酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第6回

「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

至るところにある回復のコミュニティ

お返事ありがとう、マコト。

「アディクションの治療が「回復のコミュニティ」を発見したのは、アディクションにとってだけでなく、精神医学全体にとって大きかった、と語られる日が来てほしい」

今回は、このマコトの夢の話からはじめます。

私が思うに、マコトの夢は実現一歩手前まで来ている、いや、私たちはすでにその段階に鼻先を突っ込んでいると感じています。この数年で、当事者研究やオープンダイアローグといった、当事者のナラティブを大切にする活動が注目されているのは、何よりの証拠でしょう。

最近私は、『集まる場所が必要だ 孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』(エリック・クリネンバーグ 著, 藤原朝子訳, 英治出版, 2021)という本を読みました。この本で著者は、人々が集う場――公園や図書館、カフェなどの街の中の様々なスペース――と、そこで醸成される濃淡様々なつながりが、人々のレジリエンスを高め、命を守るという事実を、様々な災害や公衆衛生的危機を例に挙げて明らかにしています。

著者が指摘する「集う場」こそが、回復のコミュニティの必要条件ではないでしょうか? それは必ずしも物理的空間とは限らず、マコトがやっているように、オンラインという仮想空間上の交流にも同じ機能が期待できるように思います。

私は回復のコミュニティをかなり広義に捉えています。たとえば、今日、SNS上には、リスカやOD(オーバードーズ)を主題とするコミュニティが多数存在していますが、これとかも回復のコミュニティの一種ではないでしょうか? 確かにそれは、ときに当事者を危険に曝す負の側面も孕んでいますが、それでもなお、孤立から脱する肯定的効果はあります。個人的には、近年、若者の市販薬ODや「ストゼロ」乱用のメッカと化している、歌舞伎町トー横界隈にさえ、部分的にはそうした機能があるのではないと感じています。

回復のコミュニティとは、「自分だけではないことを知る場」であり、熊谷晋一郎さんの、「希望とは絶望を分かち合うこと」、あるいは、僭越ながら私自身の、「最大の悲劇はひどい目に遭うことではなく、ひとりで苦しむこと」といった言葉が意味するものと、本質的に地続きの何かであると思います。

本当にアディクション治療は進歩的なのか

マコトが指摘するように、こうした「回復のコミュニティ」運動が、アディクション治療に起源を持つことはまちがいないでしょう。その意味では、わが国のアディクション治療は、他のメンタルヘルス分野から頭一つ抜け出ていたとはいえます。

しかし最近、私は、自分たちの専門分野は、油断しているあいだに他の走者に追い抜かれ、いつしか「周回遅れの先頭」になっているのではないか、と感じるようになりました。

もう4、5年前になるでしょうか、私は、アディクションではなく、メンタルヘルス問題全般の当事者を対象とする、「リカバリー・フォーラム」に招かれました。

驚くほどの盛会ぶりでした。会場はたくさんの当事者で大いに賑わっていましたが、興味深かったのは、「幻聴はずっと聞こえているけど薬なんて飲みたくないから病院には通っていない」と誇らしげに語る当事者や、「精神科医が大嫌い」といって憚らない、反精神医学運動家の当事者も参加していました。もちろん、「自分は精神科医療に助けられた」と、精神科医療に肯定的な当事者もおり、両陣営は立場の違いを超えて意気投合し、交流していたのです。

ちょっと痛快な光景でした。おそらく病院では何かにつけて担当医に反抗する、札付きの不良患者と思しき当事者たちがけっこうな割合で混じっていましたが、彼らが実に生き生きと輝いていたからです。それは、診察室ではついぞお目にかかれない、健康的な姿でした。

「ああ、そうだよな。リカバリーってこういうことだよな」と、私は、勝手に得心した気分になったのを覚えています。

翻ってアディクション分野を眺めてみると、どうでしょうか? 私にはちょっと違う気がするのです。というのも、アディクション領域の当事者として人前で話す人は、決まって自助グループのオールドタイマー(長年にわたって断酒・断薬を継続している人)や、ダルクなどリハビリ施設の職員をやっている人たちだからです。

そもそもAAやNA、あるいは断酒会といった自助グループは、酒やクスリを一切使わない生き方を目標とする自助グループです。当然、「俺は節酒でやります」とか、「クスリはやめますが、酒は続けます」といった人は、そこに自分の居場所を見つけられません。

実は、自助グループのなかにも、見えないヒエラルキーが存在します。断酒・断薬年数はそうしたヒエラルキーの最もわかりやすい指標です。より抽象的な指標として「回復」という概念が乱用、悪用されることもあります。「あいつはまだ回復していない」という言葉が、他者を非難したり、相手にマウントをとったりするために使われることがあるのです。そんなわけで、長く断酒・断薬を続け、自助グループ内で一目置かれていた人がスリップしてしまうと、気まずさや恥辱感に耐えきれず、次第にグループから離れ、孤立してしまうことがあります。

要するに、アディクション分野の「当事者」とは、必ずしもアディクション当事者すべてを代表しているわけではないのです。少なくとも、「何があっても断酒はしたくない人」は、「当事者」とは見なされません。薬物依存症の場合はいっそう深刻です。「ダメ。ゼッタイ。」啓発の影響で、「絶対にアカンことをしている人」として扱われ、声をあげることも許されない。結局、この分野の「当事者」とは、私たち医療者にとって都合のよい人ばかりとなります。

これっておかしくないですか? だって、すでに治療者陣営に寝返った人だけを当事者と呼ぶわけですよ。これじゃまるで、官公庁の委員会で見かける、「とりあえず広く意見を聞きました」的証拠づくりのために召喚される、「仕込み当事者」じゃないですか?

回復とは、決して単に酒やクスリをやめることではなく、等身大の自分を受け入れ、気負ったりつま先立ちしたりしない、楽な生き方を手に入れることだと思います。たとえばアディクション治療の現場では、「消えたい」「死にたい」という気持ちを紛らわせるために酒やクスリを使ってきた人が、気合いと根性で断酒・断薬した結果、自殺に追い込まれる――なんて事態にときどき遭遇します。この場合、断酒・断薬は少しも回復に貢献していません。

私は、周回遅れのアディクション分野が再び先頭集団に追いつくには、このあたりの問題を何とかしないといけないと思っています。

ハームリダクションとは何か

より広く、もっと包摂的な意味での「当事者」支援を考えるならば、ハームリダクションという公衆衛生政策理念を抜きにはできません。

従来の薬物政策は、サプライリダクションとデマンドリダクションの2つだけでした。つまり、コミュニティに対する薬物供給量を低減し(課税・流通管理・販売規制・末端使用者取り締まり)、さらに、人々の薬物に対する需要を低減する(乱用防止啓発や依存症治療)ことで、コミュニティ全体の薬物使用量低減を目指すものでした。

ところが、こうした薬物政策では、社会の偏見や差別意識が広がり、当事者を孤立させてしまいます。また、専門治療を受けたからといっても、長期の断薬を達成する人は一部です。

そこで、必要となるのがハームリダクションの考え方です。ハームリダクションとは、世の中には薬物使用を続ける当事者が必ず一定数いることを前提として、薬物使用を減らすのではなく、薬物使用による二次的な弊害を低減することを目指します。具体例を挙げると、感染症拡大防止のために清潔な注射器を無償配布し、安全な薬物が使用できる注射室を設置し、比較的害の少ない代替的薬物を投与するなどです。

それから、違法薬物使用・所持の非犯罪化(違法ではあるが罰は与えないこと)することで、当事者の治療アクセスを高めるとともに、収監による社会的孤立を回避させます。また、当事者が偏見・差別の対象とならないよう、たとえ薬物乱用防止の美名のもとであっても、当事者をゾンビやモンスターのような恥辱的表現で描写しないことを呼びかけます。

前出のクリネンバーグも著書のなかでハームリダクションに言及しています。つながりが強力なコミュニティに暮らす人は、薬物依存症に陥るリスクが低く、他方で、社会的に孤立している薬物使用者は、薬物の過量節酒で死亡するリスクが高い――そう指摘しています。

たとえばスイスでは 1970年代以降、ヘロイン使用者が急増し、過量摂取による死亡者が急増しました。これに対して、当初、スイス政府は取り締まりの強化や厳罰化を進め、公共の場から薬物使用者を排除しましたが、事態は悪化する一方でした。

そこで、スイス政府は大胆な政策転換を図ることにしたのです。まず、ヘロインの使用・所持に対して刑罰を科すのをやめました。そして、ヘロイン使用者の命を救うために、彼らに安全な量のヘロインを投与することにしたのです。医療機関できちんと管理するかたちでヘロインを処方するのです。そのヘロインは、依存症に陥っている人が離脱症状をおこさない程度には十分な量で、それでいて、決してハイにならない程度の少量です。

この政策転換は大成功で、ヘロイン使用で死亡する人の数が劇的に減少しました。同時に、医療機関でヘロインを処方してもらいながら生活上の困りごとを相談するうちに、本気でヘロインをやめたいと考えはじめ、依存症治療につながる人も出てきました。そして不思議なことに、一般国民におけるヘロインの生涯経験率までもが低下したのです。

英国では、断酒困難なアルコール依存症のホームレスを対象として、興味深いハームリダクション支援が行われています。それは、「炊き出し」の場で毎回少量のアルコール飲料を無償でふるまう、というちょっとびっくりする支援です。ただし、アルコール飲料を受け取るためには、タンパク質やビタミンなどの栄養豊かな食事をとることが条件です。配布されるアルコール飲料は少量なので、ホームレスは毎日炊き出し並ぶ必要があり、当然ながら、結果的に、毎日、栄養豊かな食事をとることとなるわけです。

この試みは、ホームレスの肝硬変罹患率と死亡率を劇的に低下させ、何よりもアルコール依存症治療をはじめとする様々な支援につながるホームレスが増加させています。

要するに、従来の、「何が何でも飲酒はダメ」というスタンスの支援では、支援者が当事者とアルコールについて率直に話し合う機会が失われてしまいます。それが分断を生み、当事者の孤立を引き起こすのです。

回復のコミュニティに必要なものは

薬物の怖さを証明するために、かつてよく行われた実験があります。ネズミを一匹だけ檻のなかに閉じ込めて、ネズミの頸静脈に点滴の針を刺入し、ネズミがレバーを押すと、点滴のボトルから麻薬がネズミの血管内に投与される、という装置を用いた実験です。その装置に入れられたネズミは、当然ながら日がな一日レバーを押し続け、最後は死んでしまいます。確かにこの実験の話を聞けば、誰でも薬物の怖さを痛感することでしょう。

しかし、私たちはこうした確信犯的な疑似科学に騙されてはいけません。というのも、ネズミが薬物依存症に陥ったのは、麻薬のせいではなく、「檻に閉じ込められていること」、すなわち、孤立のせいだったからです。実際、ネズミを仲間たちと一緒に十数匹で過ごせる快適な環境に置くと、麻薬にはまったく見向きもせずに、仲間たちとじゃれ合ったり交尾したりすることがわかっています。たとえ、以前、檻のなかで麻薬漬けになり、「麻薬のよさ」を知っているネズミであっても、麻薬よりも仲間を選ぶのです。

この事実は、アディクションの本質が孤立にあることを示唆するとともに、回復のコミュニティが持つ治癒力がどこに起源するのかを教えてくれます。さらには、「問題を抱えている人を孤立させない」というハームリダクションの正当性をも裏づけてくれます。

ただし、「同じ問題を持つ人とつながる」だけでは不十分です。回復のコミュニティは公平で、参加者全員が対等である必要があります。少なくとも「断酒・断薬××年」といった理由からマウントしあったり、ヒエラルキーが生じたりすべきではありません。

これにも参考になる動物実験があります。サルの集団を「麻薬使いたい放題」の檻のなかに置いておいたら、集団内のヒエラルキーによって麻薬摂取量に違いがあることが明らかになりました。集団トップに君臨する「支配者のオス」は麻薬をまったく摂取しなかった一方で、ヒエラルキー最底辺の「奴隷のオス」は集団内最大の麻薬消費者となっていたのです。おそらく彼らは、屈辱感や欲求不満をなだめるために、たくさんの麻薬を必要としたのでしょう。

そう、ヒエラルキーは回復とは正反対の要素なのです。

……なんてことを書きながら、私は、ニコチン依存症者(喫煙者)界隈に漂う、あの殺伐とした雰囲気を思い浮かべ、いささか暗い気持ちになっています。なぜ殺伐としているのかといえば、喫煙者に最も苛烈に対峙するのは、生まれてから一度も喫煙したことも、喫煙しようと考えたこともない人ではなく、「元喫煙者」だからです。

いまだに喫煙を続け、少なくとも現時点ではタバコをやめる気持ちなど微塵もない私は、日常的に元喫煙者からのドヤ顔マウントに遭遇しています。のみならず、禁煙のすばらしさ、はては禁煙の極意について、「上から目線」という放射能つきの説教にまで曝露されています。

つい先日も職場の健康診断で、健診医から、「タバコを吸うのは、ニコチンという薬物の依存症なのですよ」と頭ごなしに説教され、彼の禁煙成功談を聞かされました。「その依存症に関する講釈、誰に向かって垂れているのかわかってんのか、こいつ」と、内心憤りを感じつつも、その場では健診医を上目遣いで睨むだけに留めておきました。

これらの説教は私の禁煙への動機づけには完全にマイナスに作用します。むしろ陰鬱な情熱が鎌首をもたげ、私は、「意地でも止めるものか」と決意を新たにするだけの話です。

残念な話ではあります。少なくとも人生のある時期には同じものを愛した者同士なのに、この深い分断は一体何なのか、何が原因なのかと、悲しく感じる今日この頃です。

〈担当編集より〉

担当編集が高校生~大学生くらいの頃でしょうか。「メンヘラ」というネットスラングが流行り始めました。「メンタルヘルス」(心の健康)の略語で、 「感情の浮き沈みが激しく、心が不安定な状態の人」を指す言葉です。この言葉の流行と同時期に、メンタルヘルスの問題や対策の知識やノウハウが人口に膾炙していきました。もちろん今まで不可視化されてきた課題が発見されることには、いいこともたくさんあります。一方で、「自己肯定感」や「認知のゆがみ」といった言葉が都合良く当事者をバッシングするために乱用・悪用される「セラピースピーク」の例も目に付くようになりました。トシが語る断酒会や禁煙者によるマウント合戦はそのことを想起させます。

このような問題を解決するために、今後、より複雑な当事者イメージへの更新や新しい当事者・支援者の語りが求められるのかもしれません。

次回の更新は、9月14日(木)17時予定。マコト(横道誠さん)からのお返事です。

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
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  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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