酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第11回

紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

物質依存と行動嗜癖

 こんにちは、トシ。

 『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)では、じぶんの発達障害についてあれこれ書いて、アダルトチルドレン、宗教2世、LGBTQ+の問題についてもいろいろ書きました。でもアディクションの問題は棚上げにしてしまっていたんだ。脳の部位や脳内物質について学ぶのはじぶんの力量を超えているという不安があったし、アディクト(依存症者)としてのじぶんの問題を理解するに先立って、まずは発達障害者やアダルトチャイルド(アダルトチルドレンの単数形)や、宗教2世や、LGBTQ+の当事者としてのじぶんに整理をつけないと、じぶんの人生の立てなおしはおぼつかないと思っていた。

 2021年4月に『みんな水の中』を刊行したあとは、発達障害の大学教員として注目されて、さまざまな執筆や講演・対談の依頼をもらえるようになって、アディクションの問題についてじっくり考えるのは、さらに先送りにしてしまった。2022年の後半は突如注目を集めた宗教2世問題の当事者としてマスメディアに露出するようになって、今度は宗教2世問題でも執筆や講演・対談の依頼が舞いこむようになって、あっというまに時間が立った。個人レベルではアディクション治療の専門病院に通いつづけていながら、ちゃんと勉強する時間が取れなくなったんだ。

 今回の往復書簡が始まったあとは、相手がアディクション治療の権威だから、付け焼き刃になるようなことをちまちま勉強する価値があるかな? なんだか恥ずかしいことを書いてしまわないかな? と思って、引きつづき専門的な勉強をサボってたんだけど、基本的なことは最低限でも押さえておこうと腹を決めた。DSM-5-TR(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版の改訂版)の日本語訳が6月に刊行されて、「ああ、オレはDSMに書かれた診断基準すら、アディクションに関しては読んだことがなかった」と反省したのがきっかけだ。発達障害(医学名は「神経発達症」)のパートは、ひとつ前のDSM-5もその前のDSM-IV-TRも読んで、「勉強になるなあ」と何度も感心したのにね。

 これまでにアディクションの本をちらほら読んで、アディクションが物質への嗜癖と行動への嗜癖のふたつに類別できることくらいは知っていた。よくよく用語を見てみると、「物質依存」(substance dependence)と「行動嗜癖」(behavioral addiction)と表記されていることが多い。つまり行動はアディクションだけど、物質はディペンデンス。調べてみると、1963年の秋に開かれた国際保健機関(WHO)の専門家会議で物質使用障害の正式な用語として「薬物依存」(drug dependence)が選ばれて、従来の「薬物嗜癖」(drug addiction)や「薬物馴化」(drug habituation)は今後使用しないと決議されたことがわかった。薬物はアディクションじゃなくて、ディペンデンス。その用語上の歴史は、もう半世紀以上も続いていることになるんだね。

 で、DSM-5-TR(オリジナルは2022年に発刊)を読んでみると、アディクションは「物質関連症群及び嗜癖症群」と呼ばれていて、「物質関連症群」と「非物質関連症群」の二大部門から成っている。前者は、「アルコール関連症群」「カフェイン関連症群」「大麻関連症群」「幻覚薬関連症群」「吸入剤関連症群」「オピオイド関連症群」「鎮静薬、睡眠薬又は抗不安薬関連症群」「精神刺激薬関連症群」「タバコ関連症群」「他の(又は不明の)物質関連症群」とたくさんあるけど、後者は「ギャンブル行動症」しかない。

世界保健機関のICD-11(『​​国際疾病分類』第11版、2022年にオリジナルが発刊、日本語版は準備中とのこと)も見てみると、こちらも構成はDSM-5-TRと同じような感じ。全体は「物質使用症群と嗜癖行動症群」と呼ばれていて、「物質使用症群」の対象には「アルコール」「大麻」「合成カンナビノイド」「オピオイド」「鎮静薬、睡眠薬または抗不安薬」「コカイン」「精神刺激薬(アンフェタミン、メタンフェタミン、またはメトカチノンなど)」「合成カチノン」「カフェイン」「幻覚薬」「ニコチン」「揮発性吸入剤」「MDMAまたは関連薬物(MDAなど)」「解離性薬物(ケタミン、フェンシクリジンなど)」「他の特定される精神作用物質(医薬品など)」が入る。「嗜癖行動症群」には「ギャンブル行動症」と「ゲーム行動症」が入る。

「ゲーム行動症」(別の訳語として「ゲーム症」「ゲーム障害」「ゲーム依存症」がある)が入ったことが、子どもに関する精神医療の界隈でかなり話題になったけど、これは世間でときどき話題になる「セックス行動症」(セックス依存症)とか「ショッピング行動症」(ショッピング依存症)などすら、アディクションとして正式に認められてこなかった状況で、古くからアディクションとして論じられることが多かった「ギャンブル行動症」の隣に、いきなり「ゲーム行動症」がふっと参入してきたのも、ショッキングだったんじゃないかな、と思った。

 しろうと考えかもしれないけど、私としては、「セックス行動症」とか「ショッピング行動症」も入ってほしいです。私も複数の相手との性交渉に没入していた時期があるし、数百万円の借金を抱えるまで、買い物まみれの生活に陥ったことがあるけど、あれらは人生をすみやかに破滅させるものだと思いました。前回トシが、「歴史上最も古いアディクション関連の記録は、賭博に関するものだからです」とか、「行為によるセルフコントロールの成功体験の方が、報酬としてはるかに強力であり、それゆえ依存症を引き起こす可能性が高い」とか、「人を依存症にさせるのは、物質の薬理作用ではなく、行為を通じた自己効力感の体験――心身に何らかの刺激を与え、身体感覚の変容感を介して気分調節に成功する体験――の方ではないか」と書いていたけど、「行動嗜癖」が「物質依存」と同じくらい考察され、そして両者の関係性が解明されてほしいなです。

 そして、鈴木直さんの『アディクションと金融資本主義の精神』(みすず書房)を読んで思ったのは、こういう名著なのか奇書なのかわからない本が、もっとたくさん生まれてきてほしいということです。この本では「アディクションとは、自発的選択がもたらす短期的報酬によって動機づけられたオペラント(操作的介入)行動を、しばしばみずからの意志に反して、反復的に継続する状態をさす」と定義されていました。人間のギャンブルへの欲望が金融資本主義を構築しながら、不安定に維持しているという見取り図で書かれているけど、やはり行動選択がアディクションの機序として決定的だと考えられているわけです。

 それにしても私は大学院生のとき、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にハマって、社会科学的発想と人文学的発想の相剋の問題について研究をやっていた時期があります。ヴェーバーがプロテスティズムの「天職」理念が初期の資本主義を駆動したと論じていく鮮やかな手つきに感心しつつ、「オレはそんな単純なゲーム的歴史論に騙されんぞ(笑)」も思っていました。『アディクションと金融資本主義の精神』という書名は明らかにヴェーバーの本へのオマージュで、この本についても「オレは騙されんぞ(笑)」と思いながら読んだけど、専門分化したいまという時代に、こういう総合的な本が書かれること自体は、非常にすばらしいと思う。いつか私も『トラウマ・解離・アディクション──人類史の一断面』みたいな書名の本を出版したいけど、まずはそれに先立って、トシのそういう壮大な人類史的アディクション論を読んでみたいと思っている今日この頃なんです。

即時報酬との格闘

 アーケード用レースゲームの「セガラリーチャンピオンシップ」にトシがハマっていたという話、やはりおもしろいです。調べてみると、1995年にできたゲームだとか。私が高校生だった頃。トシは「いい年をして」と自虐的に書いてたけど、まだ20代の終わり頃だったはず。立派な若者です。

 「藤原拓海」という名前が出てきたけど、これはマンガ『頭文字D』の主人公ですね。トシは「ドリフト時にすごいスピードで眼前の風景が流れていく、何ともスリリングなめまい感があります」と書いていた。「頭文字D」の「D」もドリフトのことだって聞いたことがああります。「さえないリアルの自分を慰撫するには、自己効力感とまやかしの誇大感と、めまい感が必要だったのでしょう」という記述に、共感しました。

 というのも、私も30代後半になって、急に20年以上ぶりにゲーム漬けになってしまった時期があるから。小学生のときにハマっていた『ドラゴンクエスト』シリーズが、スマートフォン向けに移植されているのを知って、「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」「9」とシリーズを制覇するようにプレイして、新作の「11」もニンテンドー3DSとプレイステーション4で2回とおしてやった。自由に使える時間は、ずーっとドラクエ天国。「10」もしばらくやってみたけど、これはオンラインゲームで、作風があまり趣味でなかったため、続かなかった。睡眠障害が始まっていた時期で、精神的な危機が進行していたから、ファンタジーの世界に逃避したかったんだって、いまでは分析しています。

 ロールプレイングゲームにも、トシが書いていたロジェ・カイヨワの「遊びの4類型」がぜんぶ揃ってました。登場する敵とのバトルを勝ちぬき、壮大なストーリーを解読していく部分は「アゴン」(競争)、高い経験値やレアな宝物を持った敵と出会えるか、隠しアイテムなどをうまく奪取できるか、カジノで大当たりできるかという問題は「アレア」(偶然)、じぶんの名前を主人公の勇者に設定して、細部まで構築された世界観に没入する感覚が「ミミクリー」(模擬)、忘却された歴史的事件の真相が紐解かれ、圧倒的なヴィジュアルと雰囲気で感動させてくるところが「イリンクス」(めまい)。あのドラクエ時空に没頭していた私は、「ゲーム症」と言われても仕方なかったと思います。不眠障害を誤魔化すためにやっていたのに、それがますますひどくなっていきました。

 日本ではマンガ、アニメ、ゲームなどの文化が栄えているけど、これは私の唐突な「ドラクエ大ブーム」と同じような事情で、日常生活に憂鬱を感じている人が多いからじゃないかな。高畑勲は生前、同志で弟分的な存在と言える宮崎駿を「天才」と認めつつも、宮崎アニメがあまりに完成度が高いために観客が「ファンタジー漬け」になってしまって、よく批判していました。高畑の最後の作品になった『かぐや姫の物語』(2013年)は、ファンタジーを紡ぎながらも、ドキドキ感を過剰にしないことで、観客が現実世界でも地に足をつけて生きていけるようにという促しを孕んでいたように思えた。あれはきっと宮崎に対する最後の諫言でもあったはず。それに対する10年越しの回答が、今度こそ宮崎の最後の長編アニメになるはずの『君たちはどう生きるか』(2023年)。この作品では、圧倒的なファンタジー時空が展開されながらも、主人公を厳しい時代の現実に帰還させ、かつ彼が体験した世界はやがて記憶から消えるものと設定しつつ、その体験が無駄ではなかったという位置づけにすることで、亡くなった高畑に応答したのだと思うのです。

 トシにとっての『セガラリー』、私にとっての『ドラクエ』は、おそらく「即時報酬の洪水」をぞんぶんに浴びることができる特権的な場所だったのだと思う。かつての宮崎アニメもまさにそういうものでした。『天空の城ラピュタ』(1986年)『となりのトトロ』(1988年)『魔女の宅急便』(1989年)などなど。でも、宮崎はだんだんと「なんとなく退屈かも」という場面をあえて作品に入れるようになっていったんです。『もののけ姫』(1997年)『千と千尋の神隠し』(2001年)はどちらも社会現象になって、国際的な宮崎人気を確率させた作品たちだったけど、公開された初日に私は映画館でそれらを見ながら、あちらこちらで眠くなったのをよく覚えています。「あの宮崎アニメで眠くなるなんて?」とショックでした。同級生に訊いてみると、同じような感想の人は多かった。いまでは、あのような作風の変化も、きっと宮崎なりの高畑への回答の試み、「即時報酬」とのつきあい方の模索だったのだと思うんです。

紳士淑女としてのドーパミンのたしなみ方

 では、脳をアディクションによってハイジャックされないために、どうすればいいのか。前回トシがCoCo壱とのつきあい方をとおして、すてきなヒントをくれました。

 特に診療がハードだった日の深夜、ココイチで激辛カレーをよく食べる傾向があります。うまい、マズいの次元では語れない、もはや痛みしか感じられない味覚の彼岸にある刺激です。(略)店を出て汗だくになった顔に涼しい夜風が当たる頃には、モヤモヤは霧散しています。さいわいこの行為には、ココイチの店舗に足を運ぶという煩雑な手続きが必要であり、翌日、下腹部痛と下痢に悩まされるという弊害から、私の報酬系を「ハイジャック」するほどの強度はありません。

 もしもこうした心身への刺激が、もっと手軽かつ迅速に実行できるものであったらどうでしょうか? リストカットやむちゃ食い、爪かみ、抜毛、それから、もしかすると強迫的な自慰行為もそれに含まれますね。これらの行為は、速効性において物質の薬理作用に劣りながらも、手軽さと刺激強度いう点において報酬の即時性を担保しており、人を依存症的にさせうる性質があると思います。

 なるほど、アディクションの対象そのものにブレーキが含まれている場合、またアディクションへの引き金が多少なりとも厄介な場合に、「即時報酬」の力を制限することができる。頭のなかのドーパミン洪水が、限定的な被害をもたらすだけで終わってくれる。そういうふうにほどほどにドーパミンをたしなむことが、これからのアディクトたちの課題になるんだろうなと気づかされました。これを「紳士淑女としてのドーパミンのたしなみ方」と名付けて、アディクション界隈に広めていきたいなと思うんです。

 前々回、私は私自身やトシの文体が非常にクリアなこと、これがアディクション的な機能を持っているのではないかと問題提起しましたが、文章というのは(AIの文章生成などを使わなかったら)、トシや私みたいに高速で原稿をあげるのが得意な書き手でも、基本的にはゆったりのったりと書くしかないものだから、まさに「紳士淑女としてのドーパミンのたしなみ方」を実現していることになる。そう考えると、私が文章を書くのがとても楽しいのは、アディクションそのものではなくて、アディクションへの対抗措置としてハームリダクションをやっているのだな、とわかってきました。

 思えば、アリストテレスの『形而上学』では、「驚異」(タウマゼイン)の感情こそが、人類の知的探求の源泉になったと論じられていて、膝を叩いたことがありました。なんらかの現象に対して、「なんだこれは?」「いったいどういうこと?」と驚異を得て、仕組みや発生の原因を探ろうとする。やがて「そうか、わかったぞ!」という「アハ体験」が起きて、頭のなかにドーパミンがどぱどぱと溢れてくる。でも、それを論述したり、講演したりするうちに、ドーパミンはほどよく薄まっていく。この一連の過程、つまり「学究活動」にも、アディクションに対するハームリダクションとして機能してきた面がありそうだね。そんなふうに「ハームリダクションの人類史」を探るのもおもしろそうだ。

薬と自助グループ

 長くなったけど、前回トシが書いてくれたことに関して、もうひとつ。「セリンクロは、本来は「不快感」を体験させるのではなく、アルコールがもたらす「快感」を減じる」ということ。じつはしばらく前から「やっぱりセリンクロを飲もう」と考えを改めて、服用するようになりました。「飲みはじめは気分が悪くなることもあるけど、飲みつづけてるうちに落ちついてくる」という情報をインターネットで得たからです。服用を再開すると、実際に数日で気分の悪化はなくなりました。この薬は「アルコールの快感を減らす」という性質らしいけれど、私の感覚では「酔いが早く回る」というのが近い。いや、正確には酔いではなくて、頭のなかがひどくモヤモヤしてきて、酔っているかのような感覚になる。それで、たくさん飲みたい気分がなくなって、安全な分量の飲酒に終わる。

「これは良いものだ!」と毎日服用するようになったのですが、困ったことには、その「頭のなかがモヤモヤ」が翌日もずっと続くことです。五感は二日酔いのときと同じ。頭痛や胃のむかつきはないのですが、モヤモヤのなかで時間がつるつると流れていく。ADHD用のストラテラ(アトモキセチン)を服用すると、ふつうならすっきりした見晴らしを得られるのに、セリンクロを飲んだ翌日は、効いている感じがまったくない。飲みつづけることで酒量が減るから良いと割りきるべきか? あるいは、こうやってひどいモヤモヤと共生しているということは、結局寿命がドカッと減っているのと同じ事態なので、どこかでこの薬に見切りをつけるか? 悩ましい選択になります。

 最後に、このまえ大嶋栄子さんの『生き延びるためのアディクション──嵐の後を生きる「彼女たち」へのソーシャルワーク』(金剛出版)を感心しながら読んだことを報告します。女性の依存症者たちへの支援を提供する場所として、①医療機関、②MAC(メリノール・アルコール・センター)やDARC(ドラッグ・リハビリテーション・センター)などの「治療共同体」、③AA系統(アノニマス系)の自助グループが紹介され、自助グループや自助グループから学んだ「治療共同体」が提供してきた「12ステップ」を排除した④「生活支援共同体」が推奨されます。大嶋さん自身が「それいゆ」という生活支援共同体でやってきたことが紹介される。

 以前、私はこの連載で「新しいタイプの自助グループを!」と希求したけど、そういう実践の先行例を知ることができて良かった(共同生活をするので、ほんとうは自助グループとは別物ですが)。私もどんどん新しいことをやってみたいけど、まだまだ経験値が足りていません。最近、新しい自助グループとしてオンラインで実施する「希死念慮をなだめてみようの会」というのを立ちあげてしまったのですが、会合によって自殺願望をまちがっても促進しないために、これまでに私がやってきた自助グループ(当事者研究やオープンダイアローグ的対話実践)よりも安全な言語空間を構築しなければと悩んで、結果的に採用したのは「アノニマス系」でやっている「言いっぱなし、聞きっぱなし」、つまり語られた内容に対していっさい応答しない、感想も意見も質問も口にしないというスタイルでした。AAミーティングのやり方が、いちばん安全なものだと結論せざるを得なかった。

 大嶋さんの本では、女性の依存症患者を4種類に分類していて、これもおもしろかったです。①性役割葛藤型(ジェンダーロールへの期待の大きさが抑圧に転じてアディクションに至る)、②他者承認希求型(これまでのじぶんを肯定的に受けとめられず、不全感が破壊衝動につながって、アディクションに走る)、③ライフモデル選択困難型(どのような選択にもジェンダー・バイアスが張りめぐらせれていることに絶望し、じぶんの選択に自信が持てず、目標を喪失して、束の間の休息を求めてアディクションに陥る)、④セクシュアリティ混乱型(性的少数派だったり、性暴力被害体験の過去があったりして、みずからの身体とセクシュアリティに混乱を抱えていて、アディクションが助けになる)。

 とても勉強になったけど、私はじつは「じぶんにはこの4つが全部そろってるな」とも思ってしまうんですね。女性ではなく、男性なのにそう思ってしまう。それで、アディクションの問題をジェンダーの問題と絡めて考えなくてはいけないなという思いは強まりました。

 私には率直に言って、「女性は怖い」という実感があります。母から肉体的暴力を振るわれる少年時代を過ごしたし、そうやって「女性」に関わる問題で苦しんだ少年をフェミニズムはけっして助けてくれなかった。「メンズリブ」の男性にも助けてもらったことはない。彼らは私が肉体的に男だということで、私の「男性性」を否定したくて、うずうずしていた。

 Twitterをやっていると、いわゆる「弱者男性論」に共感してしまいそうになって、じぶんが怖くなります。「彼らはネトウヨと近しいし、歩みを共にしたくない」と不安になり、慌ててじぶんのなかの「弱者男性としてアイデンティファイしたい欲求」にフタをすることが、しょっちゅうあります。男らしさの病や、女らしさの病。これをぜひトシにも語ってもらいたいと思っています。「信田さよ子さんに会うと、足をギュッと踏まれているんですよ。精神的な去勢ですよ(涙)」と語っていたトシに、ぜひ。

次回の更新は、11月23日(木)が祝日のため、いつもより遅めの11月27日(月)17時予定。トシ(松本俊彦さん)からのお返事です。

★11月28日発売予定★

横道誠さんの新刊『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』が、明日11月28日(火)発売決定。

宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の横道さんが、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫ります。

横道誠さんの「宗教研究」の到達点。ぜひお見逃しなく!

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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