酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第18回

アディクションと死を見つめて(松本俊彦)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。

今回のトシのお返事で、いよいよ本連載は最終回です。

ギャンブルに疎い依存症専門医

ヘイ、マコト、この往復書簡もついに18回目ですね。

前回のお手紙を読んで、勝手に「あ、自分と似ている」と感じたところが2つありました。

1つは、ギャンブルのアディクションがない、という点です。私もギャンブルをする習慣がまったくなく、関心もありません。二十歳になる少し前に、友人に誘われてパチンコを2回くらいやったことがありますが、いずれも2000円分の玉が一瞬で消えるという体験をして、ひどくつまらない気持ちになったものです。以来、友人から誘われてもにべもなく断りつづけ、正直なところ、「ギャンブルにハマるなんて気が知れない」とさえ感じています。

実は、依存症を専門としながらも、これまでギャンブル依存症への言及を極力避けてきた理由は、まさにここにあります。私は、依存症を専門とする精神科医の真骨頂は当事者への愛にあると信じているのです。その点が、禁煙外来を担当する内科医との違いです。禁煙外来担当医のなかには、内心、「喫煙者ども早く死ね、地獄に堕ちろ」と考えている医師が少なくなく、そこには当事者への一片の愛もありません。

とまあ、そんな事情から、依存症関係の啓発事業でよくご一緒させていただいている田中紀子さん(公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表)から、かねてより「先生、ギャンブル依存症患者の面倒もみてくださいよぉ~」と懇願されてきましたが、いつも固辞しているわけです。アルコールや薬物ならいいのです。私はニコチンとカフェインのガチ依存症なので、化学物質で気分をカスタマイズしたり、自分の集中力や思考力のパフォーマンスを高めたりする人の気持ちには、苦もなく共感することができます。

まあ、私の愛車遍歴を知っている人からは、「えー、でも松本先生、中古のイタリア車に乗るとか、それこそギャンブルじゃないですか?」と突っ込まれることもありますが、それはイタリア車にいささか失礼というものです。もちろん、購入後、みずから愛車のボンネットを開いてオイル量をチェックする、といった基本点検なしにカーライフを送りたい、という人にとっては、確かに中古のイタリア車はギャンブルかもしれません。しかし、そうしたチェックさえ怠らなければ、少なくとも90年代以降のイタリア車の故障なんて、想像の範囲内です。それにイタリア車といっても、フェラーリやランボルギーニなんかじゃなく、しょせんは大衆車です。部品代だって、同じクラスのドイツ車や国産高級車よりもはるかに安価なんです。

歴史好きで数学嫌い

もう1つ、自分と似ていると感じたのは、歴史好きと数学で挫折した経験です。

まず、歴史好きについていうと、小学生の頃から本当に歴史が好きで、祖父が購読していた『歴史読本』を毎月精読していたほどです。もっとも、歴史学者を志そうと思ったことはなく、小学校時代は、一人で机に頬杖をついて歴史上の人物が登場する架空の物語を空想する、といった二次創作に没頭していました。しかし、思春期に入ると歴史熱は急速に醒め、読書習慣だけが残りました。まあ、無理に点と点をつなげば、精神科医は「他者の歴史」を読みとる仕事なので、その意味では、歴史好きは多少生かされているともいえます。

それから、数学での挫折経験ですが、恥ずかしながら私は、数学どころか算数の時点で挫折していた気がします。簡単な四則演算でも計算が遅く、計算間違いも多かったからです。まあ、それでも暗記力でごまかしていましたが、高校2年くらいになって微分・積分が出てくると、落伍というか、もはや理解しようという意欲さえ失せました。

こんなこというと、「よくそれで理系の難関、医学部に入学できたな」と驚かれますが、私は運がよかったのです。自慢できる話ではないですが、私は母校以外の医学部には入学できなかったでしょうし、仮に入学できたとしても、いっさい講義に出席しなかった私は、母校以外の医学部では卒業がおぼつかなかった、と確信しています。

私が出た佐賀医科大学(現在の佐賀大学医学部)は、1973年、第2次田中角栄内閣のもとで推進された「一県一医大構想」(または「無医大県解消構想」)によって一気に新設された国立医科大学群の1つで、私で10期生になります。

仄聞するところによれば、設立にあたって建学時の参与、日野原重明先生(故人、元・聖路加国際病院名誉院長)ら、当時、医学会に新風を吹き込んでいる偉大な先達たちが尽力し、地方の「駅弁医大」として埋もれることのないよう、あれこれ工夫をして独自色を出したそうです。たとえば、入学2次試験では学科試験をなくして小論文と面接のみにし、大学の講義では出席はとらず、留年制も設けない(ただし、10年以内にすべての単位を取得できなければ、中退ではなく除籍……)、その代わり図書館は24時間利用できるようにするから、「勉強は学校を頼らずに自分でやれ」と、医学部としてはかなり大胆な教育方針を採用していました。

そんなわけで私は、1次試験(センター試験)は得意の文系科目で数学の失点をごまかし、さらに、『Wakatte.tv』の学歴厨 髙田ふーみんから「チョンボ入試」といじられそうな2次試験で、無我夢中で小論文のマス目を埋めたのです。その甲斐あって、おそらくは日本一数学のできない医学生が誕生した、というわけです。

それにしても、このような変則的な入試方式のせいか、学生の顔ぶれは多彩でした。同級生の3割強は再受験者であり、その大半が文系学部卒業者や社会人経験者で、実に多様な経歴と個性の持ち主でした。別に母校をヨイショする気はありませんが、当時の卒業生のなかには、有名無名はさておき、各専門領域の唯一無二的存在として活躍する人が目立つように思います。

なお、現在、母校の2次試験は英語、数学、理科と通常の学科試験をやっていて、入学後も出席にうるさく進級に厳しい、ふつうの医学部になってしまったようです。ちょっと残念です。

孤独、孤立と自殺

往復書簡終盤に入ってからのいまさらながらの自分語り、大変失礼しました。

本題に入りましょう。

前回のマコトからの手紙、いつもと違う重いトーンでしたね。その末尾近くで、マコトはこう語っていました。「だんだん寒くなってきて、例年どおり冬季鬱に囚われるようになりました。自助グループの仲間が、暖かくなると希死念慮をテーマに選ぶ人が減り、寒くなると逆にテーマに選ぶ人が増えると言っていましたが、まったくそのとおりです」。

同感です。実は、このところ担当患者が立てつづき命を落としていて、忸怩たる思いに苛まれています。そもそも、依存症自体が非常に死亡リスクの高い精神疾患なのですが、そうとわかっていても暗鬱な気持ちになります。

振り返ってみると、そろいもそろって事故だか自殺なのか判然としない死に方でした。そして、亡くなった患者はいずれも他の精神障害――大半が発達障害やトラウマ関連の精神障害です――を合併する、いわゆる「重複障害」の人たちでした。加えて、虐待やいじめ被害、様々なハラスメント、あるいは、価値観の押しつけや束縛といった、有形無形の暴力に曝され、すっかり自分の人生を肯定できなくなり、そのせいで、薬物使用開始以前から「消えたい」「死にたい」という気持ちを抱えていました。

だからといって、彼らは死ぬために薬物を使っていたわけではありません。それどころか、死にたいほどのつらい気持ちを紛らわせ、生き延びようとするなかで、うかつにも計算が狂って事故死してしまっただけです。しかし、より正確に彼らの意図をトレースするならば、「オーバードースで死ねるなんて思ってはいないが、万一、誤って死んでしまっても、それはそれでかまわない」という感じなのでしょう。その意味では、事故か自殺かわからないといいましたが、やはり本質的には自殺の範疇に含めるべき死であったと思います。

いずれにしても、共通しているのは、それらの患者が孤立していた、という事実です。家族は、本人の薬物使用のすさまじさに圧倒されていて、そうした行動に口出しをしようものならば、逆に暴力や自殺の脅しで追い詰められ、疲弊し無力感に苛まれていました。結果的に、本人と家族とのあいだには深い断絶が生じ、ふつうの会話すらままならない状況でした。

家族以外の人とのつながりも断たれていました。まず、併存する精神障害の影響で社会参加できておらず、したがって、職場の同僚といえる人はいませんでした。恋人や友人を持つ人も少なく、仮にそういった相手がいたとしても、「嫌われたくない」という一心でその関係性に過剰適応して、本音が話せなくなり、かえってストレスをため込むありさまでした。

ダルクや自助グループに参加したこともありましたが、そこでも居場所を見出せませんでした。重複障害を抱える依存症患者の場合、集団場面が苦手なので、どうしても定着率が低く、また、定着するとしても相当に時間がかかります。やむをえず一般精神障害を対象とするデイケアや作業所につなごうにも、今度は、「依存症の人はちょっと……」と排除されてしまうのです。

何よりも、担当医の私自身が、利用できる社会資源のあまりの乏しさに途方に暮れ、無力感に囚われ、ひどく疲弊していました。その気配は確実に患者にも伝わっていたことでしょう。もちろん、自身の疲弊を避けるべく、ちょうどボクシングにおけるクリンチのような意味合いで、ときどき患者に危機介入的入院も提案してきました。

なるほど、そうした入院は一時的にはアディクションを中止させ、短期的な自殺防止に有効だったでしょうが、一方で副作用もありました。頻回な入院は病棟スタッフの態度を冷淡なものに変化させることがあるからです。いや、実際には病棟スタッフは何とも感じていなかったとしても、患者自身が「ちっとも改善しない自分に、病棟スタッフはうんざりしているにちがいない」と被害妄想的になります。その結果、次第に入院しても気が休まらなくなってしまうのです。

こうつらつらと書いてみると、亡くなった患者たちはいずれも、少なくとも主観的にはとても孤独で孤立した状況にあったなぁ、と改めて痛感させられます。

アディクションと死とは表裏一体

いま振り返ると、死亡した患者たちの状況は、往復書簡第6回でとりあげた、スキナーボックスに閉じ込められた孤独なネズミと酷似しています。そう、檻のなかでレバーを押すと、頸静脈に刺入された点滴の針から麻薬を投与された、あのネズミです。

ネズミは日がな一日レバーを押しつづけ、最後は死んでしまいますが、そのネズミは決して死にたくてレバーを押していたのではありません。檻の窮屈さと不自由さ、あまりの刺激の乏しさや孤独感といった苦痛を紛らわせるべく、必死になってレバーを押しつづけていただけです。

確かにレバーを押さなければ、最終的にネズミが死ぬことはなかったでしょうが、「死ななきゃそれでいいのか」とも思います。なにしろ、檻に閉じ込められていて、いつになったら解放されるのかわからない状況なのです。そんなところに長期間放置される苦痛は、尋常なものではないでしょう。もしも自分が同じ状況に置かれたならば、たとえ寿命を縮めてもいいから、麻薬がもたらす心理的無痛状態に逃げ込みたいと考えるはずです。

あるいは、前回、マコトが触れていた漫画『カイジ』に登場する、あの、理不尽な地下強制労働施設を引き合いに出してもよいでしょう。その施設のなかで、主人公カイジたちは厳しい長時間の労働を強いられ、「ペリカ」なる紙幣で支払われる賃金を借金の返済に充てることが求められていました。しかし、苛酷な環境における労働はすごくストレスがたまるわけです。それで、せっかく稼いだペリカを、ついつい缶ビールや柿ピー、焼き鳥といったささやかな愉しみで浪費し、結果的に解放される日がどんどん遠退いてしまうのです。

八方塞がりの状況です。娯楽に浪費するのはお世辞にも建設的ではないですが、だからといって、いっさいの浪費をやめて禁欲的な生活を送ったところで、借金はあまりにも膨大で、完済できるのは相当に先の話です。つまり、浪費をしてもしなくても、当面は苛酷な労働からは逃れられず、しょせんは地獄であることに変わりはないのです。

マコトが冬期鬱のなかでとらわれる「死んで解放される物語」が、こうした状況に起因するものなのかどうかはわかりません。ただ、こうした状況に起因する希死念慮は、これまで私がアディクション臨床のなかで感じてきた、患者たちが抱えるものと見事に符合します。

思うに、アディクションと死とは表裏一体の関係にあります。というのも、アディクション自体が、「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるために、「死んで解放される」のを一時的に延期し、迂回する手段だからです。したがって、もしもアディクションの効果が減衰したり、何らかの事情でアディクションが不可能となったりすれば、死は現実の危機として迫ってきます。

こうした認識から導き出されるのは、薬物乱用防止啓発において見られる、例の「脅し教育」の無意味さでしょう。改めて肝に銘じるべきは、十代における薬物乱用のハイリスク集団はそのまま自殺のハイリスク集団と重なる、ということです。

私は、ある十代の薬物乱用者から聞いた言葉がいまでも忘れられません。彼は、薬物乱用防止教育で誇張された、薬物がもたらす快感と健康被害の話を聞き、こう思ったそうです。「自分で死ぬのは怖いけど、快感に溺れながらわけわからなくなって、ゆっくりと死に向かうなんてすばらしい」。また、ある覚醒剤依存症の成人患者はこういいました。「自分が覚醒剤を使いはじめたきっかけは、『人間をやめたい』と思っていたからです」。

アディクションはリカバリーの始まり

1930年代半ば、米国の精神分析医カール・メニンガーは、アルコール・薬物依存症のことを「慢性自殺chronic suicide」と、そして、リストカットのような習慣性自傷のことを「局所性(焦点性)自殺local (focal) suicide」と呼びました。いずれも、自身の危機的状況において、あたかも爬虫類が尾を切り離しながら延命を図るように、少しだけ自身の健康を犠牲にして延命することを意味します。依存症業界ではすっかり忘れられている古い理論ですが、私はいまでもメニンガーの指摘をさすがの慧眼と考えています。

それから90年近い時を隔てたいま、私も同じようなことを考えています。ちょっとEBM風のキザな言い回しではありますが、それは次のようなものです。曰く、「アディクションは長期的には自殺の危険因子だが、短期的には保護因子として影響する」。そうであればこそ、人はなかなかアディクションを手放せず、手放すと決意しても、すぐに苦しくなってアディクションに舞い戻ってしまうのです。もちろん、このまま漫然とアディクションに頼っていれば、時間経過に伴って死をたぐり寄せてしまいますが、だからといって、乱暴にとりあげられれば、今度は、死が眼前に襲いかかってきます。

そして、矛盾するようではありますが、こうも考えます。アディクションとリカバリーは対義語ではなく、むしろ両者は同一線上に位置するもの、連続的なスペクトラム上にある、と。いや、もっと大胆にいいます。曰く、「アディクションはリカバリーの始まり」

そこには、次のような意図があります――「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるためにアディクションを用いるのは最悪なことではない、少なくともただちに死ぬよりははるかにマシな選択だ、なにしろ、リカバリーの前提は「まずは生き延びること」だから。しかし同時に、ただアディクションに頼って延命するだけでは、長期的には死が近づいてきてしまうのも事実です。

それでは、このスペクトラムを少しでもリカバリー側の極に近づけるには、何が必要なのでしょうか? おそらくそれが新しい価値観を持つコミュニティとのつながりなのでしょう。そして、そうしたコミュニティとして、自助グループをはじめとする相互扶助的な集いの場がある――これは、この往復書簡を通じて何度も主張してきたことです。

前回、マコトはアディクションに溺れているときの感覚についてこう語ってくれましたね。「穏やかな幻想的空間に包まれた上で、なんとなく未来がだんだんと良くなっていくんじゃないかという予感が、天啓あるいは異世界からのテレパシーのように送信されてくる」と。そして、そのような体験に基づいて、「アディクションは自分の感覚を麻痺させるだけではなく、それに溺れながらもその人を生かす物語をもたらしてくれる」とも。つまり、アディクションの鎮痛効果のみならず、いわば物語励起効果のようなものにも言及していたわけです。さらに、生きつづけるためには、新しい物語を再起動させる必要があると指摘し、それを実現してくれる場所が自助グループであると、いわば「物語再起動装置としての自助グループ論」を提唱してくれました。

とても興味深い考え方です。12ステップ方式の自助グループにかぎらず、オープン・ダイアローグにおいても、まずは、参加する仲間たちのナラティブがポリフォニックに響き合うのに耳を傾けるところから始まるのでしょう。そしてそのような作業が、自身のなかに新しい物語の鋳型を生成させ、さらには、同じ事実が新しい鋳型のなかで明るい調性を帯びた言葉となって再生されるのです。つまり、「生き延びるための物語=アディクション」が、今度は「生きつづけるための物語=リカバリー」として再起動する――そんなプロセスを想像します。

物語の再起動に必要なこと

とはいえ、アディクション臨床に身を置く者として、いつも悩ましく思うことがあります。

自助グループの物語再起動装置説には賛同するものの、依存症当事者はなかなかそこにつながろうとはしません。再三、参加を促すものの、実際に足を運んでくれる患者は1割程度にとどまり、継続的なかたちでグループに定着する人となると、さらにその一部です。

まあ、致し方ないところもあります。現代人は、「つながり」を言葉の上で肯定しながらも、いざそれが自分の問題となると一気に警戒心を高めるからです。少なくとも寒いからといって、決してニホンザルの群れのような「猿団子」――猿の群れが「押しくらまんじゅう」のように身体を密着させて暖をとること――を作ったりはしません。よほど親密な関係にある相手でなければ、私たちはつねに他者を、自身の体臭や口臭が届くエリアの外へと締め出し、一定のパーソナルスペースを堅持しようとします。

しかし、危機に瀕したとき、あるいは、自身の価値観が崩壊したときは例外です。たとえば、往復書簡第14回で私が触れた、AA創始者ビル・ウィルソンのホワイトライト体験、あるいは、ネイティブ・アメリカンの呪術医がペヨーテを用いて引き起こす精神変容体験を思い出してください。そのような人工的狂気は、人々がとらわれている既存の価値観を崩壊させ、その結果、新しいコミュニティへの警戒心を弛め、相互扶助的グループを自然発生させる力があります。

狂気のみならず、激しい苦痛の体験にも同様の効果があるのかもしれません。かねてより私は、自傷の身体的疼痛がもたらす心理的鎮痛効果に関心を持ち、医療人類学的視点から様々な部族の呪術的医療を調べてきました。そのなかで、平原インディアンの一部族であるスー族が行うピアッシングの苦行に注目してきました。

スー族の人々は、鷲の羽根や骨で作ったフックを胸の皮膚に突き刺し、ロープで樹木から身体を吊るし、皮膚がちぎれるまで踊るそうです。あるいは、背中の皮膚にフックを突き刺し、そこからロープでバッファローの頭蓋骨を十数個引きずりながら、皮膚がちぎれるまで走り回る、といったこともします。このピアッシングの苦行は、かけがえのないものとして自らの肉体とその痛みを大精霊に捧げることで、人々の病気が快癒することを祈念するとともに、コミュニティの絆を深め、安寧を願う意味があるそうです。

新しいコミュニティの誕生や参画には、狂気や痛みといったショック療法的なものが必要なのかもしれません。そして私は、いまそう文章にしたためた自分に驚き、さらに妙な考えを着想した自分にもう一度驚きます――いわゆる「底つき体験」とは、凝り固まった価値観を崩壊させ、新しい生き方へと向かわせる、痛みのイベントなのではないか、と。

私は一貫して、旧来のアディクション回復支援で重視されてきた、「底つき体験必要論」に懐疑的な立場をとってきました。しかし、そこにまったく肯定的な要素がないのかといえば、どうやらそうともかぎらないようです。あくまでも「依存症当事者が自身のナラティブとしてその言葉を用いるかぎりにおいて」という条件付きではありますが、「底つき体験」には一定の治療的意義があります。その危機的体験には、人をして回復コミュニティ参画を促す効果があるからです。

妙な話です。1周まわって元いた場所に戻っている――そんな感じです。つくづくアディクションという分野は、底の知れない、深い沼地のような領域だと思い知らされます。

〈担当編集者より〉

本連載はマコトがイベントや打ち合わせ中にぐびぐびお酒を飲んでいる姿に衝撃を受けて始まりました。最初は「こんなにたくさん飲んで、身体に悪いんじゃないか。担当著者に早死にされちゃったら目覚め悪いし、やめてくれないかなぁ」なんて思っていました。しかし、自らニコチン依存症を自称する依存症専門医のマコトとの対話を目の当たりにするにつれ、「お酒やタバコをやめればいい」という簡単な話ではない、ということに気が付かされました。

マコトやトシはWebという必ずしも心理的安全性が高いとはいえない場で、編集の私がはらはらするくらい進んで自己開示をしてくれました。記事に触発された読者のみなさんも大いに語り、議論してくれました。それによって依存症という病の複雑さ、当事者や当事者家族の生きづらさの数々が明らかになりました。次は、当事者がお酒やタバコに頼らざるをえない社会が何かをする番なのかもしれません。

長い連載もこれにて一旦、終了になりましょう。しかし語り足りないことはきっとまだまだたくさんあります。またどこかでお会いしましょう。

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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