和歌山と姫路、住んでいる大阪からも在来線でも行きやすいふたつの町に相次いで出かけた。それぞれ久しぶりの訪問だったが、新しい発見が多い小さな旅となった。何も起こらない、夢のような、必要な時間。
なんだか夢のようだった
カレーを出す店を取材しに和歌山へ行くことになった。最近よく原稿を書かせてもらっているグルメ雑誌があって、先日久しぶりに会った父親に「お前は何を食べても美味しい美味しいと言うから信用できない」と言って笑われたほどに乱暴な味覚を持った私なのだが、なぜか何度も声をかけてもらっている。そのありがたい雑誌の編集長であるEさんとJR和歌山駅で待ち合わせていて、私はひとりでその時間に着くように電車に乗った。
大阪から和歌山方面へ向かう平日の昼前の電車は、いつもそうなのかもしれないが、空いていた。東京の山手線のような横並びのシートではなく、新幹線みたいな、進行方向に向かって並ぶ座席に腰かけて、本を読みながら過ごした。途中ウトウトして、起きてもまだしばらく和歌山駅には着かなくて、全体で1時間半ほどかかるその電車の時間がすごくちょうどいいなと思った。車内の静けさも、車窓からの風景も何もかもちょうどいい。
そういえば昔、家庭内で答えの出ないような言い争いが起き、私はふてくされて外に出た。近くのコンビニでプラボトルに入った220ml入りの甲類焼酎を買い、外に出たところで半分ぐらい一気に飲んで、それで最寄り駅から電車に乗った。どこへ行く電車でもいいと思って乗ったそれが和歌山行きで、私は和歌山駅まで行って、駅にタッチしてターンするように大阪へ戻った。行きの電車の中で眠って、和歌山駅の売店でまた缶チューハイを買って飲みながら帰って、昼過ぎだったのが夕方になり、それで気分がだいぶ軽くなったのを覚えている。
Eさんが改札前に現れるのを待ちながら、駅前の風景を見渡した。それでもうひとつ思い出したのだが、以前、週刊誌の企画で和歌山駅前の居酒屋を取材したことがあって、そのとき、全然うまくいかなかったのだった。取材を受けてもらえることは事前の電話で確認して、もちろん、了承を得たから来たのだが、店主の機嫌が悪かったのか、私の言動で気分を害したのか、とにかく私は先方にたくさん叱られて落ち込んだ。
たしかあの居酒屋はここから歩いてすぐの場所だったな、などと思っているとEさんが現れ、ふたりでタクシーに乗って目的のカレー店へ向かった。10分もせずに着いたそこは「カレーショップ バラ 日赤前店」という店で、そのカレーを和歌山のソウルフードと呼ぶ人もいるそうだ。

ベースとなるカレーに色々とトッピングを選んで乗せられるのがこの店のスタイルらしく、そのトッピングのなかからエビフライ、ヘレカツ、ソーセージ、小松菜をセットにしたその名も「バラカレー」というメニューがあって、それを食べた。

食後に少し話を聞かせてくれた店主が「毎日でも食べられると言ってくれるお客さんもいます」と語っていたのも納得の洗練されたバランスで、あっという間に食べ終わったあと、すぐにもまた食べたいと思うような味だった。カレーだけを詰めた持ち帰り用のパッケージがあったので、それも買った。
店主に伺った話によると、この店は「カレーショップ バラ 日赤前店」という店名からもわかるとおり、支店であり、本店は別の場所にあった。1960年頃の創業だという。しかし本店が10年ほど前に火事で燃えてしまい、その後、場所を移して再オープンするも、数年後に閉店してしまう。本店がなくなり、今残っている支店はこの「日赤前店」のみ。つまり、もともとは支店だったこの店が、そのカレーを現在も味わえる唯一の店となっているのである。
本店があったのは「ぶらくり丁」という場所だと店主が言っていて、「ぶらくり、ぶらくり」とその聞きなれない響きを覚えておいて、店を出たあと、Eさんとそこに向かってみることにした。店主がしきりに「あの辺にもっと活気が戻ればいいのに」というふうに言っていて、どうやらこの界隈はかつて和歌山市内随一の繁華街として賑わっていたらしいのだが、なるほど、アーケード街には人の姿もまばらだった。

「カレーショップ バラの本店はどこにあったんでしょうね」と、その名残を探しながらEさんと歩いていると、アーケード内に何か所か設置されたスピーカーから聞いたことのある音楽が流れてきて、「なんだっけこれ」と最初はわからずにいたのだが、しばらくしてそれがトーキングヘッズの『Once in a Lifetime』という曲だということがわかった。私たち以外ほとんど誰もいない空間に軽快なリズムが反復していて、少し不思議だった。

結局、本店がどこにあったのかわからぬまましばらく歩き、「中ぶらくり丁」を通りかかると「CROSS ROAD」というレコード・CDショップがある。Eさんは音楽好きで、「ちょっと見てみますか?」と、まずは軒先に置かれた特売のレコードを見た。「おっ、結構いいものが安い値付けで出してありますよ」と言うので私も隣の箱を探す。「これほら、嘉門雄三のライブ盤ですよ。桑田佳祐の変名で、CD化されてないんです。カバーが中心なんですけど結構いいんです」と、Eさんが教えてくれたレコードは500円で、「貴重なレコードというわけじゃないですけど、この値段はお手頃ですよ」というので買ってみることにして、一枚買うことにしたら、その勢いでさらに何枚も欲しくなるのだった。

特売ボックスだけでなく、店内のレコードや中古CDもくまなく見て、小一時間ぐらい過ごす。「和歌山まで来て何してるんでしょうね、我々」と笑い合い、取材で来たはずが気づけばふたりとも何枚もレコードやCDを買っているという状況が面白くなってくる。会計のついでにお店の方に「このあたりにバラというカレー屋さんはありませんでしたか?」と聞いてみたところ、お店の外まで出て教えてくれた。「あのトタンの建物見えますか? あの手前にあったんですよ。今は空き地ですけど」と指差された先へ歩いてみる。さっき気づかずに通り過ぎていたそこは、ここに老舗のカレー店があったということが信じられないほどに小さな敷地だった。

「跡地も無事見つかったし、じゃあ、飲みにいきましょう」と、よさそうな居酒屋を探して歩く。周辺には、飲食店の入った古いビルやスナック街があって、「ここも気になる」「ここもよさそう」と目移りしてしまう。


だいぶ悩んだ末、「元寺町ストリート」というアーケード沿いの店に腰を落ち着けた。

ぶらくり丁周辺は和歌山駅から少し離れた場所にあり、その交通の便の悪さが衰退の一因だとも言われているらしいと、あとで調べて知った。しかし、自分としてはむしろ、駅から離れた場所にこんなエリアがあることを知れたことをちょっと得意に感じ、大阪から少し遠いけど、行こうと思えばすぐ行ける和歌山が今まで以上に魅力的に思えてきた。入った店で3杯ほど飲み、和歌山駅前まで引き返してもう一軒、駅近くの居酒屋に寄って、帰りは特急くろしお号に乗った。曜日や時間帯を限定して運行している「パンダくろしお」という特別車両にたまたま乗ることができて、なんだか夢のようだった。家に帰ってすぐに聞いた嘉門雄三のレコードは、すごくよかった。

こんなに居心地のいい店がなくなってしまう未来
数日後、私は姫路に旅に出ることにした。姫路もまた、大阪から在来線で1時間半ほどの距離にあって、それほど遠いわけではないけど、小さな旅という感じがする町だ。この日は姫路にしばらく住んでいたことがあるという友人のHさんが同行してくれた。姫路に来るのはかなり久々だというHさんが好きな店と、自分が行きたい店とをハシゴしようという話になっている。

4月末だったが長袖では暑いほどの陽気で、日陰を探しながら駅前からの道を歩いた。まず目指したのは「かどや」という大衆食堂で、かつて、和歌山を取材したのと同じ週刊誌で、やはりここにも来たことがある。取材が終わったあと、常連客のテーブルに混ぜてもらって一緒に酒を飲んで、それがすごく楽しく、また来たいとずっと思っていた。

醤油におろし生姜を加えた“生姜醤油”をかけるのが特徴の姫路おでんが食べられる店で、それも名物だが、冷蔵ケースに並んだ惣菜から好きなもの選ぶこともできる。瓶ビールもあれば缶チューハイも、日本酒も焼酎もあって、日差しが明るく照らす店内でのんびりと飲んでいられる。

Hさんとおでんをつまみにビールを飲みながら、姫路の思い出について聞く。Hさんが姫路に来たのは、仕事で姫路を拠点にした新規事業を立ち上げることになり、その担当者という役割を負ってのことだったという。それまで姫路にはまったく来たことがなく、未知の土地だったそうだ。姫路にあるいくつかの企業と連携を取りつつ、プロジェクトを軌道に乗せるというのが任務で、そのさわりを聞くだけでもなんだか大変そうである。

「不安はなかったんですか?」と聞くと、「いや、私は新しいことに不安を感じることはまったくないんです。それよりも楽しみのほうが大きくて、来てみればいい飲み屋がたくさんあり過ぎて、なんて楽しい町なんだろうと思いました。大阪からはちょっと遠いけど」と、Hさんが言って、空になったグラスに瓶ビールを傾ける。静かになったその一瞬、我々のうしろでお店の方が常連らしき客と会話しているのが聞こえる。「ここももう長いやろ?」「長いです。80年以上ですから」「後継ぎはおらへんの?」「いやもう、私らの代で終わりですわ」と、そんなやり取りだった。
Hさんが暮らしたかつての姫路があり、こんなに居心地のいい店がなくなってしまう未来もあるのだなと思う。瓶ビールをもう一本と、中華そばも注文する。以前ここに取材に来たとき、常連客におすすめしてもらって、中華そばを食べた。それがすごく美味しかった記憶があって、今日またそれを確かめておきたいと思った。

甘みのあるスープで、柔らかくて真っすぐな麺で、確かにこういう味だった気がする。また食べることができてよかった。
「かどや」の時間を堪能して、外へ出る。まだ明るくて、時おり吹く風が気持ちいい。姫路城のふもとの一帯が広い公園になっているのでそこを散策して、気が済んだところで駅前の商店街へ向かう。


Hさんが行きたかったという店、「英洋軒」にやってきた。姫路駅から車で20分ほどの余部(よべ)という地に本店がある中華料理店で、この駅前の支店は立ち飲みスタイル。私も何度かここには来たことがあったが、いつでも賑わっている人気店だ。

それほど広くないスペースにL字のカウンターがあって、そこに向かってギュウギュウに客が立っている。我々はふたりなので、カウンターの脇にふたつだけ置かれた小さなテーブルに向き合って立つ。生ビールと餃子一皿を注文すると、厨房から出てきたものが一旦カウンター席の客に手渡され、バケツリレーのように私たちのほうにやってくる。

カウンター席に立っている人たちにとってそれはいつものことらしく、手慣れた様子で運んでくれる。餃子の乗った皿を受け取ると、カウンター席の客がそのまま流れるような動きで、こちらを振り返りもせずに餃子のタレを渡してくれた。で、そのタレを受け取ると、今度はラー油を、これもバックハンドで渡してくる。「ありがとうございます!」とスーツ姿の背中にお礼を言いながら、姫路で働き、仕事帰りにこの店に立ち寄る生活を想像してみる。どれだけの日々を積み重ねれば、ノールックで餃子のタレを手渡せるようになるだろう。
「英洋軒」を出てもう一軒、「あけぼのストアー」という店へ。売店の店内がそのまま酒を飲める場になったようなところで、ここもまた素晴らしい。


仕事があるというHさんと別れ、予約してあった宿へ向かう。ここもまた、Hさんが「スーパー銭湯とビジネスホテルが一緒になったようないい宿なんです」と教えてくれたもの。大浴場もあって朝食バイキングも豪華で、贅沢な気分を味わった。
翌日、軽く何か食べて大阪に戻ろうと思い、Hさんのアドバイスに従って「姫路タコピィ」という店に寄ることにした。ビルの地下にあるフードコートのような店だそうで、その前に来て、ここは自分の勘ではたどりつけなかっただろうなと思った。自分だったら、もっと見るからに古い店を探してしまいそうだ。そこがまだまだ私はダサい。


たこ焼きを出汁につけてふやふやにして食べるのが明石焼きで、ソースをかけたたこ焼きをさらに出汁に浸すのが姫路風の食べ方なのだと、壁に貼られたパネルに説明してあった。ソースのついたたこ焼きを箸で掴んで出汁に入れるとき、ちょっと悪いことをしているかのような気分になるが、これが妙に美味しい。10個入りのたこ焼きを「次はソースだけで食べてみるか」などと食べ方を変えながらつまんでいくのが楽しい。

昼時ということもあって、地元の方らしき客がどんどんやってくる。そのなかに混ざって、私も姫路で生活をしているようなふうを装ってみる。もちろん私のそれはあくまで「ごっこ遊び」で、どれだけ頑張って真似しようとしたところで、その土地で暮らす人に近づけるわけもない。束の間のごっこ遊びはすぐに終わり、駅前で買った姫路土産でリュックをパンパンにして、私は私の暮らす町に向かう。
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スズキナオ『自分を捨てる旅』次回第18回は、2023年6月9日(金)17時配信予定です。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』、『集英社新書プラス』、月刊誌『小説新潮』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『酒ともやしと横になる私』、『関西酒場のろのろ日記』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『「それから」の大阪』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』がある。