酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第12回

大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

薬物乱用防止教室の季節

ヘイ、マコト、前回のお手紙をいただいてからずいぶんと長い時間が経ってしまいました。毎年、この夏休み期間、教員向け研修会のラッシュ、連日、国内各地に出向いて登壇しており、なかなかこの往復書簡モードに切り替わりませんでした。すみません。

それにしても、マコトは大変な勉強家ですね。今年の6月に出たDSM-5-TR(『精神疾患の診断・統計マニュアル』第5版の改訂版)、私も一応購入こそしたものの、恥ずかしながらまだ目を通すに至っていません――というか、頻繁な改訂にいちいち追随していく気持ちが失せかけています。それから、鈴木直さんの『アディクションと金融資本主義の精神』(みすず書房)が、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』へのオマージュだった、という指摘にも蒙を啓かれました。

ところで、そうした研修会で私に課せられているテーマは、大抵、学校における薬物乱用防止教育のあり方です。教員に加えて地域の薬物乱用防止指導員――保護司も兼任している年配の方々――も参加していて、その「白髪になった鬼瓦権蔵」のような風貌の面々からは、「ダメ。ゼッタイ。」オーラが妖気のように漂ってきます。

告白しますが、私はこのテーマで講演するのが大嫌いです。とにかく心のエネルギーが削がれる。主催者側はやたらと「大麻の怖さを教えてほしい」と要望してきますが、正直、私には何をどう話したものか見当もつきません。私に話せるのは、大麻の怖さではなく、「村のルール」を破った人を袋叩きにする、日本社会の怖さだけです。

わが国の薬物乱用防止教育は、国民の無知をよいことに、滑稽なほど大麻の害を誇張・喧伝してきました。曰く、「大麻を吸うと無気力になり、記憶力・思考力が低下し……」。これが真実ならば、先進国中で最も大麻に厳しく、また、突出して国民の大麻経験率の低い日本が、なぜスポーツや学術、産業経済分野で世界のトップになれず、のみならず緩徐に衰退しているのかを考えてみるべきです。

そういえば、先日開催された、全国高校野球選手権大会の決勝戦で、ライト側外野席にいた男性が酒に酔って大暴れし、警察官数人に取り押さえられる、という事件がありました。よくある話とはいえ、近くにいた人たちはさぞかし怖かったことでしょう。こちらは逮捕もされず、もちろん、実名報道も顔出しもなしです。

アルコールは、すべての精神作用物質のなかで最も他害的行動に関係する薬物だってことはもっと広く知られるべきです。日本は、薬物には異様に厳しい反面、アルコールにあまりに寛容すぎます。個人的には、生徒対象に薬物乱用防止教室をやるよりも、保護者向けのアルコール乱用防止教育研修会の方が先だと思います。

あからさまな大麻事件報道

最近、やたらと大麻取締法違反による逮捕のニュースが目につきます。おそらく次の臨時国会で大麻使用罪創設に関する法案提出を意識して、捜査機関が意図的にメディアにこの種の情報を流しているのでしょう。

馬鹿げた話です。大麻所持による検挙者数の増加? そんなのいたずらにモラルパニックを引き起こすだけの無意味な数字ですよ。たとえるならば、検査体制や検査アクセスの状況によって大きく左右されるコロナ感染者数と同じです。つまりは、問題の「正体」が暴かれてしまえば、もはや誰も驚かず見向きもしなくなるような数字。

思い出してください。パンデミック初期、無知な私たちは、コロナ感染者数が二桁となっただけで「ついにロックダウンか……」と悲壮な覚悟をかためたほどでした。しかし、いまはもう違います。感染者何千人といわれても、「ふーん」と歯牙にもかけず、マスクなしで唾液を飛ばしあって酒盛りをしています。すでに私たちは知っているのです。コロナ対策において重要なのは、感染者数ではなく死亡者数や重症患者数である、と。

薬物対策も同じです。重要なのは、検挙者数ではなく、薬物使用による健康被害や交通事故、暴力事件が増えているのかどうかなのです。その観点で見ると、大麻使用による依存症や誘発性精神病を呈する患者は増えていませんし、国内の暴力犯罪や交通事故の件数は年々減少しています。警察が躍起になって逮捕しているだけなのです。

こういうと、「大麻はゲートウェイ・ドラッグだ。大麻をきっかけによりハードな薬物に手を染める人が増える」なんて反駁してくる人もいるでしょう。でも、未成年者における大麻取締法違反による検挙者は増えるに伴い、覚醒剤取締法違反による検挙者は激減しています。この事実を一体どう説明するつもりなんでしょうか?

日大アメフト部事件報道

様々な大麻事件報道のなかで特に最低最悪だったのが、日大アメフト部事件です。

いきなりの顔写真付きの実名報道に、私は唖然としました。だって、少なくとも初動の時点では、起訴困難なほど少量の大麻のくずが発見されただけだったわけです。それにもかかわらず、いきなりの公開処刑。私はメディアの報道倫理の乏しさに憤り、さらに、懇意の記者にそういった情報を意図的にリークした捜査機関の倫理観を疑いました。おそらくこの学生は大学を除籍させられるだけでなく、この先、デジタルタトゥーのせいで大変な苦労を強いられることでしょう。

決して犯罪を肯定するつもりはありませんが、くだんの学生がしたことはそこまでの重大犯罪なのでしょうか? むしろ再犯防止の観点からいえば、健全な人間関係の構築と社会における居場所の確保こそが重要ですが、公開処刑はそういったものを根こそぎ奪うのです。

もろちん、暴行・傷害とか窃盗や横領、あるいは性犯罪ならば致し方ありません。なにしろ被害者がいますから。しかし今回は、規制薬物の少量所持という被害者なき犯罪であり、国が違えばお咎めなしということもあり得るような、いわば制度的逸脱です。さらに、近年の西側先進国における大麻政策の変化を踏まえれば、将来、「いやはやあの頃の日本は理不尽だったね」と嘲笑されること請け合いです――ちょうど同性愛や女性の不倫を刑法上の犯罪としていた忌まわしき時代と同じように。

おそらく日大アメフト部事件以降、中学・高校の保健室や大学の学生相談室が、薬物問題に悩む若者にとって安全な場所でなくなるでしょう。というのも、学校は「隠蔽した」との誹りを怖れ、相談・支援なんかよりもまずは警察通報という気運が高まるはずだからです。

本来、教師は、生徒や学生の犯罪行為を発見した際、刑罰よりも教育的指導の方が本人の更生に資すると判断すれば、警察通報しないという選択を許容されています。だからこそ中高生の飲酒や喫煙もいちいち警察沙汰にされなかったのです。

近年、自殺予防教育として学校での「SOSの出し方教育」が推進されてきましたが、今後、学校は「SOSを出してはならない場所」と認定した方がよいかもしれません。

ジャニーズ問題と覚醒剤

連日、ワイドショーが日大アメフト部事件で沸いていた今年8月上旬、時期、メディア各社はジャニーズ問題には不気味な沈黙を貫いていました。その後、8月の終わりに外部調査委員会が報告書を公表してからは態度を一転させましたが、少なくとも同じ時期、国連人権理事会による調査訪日については不当に小さな扱いでした。本当にメディアの忖度ってひどすぎです。

実は、ジャニーズ性加害問題が表面化してから、私が担当するある覚醒剤依存症患者の精神状態が不安定になり、久しぶりに覚醒剤に再び手を出してしまいました。60代の男性です。40年以上にわたって覚醒剤を使用しつづけ、何度も刑務所服役や精神科病院への措置入院を経験していた方です。

彼は、診察室で覚醒剤再使用の告白をした際、涙を浮かべ、言葉を絞り出しながら、子ども時代の性被害を語りはじめました。それまで誰にも話したことはなく、自分でも忘れていたそうですが、ジャニーズ報道に刺激され、固く閉ざされていた記憶の蓋が開いたのでした。

彼の場合、加害者は年長の女性でした。「相手が女性だと、きっと誰も性被害として受け取ってくれないだろうと諦めていました」。そう彼は語りました。

アディクション臨床では、こうした、性被害体験を持つ覚醒剤依存症男性とちょこちょこ遭遇します。ふだんは固く蓋をしている過去のトラウマ記憶が何かの拍子に刺激され、強い内圧で蓋を押し上げはじめると、唐突に覚醒剤渇望が高まります。再び蓋を固く閉じるには、覚醒剤の強烈な薬理作用の力が必要となり、そのくりかえしの果てが依存症というわけです。

思い出すのは、ジャニー喜多川を告発した『光GENJIへ』(1988年、データハウス社)の著者、元フォーリーブスの北公次さんのことです。彼は、フォーリーブス解散翌年の1979年に覚醒剤取締法違反で逮捕され、そのせいで彼の告発は「シャブ中の戯言」と一蹴されてしまいました。しかし、彼の覚醒剤使用にも私の患者と同じ背景があった可能性はないでしょうか? もちろん、すでに北さんは故人なので確認のしようがありませんが、私にはどうしても無関係とは思えないのです。

男らしさ失格者・落伍者としての私

時事ネタで紙幅を費やしてしまいました。

さて、前回の手紙では、マコトから大きな(?)宿題をいただきました。曰く、

男らしさの病や、女らしさの病。これをぜひトシにも語ってもらいたいと思っています。『信田さよ子さんに会うと、足をギュッと踏まれているんですよ。精神的な去勢ですよ(涙)』と語っていたトシに、ぜひ。

はぁ、「男らしさの病」ですか……。

確かにある時期、依存症関係の学会や研修会などでお目にかかるたびに、信田さよ子先生から靴の先端を踏まれていました。決してぎゅっと押しつけるように踏むのではありません。羽根が落ちるようにほんのごく軽くです。それでもまあ、「せっかく昨晩、苦労して靴の先端を鏡面磨きしたのに……」と心が折れかけましたが、悪意がないのはわかっていました。ちょっと茶目っ気のある挨拶――ですから、女王さまに笑顔で足を差し出すべきところでした。

しかし、いま思い出しても不思議なのですが、そのとき確かに何かどす黒いものがむっくりと鎌首をもたげてくる感覚がありました。いや、決して怒りではなく、むしろ脅えに近い。相手がちょっと手を上に挙げるだけで「殴られる!?」と、ビクッっと身構える被虐待児のように、心のなかで警戒アラームが鳴り響く感じというか。あるいは、これが、精神分析でいう「ヴァギナ・デンタタ」(Vāgīna dentāta: 「歯の生えた膣」)的な去勢恐怖なのでしょうか……。

思い当たる節がないわけではありません。

思春期の頃、私の男性性というのは、脆弱な基盤の上でぐらぐらしていました。今でこそわりと身長がありますが、私は身長が伸びるのが同級生よりも遅く、中学生の頃まではクラスでは小柄な方でした。加えて、痩せて貧弱な体躯で、ものすごい運動音痴でした。昭和の終わり頃、湿布薬『ハリックス55』のテレビCMで、元力士の荒瀬さんに俳優の小倉一郎さんがバシッと背中を叩かれてよろめくシーンがありましたが、まさにあんな感じの少年でした。

性的にもオクテでした。思い出すのは、中学1年生、私は同級生のちょっと不良っぽい感じの女子たちから性的な冗談でよくいじられていたことです。あの年代って女子の方が身体も大きいですが、特にその子たちは大柄で心身ともに早熟で、当時の私には、巨大な壁からぬっと顔を覗かせる「超大型巨人」のように感じられたのでした。

あるとき彼女たちから「○○やってる?」ってニヤニヤ笑いながら尋ねられたことがあります。「○○」がどんな言葉であったのか、ちゃんと聴きとれなかったので記憶もしていませんが、何か性的なニュアンスを帯びた言葉であることだけは直感できました。

「やっているよね?」「えー、松本くんはやらないでしょ?」「いや、きっとやってるよ」「えー、だって○○って言葉、知らないじゃん」と、女子たちは互いに顔を見合わせては気味悪く頬を弛め、ヒソヒソと内緒話をしていたのを覚えています。

後になって、彼女たちの隠語がどうやら自慰を意味するらしいのを知りましたが、そのときには「揶揄されている」という恥辱的感だけが記憶に残りました。

貧弱な体躯もよくいじられました。彼女たちのひとりが夏の半袖のワイシャツからのぞく私の細い腕を見咎め、「ほっそーい、私よりも腕が細いじゃん。超ひ弱」と声をあげ、キャハハと笑い出しました。そのまま腕相撲を挑まれ、見事に負けたのでした。調子に乗った彼女たちは、今度は、「これから一緒にプロレスしよ!」と誘ってきました。

いくらオクテでも、私だって一応は思春期真っ盛りの男子です。プロレスとはいえ、女子と身体を密着させるなんて鼻血ものですが、きっと相手はそんなこと微塵も考えていない。そう思うだけで、膝を折ってその場に崩れてしまいそうな気分でした。「身体が貧弱だからこんな風にバカにされるのだ。男性としてダメなんだ」。

以来、女性による境界線侵犯にはとても神経質になりました。

ミソジニストなのかって? 

そういうつもりはなくて、くりかえしますが、脅えに近い感情です。会うたびに信田先生に靴の先端を踏まれていた頃、私はすでに40代前半、押しも押されもせぬ中年でしたが、その構図には苦い思春期の記憶を賦活する何かがあったのだと思います。

他者を遠ざけるためのタバコ

ともあれ、思春期は嫌なものです。やり直せといわれても、絶対に願い下げです。

それにもかかわらず、私のなかにはいまだに「思春期」が存在します。決して声高な自己主張はしませんが、内面の漆黒を凝視すると、あたかも海底にうずくまる深海魚のように、闇のなかでグロテスクな眼球をぎょろつかせている。

思えば、思春期の頃、私は自分のキャラ設定や人との距離感に悩んでいました。なにしろ、無趣味な男です。テニスもスキーもせず、野球やサッカーの観戦にも関心がない。もちろん、アイドルにもアニメにも興味がなく、囲碁、将棋に至ってはルールすらわからない。これでは、異性はおろか同性との雑談すらままならなりません。天気の話から先の話題がないのです。

しかし、ひょんなことから私はロールモデルを発見し、生きるのが少しだけ楽になりました。それは、高校に入学して、友人から勧められたタバコに火をつけ、煙を吐き出した瞬間、つまり初めてタバコを経験した時です。脳裏に、『ルパン三世』の次元大介と、『ムーミン』のスナフキンのイメージが浮かんできたのです。二人には共通点がありました。二人ともニコチン依存症(次元は紙巻きタバコを、そしてスナフキンはパイプを愛好していました)であり、帽子を目深にかぶって人との交流から少しだけ距離を置いています。

なるほど、タバコやパイプを口に咥えた姿は、「赤ちゃんコスプレをした口唇期固着おじさん」さながらの醜悪さかもしれない。それでも、吐き出す煙は煙幕となって自分を隠し、他者との境界線を引き、他者と親密にならずに一人で過ごすことに言い訳を与えてくれるのです。

私にとって、これはメリットでした。次元・スナフキンばりに無愛想なインターフェースがあれば、誰も恥辱的な猥談やプロレスの誘いを持ちかけない。私はタバコを気に入り、すぐさま生きるうえで手放せないものになってしまいました。 ああ、これが、私なりの屈折した「男らしさの病」の表現型のようです。我ながら相当な「陰キャ」だと改めて呆れますが、これくらいで宿題コンプリートとさせてください。

〈担当編集より〉

女性が「男性が女性に怯えている」という言説に触れる機会は多くありません。それはそもそも男性が「弱さ」を見せることを良しとしない風潮がこの社会に蔓延していることに関係するでしょう。また、大人になってからの男女は、肉体的にも経済的にも男性が女性より優位に立つことが多いです。ましては大学の教員であるマコトとお医者さんであるトシは、ステータスからだけいったらまさに「強者男性」然としており、「弱さ」とは無縁であるような思い込みを持ってしまいがちです。

しかし、私はこの連載を担当する間に驚くべき経験をしました。副業でライターをやっているXのアカウントでジャニーズの会見の井ノ原快彦氏の発言を批判したところ、思いがけず拡散され、多くの女性の「ジャニオタ」と思われる方から大量の二次加害のリプライを受け取ったのでした。

曰く「被害を訴えている人は金目的」「彼らによってジャニーズの評判が不当に落とされている」「訴えている被害に遭った後に、あんなに笑って話せるわけがない」……など。それらは伊藤詩織さんの訴えや#Metooのムーブメントにおいて、繰り返し被害女性が投げかけられてきた言葉です。それを「男性の性被害」となると「女性」が口にすることにショックを受けました。しばらくして2023年10月、ジャニーズ事務所による性加害を訴えた男性が自死した、というニュースが報じられました。第三者の私ですら、気分の悪くなるような言葉の数々、当事者たちはどのような思い出受け止めているでしょうか。

もちろん男性が「弱さ」を持ちうること、男性にも性被害体験がありうることによって、女性の被害が相対化されることはありません。「どっちもどっち」という言い募りは、双方の痛みを無下にする、雑で、冷笑的な議論です。とはいえ、本連載で繰り返し強調さえてきたように、「依存症」の背景には「痛み」が存在すること、そしてその「痛み」の正確な理解を阻むものに、ジェンダーバイアスが存在しうることは、支援にあたって強く留意しておくべきことといえるでしょう。

次回の更新は、12月14日(木)17時予定。マコト(横道誠さん)からのお返事です。

筆者について

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として「自傷行為の理解と援助」(日本評論社) 、「アディクションとしての自傷」(星和書店)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版)、「アルコールとうつ、自殺」(岩波書店, 2014)、「自分を傷つけずにはいられない」(講談社)、「もしも「死にたい」と言われたら」(中外医学社)、「薬物依存症」(筑摩書房)、「誰がために医師はいる」(みすず書房)、「世界一やさしい依存症入門」(河出書房新社)がある。

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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