ぼんやり者のケア・カルチャー入門
第14回

ぼんやりプリンセスとケアするヒーローのときめきの魔法 映画『金の国 水の国』とこんまりメソッド

カルチャー
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『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』で話題の堀越英美さんによる新連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」。最近よく目にする「ケア」ってちょっと難しそう……でも、わたしたち大人だって、人にやさしく、思いやって生きていきたい……ぼんやり者でも新時代を渡り歩ける!? 「ケアの技術」を映画・アニメ・漫画など身近なカルチャーから学びます。第14回のテーマは、ケアするヒーローとこんまり。

現代の”強い”プリンセスたち

無力で従順な美女が富裕男性との結婚によって救われるクラシックなプリンセス物語が、フェミニズムの批判の的になっていたのは今は昔。近年のアニメ映画のプリンセスたちはめっぽう強い。『塔の上のラプンツェル』のラプンツェルはフライパンで戦うし、『アラジン』のジャスミンは棒で建物に飛び移る高い身体能力の持ち主で、『アナと雪の女王』のエルサは足を踏み下ろすだけで周囲を凍りつかせる。美しいだけではなく、自らの意志と力で運命を切り拓く現代のプリンセスは世界中の女児をエンパワーし、20世紀とは比べものにならないほどの人気を集めている。

プリンセス、そして肉弾戦で戦うプリキュアに囲まれて育った今どきの日本の女の子たちは、ときに伝記や歴史本に「女が少なくてつまらない」と不満を唱えたりする。女というだけで多くの道が閉ざされる男社会を内面化しながら育った我々の世代の女性は、そんな不満を思いつきすらしなかった人が大半だろう。「女の子だって何にでもなれる」と信じながら成長できるなんて、すばらしいことだと心から思う。

とはいえ、美しさと強さと賢さを兼ね備えた新しいプリンセス像を見て、中年である自分が女児と同じようにエンパワーされるかというと、そういうわけでもない。パワーがないことには女児をエンパワーすることができないのだから、ヒロインが高い能力を持っていることに異論があるわけではない。ただ、プリンセスもプリキュアも苦も無く強さと美貌を保っているけれど、現実の女性がそれらを獲得するには絶えざる研鑽が必要であることと、研鑽を重ねてもなお身体的に男性に勝つのは難しいということを、中年はすでに知ってしまっている。そもそも細身の美人であることが前提の物語である。プリンセスのように美しく見えるとされる「シンデレラ体重」はBMI18だそうだが、おばちゃんとしてはそんな骨密度低そうな体で戦って大丈夫なのかハラハラしてしまう。

自我など持たず、ひたすらすべてを受け容れてケアに徹しろという昔の少女向け物語には、もちろんうんざりしている。さりとて、家庭内ケア労働を抱えながら女子力とスキルアップを怠らず、自我をゴリゴリに確立して能力主義の社会をハードに勝ち抜くのも無理だと思う。主体として生きたいのはやまやまなれど、なるべく誰とも戦わず、面白いもの、愛らしいものを愛でて平和に暮らしたいし、食べたいものを食べて健康を保ちたい。平たく言うと、ぼんやりしたままぼんやり生きたいのだ。そういう腑抜けた人間を癒してくれるのは、ディズニープリンセスでも少年向けバトルマンガでもなくて、岩本ナオの少女マンガなのだった。

ぼんやりプリンセスとケアするヒーローの登場

17年前、岩本ナオの第一作『スケルトン イン ザ クローゼット』の表紙に一目ぼれして衝動買いしてから、我が家には岩本ナオのマンガが全巻そろっている。「スケルトン イン ザ クローゼット」、すなわち「タンスの中のガイコツ」は、「他人に見られたくない子供」を指す言葉だそうだ。その言葉の通り、岩本ナオ作品にはできがあまりよくない少年少女がよく登場する。彼らは秘められた能力で敵と戦ったり、コンプレックスを克服して高い能力を得て大成功したりはしない。自らを他者に開いてゆるく生きている彼らは、互恵的なケアで救われたり、ときめいたりして、関係性のネットワークを常に活性化させている。やがて人間関係の綻びが修復され、作品世界は平和に収まる。障害のある下の子を育てるようになってから、能力ありきの物語より、こういう優しい世界にいっそうホワホワするようになった。少女マンガにあまり興味のない娘たちも、さんざん読み倒してどの巻もボロボロだ。岩本ナオ作品の初の映像化となるアニメーション映画『金の国 水の国』も、公開後すぐに娘に観に行こうと誘われた。

『金の国 水の国』の舞台は、100年間国交が断絶し、高い壁に隔てられている架空の二つの国<金の国・アルハミト>と<水の国・バイカリ>。アルハミトは商業国家で栄えているが水が足りず、バイカリの水を欲している。バイカリは自然が豊かだが、貿易の中継地点であるアルハミトとの国交が閉ざされているため経済的に衰退している。両国は一触即発の関係にあるが、アルハミトの王女サーラとバイカリの技師ナランバヤルが奔走し、戦争をくいとめようとするという物語だ。

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サーラはプリンセスだが、強く美しいディズニープリンセスたちとは何もかもが異なって見える。王女といっても王にとっては93番目の末娘で、僻地に追いやられ、誰からも顧みられることはない。政情が不安定でも父王や政敵、姉のプリンセスたちに敵視されることなく、ばあやと二人でほほんと暮らしていられるのは、「おっとりしすぎて誰の脅威でもない」からだ。サーラは怒ったことさえない。一番プリンセスらしからぬのは、「0.1トンもありそう」と評されるふくよかな見た目である。

サーラの平和な暮らしに変化が訪れたのは、互いの国から一番賢い婿と一番美しい嫁を送り合うという決まりに従い、バイカリの婿を迎え入れることになってからだ。父王の命令でいきなり敵国の男を押し付けられても、サーラはのほほんとしている。バイカリの食べものを想像してわくわくし、誰が来ても大概うまくやっていけるから大丈夫だとばあやを安心させる。だが、アルハミトを敵視するバイカリの族長が婿として送ったのは、「一番賢い若者」ではなく、子犬だった。

このことを父王が知ったら戦争になってしまうかもしれない。子犬も殺されてしまうだろう。平和を愛するサーラは、父王や姉の王女たちを騙し、夫が来たふりをして子犬をそのまま飼うという選択をする。サーラは流されるままにぼんやり生きているようでいて、自分の保身より会ったばかりの小さな命を守らずにはいられないケアラーであることが冒頭でわかる。

バイカリの族長の命令でアルハミトから来た嫁を迎え入れることになったのは、国境近くに住んでいた設計技師のナランバヤルである。国の失策により技師としての仕事を失ったナランバヤルは「大丈夫 俺守備範囲メチャ広だから」と持参金を期待しつつ素直に受け入れるが、アルハミトの王が寄こした「一番美しい娘」の正体は子猫だった。ナランバヤルはさして気に留めることなく、子猫にオドンチメグという名をつけてかわいがる。すっかり慣れた子猫を頭に載せてナランバヤルが散歩していると、穴に落ちた子犬を涙目で助けようとしているサーラに出会う。サーラは国境の壁の穴を通り抜けてしまった子犬を追って、恐ろしいと聞かされていたバイカリまでやってきたのだった。おいしい昼食を惜し気もなくごちそうしてくれ、子犬や子猫を家族と呼び、家族にオドンチメグ(モンゴル語で「星の輝き」)という名前をつける人に悪い人はいないと言うサーラに、ナランバヤルはポーッとする。寡黙で稼ぐ男が良しとされるバイカリでは、弁が立つが仕事のないナランバヤルが高く評価されることはなかったからだ。

それぞれの国では評価されていないが、出会ったばかりの小さき命をケアせずにはいられない二人は、互いに嫁と婿を演じ合うことになる。ナランバヤルは口のうまさで、サーラは動じなさで両国の首長をだましながら、国交復活に向けて動きだす。設計技師にとっては、水路建設という国家事業に関われれば金に困らなくて済むという計算にくわえ、自分を認めてくれるサーラを守りたいという感情も芽生える。反戦派を抑えて戦争をしたいアルハミトの国王はナランバヤルに刺客を放つが、水路を作るという使命を背負ったナランバヤルは生き延びるために逃げ回る。代わりに体を張って刺客たちと戦うのは、反戦派として国王と対立している王女派の護衛ライララたちである。

彼らはなぜ国王にそむき、命を危険にさらしてまで、戦争回避に尽力するのか。目しか見えない黒いベールをまとい、常に厳しい目つきをしているライララが、一度だけ目元をゆるめるシーンがある。それはナランバヤルがアルハミトの建築を高所から見て「金の国だ」「キレイっすね」とライララに話しかけたときのことだった。ライララを使って戦争回避に動く第一王女レオポルディーネも、幼い頃に「漕がなくても川をのぼる舟」に乗って高所から国を眺め頬を紅潮させながら「私の国はどこまでも金色の国なのですわ」と金色に輝く建築物に胸をときめかせていた。これらの建築を手がけたのは、同国一の大物建築家アジーズだ。アジーズはナランバヤルが持参した千年前の古代都市の水路の設計図を目にすると、「建築ってなにかね」と問いかける。ナランバヤルが「人が集まる場所」と答えると、すぐに水路建設の公共事業を議会に通そうとする。アジーズにとって自らの建築とは、千年先までそのきらびやかさで国民をときめかせ、人を集める場所である。だから自分の建築を放置し、バイカリを占領して移り住むなんてとんでもないと考える。ライララもレオポルディーネも建築家も、金色の建築物にときめいているからこそ戦争回避に動き、一緒にときめいてくれた隣国のナランバヤルに命がけで手を貸そうとする。

一方、アルハミト国王が戦争をしかけようとするのは、国交交渉を行って「腰抜け」と思われることを恐怖しているからだ。彼は強い王として名を残さなくてはいけないというプレッシャーから、心因性の頭痛に悩まされている。彼は強い自己を周囲に示すために大量の人・モノに囲まれているのに、何にもときめくことがない(末娘のサーラにも、子犬を平気で殺す人物だと思われている)。傍若無人にふるまって妻にも王女たちにも嫌われた彼が唯一心を開いているのは、祈祷師の右大臣だ。人を払い、王冠も王衣も脱ぎ捨て下着姿になって右大臣にマッサージを受けているときだけ、王は自分の不安をさらけ出し、頭痛から逃れることができる。人前に出ているときの王は不安を押し殺し、「何も恐れず何物にも心を動かされることのないマッチョな自己」であろうとする。それは政治哲学者チャールズ・テイラーが『世俗の時代』で定義する「緩衝材に覆われた自己」に近い。

こんまりとアイデンティティの流動性

片づけコンサルタント近藤麻理恵によるNetflixの番組『KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~』では、大量のモノを所有している「緩衝材に覆われた自己」が、モノと対話する「多孔的な自己」に変化する過程を見ることができる。真っ先に片付けの対象となるのは、衣類、それから本だ。どちらも「なりたい自己」「見せたい自己」「本来こうであると認識している自己」等、社会と対峙する自己を覆う緩衝材としてはたらくモノである。たとえばある女性は、「痩せた<本来の自分>になったら着られる服」を長年手放せないでいる。

”こんまり”こと近藤麻理恵の片づけは、大量のモノに覆い尽くされたクライアントの家に「お辞儀」をするところから始まる。本の取捨選択をする際は、まず本の山をとんとん叩いて「起こす」。こんまりは家も本も衣類も、所有物ではなく生命を持った存在として扱う。それから、身体の柔らかい中心(心臓、胃のあたり)にモノを当てるジェスチャーをする。彼女は取捨選択に大事なのは、モノを手に持ったときに身体が「ときめく」かどうかだとクライアントに語る。頭では「もったいない」「もう古い」と思っていても、体と心は「答えを知っている」からだ。

「ときめく」という言葉は一般に、女性的なものとして了解されている。自己の外部にたやすく感情を動かされる状況は、自己を確立せよというプレッシャーのかかる男性には似つかわしくないものとされているためだろう。だがこの番組では、男性も「ときめく」ことが要請される。ときめきがわからない読書家の男性には、高校時代の愛読書を手に持たせ、その感覚が「ときめき」だと教える。このとき、自己は単なる家やモノの所有者ではなく、家やモノからの影響を強く受ける「多孔的な自己」となる。モノの大量所有によって確立したはずのアイデンティティが流動的になり、モノとの対話によって混沌とした自己の緩衝材を整理することにより、アイデンティティは再び統合される。だいたいどの回においても、最終的にクライアントたちは涙を流しながら、本当に大切なものに気が付いたと語るのが定番だ。自分の感情を見えなくする余計な緩衝材を捨て、家にときめくようになった彼らは、家族の関係性やワークライフバランスを改善させ、人生そのものをときめかせる。

こんまりが自身のアイデンティティをも流動的なものだととらえているのは、最近のニュースからも明らかだ。彼女が第3子の誕生を機に「今、私にとって大切なのは、家で子どもたちと楽しく過ごすことだと実感して」おり、自身のアイデンティティである完璧な片付けについて「ちょっとあきらめ」たと発言したことで、アメリカでは大論争が巻き起こっているという。

アルハミト国王の「緩衝材に覆われた自己」は最終的に、彼の強さを礼賛するナランバヤルの雄弁さによって隙間が生まれ、所有物でしかなかった末娘サーラのある一言によって解きほぐされる。二人の言葉にときめいた彼は家族にすら嫌われる孤高の王という自己像を捨て、「寛容の王」というアイデンティティを新たにまとう。登場人物は誰も命を落とすことなく、両国に豊かさと平和がもたらされる。この大団円にはサーラや反戦派のときめきパワーはもちろんのこと、ナランバヤルの力が大きく働いていることは疑いない。金も仕事もなく、腕っぷしもからっきしだが、王から剣を向けられても決して戦わず、コミュニケーションによって関係性の綻びを修復しようとする彼は、新しいヒーロー像を体現しているといえる。

『ケアする惑星』(小川公代、講談社)では、19世紀初頭のイギリス小説『ウェイヴァリー』(ウォルター・スコット)の「『逃げ腰』で男らしさが欠如した主人公」エドワードについて、ケアの観点から論じられている。エドワードはイングランドの将校でありながら、「スコットランド人ともイングランド人とも剣を交えることを回避するケアの人」(p197)なのだという。武力や戦術に秀でているわけではない彼が唯一誇れるのは、「想像力と雄弁さ、そして伯母やフローラから学ぶ生の傷つきやすさへの深い理解」(p206)である。「寡黙なまま武力や腕っぷしに訴える時代に背を向け、交渉術で他者も自分も傷つけない方法論を編み出した」(p209)エドワードはメリトクラシー(能力主義)を越えた「ポストメリトクラシー」的な力を標榜していると同書では考察される。この”ケアするヒーロー”エドワード評は、そのままナランバヤル、そして彼に説得されて共闘する左大臣サラディーンにも通じるものだ。

「<最高純度のやさしさ>に、2023年初泣き」という映画の宣伝文句をどうかと思う人もいるだろうけど、これだけアニメ映画の感動セオリーからかけ離れているのに泣けるのだから、強調したくなる気持ちもわかる。一滴も血が流れず、誰の犠牲もなく、エンドロールまですべての登場人物のときめきが詰まっている。人生にはやっぱり、少女マンガが必要だ。

筆者について

堀越英美

ほりこし・ひでみ。1973年生まれ。フリーライター。著書に『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』・『モヤモヤする女の子のための読書案内』(河出書房新社)、『スゴ母列伝』(大和書房)、訳書に『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『ギタンジャリ・ラオ STEMで未来は変えられる』(くもん出版)、『ガール・コード』(Pヴァイン)など。

  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
  4. 第4回 : 「ケア」と「面白」の和解を目指して 北村薫のお笑い批評と錦鯉のM1優勝
  5. 第5回 : 子どもの言葉を聞き続けるということ 映画『カモンカモン』の「暗がり」について
  6. 第6回 : 『平家物語』における語るケア
  7. 第7回 : 「人間」を疎外するシステムで、包摂される人々―『コンビニ人間』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』評
  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
  9. 第9回 : 『教えて?ネコのココロ』から考える猫と家父長制
  10. 第10回 : 学生運動に足りなかったもの 母校の高校紛争体験記を読む
  11. 第11回 : 家父長制の国のハロウィン 暴動からボン・ジョヴィへ
  12. 第12回 : 親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
  13. 第13回 : ドラマ『エルピス』が描く、守るべき者がいる人間の弱さと悪について
  14. 第14回 : ぼんやりプリンセスとケアするヒーローのときめきの魔法 映画『金の国 水の国』とこんまりメソッド
  15. 第15回 : 主婦バイトが『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』を読んだら
  16. 第16回 : 磔にされることなく「親切になろう」と言うために――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」
  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
  4. 第4回 : 「ケア」と「面白」の和解を目指して 北村薫のお笑い批評と錦鯉のM1優勝
  5. 第5回 : 子どもの言葉を聞き続けるということ 映画『カモンカモン』の「暗がり」について
  6. 第6回 : 『平家物語』における語るケア
  7. 第7回 : 「人間」を疎外するシステムで、包摂される人々―『コンビニ人間』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』評
  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
  9. 第9回 : 『教えて?ネコのココロ』から考える猫と家父長制
  10. 第10回 : 学生運動に足りなかったもの 母校の高校紛争体験記を読む
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  12. 第12回 : 親切で世界を救えるか――『すずめの戸締まり』『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』
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  14. 第14回 : ぼんやりプリンセスとケアするヒーローのときめきの魔法 映画『金の国 水の国』とこんまりメソッド
  15. 第15回 : 主婦バイトが『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』を読んだら
  16. 第16回 : 磔にされることなく「親切になろう」と言うために――『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
  17. 連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」記事一覧
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