酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第13回

自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

最近のマコト状況

 トシ、ありがとう。トシに依頼された『「助けて」が言えない』(松本俊彦編、日本評論社)が無事に刊行されて、喜んでいます。 この記事を書いているいまは九月の終わり頃、とんでもなく暑い夏がじわじわしぼんできてうれしい思いもあるけど、私には冬季鬱(冬ごとにかかる季節性の鬱状態)があるから、戦々恐々としてもいます。若い頃は、クラスメイトに「おまえ、プロ野球のシーズンだけ元気やなあ」なんて言われていました。3月からだんだん元気になって春、梅雨、夏、台風の季節くらいは安定するけど、11月あたりにメンタルがガクッと悪化。晩秋から冬の終わりまでは心が冬眠状態に入ってしまうわけです。

 その不安に怯えつつ、今年はバリバリと仕事をしました。今年は、いまの時点で単著5冊と編著2冊を刊行済み。年内にまだ数冊単著や共著を刊行する予定があります。夏休みの2ヶ月は、3冊分の単行本の第1稿と学術論文2本を書くことができました。今年刊行した本のうち、1冊は博論をもとにした10年がかかりのグリム兄弟研究、別の1冊も5年がかりの村上春樹研究だから、2023年は私の研究人生のなかで「キャリアハイ」だと思います。

 私は結婚していなくて、子どももいないから、余計に執筆に力が入ってしまうんですね。じぶんの考えを詰めこんで、それを世に送りだせば、誰かの心に残っていく。数十年後にも誰かが読んでくれるかもしれない。そうしたら、じぶんの精神的遺伝子が後世に伝わっていくと言うことになる。

 それから、40代半ばに入って、性欲がガクッと落ちてきたので、じぶんが肉体的になかばインポテンツになっているのを残念に思い、せめて精神的にインポテンツでないようにしようと思って、「生産性」のある活動に耽ってしまうという背景もありそうです。ここにはアディクション的な気配がありそう。

 思えば不思議です。私は自慰をすることに関しても、いわゆるアナニーによる前立腺刺激が好きで、妄想のなかでは男性として男性に犯されたり、女性になって女性に愛撫されたりする「受動的」内容を好むし、男が妊娠できたらおもしろいと思っていて、つまり「受胎力」のようなものに憧れがあるのに、実際にはじぶんに備わっているのは女性器でなくて男性器なので、結局はじぶんの「勃起力」の低下にクヨクヨしてしまう。性の問題とはつくづく因果なものです。子どもを欲しいと思う気持ちは、昔からかなり低いのですが、じぶんの「射精力」の浮き沈みにそわそわする。

 トシとの往復書簡、第1回は事前の打ちあわせのあと、2時間くらいで納品したことを覚えています。そのあとも基本的には編集者の藤澤さんを介してトシの返信を受けとったら、原則として私からの返信は即日納品、遅くとも翌日納品を貫いてきました。それも「書くことまでインポになったらどうしようか」という不安に裏打ちされているわけですね。このインポテンツ問題が、私にとって最近の懸念のひとつです。

 暗い気分を拭いさるために、積極的に食べたり酒を飲んだりするわけですが、3週間ほど前にコロナウイルスに感染してしまって、飲み食いにも支障が出ました。感染した場所は精神科のクリニックだと思います。待合室にいるとき、フッと鼻の奥の香りに違和感が生まれました。それから数日で高熱が出て寝込んでしまい、当初は「風邪かな?」と思っていたのですが、急に何を食べても口のなかが漢方薬のような味わいになって、「ああコロナ感染か」と気づいて、内科を受信しました。

 その数日のあいだ、漢方薬風味の食べ物はまるでおいしくないし、酒も味はするけど、おいしさが脱落してしまった。私は病気になっても酒を飲みます。18歳のときに酒を飲みはじめてから、44歳の現在に至る前で休肝日は合計5日くらいだと思います。そんなわけなので当然のようにコロナ陽性でも服薬しつつ酒を飲むわけですが、おいしくないのが、悲しくて悲しくて。そんな事情からこの9月はすっかりくさくさしてしまいました。そうやって気落ちしながら、著書や論文をバリバリ書きつづける日々でした。

トシが前回、「アルコールは、すべての精神作用物質のなかで 最も他害的行動に関係する薬物だってことはもっと広く知られるべきです。日本は、薬物には異様に厳しい反面、アルコールにあまりに寛容すぎます」と書いていたことには、すなおに同意します。私もアルコール依存症の治療に初めて通う前は、日常での私的発言といい、メールなどでの書き方といい、しばしば加害的だったと認めざるを得ません。休職することになって、発達障害とアルコール依存症の診断を受けて、じぶんのやっていることが「じぶんらしい自然な振るまい」というよりも、むしろ「精神疾患的なもの」だと気づくことで、ふだんの言動を大幅に修正することができました。ですから精神科の診断というのはとてもありがたいものだなあと思うんです。

最近の社会問題について思うこと

 トシが書いていた日本大学の学生による大麻使用の問題。私も同じ観点から𝕏(旧Twitter)で不満を投稿したりしていました。「違反薬物」に手を出したら、公開処刑されて当たり前という社会通念のグロテスクさ。被害者がいる問題でもないのに、謎すぎて仕方ありません。他方で、実質的な犠牲者がいるジャニーズ性加害問題なんかに関しては、事務所の力が強大ということで、マスメディアの報道は恐る恐るという感じになってしまう。バランスを欠いているとしか思えないです。母国のメディア状況が恥ずかしい。

 トシが「コロナ対策において重要なのは、感染者数ではなく死亡者数や重症患者数である」、「薬物対策も同じです。重要なのは、検挙者数ではなく、薬物使用による健康被害や交通事故、暴力事件が増えているのかどうかなのです」と指摘するのにも、まったく同感です。その観点から考えたら、たしかに多くの「違反薬物」は従来のイメージ以上に危険性の低さが、そしてアルコールに関しては、危険性の高さが再認識されるべきなのでしょうね。実際、ほかの先進国ではそのような理解になっているわけですよね? むかしは先進国を中心に世界中あちこちに旅行して、その経験を文藝春秋から出した『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』に書きましたが、最近は海外にもあまり行かなくなったので、状況があまりよくわかっていないところもあるのですが……。

 昔と言えば、ちょうど海外によく言っていた頃、若い熱血教師(笑)として、私は「日本がいかに世界から浮いているか」という問題を教え子たちに訴えることに生きがいを抱いていました。

 たとえばLGBTQ+の問題がまだ日本に入ってきていない頃に、ゼミのメインテーマを同性愛の歴史にしたことがあります。そのときは、「横道先生は授業中にゲイとかレズビアンとかいう言葉を連呼して、それはセクハラじゃないんですか」と疑問をぶつけられたりしました。日本でLGBTQ+が議論になる前だったので、多くの学生には「ゲイ」とか「レズビアン」という言葉で、「ベッドシーン」「性行為」のイメージしか湧かなかっただと思います。

 ほかには、まだ日本のGDPが世界第2位だった頃に、「これから10年以内に中国の経済力は日本を上回ると言われている」と授業で説明して、学生たちから「そんな話は聞いたことがない。中国は日本より経済力がずっと小さいはずだ」と不満を言われたこともあります。実際には、そのようなことを授業で話してから2年ほどで、中国のGDPが日本のGDPを抜いたというニュースが報道されました。

 私が仕事としてドイツ文学やヨーロッパ文化について教える授業をやっていて、国際的観点から見た日本の問題点について口にしてきた経験が多いからこそ、私はトシが語るアルコールや薬物に関する提言に共鳴してしまうんだなと思います。さすがに大学で、「日本も大麻を解禁すべきだ」とか「アルコールへの取り締まりを強化すべきだ」と主張したりはしないのですが。

 ジャニーズのことも、授業で説明したことがありました。ジャニー喜多川が裁判で敗訴して、性加害問題で有罪になったのに、日本のマスメディアはほとんど全面的に黙殺している、そしてその日本社会の「病理」について海外のマスメディアはバンバン報道していると話題にしました。ジャニーズの男性芸能人を愛する女性学生は非常に多いですし、そのときの授業がかなり不評だったのを覚えています。

 最近では、そういう「海外から見た日本」の話を以前ほどやらなくなったのですが、それは海外旅行をあまりしなくなったからという事情もあるし、月日が流れて教え子たち(学部生の授業だけを担当しているので、ほとんどは18歳〜22歳)と年が離れてきて、彼らを煽るのがなんだか可哀想になってきたという事情もあるし、あるいは発達障害の診断を受けて、じぶんの「尖ってるところ」は自閉スペクトラム症の特性に原因があるとわかったので、それをあからさまに見せるのに羞恥を覚えるようになったという事情もあるし、といった感じです。

パンツを脱いだトシに敬礼

 ところで、私からの「大きな宿題」を果たしてくれて、ありがとう。そういえばトシと直接会話したことはまだないから、トシの靴についてあまりよくわかってないんですよね。たしかトンガリ靴を履いていて、それがトシのトレードマーク的なものになっているんでしたよね(第三者から曖昧に聞いた話なので、ぜんぜん違っていたらすみません)。それを信田さよ子さん(ノブちゃんと呼ぶことにしましょう)がそっと踏んで、ソフトな嫌がらせをしていると。このノブちゃんとトシとの逸話について、前々回は思いきって書いて良かったです。「おい横道、オフレコの話を公にすなよ!」とトシから叱られたらどうしようかと心配してました。心配だったらやめておけば良いのですが、私にはADHDがあるから、そういう「言っちゃいけないこと」つい口にしてしまうのです。ノブちゃんの「ヴァギナ・デンタタ」(歯の生えた膣)がトシのトンガリ靴を去勢する。怪獣大戦争みたいで愉快な光景ですよね。ノブちゃんがトシに噛みついている映画風のポスターでも作って、今度ふたりが対談などする機会があったときに、会場に貼ってみると良いのではないでしょうか。

 トシが子どもの頃に、クラスの女子たちから境界線を侵犯されていた物語、マンガになってほしいくらい情景があざやか。子どもの頃は女子のほうが体も心も成長が男子より早いので、怖い印象があったというのは、よくわかります。私もやっぱり女性が怖かったです。トーベ・ヤンソンの『ムーミンパパ海へいく』という作品に、思春期を迎えた主人公のムーミントロールがファム・ファタール(運命の女)的な「うみうま」たちに「太っちょのナマコちゃん」とか「まんまるきのこぼうや」とか声をかけられて(「いじり」ですね)、ムーミントロールがドギマギするという場面があるのですが、私はこの本をちょうど小学生の思春期の頃に読んで、クラスの女子たちのおとなびた様子を連想しながら、そわそわするような思いになったものです。

 とりあえず、トシがデリケートな記憶について書いてくれて、なんだか安心しました。最初の打ちあわせのときから、トシが「横道さんがどんどんパンツを脱いで自己開示するのに、僕は逃げまわってばかりで、いつまでもパンツを脱がないじゃんって、非難される連載になるんじゃないか」と顔を歪めていたので、私もトシになんかしら自己開示してもらいたいと誘い水を向けたのでしたが、トシはちゃんと答えてくれました。今後、さらにパンツを脱いでくれたら、さらなる感動が巻きおこるとおもうのですが、私は自助グループの主宰者なので、「自己開示は、じぶんのペースで、無理のない範囲で」としか言えません。

 私はじぶんの著書で新刊を出すたびに少しだけ自己開示を進めるという作業をやっていて、つまり執筆自体も一種の自助グループ活動のようなものだと思っているんです。最近トシにも献本した『解離と嗜癖──孤独な発達障害者の日本紀行』(教育評論社)では、子どもの頃の万引き癖や、若い頃に西成の飛田新地で整形美女たちによる性風俗サービスにハマっていたことを書きましたので、そろそろ私も脱ぐパンツがなくなってきた感じがします。ペニスが小さいこととか、セックスがヘタクソなことは、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)で書いてしまったし……。

  薬物に関する気の利いた話題があるといいのですが、大麻や覚醒剤とは「ニアミス」で終わりました。ドイツのベルリンに住んでいたときに、全ヨーロッパ的に有名なナイトクラブに行って、電子音楽の爆音に包まれながらビール瓶をラッパ飲みしたり、体を揺らしたりしていると、「興味ない?」と薬の売人が来たことが何度もあったんだけど、臆病なので手を出さず仕舞いになりました。オランダのアムステルダムに行ったときに、「コーヒーショップ」と呼ばれる大麻の売店を何度も見かけたけど、なんだかチョコレートを連想させるような甘ったるい大麻の匂いをスイーツ好き(笑)でもある私は「好みかも」と思いつつ、やはり怖がりだから試さないままになってしまった。

 私はタバコをいっさい吸わないけど、それもやはり「肺ガン」のイメージが怖いからなんです。結果として酒を飲み、たくさん食べ、(依存症の範囲かどうか微妙だけど)性欲処理をすることなんかに、アディクションが向かってきた。でもトシが言うように「アディクションの対象として最悪なのは「アルコールという薬物」なのだろうから、私がやっていることは「ハームリダクション」の立場からすると、機能してないってことなんだよね。私も酒を絶って、代わりにタバコに入門しようかな。

 そういえば、トシがスナフキンと次元大介のことを書いていて、意外でした。トシはオタク的な印象がない人だけど、やっぱりマンガやアニメのプレゼンスって、現代の日本ではとても大きいんだね。私も酒には肯定的なイメージがあったのを思いだします。私の場合は、酒豪の天才打者が南海ホークスで活躍する『あぶさん』とか、同様に大阪に対する地元愛を楽しむことができた『じゃりン子チエ』に出てくる酒好きのおじさんたちとか。

 でも基本的には、父親がアル中気味で、自宅でひっきりなしに飲んでいたのを見ていたのが、やはり決定的だと思います。アダルトチルドレン(アルコール依存症者の親のもとに育った子ども)は、成長後しばしばじぶんもアルコール依存症者になってしまう。子が親の悪癖を嫌だなあと思っていても、親の習慣はしばしば子の常識を歪める形で継承されますもんね。私もそのパターンにハマってしまったわけです。親のせいばかりにするのはちょっと後ろめたいけれど。

相談できない病

 つい2日前に、ジュンク堂書店池袋本店(オンライン配信あり)で開かれた東畑開人さんの新刊『ふつうの相談』(金剛出版)刊行を記念したトークイベント「なぜ相談ができないのか?」をリアルタイムで視聴しました。トシと東畑さんの軽快な対談が、非常に心地よかった。『機動戦士ガンダム』でいう「ニュータイプ」同士のコミュニケーションのような以心伝心ぶり。『ガンダム』みたいに二人のおでこからピキピキピキッと電光みたいものがほとばしっているかのようでした。

 それでトシが『「助けて」が言えない』を編んだけど「助けてって言えない」「相談するのが苦手」と口にするのを聞きました。「否定されたり、正論、説教を言われたりする場では癒されないし相談できない」、「頼んでないのに自説をぶたれて相談できない場合がある」ともぼやいてましたね。

 それを聞いて、自助グループってやはりすばらしいものだなと思いました。自助グループは、相談者を否定しないルールが設定されている場だからね。「アノニマス系」には「言いっぱなし聞きっぱなし」があるから、感想や意見や質問だけでなく、批判や否定的発言が封じられている。私がやってるグループでも、別にグラウンドルールを設定しています。

じぶん自身で、共に

傾聴

守秘義務

入退室自由

自分にも他人にも優しく

他者を否定しない

説教しない

助言は提案として

「じぶん自身で、共に」。は、参加者各自がじぶんの問題はじぶんで背負うことで、問題を処理しやすくなるから、積極的にそのようにしましょうということ。同時に、この場には同じように苦しんでいる仲間が集まっているから、仲間の力は遠慮せず借りましょうということです。

 「傾聴」は、文字どおり他者が話しているときは、できるだけちゃんと耳を傾けましょうということ。他人の話が、じぶんの問題を解決する上で大きなヒントになることは、とてもよくあることです。

 「守秘義務」は、自助グループはたいていそうですが、ミーティングで聞いた個人情報は他言無用、SNSなどに書きこむのもやめましょうということ。一般的な情報や経験にもとづいた知恵などは、自由に活用してもらって大丈夫です。

 「入退室自由」は、ミーティングの途中で気分体調が悪くなることもあると思いますから、出入りはいつでも自由にしてくださいということ。

 「じぶんにも他人にも優しく」。悩み事を抱えていると、じぶんに厳しいとか、他人に厳しいとかいうことが起こりがちだけど、そうやって良いことはほとんどないので、じぶんにも他人にも優しく接しましょうということ。

 「他者を否定しない」と「説教しない」は、かんたんに理解できると思います。

 「助言は提案の形式で」。助言を求められる場面も多くありますが、高圧的な印象を与えないように、「あくまで私なりの提案ですが」と低姿勢で語るようにしてほしいということ。

 こんなふうなグラウンドルールを敷いて、私はじぶんが主催する対話型の自助グループをやっています。自助グループというのは、同じような悩みを共有する人同士で集まるから、「ここで話しても理解されないんじゃないか」「ひどいことを言われるんじゃないか」という不安から解放されやすい場だと思います。その安心安全な性質を強化するために、グラウンドルールが活躍する。

 それで、もうひとつ大事なのは、東畑さんとの対談でやはりトシが言っていた「わかるよっていうのは、いちばんよろしくない。わからないからこそ、真剣に耳を傾けられる」という問題提起。アノニマス系みたいに「言いっぱなし聞きっぱなし」だと、その問題はクリアできていますね。よけいな応答をいっさいカットするわけだから。私がやっているような対話型の自助グループだと、上に書いたグラウンドルールの「じぶんにも他人にも優しく」「他者を否定しない」「説教しない」「助言は提案の形式で」などの項目が規制をかけることによって、「わかった気になった発言」を阻止することができます。

 ですから、東畑さんとトシの対談テーマ「なぜ相談ができないのか?」へのマコトからの回答は、「自助グループに行けば良い」なのでした。

次回の更新は、12月28日(木)17時予定。トシ(松本俊彦さん)からのお返事です。

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宗教2世(エホバの証人2世)として過酷な幼少期を経験し、現在、宗教2世のために自助グループの運営にも尽力する文学研究者の横道さんが、宗教1世(自らカルト宗教などに入信した人)と宗教2世10名にインタビュー。その証言や、幻想文学、そして自身や自身の母親の経験をもとに、「他人」としてではなく、「当事者」として、また問題に深く関心を持つ味方「共事者」として、「狂信」の内側に迫ります。

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筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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