ぼんやり者のケア・カルチャー入門
第9回

『教えて?ネコのココロ』から考える猫と家父長制

カルチャー
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『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』で話題の堀越英美さんによる新連載「ぼんやり者のケア・カルチャー入門」。最近よく目にする「ケア」ってちょっと難しそう…でも、わたしたち大人だって、人にやさしく、思いやって生きていきたい…ぼんやり者でも新時代を渡り歩ける!?「ケアの技術」を映画・アニメ・漫画など身近なカルチャーから学びます。第9回のテーマは、猫と……家父長制!?

ロマンチック・猫・イデオロギー(?)

SNSに流れてくる猫の動画を見るのが好きだ。でも、積極的に猫を飼おうと思ったことはなかった。より正確に言えば、商品として並んだ猫のなかから一番かわいい猫を選んで飼うようなことはしたくないが、なぜか自分を気に入って家までついてくる野良猫(黒猫が望ましい)、もしくは、たまたまカラスに襲われている場面に出くわした生まれたての子猫を保護するのはやぶさかではない、という態度を保って猫の動画に臨んでいた。マッチングアプリを使ってまで婚活したくはないが、偶然出会った運命の人となら結婚したい、という感情に似ているかもしれない。夢見がちすぎて、逆に猫を飼えないというジレンマ。ロマンティック・ラブ・イデオロギーならぬ、ロマンティック・猫・イデオロギーである。

だが今、私のひざの上には猫がいる。運命の野良猫ではない。近所の動物病院に併設された保護猫カフェからもらいうけてきた猫である。飼い始めて3年。もうすぐ3歳半になる。

きっかけは、次女が幼い頃から肌身離さず大事にしていた「こねこのぴっち」のぬいぐるみをバスに置き忘れたことだった(この話の顛末は『群像』2021年8月号掲載の「自閉症の女の子が見る・読む・触る世界」に載せた)。泣いてどうにもならない次女を慰めようと、私は「本物の猫を飼うのもありかもね?」と口をすべらせた。ぴっちにしか心を開いていなかった次女は、もちろん首を縦にふらず、この話はそのまま終わった……はずだった。

翌朝、長女がリビングをせっせと掃除している。えらいね、と声をかけると「猫を飼うからきれいにしとかないと」という返事が返ってきた。

一度火が付いた長女の猫欲はとどまるところを知らなかった。長女の本気度を確かめるさまざまなやりとりを経て、子どもたちを連れて保護猫カフェに向かったのは1か月後のこと。ちょうどぴっちと同じ、黒白の子猫たちがいた。長女はもちろん、「ぴっちしか勝たん」はずの次女もメロメロになった。オスとメスのきょうだいで、オスのほうはすでに引き取り先が決まっているという。これはこれで、運命なのかもしれない。

こうして、生後三か月のメスの子猫が我が家にやってきた。

ミルクボランティアに大切に育てられた子猫は、初日から人間に慣れきっていた。さっそく子猫をひざにのせると、振動を伴ったモーター音らしき物音がする。
「なんか機械音が聞こえない?」
「お母さん、これはゴロゴロだよ」
「猫って本当にゴロゴロいうんだ……」

これまでの人生で猫に心を許されたことがなかったから、猫がのどを鳴らす音を聞いたことがなかったのである。こんなにも何も知らない人間が飼い主になって、うっかり死なせずに飼えるのだろうか、と不安になったのを覚えている。

最近、猫と人間の関係性を歴史、生物学、心理学の観点から考察するNetflixのドキュメンタリー番組『教えて?ネコのココロ』を視聴した。同番組によれば、猫がのどを鳴らすゴロゴロ音の周波数は、人間の赤ん坊が泣くときの周波数(400~600ヘルツ)と一致しているのだそうだ。人が猫を飼いならして家畜化したというよりは、猫自身が自らの意思で人間に近づき、人間がケアをせずにはいられないような生きものとして進化したということらしい。我が家に来た猫が生き延びているのも、ゴロゴロ音で我々が手なずけられた結果なのか。

とはいえ、人間の赤ちゃんと比較すれば、猫は圧倒的に手がかからない。お風呂にいれなくても自分で身づくろいできるから不潔にならず、トイレトレーニングもすぐ終わり、三食カリカリでも健康でいられる。スイミングや体操教室に通わせなくても完璧な身体能力を維持できるし、猫能研や猫サピックスに通わせて、ふりこの長さと往復する回数を計算させる必要もない。そんな計算をしなくても、セミやハエを空中キャッチするのになんの不都合もないからだ。むしろキャッチできなくてもいい。猫は猫であるだけで価値があるとされ、ドジ猫のほうが動画の再生数もアップする。『教えて?ネコのココロ』によれば、世界でもっとも視聴されているのは猫の動画(250億回)であるという。猫の動画が人間のポジティブな感情をかきたて、ドーパミンの分泌をうながすことが研究で示されているのだとか。ケアが最小で済むのに見返りは大きい。猫が人気なのもうなずける。

ペットブームと家族観の変化

かつては犬が主流だったペットに猫が増えた理由を、日本人の家族観の変化から考察しているのが、『いのちへの礼儀 ─国家・資本・家族の変容と動物たち』(生田武志、筑摩書房)だ。高度成長期以降、会社人間の父親とケアを一手に担う専業主婦の母親、学校(と塾)で勉強に励む子どもたちという家庭が増えてくると、かつて「家業」を共同で担っていた家族のつながりは不安定になる。共同作業がなければ「愛情」という不確かなものでつながるしかないからだ。そんなこんなで「家庭の崩壊」が問題視されるようになった1980年代、ペットに占める犬の割合が5割から6割弱まで急増したそうだ。

著者はこの理由を、南極に一年間置き去りにされても再会した隊員のもとに駆けつける生き残り犬を描いた映画『南極物語』の大ヒット(日本映画歴代興行収入一位(当時))の事例をひきながら分析する。飼い主に忠実で、自分のほうから離れることはない犬が、「家族以上に家族らしい」存在として必要とされたのだと。

確かに80年代のことを思い返してみると、女は男に従うべし、子供は親に従うべしという家父長制的な規範はまだまだ根強かった。だが実際の家庭はといえば、父親は不在がちで母親がべったりと子供の世話を焼き、子供はそんな母親をうっとうしがる……といった家庭が多かったように思う。「私」のかけがえのなさを保証してくれる「家族愛」が理想化されながらも、愛情の維持には相互ケアが必要であるという概念は乏しかった。「亭主元気で留守がいい」というキンチョウのテレビCMが流行したのは1986年のこと。このフレーズは、建前では夫を「亭主(=家の主人)」として立ててケアをしなくてはいけないが、一方的なケアは面倒なのでいないほうが気楽であるという家父長制下の女性の本音が大っぴらに共感を集めるようになった時代情勢をあらわしている。女・子供が理想通り従順ではないことへのフラストレーションが、犬に向かったのだろうか。ちなみに猫がペットに占める割合は、1990年の時点で26.1%にすぎない。

ところが2017年、ペットの猫の数が犬の数を上回る。著者は要因として、都市化の影響、共働き家庭・ひとり親家庭・高齢世帯の増加に並んで、「家族」の流動化を挙げる。家族が家長に従属して強い「絆」で結ばれるのが正しい家庭であるという理想が薄れ、個を尊重してゆるやかにつながりあう家庭が望ましいという価値観が主流となった時代に、「飼い主に媚びず単独生活をする猫」がぴったりはまったようなのだ。

我が家の猫も御多分にもれず気まぐれだが、かまってほしいときはゴロゴロ音を出して近づいてきて、なでるとゴロゴロ音がさらに大きくなる。人間の報酬系をハックする能力の高さに、いつもほれぼれしてしまう。猫は持続的でゆるい双方向のケアが求められる時代にふさわしいペットなのかもしれない。

ちなみに、内閣府が実施する世論調査で「選択的夫婦別姓制度の導入に向けた法改正」について賛成が反対を初めて上回ったのは、2018年のことである。猫がペット界を制した時期とほぼ同じだ。

家父長制へのアンチとしての猫

猫は家父長制のアンチなのだろうか。

『教えて?ネコのココロ』では、そんな想像を裏づけるような歴史も紹介されている。ヨーロッパで行われた魔女狩りだ。イーヴァマリア・ギーグル博士によれば、「魔女」とされていた女性たちは「自然のことをよく知っている賢い女性」のことだったという。家を清潔に保つことが健康につながると知っていた彼女たちは、いつもホウキで掃除をし、猫を飼ってネズミを駆除させていた。しかし男性が支配するカトリックが権力を握ると、一人でも生きていける伝承知を備えた女性は「魔女」として迫害され、そのような女性の使いとみられた猫も大量に虐殺されるようになったという。

歴史家ロバート・ダーントンによる『猫の大虐殺』(海保眞夫・鷲見洋一訳、岩波現代文庫)でも、近世初期のヨーロッパで猫の虐待が広く流行していたことが記されている。猫が崇められている現代のネット環境に慣れ親しんでいると、このような史実は吞み込みづらい。猫は少しずつ時間をかけて、ゴロゴロ音を発しながら家父長制と集団妄想にとらわれた凶暴な人間たちを手なずけてきたのだろう。とある犬派のコラムニストによる猫の形容は、猫を不気味がっていた人々の気持ちを代弁しているのかもしれない。「風変わりな執着心があって奇妙なことに関心を持ち、社交性の薄い不可解な引きこもりの個体」(CNN.co.jp「インターネットに猫ばかり氾濫する理由」https://www.cnn.co.jp/tech/35062887-3.html)

そういえば、と思うことがある。次女のために猫の児童書を探そうと思っても、擬人化された物語はともかく、ペットとしての猫のノンフィクション児童書は犬に比べると圧倒的に少ないのだ。犬と違って「社交性の薄い不可解な引きこもりの個体」である猫は、けなげさに欠け、物語性が薄いと考えられているのかもしれない。逆に俳句は猫の天下である。猫関連の季語は数えきれないほどあり、猫限定の俳句コンテストも存在する。自然を観察して写生することが重視される俳句の世界では、野生に近く謎めいている猫は、格好の素材なのだろう。「またうどな犬ふみつけて猫の恋」(芭蕉)のように、俳句の中の犬は発情した猫に踏みつけられる存在なのだ。

『教えて?ネコのココロ』に登場する東京猫医療センター院長の服部幸氏は、犬と猫の違いを端的に表現する。

「犬は飼い主さんのことを神様だと思っている。猫は自分が神様だと思っている」

猫に手なずけられ、「猫は猫であるだけですばらしい」と猫に神性を見出すようになった私たちはその実、「私が私であるだけですばらしい」という自己肯定感も同時にはぐくんでいるのかもしれない。誰もがそう思えるようになれば、誰のことも従属させずに済むだろう。ということは、最終的に家父長制を解体するのは猫なのだろうか。などとロマンティック・猫・イデオロジストは夢見がちなことを思ってしまう。万国の「風変わりな執着心があって奇妙なことに関心を持ち、社交性の薄い不可解な引きこもりの個体」よ、団結せよ。

筆者について

堀越英美

ほりこし・ひでみ。1973年生まれ。フリーライター。著書に『女の子は本当にピンクが好きなのか』・『不道徳お母さん講座』・『モヤモヤする女の子のための読書案内』(河出書房新社)、『スゴ母列伝』(大和書房)、訳書に『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『ギタンジャリ・ラオ STEMで未来は変えられる』(くもん出版)、『ガール・コード』(Pヴァイン)など。

  1. 第1回 : 『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ人気と『ビルド・ア・ガール』に見るケアの復権
  2. 第2回 : ケアのおせち、あるいはケアの倫理と学校道徳はどう違うのか
  3. 第3回 : 読む女、手を動かす女 「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」と『ミシンと金魚』考
  4. 第4回 : 「ケア」と「面白」の和解を目指して 北村薫のお笑い批評と錦鯉のM1優勝
  5. 第5回 : 子どもの言葉を聞き続けるということ 映画『カモンカモン』の「暗がり」について
  6. 第6回 : 『平家物語』における語るケア
  7. 第7回 : 「人間」を疎外するシステムで、包摂される人々―『コンビニ人間』『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』評
  8. 第8回 : カルトは家庭の顔をする――『母親になって後悔してる』『ミッドサマー』から考えるカルトへの抗い方
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