自分を捨てる旅
最終回

秩父で同じ鳥に会う

暮らし
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久しぶりに仕事で来た東京で、用事も終わり、近場に泊りがけで出かけることにした。静かでのんびりできそうな場所がいいと考え、埼玉の秩父へ行くことした。何年かぶりに来た秩父の駅前はすっかり変わっていた。

石油ストーブのいい匂いが漂う店内がなんとも落ち着く

珍しく仕事の用事で東京に行くことになった。自分が話し手として参加する催しが二日続けてあり、まったく上手に喋ることができなかったことへの後悔と、それを忘れるために飲んだ打ち上げの酒が残る朝を迎えた。

用事は済んだのであとは大阪に帰るだけだったが、その前に一日、どこか近場に泊りがけで出かけたいと思っていた。静かでのんびりできそうな場所がいいと考え、埼玉の秩父へ行くことした。埼玉県の南西部にある秩父は、秩父山地の山々に囲まれた盆地にあって、都心からそれほど遠くないが、自然豊かな土地である。地下鉄を乗り継いで池袋駅まで向かい、そこから西武線の特急電車に乗る。

運賃に加え、900円の特急キップを買うと乗車できるのは「ラビュー」という名の窓の大きな電車で、黄色を基調とした内装が真新しくて驚いた。秩父へは過去に何度か行ったことがあるのだが、こんなに目を引くような電車に乗った記憶はない。調べてみると、2019年に登場した車両なのだそうだ。

車窓も広く乗り心地もよかった特急電車「ラビュー」

指定の席へと歩きながら車内を見回してみると、座席の間隔がゆったりしていて快適そうである。二日酔いが残ってはいたが、リュックの中から昨日買ったまま入りっぱなしになっていた緑茶割りの缶が出てきたので、それをちびちびと飲みながら過ごすことにした。

二日酔いの朝には常温の緑茶割りがぴったりだ

時折眠り、1時間半もせずに西武秩父駅に到着した。これも驚いたことなのだが、西武秩父駅の駅舎が記憶のなかのそれと違っている。「祭の湯」という温泉施設と駅舎が融合する形で、2017年にリニューアルされたらしかった。

西武秩父駅の駅舎もきれいになっていた

駅から外に出ずに祭の湯の敷地に入れるようになっていて、そこにはフードコートやおみやげを売るショップもあり、さらには地元のお酒が飲める角打ちコーナーまであるようだった。もちろんその奥には温泉もある。気になったが、帰りがけにゆっくり寄ればいいかと思い、まずは秩父の街を歩いてみることにした。

行列のできている「珍達そば」というラーメン店の横を、後ろ髪引かれつつ通り過ぎて歩いていくと、懐かしい気持ちが込み上げてきた。何年前だったか思い出せないが、たしかにこの辺りを散歩したことがある。「パリー食堂」という店の歴史を感じる建物の前で立ち止まり、「寄っていきたいな」と思ったことを思い出した。しかしそのときはタイミングが合わなかったのか、入ることができなくて、別のどこかで食事をした気がする。

1927年創業だという老舗の「パリー食堂」

今、再び通りかかったパリー食堂の前には、数人、順番を待っているらしき人がいる。ということは営業中で、少し待てば入れるのだろう。「今回こそ、ここで食べていこう」と思い、列に並ぶことにした。

しばらく待っていると、遠くで太鼓と鐘の音が聴こえた気がして、「あれ、ちんどん屋かな?」と思った。音が徐々にこっちの方に近づいてきて、パリー食堂の前に、華やかな装いの3人組が現れる。

「あけぼの屋」という屋号のちんどん屋さんらしかった

食堂前で立ち止まり、「歩こう 歩こう 私は元気」という歌詞のあの、『となりのトトロ』(作詞:宮崎駿/作曲:久石譲)の曲を演奏してくれた。待ち時間に演奏を聴くことができるとは、得した気分。演奏の終わりに「近くの矢尾百貨店で、ちちぶ朝市を開催しております。ぜひお立ち寄りください」と言って去っていった。

お店の方が外に出てきて、店内へと案内してくれた。石油ストーブのいい匂いが漂う店内は、外観同様、経過した長い時間があちこちに感じられ、なんとも落ち着く雰囲気だ。瓶ビールと、手作りシュウマイとラーメンを注文する。

赤星のビールが美味しい

手作りシュウマイは八角の香りがして、特徴的な味わいだった。ふっくらとした食感で、ビールが進む。これは美味しい。鶏がらの出汁の旨味をしっかり感じる醤油味のラーメンもたまらない。

頼んでよかったシュウマイ
このラーメンを食べにまた来たい

周りのテーブルには、名物らしいオムライスとクリームソーダを一緒に注文している人が多いようだった。あのセットもいいな。片っ端から色々食べてみたくなるような店だ。「必ずや、また」と胸に誓いつつお会計をして外へ出る。

ちんどん屋の方が言っていた「ちちぶ朝市」が気になって、その会場らしい「矢尾百貨店」まで行ってみることにした。デパートの駐車場スペースにいくつかの屋台、キッチンカーなどが点在していた。「ポテくまくん」という、秩父名物の「みそポテト」という食べ物をモチーフにしたキャラクターの着ぐるみが歩いている。

ちちぶ朝市の様子を見に矢尾百貨店まで行ってみた

しばらくうろうろしていると、敷地の一画で太鼓の演奏が始まった。秩父の伝統的な祭囃子である「秩父屋台囃子」のデモンストレーションをここで見せてくれるようだ。秩父屋台囃子は「秩父夜祭」という、毎年12月に秩父神社の周辺で行われる祭礼でも聴くことのできるものらしいが、こんなふうにいきなりその演奏を間近で体験できるとは、ありがたいことだ。

ポテくまくんと一緒に太鼓の演奏を聴く

ひとつの太鼓のリズムを長時間に渡って絶やさぬため、叩き手が途中で入れ替わるのだが、ひとりが叩いている後ろに次の叩き手が覆いかぶさるように位置し、瞬時にくるんと位置を交代する様子がよく見えた。間合いをはかり、ぴったり息を合わせなければできないであろう技だ。秩父屋台囃子は、本来、夜祭の際に曳航される山車の内部で演奏されるもので、外からその様子を見ることができないそうだと、これはあとで調べて知ったことだけど、なかなか貴重なものを見たようだった。

風が強くて少し体が冷えたので、矢尾百貨店の店内に入ってみる。エスカレーターで4階まで上がってみると、ゲームコーナーがあり、地元の方らしき数人のグループがクレーンゲームで遊んでいた。その人たちがいる一画以外は静かで、置かれたパンダのオブジェのどこかとぼけた佇まいが胸に残った。

矢尾百貨店のゲームコーナーにて

ブーツ型のグラスにビールを注いで飲んでいる自分

フロアの隅の窓からは武甲山が見える。武甲山は秩父山地に属する標高1304メートルの山で、秩父のシンボルにもなっている。セメントやコンクリートの原料としても使われる石灰石が豊富に採れる山で、大正時代から採掘が進められてきた。そのため、北側の山肌はギザギザ、カクカクとしていて、ピラミッドのようにも見える。

正面にそびえるのが武甲山だ

秩父に来るたびにこの山を眺めてきたはずなのに、その独特な形状に驚かされる。当然のことだが、採掘が始まる前はもっと山らしい形の山で、それがどんどん変化して、特に1970年代から1980年代にかけて大きく変貌したらしい。採掘は現在も続いているそうだから、これからもまた少しずつ山の形を変えていくのだろう。山がどんなふうに変わっていったのか、100年分の映像を早回しで見てみたいような気がした。

西武秩父駅のほうへとゆっくり引き返すように歩いていくと、通りかかった「田舎家」という店の前に、「しいたけ焼き」と書いたメニューが貼られているのが目に入った。私はしいたけが好きで、特に、里山で栽培されているような大きくて味の濃いしいたけに目がないので、スルーすることはできない。

店内に入ってみると、この「田舎家」自体がそもそもしいたけ農家が経営するお店だそうで、肉厚でなんとも美味しそうなしいたけが店内でも販売されていた。焼きしいたけと、瓶ビールも注文しよう。

「田舎家」で食べた焼きしいたけ

自家製のタレをかけて焼いているというしいたけ、そのむちっとした食感に感動する。旨味が凝縮されていて、普段スーパーで買って食べているしいたけとは別物に思えるのだった。

宿にチェックインできる時間になったので、部屋に荷物を置きに向かう。宿は秩父鉄道の秩父駅の目の前で、駅舎と一体になった「地場産業センター」の建物が窓から見えた。その建物の中にはショップスペースもあるようで、ここ最近、「道の駅」のような、地元の特産品があれこれ販売されているような場所に行くのが楽しくて仕方なくなってきた私にとってはうれしい立地だ。

色々買い物したくなりそうな「地場産業センター」

一休みしてすぐまた外に出る。1階に降りるために乗ったエレベーターの壁に、近所に「クラブ湯」という銭湯があって、宿泊特典として無料入浴券がもらえる旨、説明書きが貼られている。フロントで入浴券とタオルを受け取り、そこにも立ち寄ることにする。

特に明確な目的を持たずに来た秩父だったが、次々にやることが見つかって忙しくなってきた。調べてみると、「クラブ湯」と別にもう一軒「たから湯」という銭湯が徒歩圏内にあって、どちらもかなり歴史のある建物らしい。これはハシゴだな……。さらに、それほど遠くない場所に「道の駅ちちぶ」があることもわかった。

結果、地場産業センターの売店を眺め、道の駅ちちぶまで足を延ばしてここでも地元の特産品をあれこれ買って、地場産業センターにまた寄って買い物をして、荷物がだいぶ多くなってしまったので一旦部屋にそれを置きに行って、と、慌ただしくも楽しい時間を過ごすことになった。

道の駅ちちぶの中の立ち食い蕎麦スタンドもよさそうだった
知らない町の踏み切りで電車が通り過ぎるのを待つ静かな時間

ちなみに地場産業センターには、秩父の地酒を100円で試飲できるコーナーがあった。地酒「武甲正宗」や秩父ワイン、秩父に蒸留所のあるウイスキー「イチローズモルト」など、自販機に入った色々なお酒を味見することができる。100円だと思うとチャリンチャリンと気軽に飲んでしまえて、これはいいアイデアだなと思った。

地場産業センターの休憩スペースに設置されていた試飲自販機

宿に荷物を置いて、ようやく銭湯ハシゴへと繰り出す。暗くなった秩父の街は、日曜の夜だったこともあってか人の姿もまばらだった。ナビを頼りに歩いていくと、暗い路地の先に「たから湯」の建物と煙突が見えてきた。

左に見えるのが「たから湯」の建物

1936年に創業したという「たから湯」はシンプルな造りの銭湯で、脱衣所で服を脱いで浴場内に入っていくと、ひとり、湯舟に浸かっている先客がいた。奥には富士山を描いたペンキ絵がある。カランの前に椅子を置いて座り、体を洗う。浴槽はふたつに仕切られていて、浅いほうと深いほうがあるようだ。先客が浅い方に入っていたので、私は深いほうに入る。

見上げると、天井が不思議な形をしている。マンガの集中線のように、天井の中央に向かって木枠が組まれていて、これは唐傘天井というものらしい。ぼーっとそれを眺めていると、錯覚なのか、私が単にのぼせているだけなのか、立体感が揺らいでくるような気がした。

先客が湯舟から出て、洗い場の椅子に座る。深いほうを出て、今度は浅いほうの湯舟に浸かると、先客は立ち上がって、深いほうへと身を沈める。この無言のやり取りが、なんだか楽しい。

タオルを首に引っ掛けたまま「たから湯」から10分ほど歩いた場所にある「クラブ湯」へと向かう。こちらは「たから湯」の1年後、1937年から続く銭湯だそうで、入り口の佇まいからして味わい深い。

秩父に残る老舗の銭湯「クラブ湯」の入り口

宿でもらった無料入浴券を渡して脱衣所へ向かう。先ほどの「たから湯」よりも先客が多くて賑やかな雰囲気だったが、浴場内の造りは似ているように思えた。やはりここの浴槽も深いほうと浅いほうに仕切られていた。柔らかく、肌になじむような気がするお湯で、夜風に吹かれて冷えた体をしっかりと温める。

帰りがけ、番台に座っている女将さんが「外が寒かったでしょう」と声をかけてくれた。「今日は急に冷えてね。昨日なんか暖かくて、半袖の方もいらしたんですよ」と微笑みながら話してもらったことがうれしかった。

近くにあった「有り処(ありか)」という居酒屋で一杯飲んでいくことにする。古民家を改装したかと思われる店内で、今日何本目かの瓶ビールを注文する。瓶と一緒に運ばれてきたのがブーツ型のグラスで、自分でそこにビールを注いで飲んでいるのが照れ臭くもあり、愉快な気持ちにもなった。

風呂上りに立ち寄った「有り処」
ブーツ型のグラスにビールを注いで飲む

「秩父名物おつまみセット」というメニューがあり、「わらじカツ」「豚肉の味噌漬け」「みそポテト」「しゃくし菜漬け」と、文字通り秩父の名物としてあちこちでその名を見かけた料理が全部盛りになっているという。

秩父名物が一気に味わえるお得なセット

「みそポテトってこういうものか、うまいな」「豚肉、やわらかくてうまいな」「しゃくし菜、シャキシャキしてうまいな」と、うまいうまいとばかり思いながらビールをグイグイ飲んでほろ酔い状態となった。

未来の自分が乗った飛行機が残していく雲を今の自分が見上げている

そのまま宿に戻ってもよかったのだが、「秩父ふるさと館」という施設の前を通ると、奥に明かりが灯っているように見える。気になって覗いてみたところ、建物の一部が「蔵部るみん」というバーになっていて、営業中のようだ。

蔵造りのバー「蔵部るみん」に立ち寄ってみる

お店の方のおすすめに従い、秩父で蒸留しているウイスキー「イチローズモルト」の「ミズナラ ウッド リザーブ」をハイボールにして飲ませていただくことに。ひと口味わった瞬間、パッと華やかな香りが広がり、後に深いコクがじわじわとやってくるような、風味が何層にも重なり合っているような一杯だった。

チャージ料のなかに日替わりおつまみ一品の価格が含まれているようで、しばらくして水餃子が運ばれてきた。このウイスキーの味に水餃子を合わせるとはと面食らったが、滋味深さを感じるスープに浮かぶほんのりとスパイシーな水餃子もまた繊細な味わいで、お互いの味を邪魔しないように感じられた。

イチローズモルトのハイボールと水餃子の取り合わせが面白い

生まれも育ちも秩父だというお店の方にお話を聞くと、つい先日、秩父の夜祭が行われたばかりで、この辺りも大賑わいだったらしい。秩父夜祭は毎年12月2日・3日にかけて行われるのだが、2023年はそれが土日と重なったため、例年以上の人出だったそうだ。

「秩父も最近は色々と新しいお店ができて雰囲気が変わってきました。ラビューに乗れば意外と近いですし、CMや口コミの影響で来てくださる人もいますね」と、コロナ後となって、観光客も増えているらしい。「さっき食べたしゃくし菜が美味しかったです」と私が話すと、「お口に合いましたか? ここら辺の小学校では、給食にしゃくし菜ごはんが出るんです」という。しゃくし菜ごはん……子供たちがそれを喜んでいるのかわからないが、私はすごく食べてみたい。

夜道を宿まで歩き、寝酒にしようと地場産業センターで買ってあった「武甲正宗」のカップ酒を部屋で飲む。湯沸かし器でお湯を沸かし、それを備え付けのマグカップに注いだところに武甲正宗をカップごと漬ける。じわじわとゆっくりお燗されていくことによる味の変化を確かめつつ飲むのが楽しい。

お湯と大きめのコップさえあれば、お燗したカップ酒を飲むことができる

気付けば朝になっていた。カーテンを開けると今日も天気がいいようだ。10時に宿を出て、昨日はゆっくり見る間がなかった秩父神社の社殿を眺める。社殿のあちこちに左甚五郎の作と言われる彫刻があり、つい最近、数年がかりの塗り直し作業が完了したところらしかった。そのため、目にまぶしいほどにどの彫刻も色鮮やかである。動きが誇張され、デフォルメされた彫刻には可笑しみが溢れ、いつまでも見飽きることがない。

色鮮やかな彫刻を眺めるだけでも楽しい秩父神社の社殿

のんびりと西武秩父駅のほうへ向かう途中、昨日行列ができていた珍達そばの前を再び通った。昨日に比べればだいぶ列が短く見え、勢いで並んでしまうことにした。店の前から武甲山がよく見えた。

珍達そばの前から眺めた青い空と武甲山

しばらく待って店内へと通してもらった。珍達そばは秩父を代表するご当地麺として有名な店で、以前からその名を聞いてはいたが、どんなラーメンなのかまではよく知らずにいた。運ばれてきた丼にはねぎがこれでもかとたくさん入っていて、ごま油の強い香りが漂う。

たくさんのねぎと豚バラ肉が乗った「珍達そば」

埼玉県で栽培されている「土男ネギ」というブランドねぎを使っているらしいのだが、このねぎがすごく甘くて歯ごたえもシャキシャキしていて、素晴らしい。ねぎの旨味を味わうラーメンなのだと感じた。

たっぷりのボリュームゆえ、これ以上なくお腹がいっぱいになった。お腹をさすりながら今度こそ駅へと向かう。さて、これからどうしよう。「祭の湯」で買い物をしたり、角打ちコーナーで酒を飲んでも楽しそうだが……と、迷っていると、駅前のロータリーに路線バスがやってきた。行き先を見ると、「芦ヶ久保」というバス停を通るらしかった。

その地名には覚えがあった。4年近く前、ライターのパリッコさんと西武線の芦ヶ久保駅まで行って、その辺りを散策したのだ。WEBサイト向けにふたりで記事を書くための企画で、雪を見ながら酒を飲もうと考えて芦ヶ久保駅まで来たのだった。

その日は、天気がよかったが、芦ヶ久保まで来ると前日に降った雪がまだ残っていた。その景色を眺めながら、売店で酒とつまみを買って、近くのベンチに座って飲み食いした。芦ヶ久保という地名を見た瞬間にそのときの楽しかった記憶がふと蘇り、今まさに出発するところらしいバスに飛び乗った。

山あいの道を10分ほど走って、バスは芦ヶ久保に到着した。

よく考えずに乗ってしまったバスが山のなかを行く

芦ヶ久保には「道の駅果樹公園あしがくぼ」という施設があって、かつて来たときにここで買い物をしたのだと思い出した。たしかキノコ類がたくさん売られていて、大阪まで買って帰って食べたらすごく美味しかった。

ここもまた地元の特産品がたくさん売られていて楽しい

道の駅に入店して品揃えを眺めると、さらに色々と思い出すことがある。「たらし焼き」という、地元の名物らしい、ちょっとお好み焼きにも似た食べ物が売られていて、それを私は買って食べたのだった。今日もまた食べてみることにしよう。

かつてパリッコさんと一緒に座った記憶があるベンチに向かい、一緒に買った瓶ビールを飲みながらたらし焼きを食べる。

親しみを感じる味がするたらし焼き

前に私がここでこれを食べていたら、山鳥が近くまでやってきて、物欲しそうに近くを離れなかった。その様子を笑いながらパリッコさんとふたりで写真に撮ったなと、思い出していると、そのときの山鳥がまた目の前に現れた。

ここで飲食をする人々からのおすそ分けを求めて来るのだろう

もちろん、あのときとまったく同じ鳥ということはないだろう。ここに来れば食糧にありつけることが多いということをこの種の山鳥たちが学習して、人の姿が見つかれば飛んでくるというだけのことなんだろう。

頭ではそうわかっていつつも、私にはあのときとまったく同じ鳥が目の前にまた現れたように感じられて仕方なかった。「お、まだ元気でやってるんだな」と声をかけたくなるような気がした。山鳥はしばらく私のそばにいて、私がもうたらし焼きを全部食べてしまって、何も与えてくれそうにないことがわかったのか、ヒュンと飛んでいった。

あちこちを旅して、自分が生まれる前から営業を続けている店で酒を飲んだり、温泉に浸かったり、人の話を聞いたりして、一生のなかでもう二度と出会えない場所や人もあれば、何年も経ったあとに思いがけず再会することも、結構ある。

あるときに起きたささやかな何かが、長い時間の先にふと意味を持って目に前に現れる。今初めて体験したように感じることも、実は遠い記憶と繋がっていたり、あるいはまた先の未来で出会うことになるかもしれない。そんなことが割とたくさんあるのだと、旅をしていると気づかされる。

芦ヶ久保駅に向かう途中、飛行機雲がきれいに見えて、たとえばあれと同じルートの飛行機に、いつかの自分が乗って旅に出ることがあるかもしれないと思った。

飛行機が山の向こうへ飛んでいった

そう考えてぼーっと眺めていると、未来の自分が乗った飛行機が残していく雲を、今の自分が見上げているようにも思え、不思議な気持ちにしみじみと湧き上がってくるのだった。

*     *     *

本連載は今回が最終回です。これまで、ご愛読ありがとうございました。

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。

  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
連載「自分を捨てる旅」
  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 第13回 : 予備校の先まで歩くときがくる
  14. 第14回 : “同行二人”を思いながら野川を歩く
  15. 第15回 : 米子、怠惰への賛歌
  16. 第16回 : 生きなきゃいけない熊本
  17. 第17回 : 和歌山と姫路、近いけど知らないことばかりの町
  18. 第18回 : 幸福な四ツ手網小屋と眠れない私
  19. 第19回 : 熱海 夜の先の温泉玉子
  20. 第20回 : 今日もどこかでクソ面倒な仕事を
  21. 第21回 : 海を渡って刺し盛りを食べる
  22. 第22回 : 城崎温泉の帰りに読んだ『城の崎にて』
  23. 第23回 : 寝過ごした友人がたどり着いた野洲駅へ、あえて行く
  24. 最終回 : 秩父で同じ鳥に会う
  25. 連載「自分を捨てる旅」記事一覧
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