酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第8回

「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

薬物依存症臨床におけるADHD

マコト、お返事ありがとう。

前回の手紙の最後に触れていたADHDの問題、依存症臨床ではすごく大事なことです。

依存症全般がADHDと深い関係がありますが、なかでも薬物依存症臨床は、ADHDを併存している患者さんと出会う機会が多いフィールドだと思います。

たとえば覚醒剤依存症の患者さんです。           

ふつう覚醒剤を使うとテンションが上がって多弁、早口、せかせかと落ち着きなく動き回って騒がしい感じになりますが、ADHDの人の場合は完全にその逆です。静かになります。

それどころかADHDならではの欠点が改善されます。いつもソワソワ、キョロキョロし、物事を衝動的、行き当たりばったり物事を決めたいる人が、落ち着いて物事を考えられるようになり、飲み会のたびに店にスマホを忘れたり、新幹線に乗るたびに特急券をどのポケットにしまったのかを失念したりする、といったことがなくなります。

なぜか? ご承知のように、ADHDの治療薬は一種の弱い覚醒剤です。ですから、ADHDの人の場合、治療薬と薬理効果が類似する覚醒剤は、生きづらさを改善してくれるのです。

もちろん、それだけに日常生活に不可欠なものとなり、あっという間に依存症の状態に陥ってしまい、蜜月は長続きしません。加えて、今度は、通常以上に断薬に苦慮します。なにしろ、覚醒剤によって一時的に「適正化」された脳の均衡状態が再び元のアンバランスな状態に戻されるわけですから。断薬時の焦燥や渇望は激しく、大抵の場合、そのしんどさに耐えかねて再び覚醒剤に手を出してしまいます。

このようなケースでは、私はきちんとADHDに対する薬物療法を行うことが重要だと考えています。その治療薬は弱い覚醒剤類似作用を持っていますが、徐放製剤といって患者さんが効果の発現を自覚しにくくなっています。また、医師と薬剤師が協働して処方・調剤の管理をするので、乱用リスクが最小限に抑えられています。

この治療は薬物依存症そのもの治療にも役立ちます。断薬時の離脱や渇望は明らかに低減し、これまで覚醒剤で解決してきた「生きづらさ」を安全な形で解消してくれるので、覚醒剤を使用する理由がなくなります。当然、結果的に断薬成功率も高い印象があります。

ADHDはどこまで治療すべきなのか

最近数年、ヒップホップミュージシャンがよく私の外来に訪れます。大麻取締法で逮捕されたのを機に、弁護士さんから「治療プログラムに参加しなさい」と指示されてやってくるわけです。

ほぼ全員が20年あまりの長きにわたって毎日タバコ感覚で大麻を吸ってきた人たちです。いずれもこれといった健康被害もなく、よきミュージシャン、よき家庭人でした――大麻愛好家であることを除いては。

しかし、逮捕を機に生活を改め、それこそ20年ぶりに大麻なしの生活を始めます。大麻の場合、覚醒剤のような強烈な渇望感を自覚することもないので、みなさん、拍子抜けするほどあっさり断薬します。

ただ、周囲はかなり迷惑します。実際、家族から、「大麻をやめたのはよかったが、最近キレやすく、物忘れやなくし物が増えた。大麻の後遺症ではないか?」と相談されます。

しかし、よくよく話を聞いてみると、大麻使用以前からの問題であることが判明するわけです。たとえば、小学校時代は授業中に私語が多いとか、突然、教室内を歩き回ったり、教室から出て行ったりして、始終教師から注意されたり、親の呼び出しを受けたり、自分だけ教壇に横に机を置かれて授業を受けさせられたり、といったエピソードです。

つまり、大麻愛好家ラッパーの多くがADHDであり、どうやら大麻――それも特に「サティバ種」――にもまた、ADHD治療薬としての効能があるようなのです。

そこで、治療のなかで大麻の代わりにADHD治療薬を投与することがあります。もちろん、効果はあります。態度は穏やかになり、物事を落ち着いて判断できるようになります。

しかし、問題もあります。「治療しすぎてしまう」のです。ADHD治療薬を服用すると、多動を解消するついでに、ラッパー独特の手振り身振りが目立たなくなり、その人からラッパーっぽさが消えてしまいます。

それから、治療薬はADHD独特の「過集中」を改善してしまいます。大麻の場合には「過集中」を改善しないので、それを生かしてラップのリリック書きに没頭できます。ところが、治療薬の場合には変にまったりとしてしまい、あの、一気呵成にリリックを書き上げる勢いが失せてしまうようです。

誤解を怖れずにいうと、ヒップホップミュージシャンにとっての大麻とは、ADHDを治療しすぎずに「その人らしさ」を残す、という魔法の治療薬なのかもしれません。

「自己治療」は至るところにある

ここまで示した2つの例は、ともに薬物をADHDに対する自己治療として使っていたという点で共通しています。ADHDはあくまでも1つの例に過ぎませんが、このように依存症に加えて他の精神障害を併存しているような病態のことを、私たち「重複障害」と呼んでいます。

実は、重複障害の問題は、一般精神科医療においても、アディクション医療においても「非典型例」としてあまり注目されてきませんでした。その背景には、ある迷信が影響しています。どうも精神科領域伝統的に一般のメンタルヘルス患者とアディクション患者とは別カテゴリー、いや、それどころか相互排除的であるという、暗黙の了解があると思えてならないのです。

この暗黙の了解は、そしてある患者さんにアルコールや薬物の問題が少しでもあれば、ろくに話も聞かないうちに、「うちでは診れません」「うちの治療対象ではありません」と依存症専門病院送りにするあたりに垣間見えます。あたかも「一般のメンタルヘルス患者は『よい患者』、一方、アディクション患者は『悪い患者』」といった区分があるかのごとくです。

もちろん、これは迷信です。何らかのメンタルヘルスの問題を抱えているということは、それだけで依存症罹患脆弱性があり、「自己治療」への潜在的ニーズがあることを意味します。まあ、あたりまえです。何の心配事も不安もなく、自分に満足している人よりも、不安や緊張、焦りに苛まれている人の方が同じアルコールや薬物がもたらす効果を強く体験するものだからです。

実際、注意深く一般精神科の患者さんたちを観察していると、彼らもまた実に様々な精神作用物質をひそかに、しかし日常的に使用しています。

たとえば、統合失調症の患者さんたちってすごく喫煙率が高いですよね。デイケアや地域作業所では、そうした当事者の方たちが喫煙所に集って濛々と白煙を上げています。なかには、いつもタバコを根元まで吸うせいで指先が黒く焦げ、指が「備長炭」化している人もいます。

それから、みんなとても濃いコーヒーを飲みますね。インスタントコーヒーの粉と砂糖をたくさん入れて、黒くドロドロした重油のような液体を飲んでいます。

ニコチンもカフェインもともにアッパー系のドラッグです。おそらく彼らは統合失調症の陰性症状(意欲が出なくて何事も億劫になる持続的な症状)や、服用する抗精神病薬の鎮静作用に必死に抗っているのだと思います。

女性の患者さんも意外なほど喫煙率が高いです。

なかでも、摂食障害の女性で目立ちます。ときどき病院敷地外で、診療を終えたのでしょうか、一見すごく清楚な感じの痩せた若い女性患者が、割り箸のような脚で仁王立ちして喫煙する姿を見かけます。彼女たちは、気持ちよさそうにタバコの煙を深々と吸い込むや否や、鼻孔からブルーインパルスのような白煙を勢いよく噴出しています。体型にそぐわない力強さを感じます。

それから、待合室では無糖ブラックのアイスコーヒーのペットボトルを抱え、がぶがぶと飲んでいます。おそらくニチコンやカフェインというアッパー系ドラッグの食欲抑制効果を使って、自身の過食衝動に対する自己治療を試みているのでしょう。

トラウマ関連問題を抱えている女性患者さんのなかには、フラッシュバックやそれに付随する自己嫌悪や希死念慮を打ち消すために、アルコールで自己治療している人がいます。決してお酒が好きなのではなく、あくまでも治療薬として必要としているので、種類や銘柄にはこだわりません。最優先事項はコスパです。ですから、しばしば飲むお酒は、なんともいかつい『俺とおまえと大五郎』だったりします。

やはり喫煙率も高いです。北米先住民が発見したナス科の植物タバコは、ちょっと不思議な万能薬です。浅く早く吸煙するとアッパー的に、そして深くゆっくり吸煙するとダウナー的に作用するのです。こうした特徴を活用して、フラッシュバックが引き起こすつらい時間を意識の中で一時停止したり、あるいは、早送りしたりして、いまを生き延びるのに少しだけ役立てています――ま、長期的には寿命を縮めているわけですが。

そう考えると、にべもなく「お酒をやめなさい」「タバコをやめなさい」と口にする医療者は、本当に罪深い人たちだと思います。健康ファシズムですよ。だって、これらの不健康な嗜好品――そして身近なドラッグ――を必要とする背景には、こうした、ささやかだけれども真剣な当事者の自己治療の試みがあるわけですから。

重複障害の課題

再び重複障害の話に戻ります。

重複障害は、精神科医療の現場で軽視ないしは無視されますが、障害福祉制度でも雑な扱いを受けがちです。

精神障害者手帳や障害者年金における障害程度の等級判定の際、たとえば「うつ病」とか「統合失調症」に加えて、「アルコール依存症」や「薬物依存症」といったアディクション関連の診断名を併記すると、しばしばとても不利な状況に立たされます。低い等級に判定されてしまうことがままあるからです。つまり、主診断であるうつ病や統合失調症を、アルコールや薬物問題の後遺症――「自分で蒔いた種」的な自己責任論――と勝手に判断されて障害福祉サービス対象から外されてしまうことがあるのです。

それだけではありません。医療からも排除され、それが時に命に関わることさえあります。

以前、私は自殺既遂者の実態調査――心理学的剖検といって、自死遺族の方を情報源として自殺既遂者の生きざま、死にざまを詳細に調べる研究――をしていました。

そのなかで、アルコール依存症に罹患する自殺者が相当数いたのです。しかも、その多くは名だたる依存症専門病院での治療歴がありました。ただし、ほとんどすべての事例が重複障害の方でした。そして、併存精神障害の影響で集団場面が苦手で、専門病棟の集団療法プログラムに適応できず、「うちの対象ではない」と匙を投げられて、一般精神科へと紹介されていました。

そこから先が不幸な展開でした。一般精神科では、今度は「うちではアルコール依存症がある人は診れない。まずは依存症治療を受け、一定期間断酒してからうちに来てほしい」とやはり断られてしまうわけです。最終的に、精神科治療を中断しているなかで自殺が起きていました。

今日、重複障害の治療は、依存症と併存精神障害とを別々に治療するのではなく、双方を同時に治療するのが最も効果的であると明らかにされています。しかしわが国では、精神科医療の専門家・細分化が進んだ結果、重複障害の人が治療・支援の谷間に落ちて命を落としている現実があるのです――とても悲しいことだと思います。

「困った人」は「困っている人」

アルコールや薬物、ギャンブル、ゲームといったアディクションって、自然寛解する人がけっこういると思います。逆に、自然寛解せずに治療や支援の現場にアクセスするのはどんな人かといえば、やはり重複障害の方、アルコールや薬物で自己治療を続けてきた方です。こう言い換えてもよいでしょう。依存症という世間的には「困った問題」を抱えていた人の多くが、実は問題の背景に「困りごと」を抱えた「困っている人」なのだ、と。

そういう意味では、近年、違法薬物なみに疎んじられているタバコだって、生き残り戦術として用いている人はいるはずです。おそらく私もその部類です。思えば、根っからの陰キャで対人恐怖気味の私にとって、精神科医という高負荷接客業は、そもそも能力を超えた仕事なのでしょう。診療――多くの人の視線に曝され、他者の話に自身を差し出し、サンドバッグとして打ちのめされること――の後、タバコの煙幕と口唇愛的自己刺激の世界に逃げ込むひとときは、脆弱な私が自分を取り戻す大切な時間です。

それを知らずに、頭ごなしに「やめろ」という同業者はたくさんいます。大抵は、「やめないよ。俺、意志が強いから」と軽くいなしますが、虫の居所が悪いときには反論することもあります。

「おまえは医療者として、糖尿病患者に『インスリン打つな』とか、甲状腺機能低下症患者に『甲状腺末をやめろ』っていう? 俺にとってはそれと同じなんだよ。残酷じゃない?」

まあ、いかにもクズ医者っぽい屁理屈ではありますが。

なるほど、依存症専門医のなかには、自らも私生活において禁煙や断酒を実行し、その経験を患者指導に生かすという人はいます。実際、駆け出し時代、医局で喫煙しているときに、ある先達から諭されたことがあります。

「禁煙すれば、好きなものをやめる患者の気持ちが理解できるよ」

そのとき私は、「妙な話だな」と訝しく感じたのを覚えています。というのも、その先達の診察室からはいつも説教の怒声が漏れ聞こえていたからです。そして、先達の白い眉毛をまじまじと眺めていると、不意に私の頭蓋骨のなかで何かが「カチリ」と音を立てたのです。

「そういうことか」

その瞬間、私は、あえて『やめられない依存症専門医』という立ち位置でいこうと決意したのでした。

〈担当編集より〉

前回、マコトさんから精神疾患の「併発」の問題が提起されました。マコトさんご本人が発達障害と依存症を併発している当事者でもあります。本連載では、依存症の背景には「自己治癒」があることが繰り返し強調されてきました。今回、その具体的な実態がトシさんの臨床経験によって、その一端が明らかになったと思います。

かくいう私も「依存症」とは診断されていませんが、朝昼夕3杯のコーヒーと甘いもの、週1回以上のお酒がないと生きていけず、「依存」しています。「依存」の原因の大抵は仕事のストレス、時々フラッシュバックする幼少期の宗教2世としての体験のせいです。コーヒーには飲みすぎるとカフェインのせいで体調が悪くなりますし、今年の健康診断で数値が芳しくなく、少し甘いものを控えるように注意されたのですが、そうでもしないとやってられない日があります。自分が「依存物質」に頼りすぎてしまう性質があることは自覚しているので、タバコとCBD、効果が高いわりに短時間で終わってしまうような処方薬には近づかないと心に決めています。

しかし私が「依存物質」に対して抑制的な態度で済んでいるのは、マコトさんが薬物に手を出さないのと同様で「偶然」に過ぎないのです。人間は何かしらに「依存」することを必要としている一方、それが当事者や支援者をあまりに傷つける「依存症」になってしまっては、あまりに弊害が大きくなってしまいます。なので、「重複障害」の当事者が医療機関をたらいまわしにされた挙句、治療から脱落してしまうという悲しい事態を防ぐと同時に、依存症という「病気」になってしまう前に、「重複障害」となって問題が複雑化する前のアプローチというのも、切に求められることになるでしょう。

次回の更新は、10月12日(木)17時予定。マコト(横道誠さん)からのお返事です。

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
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  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
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  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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