第3章 自己実現より”ホームベース”を作れ/宮台教授の就活原論

学び
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『絶対内定』ではもう受からない! 今、この社会はどうなっているのか? 今、本当に求められている資質はなんなのか? 今、就職活動をどう乗り切ればいいのか? 日本を代表する社会学者にしてかつて東京都立大学(旧・首都大学東京)の就職支援委員会委員長を務めたこともある著者・宮台真司が語る、社会のこと、働くこと、就職活動、全てを串刺しにした画期的就活論。2011年に刊行され、今もなお就活生のバイブルとして読み継がれている『宮台教授の就活原論』から、一部を試し読み公開します。これから社会に出る若者と、働くことを見つめ直したい社会人のための必読書。理不尽な就活を強いるデタラメな社会を生き抜くために、就活の原理を共に学びましょう。

日本式雇用制度の崩壊

ここ数年、終身雇用を望む学生が増えているという統計があります。具体的には公務員志望が増えています。実際、僕の周囲にも、公務員試験に合格するための浪人や留年が非常に目立ちます。公務員なら終身雇用がまだ続くだろうと思うからかもしれません。

でも、それは甘いでしょう。ニュージーランドなどに典型例を見るように、公務員でさえ終身雇用は維持できなくなるでしょう。霞ヶ関官僚がイバれるうちは大丈夫かもしれませんが、やがて地方分権化が進めば、いずれ公務員の大幅な賃下げがなされるでしょう。

現在「終身雇用を望む被雇用者」と「終身雇用を維持できない雇用主」の間でミスマッチが起きています。でも終身雇用の維持や復活は経済環境から見て今後は永久に不可能です。であれば、適応を迫られるのは、雇用主(企業)ではなく被雇用者(学生)の側でしょう。

どのみち適応するしかないとはいえ、その適応が早く進むか否かで、社会的にも、個人的にも、副作用の大きさが変わります。お門違いの終身雇用願望を抱き続けるなら、手段のアノミー(今まであった機会が失われて混迷する状態)に陥る人が今後も増えます。

改めて確認すると、終身雇用制度のポイントは、企業にとっては忠誠心ロイヤリティの調達。働く側にとっては感情的安全の調達でした。かつて日本の「企業戦士」が馬車馬のように働いて企業貢献できたのは、企業が感情的安全の場だったからです。

でも、今後の社会で終身雇用を望むなら、願望不充足状態が継続するしかないので、むしろ逆に、感情的安全がどこにもないまま働く状態が続くことになります。ラインホルト・ニーバーじゃないが、「変えられるものと変えられないものを識別する知恵を与えたまえ」です。

かつては会社にも会社の人間関係にもずっと多くのものを求めることができました。この間、東大病院の霊安室で一晩過ごした時、病院の関係者に、この病院で死を迎えた人のうち何割が、葬式を出してもらえずに葬られるのかを尋ねました。何と3割以上です。

医師の紹介状を持って受診する人が大半ですから、それなりの階層の方々が来院します。そこで3人に一人が葬式を出してもらえず、霊安室から火葬場に直行、「お焚き上げ」となるのです。その大半は、家族親族が判明している人たちです。

家族親族が葬式を出さない理由は簡単です。カネもかかるし面倒だから。葬儀社の方々にも最近の葬式状況を尋ねてみました。すると、かつてと違って家族葬ないし密葬(仏教)が専らなので、式の規模が小さく、儲からなくなったと言います。加えて、こうも言いました。

90年代半ばまでは、会社員が死ねば、会社の同僚が大挙協力して葬式を出したものです。受付の係、会計の係、車や人の整理係、葬儀社との交渉係、家族親族の面倒を見る係などを、会社の人たちで分担して、葬式を挙行した。今はそれが全くなくなったのだと。

会社が葬式を仕切るというのも変な話ですが、高度成長期以降、企業が発展する代わりに地域が空洞化する動きの中で、かつて地域が仕切っていた葬式が、地域から会社に受け渡され、会社が仕切るようになったのです。でも、地域と会社は決定的に違います。

村八分という言葉があります。村の誰もが縁を切るとしても、葬式と火事の時だけは、ちゃんと助けてやるという意味です。つまり、最低限の尊厳だけは共同体が維持してあげるということです。ところが、その最後の二分がとうの昔になくなったのです。

しかし、僕たちがそれをあまり意識しないで済んだのは、労働者の大半がサラリーマンになった上、会社が地域に代わって葬式の面倒を見てくれたからです。ところが会社は所詮営利集団。つまり「カネの切れ目が(どのみち)縁の切れ目」ということです。

実際、1991年のバブル崩壊、1997年の平成不況深刻化を経て、企業には「カネの切れ目」が訪れるようになりました。しばらくは「会社が葬式を出す」に類することが続きましたが、今ではそれは珍しいことになりました。

これを単に終身雇用・年功序列の制度が維持できなくなったと表現すると、その本質的な意味がよく分からなくなります。皆さんのご両親もよく分かっていないし、それゆえ皆さんも分かっていないように思います。もはや制度の問題に留まるものではないのです。

いいですか。「会社が葬式を出す」みたいな国は日本以外にはありません。だから「会社が葬式を出さない」こと自体はどうってことない。でも「家族親族や地域が葬式を出さない」というような国は、日本以外にはありません。特にアジアではあり得ないのです。

終身雇用・年功序列は本当に非合理なのか?

終身雇用・年功序列という制度の、企業にとっての合理性は、忠誠心の調達だけに留まりません。同じくこの制度の、家族や地域にとっての合理性についても、十分に精査しておくべきです。さもないと、この制度が崩壊したことが持つ意味が分からなくなります。

別の言い方をすると、今や終身雇用・年功序列の制度は、経済環境から見て不合理でしかあり得ない、といった粗雑な物言いで片付けるわけにはいきません。「社会はいいとこ取りができない」のと同じく、「社会は患部の切除だけでは治らない」のです。

古典的な経営学では、企業は、決定前提と決定が織りなす綾です。決定を前提に決定がなされ、その決定が前提となって更なる決定がなされる……。しかし後の研究が明らかにしてきたように、決定が別の決定に前提を供給するだけでは、企業は全く回りません。

社会学者のルーマンが明らかにしたように(『公式組織の機能とその派生的問題』)、企業では、誰かが決定をしてからそれが前提とされるのでなく、誰かが決定をする前にあり得る決定が次々と先取りされることで先に進みます。どんな企業でも「あうんの呼吸」が大切です。

前提が明示されない「あうんの呼吸」は別に日本の企業にとってだけ重要なわけではありません。問題は各国ごとないし各時代ごとに「あうんの呼吸」をもたらす社会的装置が異なることです。日本では終身雇用・年功序列が与えるトゥギャザネスが重要な装置でした。

つまり終身雇用・年功序列の制度は、成員の感情的安全を供給する点のみならず、企業の作動が必要とする「あうんの呼吸」を支えるトゥギャザネスを供給する点においても、合理的でした。僕の父はビール会社に勤めていましたが、そこでの例を挙げましょう。

日本にビール会社はいくつかあります。その会社ごとに例えば営業の方法というかノリが全く違います。あざとい売り方。上品な売り方。戦略的な売り方。非戦略的なルーティン化された売り方。父が勤めていた時代にも、会社ごとにいろんな売り方がありました。

父によれば、あるビール会社がどんな売り方をするかは、決めるべきことというより、自明に踏襲されるべきことに過ぎませんでした。従って、ある会社では問題になる選択肢が別の会社では問題にもならないというのが、当たり前でした。むろん今は昔の話です。

そこでは、自動化された行為の束が「技術」を与えるように、自動化されたコミュニケーションの束が「企業文化」を与えました。「技術」が余計な選択コストを免除するように「企業文化」が余計な選択コストを免除し、それが日本企業の競争力を支えました。

ただし、こうしたタイプの競争力は、競争ゲームを支えている経済環境が急激に変わらないこと(高度経済成長時代が続くことや、欧米企業が競争相手である時代が続くこと)を前提にしていました。逆に言えば、こうした前提が変われば競争力が当然失われます。

そうなった時、自分たちの行為が「技術」によって自動化されていることや、自分たちのコミュニケーションが「企業文化」によって自動化されていることは、(暗黙の)前提に対する反省を困難にするという意味で、逆にハンディキャップになってしまいます。

例を挙げます。今はパソコン統計ソフトが充実し、誰でも簡単にデータ処理ができます。統計処理が「技術」により自動化されているのです。僕らが学生の時は違いました。大型計算機しかなかったし、多くはプログラムを自分で組まない限り利用できませんでした。

それもあって、たとえパッケージソフトが存在する場合でさえ、データ処理教育においては電卓を手元において、行列計算を「手計算」することが求められました。であるがゆえに、パッケージソフトの弱点をすぐに見つけられ、臨機応変に対応できました。

「技術」による負担免除も「企業文化」による負担免除も、与えられた条件が変わらなければ、効率化の観点から見て合理的です。免除された負担を別のものに振り向けることもできます。でも、与えられた条件が激変した場合、負担免除が却ってアダになります。

終身雇用・年功序列が不合理になったのは、経済環境の変化で雇用コストを負担しきれなくなったからだけではありません。経営環境の急変が当然になり、ルーティン(自動化した反復)を絶えずバラす必要が出てきたからです。それを踏まえることが大切です。

日本の企業文化が「感情的な安全」を支えた

このような企業文化の存在には、様々な意味があります。日本の近代化の過程で地域共同体が空洞化していき、地域をホームベースに感情的な安全を得ることは困難になりました。まして就業時間が長い成人男子にとって、家族さえホームベースにはなりにくかった。

彼らに感情的な安全を与えるという意味では、企業文化が存在し、企業文化に包摂されていると感じることが非常に重要だったことは明らかです。その意味で、日本企業の「終身雇用・年功序列」制度は、様々なものを条件とすると同時に、様々なものを支えていたわけです。

ただし、終身雇用・年功序列を採用すれば必ず「企業文化に包摂されている」という意識が育つかというと、一概には言えません。なぜなら、このような企業一家意識は、単に一緒にいる時間が長いというだけでなく、日本特有の歴史的経緯があって成立しているからです。

明治以降の日本は、村落の存在をベースにして発展してきました。村落というホームベースを基にして大都会に出る、あるいは旧帝大への進学を目指して頑張る。そして、偉くなったら故郷に恩返しをする。日本は後発近代国なので、人々を村落から引き出す必要がありました。

でも人は村落から引き出されるだけだと寂しくなりますから、代わりの共同体を与えなければなりません。そのためのオルタナティブな共同体はふたつありました。ひとつは国家。つまり崇高な精神共同体としての国家です。もうひとつが、温かい組織文化を持つ企業でした。

国家や村落の代わりの共同体として企業が存在したという歴史の中で、「終身雇用・年功序列」が包摂的な企業文化を生み、忠誠心を維持するひとつの道具として機能するようになったのです。ですから、制度だけを取り上げて良いか悪いかということにはあまり意味がありません。

水俣病の例を見れば、共同体としての企業がどういうものであったか分かります。昔ながらの村落があるように見えても、実際にはチッソという企業が下支えをしている。だから村でチッソの悪口を言うことは、村八分になることを意味していたわけです。

もちろん、いくら終身雇用・年功序列制度に忠誠心を生む効果があったといっても、「終身雇用・年功序列制度だから高度経済成長が実現した」と言えるわけでもありません。要するに組み合わせの問題です。例えば専業主婦と高度経済成長について考えてみましょう。

終身雇用・年功序列制度下においては、2000時間を超える長い就業時間が当たり前でした。それが可能だったのは、やはり専業主婦がいたからです。ではなぜ専業主婦が可能だったのかといえば、経済成長が存在したからです。一人の稼ぎで妻と子供2、3人を養うことができた。どちらかを実現したら必ずどちらかがついてくるというものではないのです。

* * *

この続きは『宮台教授の就活原論』本書にてお読みいただけます。

筆者について

みやだい・しんじ。社会学者。大学院大学至善館特任教授。東京都立大学教授。東京大学文学部卒(社会学専攻)。同大学院社会学研究科博士課程満期退学。大学と大学院で廣松渉・小室直樹に師事。1987年東京大学教養学部助手。1990年数理社会学の著作『権力の予期理論』で東京大学より戦後5人目の社会学博士学位取得。権力論・国家論・宗教論・性愛論・犯罪論・教育論・外交論・文化論で論壇を牽引。政治家や地域活動のアドバイザーとして社会変革を実践してきた。2001年から「マル激トーク・オン・ディマンド」のホストを務め、独自の映画批評でも知られる。社会学の主要著書に『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎文庫)、『日本の難点』(幻冬舎新書)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』『大人のための性教育』(ともに共著、ジャパンマシニスト社)、映画批評の主要著書に『正義から享楽へ』『崩壊を加速させよ』(blueprint)がある。

  1. まえがき/宮台教授の就活原論
  2. 第1章 なによりも”適応力”が求められている/宮台教授の就活原論
  3. 第2章 仕事は自己実現の最良の方法ではない/宮台教授の就活原論
  4. 第3章 自己実現より”ホームベース”を作れ/宮台教授の就活原論
  5. 第4章 自分にぴったりの仕事なんてない/宮台教授の就活原論
  6. 第5章 CMと就職情報サイトに踊らされない仕事選び/宮台教授の就活原論
  7. 第6章 就職できる人間になる“脱ヘタレ”の心得/宮台教授の就活原論
  8. 第7章 社会がヘタレを生んでいる/宮台教授の就活原論
  9. 第8章 すぐには役立たない就活マニュアル/宮台教授の就活原論
『宮台教授の就活原論』試し読み記事
  1. まえがき/宮台教授の就活原論
  2. 第1章 なによりも”適応力”が求められている/宮台教授の就活原論
  3. 第2章 仕事は自己実現の最良の方法ではない/宮台教授の就活原論
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  7. 第6章 就職できる人間になる“脱ヘタレ”の心得/宮台教授の就活原論
  8. 第7章 社会がヘタレを生んでいる/宮台教授の就活原論
  9. 第8章 すぐには役立たない就活マニュアル/宮台教授の就活原論
  10. 『宮台教授の就活原論』記事一覧
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