「狂信」した信者が語る「神に滅ぼされる恐怖」

あなたも狂信する
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宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の横道誠が、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫る『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』が刊行された。ここでは、本書の一部を全6回にわたって公開中。第6回は、「狂信」の内側になる死への不安と神に滅ぼされる恐怖について、当事者の証言を交えてつづります。

神に滅ぼされる恐怖

 今回のインタビュイーたちに、死の不安がきっかけになって入信したという人は少なかった。ただし、そういう人はなかなか脱会に至らず、ゆえにインタビュイーとして私につながらなかった可能性も高い。脱会すれば、楽園、極楽、永遠の命、輪廻転生などの希望を失うことになる。そんななかでエホバの証人2世のちざわりんさんは違った。彼はもとは宗教2世だったものの、宗教1世のように積極的に宗教活動に携っていた時期を持ち、その動機が死の不安にあったと語る。

 ちざわりんさんが5、6歳のときに、母親はエホバの証人に入信した。宣教活動を強制されるようになり、野球部の部活を認めてもらえなくて、首を吊ろうしたことがある。大学に入れば宗教から離れられると考え、勉強に身を入れた。中学に入ると教団の集会に行かなくなって、内緒で部活をやるようになった。中学3年生の初夏、学校の不良たちから集団暴行を受けたことが転機になった。体が大きいのに情けないと感じ、教師にも親にも相談できなかった。ちざわりんさんの様子から事情を察した母が、集会に行ってみないかと誘った。久しぶりに訪れた集会では、信者たちが熱烈にちざわりんさんを歓迎してくれた。ちざわりんさんは「救われた」「ここがじぶんの居場所なんだ」と考え、感動した。マインドコントロール論の分野で「ラブシャワー」と呼ばれる効果に落ちたのだ。

 以来、ちざわりんさんは五年のあいだ敬虔かつ熱烈なエホバの証人だった。組織の内部で活躍し、じぶんほど情熱的な信者はいないと自負するほどだった。だが、ちざわりんさんの根本にある動機は、集団暴行の際に感じた死の恐怖だった。

ちざわりん 死にたくないって強く念じたことが、教団側の終末に関する予言と結びついて、「滅ぼされたくない」という思いがふくらんだのだと思います。

横道 よくわかる心理です。

ちざわりん 邪悪な人々が滅ぼされて、善良な人々は楽園で永遠に生きるという教義は、まったくそうあるべきだと思ってしまった。完全に信じて良い「真理」だと感じました。

横道 ふむふむ。

ちざわりん 高校生になって、洗礼バプテスマを受ける前に、長老(会衆のリーダー)からどういう気持ちでの洗礼かって確認されたんですけど、私は「ハルマゲドンで滅ぼされたくないからです」って正直に言っちゃって。

横道 (笑)

ちざわりん いや、バプテスマはそういうことじゃなくて、神への愛にもとづいて受けるものだから、ってたしなめられましたね。

 ちざわりんさんは母親に対して、「真理に導いてくれてありがとう」と感謝すらしていたが、20歳のときにまた転機が訪れた。教団を批判する世間の書物は禁書扱いにされていたが、ちざわりんさんは「じぶんくらいゴリゴリの信者ならはんばくできるはずだ」と自信を持って、読んでみることにした。そこにあったのは、教団の怪しげな出自や、教義の一貫性のなさの指摘だった。ちざわりんさんは、じぶんの信じてきた教団が「真理」から遠いところにあることを知ってしまう。混乱して、書かれてある内容をじぶんたちの教義と詳しく比較するために、東京に出かけて、現在は閉館してしまった「聖書図書館」で調査してみた。そしてちざわりんさんはじぶんが所属している教団が、教団内でけんでんされるような「まことの神の組織」ではないと考えるにいたった。ちざわりんさんは20歳で教団を抜け、自暴自棄になった。

 私は「神に滅ぼされる恐怖」を感じたことがないつもりだったが、あるときついに「ハルマゲドン」が訪れて、「エホバの証人の教義は真実だったのか!」と驚愕する夢を見たことがある。それで私は、この教団に敵対するようになったことで、じぶんが「万が一の可能性」を考えて、内心では不安に思っていることに気づいてしまった。イタリアの作家ディーノ・ブッツァーティの短編小説「この世の終わり」を読んだときに、それはまさに私の見た夢の光景を再現する内容だと感じた。

 この作品では、とてつもなく大きな握りこぶしが町の上空に現れ、手を開いてから、動かなくなる。神が出現し、世界が終わる約束の時が来たのだ。人々は恐怖に囚われ、年若い司祭のもとに殺到し、告解して罪を償おうとする。群衆から世界の滅亡まで残り10分だ、いやもう残り八分だといった絶望の声があがる。司祭は人々に対応しながら、じぶんの救済に関してはどうなるんだとうろたえる。

「それで、私は? 私はどうすればいいんだ?」

 千人は下らない数の、懺悔を請う天国に飢えた者たちに向かって、司祭は問いかけた。だが、一人として司祭に構う者はいなかった。

(ディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』、374ページ)

 私の不安が大きいものだとは、思わない。しかし、小さなトゲのような心細さは、私の心に刺さったままなのだ。そのトゲが私の理性のかけらというわけではなく、暴力によってなされた洗脳が残したものだとしても。

筆者について

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 「狂信」の主観に迫る「共事者研究」に向けて
  2. 銃撃事件を経て、「共事者」として「当事者」と関わるということ
  3. 自己啓発と宗教の危うい共通点――「真理」を求める心をどうして軽んじられるだろうか?
  4. 創価学会や親鸞会で考えた「人生の意味」
  5. 自らカルトに入信した人が求めた「真理」と「共同体」
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