自己啓発と宗教の危うい共通点――「真理」を求める心をどうして軽んじられるだろうか?

あなたも狂信する
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宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の横道誠が、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫る『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』が刊行された。ここでは、本書の一部を全6回にわたって公開中。第3回は、自己啓発と宗教の危うい境界線について、当事者の証言を交えてつづる。

ビジネスパーソンと教育系YouTuberファン

 私はしばらく前に、複数の大手企業が企画した「ビジネスパーソン向け」を謳った配信動画の収録に応じた。私が著書で訴えてきたニューロダイバーシティ、つまり発達障害の問題を「脳の多様性」として捉えなおす観点が、一般企業でバリバリとしのぎを削りあっている人たちにとっても益するものだと力説した。

 もともとは自閉症権利要求運動から生まれたニューロダイバーシティの概念だが、最近では一部の自閉スペクトラム症者がIT産業などで有能な人材になることが注目されていて、それでビジネスの現場でも話題になることが増えてきた、という事情が私への依頼につながった。

 サービス利用の対象として設定されている人たちは、おそらく自己啓発書を読むのを好む「意識の高い」人々だろう。私は本業では文学研究という「社会にとってなんの役に立つの?」と疑問視されがちな分野の専門家をやっているし、余暇には自助グループを主宰することで、社会からドロップアウトしかけた人たちに対して、同様にドロップアウトしかけている人間のひとりとして、支援の手を差しのべる活動に打ちこんでいる。だから私は、じぶんの活動が「自己啓発」を好む「ビジネスパーソン」に役立つと考えたことはなかった。むしろおおむね逆向きの活動をやっていると思っていた。しかし、やはり発想次第でいろんなことがビジネスに転用できるものなのだと知った。

 文学や芸術を愛してきた私にとって、「ビジネスシーン」とははっきり苦手意識を感じさせるもので、ビジネスパーソンが好む向上心バリバリの自己啓発系の書物なども、おおねむ敬遠してきた。否、はっきり言えば、だいぶ「軽蔑」してきた。プロの研究者だから、世代が異なるということもあるかもしれないけれど、いわゆる教育系YouTuberのひょうせつだらけの上塗り知識にも、抵抗を感じることが多い。

 とはいえ、自己啓発の本を読むビジネスパーソンにしても、教育系YouTuberの動画を使って短時間で学ぼうとする人々も、「真理」に到達したいという純粋な思いを持っている。なぜ「真理」に到達したいかと言えば、受験に合格したいとか、資格を得たいとか、同僚たちに先んじて出世したいとか、高収入を得たいとかの実用的な動機があることが多いはずだが、「真理」を学びたいという思いそのものは純粋だと私は思う。「真理」なんてものに関わらずにトクをしたいという人は山ほどいる。「真理」を求める人たちを、どうして軽んじられるだろうか。私が愛するマルティン・ハイデガーの『存在と時間』やイマヌエル・カントの『純粋理性批判』にも自己啓発本のような要素はあるし、福沢諭吉の『学問のすゝめ』はその企図からして明らかに自己啓発本だが、私にとって魅力的な書物だ。

聖書に求めた真理

 摂理1世のあきこさんの事例を確認しておこう。あきこさんは、大学四年生のときに勧誘され、五年後の27歳のときに脱会した。大学ではスポーツサークルでエアロビクスをやっていて、インストラクター的な役割を担っていた。大学でコピー機を使っているときに声をかけられ、雑談の体裁で勧誘が始まった。エアロビクスを教えに来てほしいと頼まれ、同意した。それがきっかけで摂理の信者との接触が始まったが、彼らは正体を伏せていた。サークル活動のつもりで交流し、寝食をともにするようになって、「『聖書』を勉強してみない?」と誘われた。ちょっとずつステップを踏んで、気がついたら信者になっている仕組みだった。

 だが、あきこさんはもともとプロテスタント系の高校出身だった。

あきこ 『聖書』に対する知的好奇心があったんですけど、実家はキリスト教系じゃないし、高校生には難解で難しかった。それで、いつか理解できるようになるといいなっていう、なんとなくの夢がありました。

横道 『聖書』のイメージって、ひとことで言うと、どういう感じでしたか。文字どおり「聖なる書物」でしたか。

あきこ 世界でいちばん売れた書物というイメージでした。

横道 それで怪しいと感じなかったんですね。

あきこ 真理というものがあるとしたら、それは知ってみたいと思って。それから、学校の先生を志望していたんですけど、四年生で受けた教員採用試験が不合格だったんですよね。

横道 なるほど、そういう不安定な心理が背景にあった。

あきこ 親しくなった摂理のメンバーが、キャリアカウンセリングのようなことをしてきて、受けてみると、生徒たちに何を教えるか、突きつめて考えるべきではないかって思うようになって。

横道 まっとうではあるけど、狙いを考えると怖いなあ……。

あきこ 就職できなかったことで、さいわいに時間はありましたから。そういう状況でなかったら、摂理に取りこまれることはなかったって、思ってるんです。

 摂理では教科書として、別教団にあたる統一教会の『原理講論』が採用されていた。あきこさんはいま振りかえると、摂理は「カルトのパッチワーク」だったと感じる。教団ではまた「ポジティヴ・シンキング」が重視されていた。最初にエアロビクスの講師に誘われたのは、まったくのでたらめというわけでもなく、実態を明かされてからも、スポーツサークルのような雰囲気はなくならなかった。「こんなラフな宗教があるんだ」と思った。いままでに会ったことがないくらい人格的にすばらしい人が多く、その人たちが信じるものを見てみたいという気持ちが強かった。

 4LDKのマンションで五人ほどの信者仲間と女性同士で共同生活を送ることになった。家族的な愛情がはぐくまれ、年長者は年少者の世話を焼き、年少者は年長者を慕った。男女交際は禁止されていたが、宗教活動に関する役割を与えられるため、やりがいを感じた。じぶんはどう生きれば良いのか、と悩む若者をターゲットとして勧誘活動に関わった。あきこさん自身と同じように人生に真剣な人々だ。軽快なノリで活動をしていて、統一教会と同じく「地上天国」の概念はあったものの、そのような言葉は日常的にさほど重要視されていなかった。スポーツや音楽などを楽しむサークル的なノリの延長で活動が展開されていた。

 エホバの証人1世のジャムさんも聖書にはあらかじめ良い印象があって、そこに「真理」が書かれているのではないかと期待していた。ジャムさんはいわゆるヤングケアラーで、親との関係が希薄だったことを思いだす。努力をしても幸せにならないんだなと考えるようになり、つねに不安な感覚があって、神のような絶対的な存在があるんじゃないかなと漠然と思っていた。

筆者について

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 「狂信」の主観に迫る「共事者研究」に向けて
  2. 銃撃事件を経て、「共事者」として「当事者」と関わるということ
  3. 自己啓発と宗教の危うい共通点――「真理」を求める心をどうして軽んじられるだろうか?
  4. 創価学会や親鸞会で考えた「人生の意味」
  5. 自らカルトに入信した人が求めた「真理」と「共同体」
  6. 「狂信」した信者が語る「神に滅ぼされる恐怖」
『あなたも狂信する』試し読み記事
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