酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第4回

「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

医師の劣等感

 マコト、お返事ありがとうございます。

 いきなり専門家である私の方が自助グループの先輩みたいな話になると、専門家と当事者との出会いという、当初計画されたこの往復書簡のコンセプトが壊れてしまいますね。

 でも、安心してください。私は、あくまでも傍観者として自助グループに出会っただけです。

 それにしても、自助グループの回復を促す力はすごいですね。これまでの臨床においても、手に負えない、「札付きの不良患者」が自助グループにつながり、文字通り「大化けする」瞬間に何度も立ち会ってきました。しかし、それだけに、駆け出しの頃の私は、「医者の役割って何だろう?」と自分の専門性に疑問を抱き、自信を喪失したのも事実です。

 実は、依存症臨床において、「無力」を認めないといけないのは当事者だけでありません。医者もまた「無力」と直面します。ある意味で、こうした「無力さ」に耐えられるかどうかが、その医者が依存症治療への向き不向きを占うリトマス試験紙になるともいえます。

 とはいえ、医者が自身の無力を受容することには副作用もあります。それは、自助グループに劣等感を抱いてしまうことです。だって、医者の多くは12ステップに取り組んだことがなく、加えて私の場合、酒もタバコもまさに現在進行形、回復する気もないわけです。そんな私が、静かで謙虚な物腰をした、断酒20年超のオールドタイマー(自助グループのベテランメンバー)と対峙すれば、「ああ、俺はダメ人間だ」と卑屈になるのも、まあ無理からぬ話です。

 その結果、医者はやたらと自助グループ推しになります。「病院だけじゃダメだ。12ステップなくして回復はありえない」と患者を自助グループへとプッシュし、のみならず、「AAに行く気がないなら、うちでは診ません」などと、なかば脅迫めいた提案さえしかねません。

 実際、駆け出し時代の私がそうでした。あまりにも熱心にAAを勧めたせいで、患者から病院長宛てにクレーム投書をされたほどです。曰く、「県立病院に勤務する公務員の医師が、患者に特定の宗教を勧めるのはいかがなものか」と。

自助グループの宗教くささの由来

 もちろん、AAは宗教ではありませんが、確かに宗教くさいです。

 それには理由があります。

 AA創始者のひとりビル・Wは、あるとき哲学者ウィリアム・ジェームスの著書『宗教的体験の諸相』のなかに、「私の知るかぎり、アルコール依存症者の衝動に対する唯一根本的な解決策は宗教熱(レリジオマニア)である……(中略)……諸君は宗教生活を、その結果のみで判断する覚悟がなければならない」という一節を見つけました。これとてもあくまでジェームズの直感にすぎないわけですが、ビル・Wは、「これだ!」と雷に打たれたような霊感を得たようです。

 要するに、回復の「道具」としての宗教利用です。ジェームズの考え方は、後にプラグマティズムとして発展しますが、その考えによれば、宗教は形而上学的な真理ではなく、あくまでも有用な道具として価値が認められることとなります。乱暴に要約すれば、「『神』が何者かなんてどうでもいい。断酒に役立つから、とにかく『神』を担ぐのだ!」というわけです。

 後に『アルコホーリクス・アノニマス』(ビッグブック)を執筆する際、ビル・Wはジェームズの宗教に対するアプローチをそのまま採用しました。彼は、「AAは、特定の教義や宗教的修養に固執するのではなく、神や超越した者の感覚を主張するという意味においてのみ宗教的なプログラムである」などと迂遠に前置きをしていますが、要は、「これまで自分の意志だけで酒をコントロールしようと頑張ってきたが、いい加減、自分の無力を認めて、これからは、今までとは正反対の方法に切り替えろ!」ということです。それが、自分の意志を超えた何か(ハイヤーパワー)に完全に自らを委ねること(12ステップの最初の3つのステップ)なのです。

 しかし、今だからわかるのですが、すべての依存症患者に12ステップがマッチしているとは限りませんし、それをやらないと回復できないわけでもありません。実際、マコトのように子どもの頃に宗教によって傷つけられた経験のある人にとって、AAの宗教くささはそれ自体が外傷的です。それから、虐待やいじめ被害によって自身の感情を無視され、存在を否定され、嫌というほど自らの「無力」を思い知らされてきた人にとって、ステップ1の「無力」という言葉が残酷に響きます。「ああ、そうか、やっぱり自分は無力なのか」「結局、悪いのは無力な自分なのか」と受け取り、ますます自己否定的な感情を強めてしまう人もいます。

 自助グループに劣等感を抱く医者がいうのはやや口幅ったい気もしますが、もしもマコトがAAに疑問を感じたならば、そこはジェームズばりのプラグマティズムに則るべきでしょう。つまり、「12ステップが合わないと感じる以上、これは自分にとって利用価値はないし、したがって、真実でもない。別の効果的な方法を探そう」です。

依存症って本当に治らないのか?

 ここらでちょっとAAのことをディスらせてください。決して全面否定するつもりはなく、少しだけその価値を相対化したいのです。

 AAでは、「アルコール依存症は慢性・進行性の病、完治しないが断酒を続ければ回復はできる」というのが、セントラルドグマとなっています。

 しかし、これは本当でしょうか?

 アルコール依存症が慢性・進行性の病であることを提唱したのは、イェール大学の生物統計学者E・M・ジェリネックです。1940年代から50年代にかけて、彼は、およそ2000人のAAメンバーに対する質問紙調査から、そのことを明らかにしました。

 彼がその原型を作った「ジェリネック曲線」(図参照)は、まさにその調査にもとづいたものです。このビジーなU字曲線は、AAのセントラルドグマをダンテ的な転落と再生の物語として描き出しています。酒を飲み続けるかぎりアルコール依存症者は降下し続け、ついには「底つきRock Bottom」を体験します。そこで、宗教的な回心を体験してAAにつながり、断酒を続けることができれば、人生は上昇へと転じる――そういった経過を示しているのです。

図1: Jellinek曲線(Glatt, M. M.: Group therapy in alcoholism. British Journal of Addiction, 54, 133–148, 1958.より転載).

 ちょっとできすぎた話です。

 確かにアルコール医療におけるジェリネックの貢献はきわめて大きく、彼なしでは現在の「依存症」という疾病概念だってあり得なかったでしょう。今日、アルコール研究で最も権威のある賞に彼の名前が冠されていることについても、まったく異論はありません。

 ただ、ジェリネックにはいささか怪しげなところがありました。ハンガリー生まれの彼は、通貨投機に失敗し、現金密輸のかどで警察に追われる身でした。そして、這々の体でハンガリーを脱出すると、しばしシエラレオネとホンジュラスに潜伏した後に米国入りし、履歴書にでっち上げの学位を記して大学の職を得たといわれています。

 加えて、彼が質問紙調査には、方法論上の問題がありました。彼は、AAの機関誌『グレープバイン』を通じて調査協力者を募ったわけですが、反応があったのはAA会員の1割程度、おまけに、集計に際しては、女性会員の回答など、返送されてきた質問紙の3分の1あまりを廃棄していたようなのです。

 ジェリネック曲線発表から20年を経た1970年代、AAのセントラルドグマを覆す研究が行われました。米国国立研究機関が行った、大規模かつ信頼性の高い2つの研究です。

 1つは、アルコール問題を抱える人たちを追跡した自然経過研究です。そこでわかったのは、アルコールの問題を抱える人の約4割は、何の治療も受けないまま、自然治癒している、という事実でした。

 そしてもう1つは、アルコール依存症と診断された人をランダムに、「完全断酒を目標とする治療を受ける群」と「減酒を目標とした治療を受ける群」との2群に分け、治療終了後に危険な飲酒パターンをぶり返す割合を比較した研究です。その結果はなんと両群ともに差がないというものでした。

 ちなみに、この研究結果に当時のAA主要メンバーは憤慨し、この研究報告書を潰すべく、政治家に対するロビー活動を精力的に行ったといわれています。この研究成果が、専門家のあいだですらあまり知られていないのは、おそらくそのせいでしょう。

「ダメ。ゼッタイ。」に効果はない

 「断酒を目指そうが、減酒を目指そうが、治療効果はさして変わらない」

 確かにこれは、AAメンバーはもとより依存症支援者にとってもショッキングな結果であったことでしょう。

 でも、私は少しも意外に感じません。というのも、一方的に「ダメ。ゼッタイ。」と飲酒や薬物を禁じることの無意味さは、すでに歴史、そして自身の臨床経験から明らかだからです。

 たとえば、法令による禁止は、しばしば「禁止の鉄則」と呼ばれる現象を誘発します。過去100年をふりかえっても、アヘンの吸煙を禁じたらモルヒネの皮下注射が増え、モルヒネを禁じたらヘロインの静脈注射が増え、ヘロインを禁じたら今度は強力な医療用麻薬(オキシコドン、フェンタニル)の乱用が増える……といった具合に薬物の危険さは加速してきたのです。

 同じことは、日本でも、脱法ハーブなどの危険ドラッグが社会問題となったときにも発生しています。規制を強化すればするほど、より危険な新たな脱法的な薬物が流通し、危険ドラッグ使用による救急搬送者数と死亡者数は激増したのでした。

 厳しく禁じられるほどそそられるのが人間である、というのはもはや普遍的定理といってよいでしょう。そもそも、かつて中国でアヘンが広がったのは、なぜだったでしょうか? まことしやかにいわれているのは、ときの清朝皇帝によるタバコ禁止令の影響です。

 治療の現場でも同じです。医者が一方的に断酒という治療目標を掲げれば、患者が治療の場から去ってしまうリスクがあります。これでは治療以前の問題です。運よく治療を続けてくれたとしても、飲んでいるのに「飲んでない」と言い張るなど、患者を嘘つきにしてしまいます。これもダメです。飲みたいときに「飲みたい」といい、飲んでしまったときに「飲んだ」といえないようでは、依存症の治療なんてできません。

 なかには、真正直に取り組む患者もいますが、そうした人はうっかり失敗したときが怖いのです。「1杯も100杯も同じ」と自暴自棄になって死ぬ気で飲み、かつてないほどひどい状態に陥るからです。これは、「禁断破断効果」と呼ばれる、依存症臨床では有名な現象です。

 こういった文脈で重要になってくるのが、マコトも触れていた「ハームリダクション」という考え方です。ハームリダクションについては、また後の機会でくわしく述べますが、簡単にいうと次のようになります。つまり、従来であれば支援から離脱していた人たちを支援の場につなぎ止め、少しでもマシな結果を目指そうとする、ある意味で野心的な考え方です。

大切なのは「回復のコミュニティ」

 大規模な依存症治療に関する研究は、私たちに重要なことを教えてくれます。その研究は、アルコール依存症患者を、「12ステッププログラム参加群」「認知行動療法参加群」「リハビリ施設入所群」の3群に分け、その治療効果を比較するというものです。

 結果は、いずれの群も治療成績に違いがないというものでした。しかし、サブ解析からは興味深い知見が明らかになりました。それは、自分の意志でそれぞれの治療法を選択した人の治療転帰がよいこと、さらには、最初は飲酒しながらも治療から離脱せず、少しでも長く治療関係にとどまった人の治療転帰がよかった、ということです。

 もう1つ興味深い研究があります。コカイン依存症患者に対する認知行動療法の効果に関する研究です。その研究では、治療期間が長ければ長いほど、治療頻度が高ければ高いほど、治療転帰がよいことが明らかにされました。しかし何より驚くべきことは、治療終了後にコカインをやめ続けている患者の生活を仔細に観察すると、認知行動療法で学んだ対処スキルを用いている人がほとんどいなかった、という事実でした。

 これらの研究が示唆するのは、次のようなことです。曰く、「回復の鍵を握るのは、12ステップでも認知行動療法でもない。重要なのは治療法ではなくもっと非特異的なもの、つまり、支援者や仲間とのつながり――私はそれを「回復のコミュニティ」と呼びます――を維持することであり、酒や薬をやめているかどうかはもはや二の次である」と。

 どうです? マコトがこれまで試みてきた、マコトなりの自助グループのあり方、全然まちがっていないと思いませんか?

〈担当編集より〉

本連載を担当している編集者も、宗教2世です。宗教2世には様々な生きづらさが存在していますが、そのひとつが、今回の往復書簡で語られている、日常の、ちょっとした場面における外傷的な儀礼やイベントとの遭遇です。かつて親や教団に強制されたような「極端に有害なもの」ではないと頭ではわかっていても、嫌な記憶がフラッシュバックしてしまい、心理的な安全を感じられなくなってしまうのです。例えば、雑誌やテレビのちょっとしたコーナーで紹介される占い、観光目的で立ち寄る寺社仏閣、参列した結婚式のチャペルなど。多くの人にとってなんでもないような場面で、恐怖や不安を掻き立てられることがあります。

そのような生きづらさを抱えている宗教2世にとっては、そういう「何も考えずに参加しちゃえば、いろいろとメリットがあるのに」ということにも乗り切れない、ということ自体が劣等感や自己否定感につながります。「いつまでも過去に囚われている、未来志向になれない自分」に情けなくなってしまいます。

しかし、そのような宗教2世にとって、トシの提言はとても心強い。私たちは回復のあり方をカスタマイズすることができるのです。なんなら酒や薬を完全にやめるかどうかも、重要な問題ではない。大切なのは、いかに持続可能な「回復のコミュニティ」を維持できるか、なのでしょう。では、そのためにはどんな工夫や選択肢がありうるのか。次回は、数々の自助グループを運営してきたマコトさんの返信。現場の実践知からヒントを得られるかもしれません。

次回の更新は、8月10日(木)17時予定。マコト(横道誠)からのお返事です。

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
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  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
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  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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