第1章 なによりも”適応力”が求められている/宮台教授の就活原論

学び
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『絶対内定』ではもう受からない! 今、この社会はどうなっているのか? 今、本当に求められている資質はなんなのか? 今、就職活動をどう乗り切ればいいのか? 日本を代表する社会学者にしてかつて東京都立大学(旧・首都大学東京)の就職支援委員会委員長を務めたこともある著者・宮台真司が語る、社会のこと、働くこと、就職活動、全てを串刺しにした画期的就活論。2011年に刊行され、今もなお就活生のバイブルとして読み継がれている『宮台教授の就活原論』から、一部を試し読み公開します。これから社会に出る若者と、働くことを見つめ直したい社会人のための必読書。理不尽な就活を強いるデタラメな社会を生き抜くために、就活の原理を共に学びましょう。

「新卒一括採用」という不思議

日本の就職は世界でも稀に見る不思議なもので、長い間「新卒(学卒)一括採用」と呼ばれる方式を採ってきました。これは、高校や大学を3月に卒業した人に対し、翌月の4月1日に一斉に辞令を交付する仕組みです。

新卒一括採用の特徴は、企業が学生に対して、「大学を卒業したからには然々のスキルを持っているべきだ」とか「こういう能力が保証されているはずだ」というように、特定できる能力の委細を問わない点です。

むしろ、企業は学生をタブラ・ラサ(白紙)状態で採用することを、よしとしてきたわけです。つまり、就職するということは、まさに born again、つまり、家族や地域や学校といった共同体から、企業という共同体に生まれ直すことを意味しました。

生まれ直した以上、以前の共同体からあれこれ持ち込まれるのは迷惑至極。企業が、作法や文化あるいは「社風に見合う人格」まで、ゼロからすり込む。トヨタマンとかキリンマンという言葉があったのも「社風に合った人格」があるとされたからです。

もしも亀田製菓社員がブルボンに入ったら?

学生の皆さんは「社風に合った人格」と言われてもピンと来ないかもしれません。先日、亀田製菓の創業者のお孫さんにお会いしました。僕は亀田の煎餅が大好きです。あれこれ尋ねたら、「亀田製菓の最大のライバルは北日本食品工業だ」とおっしゃいました。

亀田と同じく新潟の米どころに生まれた北日本食品工業は、今は「ブルボン」という名前の老舗の洋菓子メーカーです。ところが60年代に米菓の大量生産に成功し、「チーズおかき」などのヒット商品を生んで米菓の老舗である亀田製菓からライバル視されるまでになりました。

今も愛されている「チーズおかき」は和風なのか洋風なのか分からないお菓子です。そういう新しいものをどんどん開発するのがブルボンで、他方の亀田は「柿の種」「ハッピーターン」など定番モノを作り続けてきた会社です。少なくとも僕はそう思っていました。

ところが、彼が「亀田製菓も新製品はいろいろ開発しているんですが、なぜかいつも失敗するんです」とおっしゃいます。つまり、それが彼らの企業文化だと言うのです。亀田製菓は、昔から作ってきたものをリファインするのが得意な会社だということです。

どちらが良い悪いではない。ブルボンも亀田もうまくいっているので、そういう社風だという他ありません。新入社員からすると、それぞれ社風が違うので、それに適応して、やがて亀田マンやブルボンマンになって、それぞれの会社で頑張るしかないわけです。

それが日本的な就職というものでした。そこでは労働市場の非流動性が前提とされています。亀田製菓の社風で「育った」人が、ブルボンの新製品開発チームに入っても、能力を十分発揮することはできないし、逆もまた同じだと考えられていたのです。

学歴は変えられない属性?

日本独特の新卒一括採用を、社会学者タルコット・パーソンズの図式で考えてみます。有名な「属性主義」対「業績主義」という図式があります。属性とは、本人が変えられない性質です。例えば、江戸時代の士農工商のような身分は属性です。

これに対し、業績とは、本人の努力次第で上がったり下がったりするものです。つまり、本人や周囲が変えることができるものを指します。むろん努力によって変えるにも限界がありますし、その限界も持って生まれた能力によって前提付けられています。

近代社会では、職を決定するものが、属性から業績へと変わったと言われます。「親が鍛冶屋なら子も鍛冶屋」という世襲ではなく、業績を上げる能力次第で職が決まります。この能力は今述べたように「才能(先天性)」と「努力(後天性)」のかけあわせです。

だからパーソンズが業績主義と述べたものをメリトクラシー(能力主義)とも呼びます。業績を上げる能力による適材適所の人員配分機能を教育機関が担います。能力に基づいて選別しては動機付けを与えて能力を高め、その中からまた選別しては……の繰り返し。

こうして、幼稚園や小学校では一斉カリキュラムだったものが、選別→動機付け→選別→動機付け、といった反復によって枝分かれし、やがて個人別カリキュラムになる……というのが他の先進国なのですが、日本は最近までそうした方法を採ってきませんでした。

選別と動機付けの積み重ねによって次第にスペシャルな能力に照準した養成を行う、というふうになっていなかったということです。なぜそうなのか。それは学校教育の出口である高卒や大卒での新卒一括採用が、スペシャルな能力に照準していなかったからです。

高校では、進路指導の先生が地元を中心とする企業とコネクションを持つことで、ひとつの学校からひとつの企業に何人もの――場合によっては何十人もの――卒業生を送り込む、といったやり方が、特に60年代の高度経済成長時代以降、広く行き渡っていました。

大学では、研究室やサークルにおける先輩のツテ(コネクション)を頼って入社する、といった方法が一般に見られたのです。両方とも採用試験は形だけのもの。なぜ大卒者でさえ、必要なスペシャルな能力を試験で確かめられることもなく採用されたのでしょう。

理由は単純です。「小→中→高→大」という学校教育のシリーズにおいて「学歴競争に勝ち上がってきた」という事実が保証する、ある種の事務能力だけが評価されたからです。この事務能力とは、与えられた課題を、できるだけ速く、効率よく達成する能力のことです。

「他人と同じだけ時間を与えられて受験勉強した結果、どのランクの大学に入れたか」が事務能力の有無を示すと考えられたのです。他方、集団就職の高卒者は、事務労働ではなく集団的工場労働の働き手なので、集合的身体規律に服する能力を期待されたのです。

本書は大卒者の就職がテーマなので、大卒者に話を絞ります。人の能力は多面的です。頭の良さもいろいろに理解できます。でもそれを横に置いて、受験勉強で良好な成績を残す力さえあれば、企業に入っても企業ごとに必要なことを教え込めると思われていたのです。

これを前述のパーソンズの図式で捉えます。「どの大学や学部に入ったか」までは業績主義です。ところが採用の段になると業績が属性に変換されるのです。業績だったはずの学歴が、就職を境に属性に変わり、本人の意志では変えられない何かに変じるのです。

例えばキャリア採用・ノンキャリア採用の区分が典型です。採用されてしまえば、ノンキャリアで採用された人は、同じ職位につくまでにキャリア採用の何倍も時間がかかります。どんなに業績を上げる能力があってもダメ。そこでは学歴は、変えられない属性です。

別の例は学閥です。かつて企業には学閥がありました。今も少しはあります。学閥とは、本人の努力次第で変えられる業績(に示された能力)よりも、出身校というもはや変えられない属性によって、ポストと立身出世が決まるということです。

一部上場の「一流企業」では慶応閥や一橋閥が有力でしたし、官庁ならば東大閥、マスコミなら早稲田閥が有力でした。他方、地方企業には大学閥ではなく高校閥があります。地方新聞では、例えば県内の3つの進学高校がそのまま学閥を構成したりしています。

学歴が業績から属性に変化するという、日本の労働市場における奇妙な慣習は、終身雇用・年功序列制度が一部に誕生した大正末期以降、あるいは労働運動によって終身雇用・年功序列制度が戦後に一般化して以降、長い間続いてきました。ふたつポイントがあります。

ひとつは、一律に学歴や学閥で採用しても、その後の濃密な企業教育を前提とすれば、彼らの多様性にそれなりの幅があり得たということです。もうひとつは、一律に学歴や学閥で採用しても、それ以前に習得した社会常識や世間知を期待できたということです。

逆に言うと、今ではその両方の期待可能性が失われてしまった結果、学歴や学閥のみで採用するのは極めてリスキーになっています。では、学生側の資質にどんな変化があり、また企業側が求める人材の質にどんな変化があったのか。そこがポイントになります。

* * *

この続きは『宮台教授の就活原論』本書にてお読みいただけます。

筆者について

みやだい・しんじ。社会学者。大学院大学至善館特任教授。東京都立大学教授。東京大学文学部卒(社会学専攻)。同大学院社会学研究科博士課程満期退学。大学と大学院で廣松渉・小室直樹に師事。1987年東京大学教養学部助手。1990年数理社会学の著作『権力の予期理論』で東京大学より戦後5人目の社会学博士学位取得。権力論・国家論・宗教論・性愛論・犯罪論・教育論・外交論・文化論で論壇を牽引。政治家や地域活動のアドバイザーとして社会変革を実践してきた。2001年から「マル激トーク・オン・ディマンド」のホストを務め、独自の映画批評でも知られる。社会学の主要著書に『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎文庫)、『日本の難点』(幻冬舎新書)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』『大人のための性教育』(ともに共著、ジャパンマシニスト社)、映画批評の主要著書に『正義から享楽へ』『崩壊を加速させよ』(blueprint)がある。

  1. まえがき/宮台教授の就活原論
  2. 第1章 なによりも”適応力”が求められている/宮台教授の就活原論
  3. 第2章 仕事は自己実現の最良の方法ではない/宮台教授の就活原論
  4. 第3章 自己実現より”ホームベース”を作れ/宮台教授の就活原論
  5. 第4章 自分にぴったりの仕事なんてない/宮台教授の就活原論
  6. 第5章 CMと就職情報サイトに踊らされない仕事選び/宮台教授の就活原論
  7. 第6章 就職できる人間になる“脱ヘタレ”の心得/宮台教授の就活原論
  8. 第7章 社会がヘタレを生んでいる/宮台教授の就活原論
  9. 第8章 すぐには役立たない就活マニュアル/宮台教授の就活原論
『宮台教授の就活原論』試し読み記事
  1. まえがき/宮台教授の就活原論
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  9. 第8章 すぐには役立たない就活マニュアル/宮台教授の就活原論
  10. 『宮台教授の就活原論』記事一覧
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