断言していた平川だが、守りきれそうもないとわかると50万円で警察内部の情報をテレビ局に売ろうとする。彼はお金を受け取る際、娘のピアノ代にすると語る。最終話で風呂上がりの幼い娘の髪の毛を拭いてあげながら、松本死刑囚の冤罪を告げるニュース映像を眺める平川の姿は、子煩悩の善人にしか見えない。平川の行動は、客観的には悪に加担するものだ。しかし彼自身にしてみれば、その場その場で身内を守ることを最優先していたにすぎない。

息子を守ることに必死な岸本の母・岸本陸子も、悪に加担する善人の一人だ。岸本は中学時代、いじめを学校に報告するように母に頼んだが、いじめ主犯格が有力者の息子であったことから握りつぶし、息子の友人を自殺に追いやった。敏腕弁護士である岸本陸子は決して愚かな女性ではない。息子にする裁判関係のアドバイスは的確で、プロフェッショナルそのものだ。それでも息子を一生守り続けるために上流階級の世界に入れた母は、母子家庭育ちの息子がいじめのターゲットにならないためなら、他人を犠牲にすることをいとわない。早くに夫を亡くした彼女にとって、守るべきものは一人息子だけ。残機はないのだ。

守るべきものを守っただけ、といえば、松本死刑囚の冤罪をでっちあげる虚偽の証言をした西澤の元妻もそうかもしれない。彼女は当時夫がうそをついているのを知っていたが、まだ幼かった二人の子供をDV夫から守るためにその事実を誰にも打ち明けられなかったと取材で語る。子供たちが成人し、守る必要がなくなったことで、元妻はようやく不正に目をつぶり続ける罪悪感から解放される。

善良そうな人々が守るべきもののために悪に加担する一方で、怒りと諦めの間で揺れながら善のほうに向かおうとする岸本・浅川・村井の三人には二つの共通項がある。一つは、守るべき存在を持たないことだ。岸本は母と成城の実家で二人暮らしで、のちに独り立ちする。浅川は一人暮らしの独身で、親族も友人もドラマには一切登場しない。村井の家庭環境は不明だが、妻子の影は見えない。

もっとも浅川は古巣の看板ニュース番組『NEWS8』のメインキャスターに抜擢され、局の顔になると、一時的に真相究明への動きが鈍くなる。番組スタッフの生活を守る責任が生まれてしまったからだ。逆に村井は、最後まで守る側ではなく破壊する側であり続ける。序盤はただのパワハラ・セクハラおじさんにしか見えなかった村井だが、ドラマが進むにつれ、かつては悪を追及するジャーナリズム精神に燃えていた人物だったことがわかる。『NEWS8』時代、大門による「派閥議員のレイプ事件もみ消し」を報道しようとしたために26年間在籍した報道部から追い出され、深夜番組『フライデーボンボン』に左遷されたのだった。

とはいえ、彼もただの正義漢ではない。9話の終わりに『NEWS8』のスタジオに乗り込み、パイプ椅子を振り回してセットを破壊する村井は、正義のヒーローというより遅れてきた学生運動の闘士のように見える。このシーンで、それまで村井が番組打ち上げのカラオケで朗々と歌い上げていた曲を思い出さずにはおれない。報道部を批判しながら歌ったとんねるず「ガラガラヘビがやってくる」(1話)と、『フライデーボンボン』が打ち切られて制作から外されたときに替え歌で歌った尾崎豊「卒業」(6話)。スタジオを所せましと暴れまわって高額な機材を壊した伝説を持つとんねるずも、校舎の窓ガラスを壊して回る歌詞で知られる尾崎豊も、80年代の反逆者のシンボルだ。

村井はおそらく、組織を守ろうとする退屈な大人に抗う反逆者としての自己像を、50代になっても捨てきれない人物である。だからこそ彼は保身を考えることなく、真相追及に殉じることができる。学生運動に挫折し、反抗のヒーローになりそこねた高校生たちが青臭く弱い存在であることを恥じるあまり、セクハラや軽薄な言動で強者を装ってプライドを守ろうとしたことは当連載の第10回で考察したが、村井もまた、同じような屈折があったことがうかがえる。

浅川、岸本、村井の三人の前に現れる最も手強い悪の加担者は、浅川の元恋人の斎藤正一だ。政治部官邸キャップとして働くうちに大門副総理にかわいがられるようになり、政治への野心を燃やし始めた斎藤は、最終局面で「守るべきもの」の大きさを語って浅川のスクープを封じようとする。大門副総理が失脚すれば、内閣総辞職は免れ得ず、日本の国際的な信頼はゆらぐ。誰がどんな被害を被るかもわからない。君はその責任を取れるのか?

「ケアの倫理」と「正義の倫理」の対照

ドラマを通じて描かれる浅川と斎藤との相克は、キャロル・ギリガンが『もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理』(川本隆史・山辺恵理子・米典子訳、風行社)で語る、「ケアの倫理」と「正義の倫理」そのものだ。斎藤と付き合っていた頃の浅川は、斎藤に小学生のように世間知らずだと笑われても反論せず、彼に抱かれることで守られようとしていた。

悔しいけど
やっぱり自分なんかには太刀打ちできないくらい
この世界は残酷でおそろしいのだと
思い知らされてしまうようなとき
どうしようもなく抱かれたくなるのはきっと
この人が私よりずっとそういうことに詳しいからだ
守られているような気がしてしまう
抱かれているだけなのに

『エルピス』4話

同時に目撃したのは、女子たちが、自分の知っていることや、それまでしがみついてきたことを徐々にあきらめていく姿でした。彼女たちは、自分の経験とそぐわない現実が社会的に構築されていることに直面するにつれて、乖離めいたことが不可避になってくるのです。女子たちが足を踏み入れ、もしくは運ばれていく先の成人期は、力強い男性たちの経験に心理的に根差し、歴史的に定着した世界の中にあり、その第一歩は、自信喪失の始まり かつ 気づきの始まりを印すものです。

(中略)

青年期になると自分たちの経験から声が乖離してしまうことによって、女子たちは、知っていることを語らなくなり、ついには知ることもなくなります。

キャロル・ギリガン『もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理』(風行社,p36-39)

入社した頃の浅川には、真実を伝えて世間から信頼されるキャスターになりたいという夢があった。だが、念願の『NEWS8』サブキャスターに就任したものの、女子アナは与えられたニュース原稿を読むことしか許されない。自分で真偽を確認したわけではない情報を無責任に伝えるしかない自分に失望し、浅川は自信と自らの声を失った。だからドラマ前半の浅川は、斎藤に反論できない。一方で、国を動かす権力を得ることが正義への近道だと考える斎藤の自信は、ずっとゆるぎがない。斎藤は国家や世界という抽象的思考によって「この国の未来」を守る正義の倫理の観点から、感情に基づいて無関係な一個人を助けようとする浅川を笑う。しかし岸本や村井、弁護士、新聞記者、被害者遺族たちとネットワークを築き、ケアの倫理を確立した最終話の浅川は、もはや斎藤の論理に丸め込まれることはない。浅川は堂々と斎藤と交渉し、大門副総理に累が及ばないようにすることで斎藤の立場と自身の番組を守りながらも、松本死刑囚の冤罪を晴らす報道を行う。身内を守りつつ、助けを必要とする一人の人間の命も守るというのが、浅川の出した結論だった。

分離を通して定義される自己と、つながりを通して定義される自己との対照が、ここでより明確になる。言い換えれば、卓越という抽象的な理想に照らして測られる自己と、ケアという具体的な活動を通して評価される自己との対照が、より明確になるのだ。

同上(p118)

浅川・岸本・村井の三人は友情でも恋愛でもなく、もう一つの共通項「理不尽をこれ以上飲み込めない」で連帯し、あるときは離れたりしながら自分と無関係な他者のために戦う。恋愛も、親子の情愛も、男同士の強い絆も、このドラマにおいては必ずしも美しくなく、正しくもない。そもそも巨悪に見える大門副総理が冤罪を作り出したのは幼なじみの社長を守るためで、その幼なじみが大門副総理を頼ったのも息子を守るためである。一方、妻子を事故で亡くした松本が死刑囚にでっちあげられたのは、身寄りがいないせいだった。そして冤罪が晴らされたのは、義父の虐待で家を出た少女を縁もゆかりもない松本が助け、その元少女が岸本に必死に訴えたのがきっかけだった。

守るべき者がいる人間は弱くなる。その弱さが悪をはびこらせる。ユダヤ人大量殺戮の主犯の一人でありながらも、自分はユダヤ人絶滅には反対だったが命令だから従っただけだと法廷で訴え、家に帰れば子煩悩な父親だったとされるナチス親衛隊中佐アイヒマンを、ハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と形容した。気弱そうな小人物アイヒマンに欠けていたのは、死に追いやられる者の苦痛に対する想像力のだった。このドラマで描かれる「凡庸な悪」たちは、守るべきものを持ってしまった弱い私の似姿でもある。弱い凡人が悪に加担しないためには、自分と全く異なる他者の内面を想像し、ネットワークを築き、ケアをしていくしかないということを、このドラマは描いているのだと思った。

若者に忌避されるセクハラ・パワハラ男として登場しながらも、多面的な存在として魅力的に描かれた中年男性・村井という人物像も、私にはドラマの作り手による「他者へのケア」に見えた。深夜バラエティ時代に冤罪疑惑を報じるにあたって女子アナの浅川が最も気にしていたのは、局内の権力を握る「おじさんたちのメンツとプライド」という地雷を踏むことなく、おじさんたちの機嫌をケアすることだった。同じく男社会を長年生き延びてきたこのドラマの作り手の女性たちも、この難しいドラマを地上波で放映させるにあたり、中高年男性のケアを考えたのだと思う。村井の活躍が、時代の変化に取り残されることに内心おびえ、自由を奪われたように感じている中高年男性たちの傷つきを和らげたことは想像にかたくない。構想が6年前だから致し方ないとはいえ、2022年の視点からは、ハラスメントが口の悪い小学生レベルにとどまっていて裏表のない村井の造詣はいささかファンタジックにみえる(一昔前ならともかく、現在のハラスメントはもっと巧妙で陰湿だろう)。とはいえ、一般的には女性の敵といえる存在の内面を想像し、声を与えたからこそ、このドラマは6年がかりで放送にこぎつけることができたのではないだろうか。

恋愛、親子愛、友情といった強い絆を美しく描くフィクションが現代人の涙を絞る一方で、現実社会で他人のために動く人々は、「自分の人生がうまくいっていないから承認欲求を満たしたいだけ」「貧困ビジネス」などと動機を裏読みされやすい。SNSで活動家への嘲笑が飛び交うのは日常茶飯事だ。ベトナム反戦を訴えて活動した70年代の高校生の理想が笑いものになってからの時代を生きる私たちの多くは、他人のために動く人々にリアリティを持てない。だが、他者の経験を理解する訓練をしないかぎり、守るべきものを抱えた人間はずっと弱いままだ。

『もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理』に登場する30代の女性シャーロンは、道徳的意思決定をする正しい方法について尋ねられ、唯一の方法は「できる限り目を覚ましておくこと」だと答える(p246)。「問題に関わるものごとをすべて考慮しようと努めて、できる限りいまなにが起きているのかに気がつけるように」すること。シャーロンは、自分の思考は責任と、自分と他人のことをケアすることから導かれると語る。ケアの倫理は、身内の外側に想像力を働かせづらい凡人が、強くあれる唯一の武器なのだと思う。身内を守ることを建前にして飲み込めないものを飲み込んでいるうちに、自分の声を失ってしまわないように。

筆者について

堀越英美

ほりこし・ひでみ。1973年生まれ。フリーライター。著書に『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』・『モヤモヤする女の子のための読書案内』(河出書房新社)、『スゴ母列伝』(大和書房)、訳書に『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『ギタンジャリ・ラオ STEMで未来は変えられる』(くもん出版)、『ガール・コード』(Pヴァイン)など。

  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
  4. 第4回 : 「ケア」と「面白」の和解を目指して 北村薫のお笑い批評と錦鯉のM1優勝
  5. 第5回 : 子どもの言葉を聞き続けるということ 映画『カモンカモン』の「暗がり」について
  6. 第6回 : 『平家物語』における語るケア
  7. 第7回 : 「人間」を疎外するシステムで、包摂される人々―『コンビニ人間』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』評
  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
  9. 第9回 : 『教えて?ネコのココロ』から考える猫と家父長制
  10. 第10回 : 学生運動に足りなかったもの 母校の高校紛争体験記を読む
  11. 第11回 : 家父長制の国のハロウィン 暴動からボン・ジョヴィへ
  12. 第12回 : 親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
  13. 第13回 : ドラマ『エルピス』が描く、守るべき者がいる人間の弱さと悪について
連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」
  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
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  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
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  12. 第12回 : 親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
  13. 第13回 : ドラマ『エルピス』が描く、守るべき者がいる人間の弱さと悪について
  14. 連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」記事一覧
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