酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第7回

当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

美化できない当事者たち

 前々回、発達障害治療の現場でも自助グループが基本装備になってほしい、発達障害の支援者はアディクション治療の現場に見習うべきだと私は書いたのだった。これは精神科医より格下の存在と位置づけられるのが一般的な「患者」を、「当事者」という対等の相手として処遇してほしいという願いだったとも言えそう。

 それで、前回はトシがじつはアディクション治療の現場は「周回遅れ」になっているという危惧があると吐露してくれた。トシはつくづくまともな人だと思う。じぶんたちの現場の問題点にちゃんと視線が向いている。私は患者/当事者だから、むしろ自助グループ活動をしている人たちのうちに、専門家(精神科医、心理士など)を侮る人がいることが気がかりにしてきた。トシと同じく、「じぶんたち側」の難点が気になるということかもしれない。

 このような「驕り」は、アディクション治療と連動したアノニマス系の自助グループではなくて、アノニマス系の流派から切れた集団の傾向だと思う。AAとかだと「じぶんの無力を認める」ことが出発点になるから、自助グループへの参加者も謙虚な傾向が強いと思う。トシが書いていたように、「断酒・断薬××年」と誇示してマウントを取りあったり、ヒエラルキーめいたものが生じたりがあるとしても。アノニマス系でない自助グループは、「無力を認める」が前提ではないから、もっと傲慢な印象の言説空間になってしまうことが多い。じつは私は、この点で「無力を認めるAAとかは立派だなあ」と思ってしまうところがあるんだ。

 ぶっちゃけて言えば、じぶんにも傲慢さはいつもすぐに芽吹いてきて、それで失敗をした経験が多いから、そういう感慨を抱くことが多いのだと思う。古代のギリシア文学には、優れた男女がヒュブリス(傲慢さ)に取りつかれ、神をも恐れぬ不遜さを発揮して大暴れし、手痛い罰を受けるというものがよくあるけれど、ああいう作品にはいつも学ぶところが大きいと思ってきた。『聖書』にあるバベルの塔の逸話も同じ。唯一絶対の神すら恐れず、人間の領分を超えて天に届かんとする建造物を作り、激怒した神によって破壊される。愚かな人々は言語を混乱させられて、散り散りになっていく。子どもの頃の「聖書研究」は嫌で仕方なかったけど、「創世記」あのあたりの内容には、じぶんのふだんの失敗が身につまされて、腑に落ちた。

 だから発達障害の仲間たちには、「患者」としてうなだれて惨めな気分で生きるのではなくて、「当事者」としてしゃんとしてほしいと思いながらも、「じぶんたち当事者が医者やカウンセラーよりもよっぽどわかってるんだ」と不遜な態度を取る人たちがいることには、いつもため息をついてしまう。そんなことをしたら、専門家はよけいに当事者に対してうんざりするだろうと思って。よけいに支えあえなくなる。一口に当事者と言っても、個性は千差万別なのだから、美化できないのは確か。

 トシが書いていた「仕込み当事者」という言葉には、なんとも言えない気分になるね。私も「発達障害当事者」や「宗教2世当事者」という立場でマスメディアに露出したり、寄稿や講演を頼まれたりすることがあるけれど、私にしても「都合の良い当事者」という位置づけかもしれない。医療や福祉は専門外だけど、文学研究という専門分野でプロだという矜持を保っている。専門外の分野で、専門家ヅラした発言を垂れながすこともないし、一方で根が真面目だから、専門外ながら医療や福祉のことを熱心に勉強していて、トンチンカンな内容を迂闊に口にすることも少ない。でも、そんな私はやはり特殊だと思う。だから私が「当事者代表」みたいな感じで露出しているのを、なんとも言えない気分で眺めている発達障害者や宗教2世もいるんだろうなと不安になる。

 この問題はいつも懸案の種で、だから私の本はじぶん自身を掘りさげる形式のものだけでなく、ほかの当事者にインタビューしたり、多数の当事者の経験をフィクションとして再構成したりする形式を選んでるんだ。読者たちが「発達障害者というのは/宗教2世というのは横道誠みたいな人」と思いこんだら困るなって思っているから。今後もそういうポイントは守っていけるといいなあ。

 ところで、当事者同様に美化されがちなアディクションの自助グループについて、トシが書いてくれたこともほんとうに重要だと思った。「AAやNA、あるいは断酒会といった自助グループは、酒やクスリを一切使わない生き方を目標とする自助グループです。当然、「俺は節酒でやります」とか、「クスリはやめますが、酒は続けます」といった人は、そこに自分の居場所を見つけられません」。「長く断酒・断薬を続け、自助グループ内で一目置かれていた人がスリップしてしまうと、気まずさや恥辱感に耐えきれず、次第にグループから離れ、孤立してしまうことがあります」。新しいアディクション理解に即した新しい時代のための自助グループが求められていることは明らかだね。

 そのようなグループは、なによりもハームリダクションの考え方を採用していることだろう。「断酒・断薬する?/命を捨てる?」みたいな強烈なゼロ百方式でなくて、「安全な仕方で摂取する/安全でなければ摂取しない」というやわらかな方針を核にしていること。人間は誰でも個人として白か黒かでは割りきれない灰色の特徴を持っている。そのような個人と、同じく白か黒かでは割りきれない人間社会の折りあいが勘案されるグループでなくてはならない。酒や薬を摂取したい欲望を許容しつつ、ずるずると「なんでもあり」にはしないという線引きがあること。そのような「可能性としての新たな自助グループのかたち」が、もっと広く議論されるべきだと思う。AAはよくできた組織だけど、もう歴史が100年前後になっている。老朽化がチェックされないといけない。

 そもそも人間はみんな不完全だ。26歳で亡くなった女性詩人・金子みすゞの童謡に「私と小鳥と鈴と」という有名なものがあって、「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」と歌われる。とてもすてきな詩だけど、私が仲良くしている発達仲間(発達障害の当事者仲間のこと)は、「発達障害者はみんな違っていて、みんなダメ」と言って、笑っていた。でも究極的には人間がみんなそうだ。「みんな違っていて、みんなダメ」。その真実の姿をお互いに許容するような自助グループが生まれてほしい。そしてできるならば、自助グループだけでなく共同体にもそういうものが増えて、社会もそうなってくれたらと思う。

アディクションの対象とのつきあい方、複数の精神疾患とのつきあい方

 前回トシが書いてくれた外国でのハームリダクションの実例は、とても刺激的なものだったね。感染症の拡大を防止するために、清潔な注射器を無償で配布して、比較的安全な代替薬物を投与するとか。ヘロインでも離脱症状を起こさない程度の分量を、しかしハイにならないように調整して投与するとか。そういうのに加えて生活上の困りごとの相談に乗ることで、アディクションから抜ける人が増えたとか、薬物乱用の経験率も下がったとか。タンパク質やビタミンなどの栄養豊かな食事をとることを条件として、ホームレスにアルコール飲料を提供するとか。

 結局はアディクションとじょうずに付きあうようにすることで、アディクションが致命的なものではなくなる。そのじょうずな付きあいから、アディクションと「ご縁がなくなる」チャンスも出てくる。この考え方には大きな希望がある。だから薬物乱用防止という錦の御旗があっても、当事者をゾンビやモンスターのような恥辱的表現で描写してはいけないというのも、よくわかる。そんなことをされたら、その屈辱感から自暴自棄になってアディクションにズッポリのめりこむことになるだろうから。私はレトログッズが好きだから、ヒロポン(かつて日本で市販されていた覚醒剤)のポスターを骨董市で見かけたことがあるけど、暗黒のなかで体をぐにゃぐにゃに曲げて倒れている人がいて、その上に髑髏が乗っかっている。まわりには「犯罪」「精神病」「廃人」という言葉が掲載されていて、文字どおり禍々しい印象ポスターだった。あんなふうにして薬物乱用の当事者にレッテルを貼りつけてしまったら、その人は気持ちがクサクサして、よけいにひどい方向に突っ走ってしまうだろうね。

 トシは笑いのセンスも抜群にあるから、「「その依存症に関する講釈、誰に向かって垂れているのかわかってんのか、こいつ」と、内心憤りを感じつつも、その場では健診医を上目遣いで睨むだけに留めておきました」の部分は爆笑してしまった。まあ、説教は悪手の代表ですよね。私が主宰している自助グループでも「説教しない」は基本ルールとして採用しています。以前、発達障害者支援センターや障害者職業センターで、酒との関わりをよくたしなめられたんだけど、「思いやりで言ってくれてる」とはよくよく理解していながらも、「どうせお前らにはわからねえよ」という反発も強かった。「おまえらもトラウマで毎日のたうちまわるくらい苦しむようになってから、言ってこいよ」って思った。アメリカの禁酒法の時代だって、酒の密造は激増し、結果としてマフィアは以前の時代より暗躍するようになってしまった。欲望を強制的に抑止しようとしても反動が来るだけだ。

 ホームレスに栄養たっぷりの食事つきでアルコールを提供するという話は、日本の学校でコンドームを配るべきかどうかという論争をなんとなく思いださせるとこもろある。私はじつはこの考え方には、否定的な立場だったんだ。否定派の多くが不安視するように「寝た子を起こす」ことになるのではないかと思って。でも、その結果として望まない妊娠をする女子がいて、中絶をしたり、トイレでひそかに出産して赤ん坊を殺したりすることになる。孕ませた男子のほうは「射精責任」を放棄する。それなら、コンドームを配ったほうがよほど良いだろう。

 ウェブサイトの集英社オンラインで「コンドームは子どもたちの遊び道具!? 驚くべきオーストラリアの性教育事情」という記事を読んでみたら、おもしろい現地情報がいろいろ載っていた(https://shueisha.online/culture/54001)。オーストラリアでは性教育が日本よりも広く捉えられているらしいんだけど、たとえば女子生徒がメイクをしてきたら、日本みたいに「化粧禁止」と一蹴しないで、理由を尋ねて、「やるならもっとメイクの研究をしてから、レベルが高いものを」と指導する。これはとても良いと思ったね。私も女性たちから高校までは「メイク禁止」なのに、大学からは「メイクするのが当たり前」になることへの不満を何度も聞いたことがあるから。

 そしてスーパーでは子どもがコンドームを買えて、風船みたいにふくらませたり、水を入れたりして遊んでいるとか。避妊具としてよりも先に、生活空間のうちにある身近なものとして触れさせる。そのあと、学校で正しい使い方を教えるそうだ。その記事を読んでいると、私はどうしてじぶんが学校でコンドームを配布することに否定的だったかわかるような気がしてきた。「そんないやらしいものを教育の現場で配布するなんて」と眉をしかめていたわけ。それ自体が私の「性」に対する偏見なんではないだろうかと思いいたった。さまざまなスティグマを私たちの心から洗いおとしていくことで、もっと多くのことがうまくいくようになるじゃないだろうか。酒や薬などのアディクション対象につきまとうスティグマも、もちろんそこに含まれる。

トシはコミュニティの確保によってアディクションの問題が改善すると詳しく書いてくれたけど、私はじつはその問題でいつも悩んでいるんだ。これをトシ宛の書簡で書くのは、まさに「釈迦に説法」で恥ずかしいんだけど、アメリカの調査だとADHD者の15.2%にアディクションが併発しているとのこと(https://www.ncasa-japan.jp/notice/duplicate-obstacles/developmental-disorder)。PTSDがあると、酒および薬物のアディクションを併発する割合は46.4%に達し、タバコの習慣がある人も37.9%だとか(​​https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3051041/)。

発達障害やPTSDに苦しんでいる人たちは、アディクションに対して非常に親和性が高いんだけど、困ったことにそういう人って、私を含めてコミュニケーションに困難を抱えていることがほとんど。ADHDが災いして人間関係が破綻しやすい、フラッシュバックが苦しくてまともな対人交流を営めないなどの苦労がある。そういう問題を抱えながらも、どうやって社会と協調していくかが私たちの課題になり、どうやって自助グループから脱落しないかを悩んでいる。結局は、これらの課題を解決するのも、新しい自助グループが鍵になるのかもしれないけれど、私みたいにたくさんの自助グループをやっていても、なかなかスカッとした見通しを得られない状況なんだ。このように精神疾患の「併発」の問題についても、アディクション治療の議論でもっと語られていくと良いなと思う。私が勉強不足なだけかもしれないけど。

次回の更新は、9月28日(木)17時予定。トシ(松本俊彦さん)からのお返事です。

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
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  19. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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