ぼんやり者のケア・カルチャー入門
第12回

親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』

カルチャー
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『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』で話題の堀越英美さんによる新連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」。最近よく目にする「ケア」ってちょっと難しそう……でも、わたしたち大人だって、人にやさしく、思いやって生きていきたい……ぼんやり者でも新時代を渡り歩ける!? 「ケアの技術」を映画・アニメ・漫画など身近なカルチャーから学びます。第12回のテーマは、映画『すずめの戸締り』とケア。

※この記事には『すずめの戸締まり』『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の物語の核心部分に触れる記述を含みます。

『すずめの戸締り』の自己犠牲と罪悪感

中学3年生の娘に誘われて新海誠監督の最新アニメーション映画『すずめの戸締まり』を鑑賞した。どんな内容かは知らないが、同じようによく知らないまま娘に連れて行かれた『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』だって親子してベショベショに泣いたのだし、今回も涙腺が弱くなった中年らしく何も考えずに感情をほとばしらせていくつもりだった。だが、上映が終わったあとの私たちは真顔だった。よくできたエンタメ映画だし、十分楽しんだのは事実だけれど、クライマックスで描かれている自己犠牲が、自分にとっては感動よりも胸がえぐられてしまうタイプのものだったのだ。

映画『すずめの戸締まり』公式サイト
扉の向こうには、すべての時間があった―『君の名は。』『天気の子』の新海誠監督 集大成にして最高傑作『すずめの戸締まり』11月11日(金)大ヒット上映中.

自己犠牲ということでいえば、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のクライマックスの泣かせどころも自己犠牲である。正直にいえば、「煉獄さん」のあのシーンは戦争美談みたいだと思わないでもなかった。戦時中の戦争美談「爆弾三勇士」では泣けないのに、なぜ「煉獄さん」では泣けたのか。振り返ってみると、最期のケアの描写が効いていたように思う。彼は死の間際、幼いころに死に別れた母の魂を見る。母は生前「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」と口にしていた。彼が「母上、俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?」と問うと、母は「立派にできましたよ」と微笑む。彼は血まみれになりながらも子供のように笑ってこときれる。やさぐれた父親からずっと認められなかった彼が求めていたのは、死んだ母からの承認というケアで、最期にその願望は充足されるという描写に、悲劇によって生じたこちらの心の痛みが浄化されたのだと思う。これに限らず、『鬼滅の刃』では鬼殺隊であれ、鬼であれ、読者が感情移入できるように造形されたキャラクターが死ぬ際は、当人の願望が満たされる描写がなされることが多い。あれも読者の心を傷つけすぎないようにする、作者のケアだったのだろうなあと今さらながら思う。もちろん、いかなる形であれ自己犠牲的な死を無邪気に賞賛するのは危険なのだろうけど。

一方で、『すずめの戸締まり』における自己犠牲では、無邪気に庇護者を求める幼子のような存在が、最終的に庇護を断念して人々を守るために死(のような状態)を選ぶという形をとる。それにより主人公の恋愛は成就するが、ケアを求めて得られない幼な心を目にしたこちらの心は、痛みっぱなしのまま終わってしまう。まだまだ現世で恋愛を楽しみたい!という主人公たちは生き延びられるのに、恋愛どころか庇護を求める発達段階にあるおちびさんは、現世を生きることもできない。そんな不公平ある?かわいそすぎない???と混乱したまま場外に出ると、そのキャラのぬいぐるみが売りきれていた。みんな考えていることは同じ。ビジネスとしては、とてもよくできている。そう、何も間違っていない。でも……。

庇護を求める存在を見殺しにした疑似体験により生じた罪障感のやりどころがないので、鑑賞後も誰を代わりに犠牲にするのが最善かを考えてしまう。しかし一人二人犠牲になれば大地震を制御できる謎システム自体が、自己犠牲による感動を呼び起こすための設定なのだから、心の痛まない選択肢は無さそうだ。そこまで考えて、このモヤつきはストーリー上の欠陥ではなく、信仰の違いに基づくものだと気づいた。無垢な弱者が全体に奉仕するために(あるいは愛する者のために)自己犠牲をする姿はけなげで美しい、という道徳観と、弱者こそ真っ先にケアしなくてはいけない、というケアの倫理との仁義なき戦い。あるいは、優先すべきは美男美女の恋愛か、弱き者への庇護欲か、という問題でもあるかもしれない。

どちらの信仰の持ち主であるかで、クライマックスの評価は割れるのだろう。両者の価値観のすり合わせをすることは難しい。どの種の愛を優先するか、何に感動するかは、理屈で制御できることでもでないからだ。愛は排他的なものである。でも、『すずめの戸締まり』の魅力的な脇役たちが示す親切がすばらしいという点なら、意見の一致をみることができそうだ。

『すずめの戸締り』の魅力的な脇役とケア

九州から東北へ向かう過程で、主人公たちは3人の助力者に出会う。最初に出会うのは、愛媛の民宿の娘で、家業を手伝いながら高校に通う茶髪でぱっちりメイクの女の子。彼女は運搬中の食材を主人公に拾ってもらった縁で、主人公を自分の民宿に泊まらせ、おいしい料理をごちそうし、制服のまま飛び出してきた主人公に自分の私服をプレゼントする。2人目は、ヒッチハイクをしていた主人公を拾って神戸まで同乗させるスナックのママ。主人公はそのお礼に、シングルマザーである彼女の幼い双子の子守をし、スナックの手伝いをする。

3人目は、主人公とともに地震を止めにいく「閉じ師」の学友である男子学生。彼は主人公と追いかけてきたその叔母を中古の赤いスポーツカーに乗せ、彼らを東京から東北まで運ぶ。明るい茶髪にピアスというチャラめの風貌だが、彼こそは何気ない親切のかたまりのような存在である。主人公の叔母のために昭和歌謡を流し、彼女に突然泣きつかれればびっくりしてソフトクリームを落としながらも肩をさすって慰め、主人公とその叔母のややこしそうな境遇にたびたび「闇深ぇ」とひとりごちながらも場を明るくしようと気を遣い、決して内心に深く踏み込もうとはしない。彼は常に平熱で、愛車のスポーツカーが横転しても朗らかさとクールさを失わない。劇中で一番の気遣いの人である彼は、実質的には車の運転をしただけの一般人にもかかわらず、作品内で一、二を争う人気キャラクターなのだそうだ。

彼らは3人とも、主人公たちが日本を震災から救うという大それた使命を背負っていることを知らない。ただ、赤の他人である主人公が困っているようだから親切にし、なんだか必死そうに見えるから力添えをする。見知らぬ他者同士の親切とケアの応酬が心地よく、この親切パワーで最後まで押し切るエンディングだったら、心が痛まずに済んだのにと思ってしまう。でも、自己犠牲というほどではないゆるやかな他者同士の親切だけでは、クライマックスを盛り上げることはできないのもわかる。私たち大衆がフィクションに感動するためには、恋愛、家族愛、友情、共同体といった他者排除的な強い絆と、絆から生まれた強い愛着を示すための自己犠牲が、どうしても必要なのだろう。娯楽のためのフィクションならそれでもいいのだろうが、強い絆が理想化されればされるほど、そこから外れた人が現実社会で生きづらくなりそうだ、とも思う。

親切の物語

私たちは親切だけの物語では満足できないのだろうか。

若い頃、カート・ヴォネガット・ジュニアの小説が好きだった。その中に、恋愛、家族、友情の絆をすべて振り切り、ただ他者への親切のみで生きようとした男を描いた有名な小説がある。『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(カート・ヴォネガット・ジュニア著、浅倉久志訳)。主人公のエリオット・ローズウォーターは、先祖がなした巨万の富を受け継ぎ、恵まれない人を助けるローズウォーター財団を設立する。かつては学業とスポーツに優れ、第二次世界大戦に大尉として従軍し、いさましい戦績を収めた前途有望な若者だった彼は、たくさんの友人たちと美しい妻から離れ、飲んだくれの太った中年となって一人で相談所をかまえている。そこで彼はひっきりになしにくる電話相談に応対し、相手が誰でもおかまいなしに話を聞き、ときにはお金を与える。たとえばカミナリに殺されるといって電話してきた病弱な高齢女性には、「なんてやつだ、あのカミナリは」「まったくあのカミナリはけしからん。あなたをいつもいじめたりして。ひどいやつだよ」と本気で怒ってみせる。そして、殺されるほうがましだなんて思ってはいけないよと諭す。

「だれが気にかけてくれますだ?」

「ぼくが気にかける」

「あなたはみんなのことを気にかけてらっしゃるで。あたしのいうのは、ほかにだれがいますね?」

「たくさんの、たくさんの人びとがいるよ」

「こんな頭のわるい、六十八の婆あを?」

「六十八はすばらしい年ごろだよ」

『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(カート・ヴォネガット・ジュニア著、浅倉久志訳)

エリオットは戦時中、ヒトラー親衛隊と間違えて、建物を消火しようとしていただけの勇敢な少年を銃剣で突き刺して殺してしまったことがある。自分が殺したのが年端もいかない少年だったことを知った彼は神経症に倒れ、その後軍に送還された。彼はそのトラウマから、資本主義社会の強者としての人生を生きるのをやめ、「貧しい人びとの真剣で親身な友人」としての人生を生き直そうとしているのだった。エリオットの父である上院議員は、優秀だった息子が跡継ぎを作ろうとしないことに焦り、エリオットを診た精神分析医に訊いた。「エリオットは自分の性的エネルギーをいったいなんに向けているんだ」「ユートピアにです」

エリオットの妻は、夫の行為は正しく美しいと思いつつも、自分はそこまで強い人間でもよい人間でもないと考え、夫から離れた。美しい妻にさえ執着せず、「あらゆる人間を、相手が何者だろうと、相手がなにをしていようとおかまいなく愛する」エリオットの姿を見た父親は、自分たちのように「特定の人間を特定の理由で愛する」者は、”愛”ではなく別の言葉を見つけないといけないとエリオットの妻に語る。「エリオットが“愛”という言葉に対してやったことは、ロシア人が“デモクラシー”という言葉に対してやったこととおんなじれさ」「たとえばだな――わしは家内を、いつもうちへくる屑屋よりも深く愛していた。だが、それだと、わしは現代の最もいまわしい犯罪に問われることになるんだ――サベツイシキというものにな」

共和党の保守派議員である父は、努力する者だけが成功し、沈みたい者はおとなしく沈ませればいいと考えている。彼はリベラルのことを演説で次のように腐す。「夢のようなたわごとと作り話の切り売り屋、タダでいいものがもらえると空約束する政治的ストリッパー、蛮族も含めてあらゆる人間をいっしょくたに愛するやから」。彼は当然、エリオットの考えを理解できない。

エリオット自身も、どんなろくでなしにも施しを与える自分のふるまいが愚かしく見えることを自覚している。手紙の中で自分のことを「のんだくれのユートピア夢想家、インチキ聖者」と書き、最終的にエリオットは精神病院に送られる。

著者のヴォネガット自身も、エリオットと同じく戦争のトラウマを抱えていたことはよく知られている。彼は第二次世界大戦末期にドイツ軍の捕虜となった際、連合国軍が一般市民を無差別に爆撃した「ドレスデン爆撃」に巻き込まれているのだ。自軍に攻撃されたヴォネガットは、自分たちの排他的な愛――祖国愛、家族愛、同胞愛――がどのような結末をもたらしたのか、よく知っている。ヴォネガットの別の小説に登場する有名なフレーズ「愛は負けても、親切は勝つ」は、自身の体験と決して無縁ではないだろう。だから彼はエリオットのことを、ただの失敗した滑稽な社会主義者のようには描かない。

エリオットが作中で最後にとった「親切」は、彼の子供になりたがる子をすべて受け入れると宣言することだった。もちろんそんな大盤振る舞いは、莫大な財産がなければできることではない。仮に無限の富があったとしても、現実的にはさまざまな問題が出てくるだろう。だが、作中に登場するSF作家キルゴア・トラウトが予言するように、「人間を人間だから大切にするという理由と方法」が見つけられなければ、文明の進歩によって多くの人間の価値が失われたときに、その命を尊重する理由は無くなってしまうのも事実だ。その理由と方法が、ヴォネガットにとっては誰に対しても親切であり続けるという信条を愚直に守り続けることだったのだと思う。特別な誰か・何かへの愛と、愛に殉じる自己犠牲は美しいけれど、その美しさは戦争への熱狂を後押ししてきたものでもあるからだ。

こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年ぐらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい――なんてったって、親切でなきゃいけないよ。

『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(カート・ヴォネガット・ジュニア著、浅倉久志訳)

私もフィクションの中だけは、庇護を求めるあらゆる小さい者たちが、「ようこそ」と迎え入れられるハッピーエンドを見ていたいと思う。それがバカげた信仰に過ぎないとしても。

筆者について

堀越英美

ほりこし・ひでみ。1973年生まれ。フリーライター。著書に『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』・『モヤモヤする女の子のための読書案内』(河出書房新社)、『スゴ母列伝』(大和書房)、訳書に『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『ギタンジャリ・ラオ STEMで未来は変えられる』(くもん出版)、『ガール・コード』(Pヴァイン)など。

  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
  4. 第4回 : 「ケア」と「面白」の和解を目指して 北村薫のお笑い批評と錦鯉のM1優勝
  5. 第5回 : 子どもの言葉を聞き続けるということ 映画『カモンカモン』の「暗がり」について
  6. 第6回 : 『平家物語』における語るケア
  7. 第7回 : 「人間」を疎外するシステムで、包摂される人々―『コンビニ人間』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』評
  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
  9. 第9回 : 『教えて?ネコのココロ』から考える猫と家父長制
  10. 第10回 : 学生運動に足りなかったもの 母校の高校紛争体験記を読む
  11. 第11回 : 家父長制の国のハロウィン 暴動からボン・ジョヴィへ
  12. 第12回 : 親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
  13. 第13回 : ドラマ『エルピス』が描く、守るべき者がいる人間の弱さと悪について
  14. 第14回 : ぼんやりプリンセスとケアするヒーローのときめきの魔法 映画『金の国 水の国』とこんまりメソッド
  15. 第15回 : 主婦バイトが『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』を読んだら
  16. 第16回 : 磔にされることなく「親切になろう」と言うために――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」
  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
  4. 第4回 : 「ケア」と「面白」の和解を目指して 北村薫のお笑い批評と錦鯉のM1優勝
  5. 第5回 : 子どもの言葉を聞き続けるということ 映画『カモンカモン』の「暗がり」について
  6. 第6回 : 『平家物語』における語るケア
  7. 第7回 : 「人間」を疎外するシステムで、包摂される人々―『コンビニ人間』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』評
  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
  9. 第9回 : 『教えて?ネコのココロ』から考える猫と家父長制
  10. 第10回 : 学生運動に足りなかったもの 母校の高校紛争体験記を読む
  11. 第11回 : 家父長制の国のハロウィン 暴動からボン・ジョヴィへ
  12. 第12回 : 親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
  13. 第13回 : ドラマ『エルピス』が描く、守るべき者がいる人間の弱さと悪について
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  15. 第15回 : 主婦バイトが『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』を読んだら
  16. 第16回 : 磔にされることなく「親切になろう」と言うために――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
  17. 連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」記事一覧
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