酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡
第5回

無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)

学び
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依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。そして困っている、という人はたくさんいるのではないでしょうか。

そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。

ありがとう、トシ。前回の内容は自助グループ・ジャンキー(?)の私には、ほんとうに励まされるものでした。

「回復の鍵を握るのは、12ステップでも認知行動療法でもない。重要なのは治療法ではなくもっと非特異的なもの、つまり、支援者や仲間とのつながり――私はそれを「回復のコミュニティ」と呼びます――を維持することであり、酒や薬をやめているかどうかはもはや二の次である」「どうです? マコトがこれまで試みてきた、マコトなりの自助グループのあり方、全然まちがっていないと思いませんか?」

 アディクション治療の権威から、励ますように背中をバーンと叩かれたような気分で、感無量とはこのことですね。

無力さの受容とアディクションの克服

 AAに熱心に通っていたとき、『ビッグブック』に興味を持って小冊子版――ミニブック?(笑)――を入手して、熱心に読みふけりました。AAって結局は宗教、というかキリスト教への新手の勧誘なんじゃないかなという疑いを持っていたので、この本を読んで、そうではないんだなって、やっと信用することができました。どんなんでもいいから、とりあえず自分なりに信じられる神を信じようという提案が書いてあって、トシも話題にしていたウィリアム・ジェイムズの話題にあがって、「これなら信じて良さそうだ」と思った。私は宗教関係の専門家じゃないけど、文学研究をずっと宗教問題に絡めてやってきて――子どもの頃に「洗脳」されたのを相対化しようと足掻いてきた人生だと思ってる――ジェイムズが提示したような宗教的多元論というのは、ひとつの理想的モデルだなと若い頃に思ったときがありました。宗教的経験(典型的には神秘主義的な至高体験)というものが、特定の宗教の正当性を保証するものではなくて、どんな宗教にもあるものだと書いてあるのを見て、「フェアな議論だな」と思った。だから、『ビッグブック』が「ウィリアム・ジェイムズ系統」だとわかって、それだけで安心したというところがあります。

 トシが引用していた、アルコール依存症者を解決するのは宗教熱だというジェイムズの指針、すごい発明だったと思うけど、じつは世俗的な論理として整備されていなかっただけで、19世紀の欧米ではすでに「常識」だったのかなと想像してしまうところもあります。というのも、19世紀に書かれた小説を読んでいると、「飲んだくれのダメ人間だった男が、神さまへの信仰に目覚めて、驚くべき真人間に大変身」というパターンの展開がよく出てくるからです。これって「出来すぎ」「いかにも作り話」にも見えるけど、たんに「あちこちでよく起こってること」だったのかもしれませんね。アディクションで人生をダメにしている人に対して、神父や牧師たちが「神にすがって更生しなさい」と励ましていた。もしかすると、それは「信じるものは救われる」という教条主義でやっていたのかもしれないけれど、いざ神さまに夢中になったら、酒よりも信仰のほうが「強烈に効く」から、敬虔さによってアディクションが解消されてしまうという魔法が発生する。よくできているなと思います。

 トシが書いていたように、「アノニマス系」の12ステップは「無力」の受けいれから始まるけど、これが「男らしさの病」に浸っている人たちに抜群に効くのは、私自身この病にまったく罹患していないわけではないから、よく理解できると思ってきました。トシは薬物乱用などで、マスメディアを騒がせた著名人たちの治療もよく担当しているってどこかで聞いたことがあるけど(二村ヒトシさんが言ってたんだっけな?)、そういう著名人で更生した態度を見せている人たちって、どの人も以前は剥きだしにしていたギラギラした凶暴な男臭さを脱水・排水したかのような雰囲気を見せている。シュンとして、謙虚な姿を見せてくれていて、「かわいい系のおじさん」に変貌してしまっている。彼らのそんな姿を見るたびに、私は「この人もじぶんの無力を受けいれたのか。すばらしいことだ」と眺めています。やはり私も「無力」を受けいれて、別の言い方をすると、いろんな見栄を諦めて生きるようになったので、彼らの気持ちがわかるような気がして、ちょっと泣きそうにもなってしまう。

 そこらへんのことを全部わかってるトシが、合わせて「実際、マコトのように子どもの頃に宗教によって傷つけられた経験のある人にとって、AAの宗教くささはそれ自体が外傷的です。それから、虐待やいじめ被害によって自身の感情を無視され、存在を否定され、嫌というほど自らの「無力」を思い知らされてきた人にとって、ステップ1の「無力」という言葉が残酷に響きます」と書いてくれるトシは、やはり信用できる精神科医だなと信頼を新たにしました。そういえば、このまえ石田月美さんと話していたのですが、月美さんは「無力の受けいれは男性だから意味があることであって、女性ではどうなんだろうか」と言っていて、「おもしろい論点!」と思いました。そのあたりの議論を詳しく知りたいなって、いまムズムズしています。男性が女性より「全能感」を感じやすいのと対象的に、女性は男性よりより「無力」の感覚に苦しむことが多いだろうから、もしかしたら、女性には女性用の「12ステップ」が必要なんだろうか。

私が主宰している自助グループはいま九種類あるけど、ほとんどのグループでは当事者研究を中心にやっています。疾患や障害の当事者が、類似した特性を持つ仲間とともに苦労の仕組みを研究して、行きやすさを見つけていくという「浦河べてるの家」発祥の取りくみ。ちょっと話が横道に逸れるけど、この「浦河べてるの家」という名前も、最初は「ゲーッ」と吐きそうな暗い気分がしたものです。子どもの私が信じこまされていたカルト宗教では、「ベテル」「ベテル奉仕」「ベテル家族」などの用語が、信者同士の会話でよく飛びかっているんです。「べてる」がひらがななのも、よけいに気持ち悪いなと思って。

でも、じぶんで仲間を集めてミーティングを開いてみると、すぐに当事者研究に夢中になりました。リーダー役を務めてきた向谷地生良さんはプロテスタントだから、「苦労」を仲間と背負うというイメージには、たぶんイエス・キリストと信者集団のイメージが下敷きになってると思うんだけど、当事者研究は、宗教への導線にはほとんどならない。AAの場合だと、第3回で書いたように、ミーティングの開かれる場所が教会だったり、雰囲気がキリスト教っぽかったりで、やはりキリスト教への導線になりやすいという面はあるけれど、当事者研究はその点では安全。でも、本場のべてるの家ではそうでもないのかな。浦川教会と密接な関係にあるようですからね。

回復のコミュニティの発見の精神医学全体への貢献

 当事者研究のほかに、私が自助グループでやってるのは、最近のメンタルヘルス界隈でちょっとした流行になっているオープンダイアローグ的な対話実践。オープンダイアローグは、本来はフィンランドの僻地の病院で、統合失調症の患者の治療のためにやっていたグループ療法だけど、日本では統合失調症の患者のみを対象とせず、普遍的なケアやセラピーの技法として人気を集めるようになった。私たちのグループは、病院でやってることを自助グループに移植する上で、本来のオープンダイアローグのどのあたりを維持して、どのあたりを変形するべきかということを探求する活動と言って良さそうです。いろんな疾患や障害、苦悩、生きづらさを抱えた人たちがやってきて、活発に対話をやっています。私がオープンダイアローグに感じた魅力のひとつは、患者に与えるメッセージの複数性、多様性、限定性を肯定している点。私はそこに、メッセージの単一性、特権性、普遍性をめざす宗教的な空間、あるいは神的な空間とは正反対の人間的な空間を感じて、安心できるんです。だから私は結局どこまで行っても、子どもの頃にじぶんを染めぬいた宗教的なものとの取っ組みあいを続けている気がする。

 それにしても、アディクションの治療が「回復のコミュニティ」を発見したのは、アディクションにとってだけでなく、精神医学全体にとって大きかった、と語られる日が来てほしいというのが私の夢です。『みんな水の中』(医学書院)が評判になって、発達障害の学会や研究会でも講演を頼まれることが出てきたんだけど、私は発達障害の自助グループでの体験談を紹介して、「アディクションは治療が非常に困難だし、発達障害はそもそも治療できない。それでも、どちらも対話によって状況が悪化することを防ぐことできる。自助グループによって、人生を好転させることができる。だからアディクションの臨床で自助グループが標準装備になっているように、発達障害の臨床でも自助グループを標準装備にしていくべきだと思うんです。このアイデアに、精神科医の皆さんが目覚めてほしいと思っています」って訴えてます。

 トシはアディクションの専門家だから、トシや同僚たちが自助グループ推しになることをちょっと突きはなしてに見ているところがあるかもだけど、私はそういう態度を尊敬してしまいます。発達障害の専門家は、私から見るともっとずっと傲慢な印象の人が多いです。発達障害を治療することもできないのに(そんなことができる医者は存在しないわけですが)、「回復のコミュニティが助けてくれるよ」と助言することすらしない。自助グループだけでなく、「心理士に頼って認知行動療法を学んでみては」とも提案しない人がほとんど。ある程度歴史のあるアディクションの臨床と異なって、発達障害の臨床が若いジャンルだという問題、アノニマス系のやり方が確立しているのと異なって、発達障害者の自助グループ活動がまだ赤ん坊状態だという問題も、関係しているのかなとは思うけれど。

 「底つき」がダンテの『神曲』みたいな世界観の物語だったというのは、初めて知りました。私がアディクションの治療につながったのは、最近の数年のことだから、トシの本をたくさん読むことができたのは、ほんとうにありがたかった。それで「底つき」神話にも、初めから疎遠でいられた。AAで仲間の語りを聞いていても、よく「底つき」の話が出るので、この神話の根強さはすごいですね。でもどう考えてみたって、「底つき」を体験して、そこからの上昇回復をするなんて展開を狙ってたら、アディクションに内臓を犯されまくって、平均寿命よりずっと早くに人生に終えるか、酩酊した状態で交通事故でもあって、やっぱり死んでしまうかするんじゃないかな。人間、底はつかないほうが良いと思う。

 「ダメ。​​ゼッタイ。」の批判のことは、もっと勉強しなくてはいけないなと思いました。小学生のとき、マンガの『はだしのゲン』を読んで、原爆の直接的な災厄もショッキングだったけれど、終わりらへんで主人公ゲンの仲間のひとりムスビが、シャブ漬け(ヒロポン中毒)にされてしまって、それがいかにも「廃人」という描き方だったのもトラウマ級だった。私の心はリスのように臆病だから、「絶対にドラッグ系には手を出さんとこ」と思ったんだけど、結局「これこれはドラッグじゃないからセーフ」みたいな判断で、つぎつぎにいろんなものをアディクションの対象にしてしまっただけな気もする。アディクションって、ほんとうにおもしろい(というと語弊があるけど)ですね。

次回は、トシ(松本俊彦さん)からのお返事です。

筆者について

よこみち・まこと 京都府立大学文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中──「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!──当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる──発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『発達界隈通信──ぼくたちは障害と脳の多様性を生きてます』(教育評論社)、『ある大学教員の日常と非日常――障害者モード、コロナ禍、ウクライナ侵攻』(晶文社)、『ひとつにならない──発達障害者がセックスについて語ること』(イースト・プレス)、『あなたも狂信する――宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)が、編著に『みんなの宗教2世問題』(晶文社)、『信仰から解放されない子どもたち――#宗教2世に信教の自由を』(明石書店)がある。

まつもと・としひこ 1967年神奈川県生まれ。医師、医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部部長。1993年佐賀医科大学医学部卒業。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、2015年より現職。2017年より国立精神・神経医療研究センター病院薬物依存症センターセンター長併任。主著として『自傷行為の理解と援助』(日本評論社) 、『アディクションとしての自傷』(星和書店)、『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版)、『アルコールとうつ、自殺』(岩波書店, 2014)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『もしも『死にたい』と言われたら』(中外医学社)、『薬物依存症』(筑摩書房)、『誰がために医師はいる』(みすず書房)、『世界一やさしい依存症入門』(河出書房新社)がある。

  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」
  1. 第1回 : へい、トシ!(横道誠)
  2. 第2回 : ヘイ、マコト(松本俊彦)
  3. 第3回 : 自助グループと地獄行きのタイムマシン(横道誠)
  4. 第4回 : 「ダメ。ゼッタイ。」よりも「回復のコミュニティ」(松本俊彦)
  5. 第5回 : 無力さの受容と回復のコミュニティ(横道誠)
  6. 第6回 : 「回復のコミュニティ」に必要とされるもの――周回遅れのアディクション治療(松本俊彦)
  7. 第7回 : 当事者イメージの複雑化と新しい自助グループを求めて(横道誠)
  8. 第8回 : 「困った人」は「困っている人」――自己治療と重複障害(松本俊彦)
  9. 第9回 : ヘイ、トシ(再び)(横道誠)
  10. 第10回 : 人はなぜ何かにハマるのか?(松本俊彦)
  11. 第11回 : 紳士淑女としての”依存”のたしなみ方(横道誠)
  12. 第12回 : 大麻、少年の性被害、男らしさの病(松本俊彦)
  13. 第13回 : 自己開示への障壁と相談できない病(横道誠)
  14. 第14回 : ふつうの相談、そしてつながり、集える場所(松本俊彦)
  15. 第15回 : 依存症と共同体、仲間のネットワークへの期待(横道誠)
  16. 第16回 : つながり再考――依存症家族支援と強すぎないつながり(松本俊彦)
  17. 特別編(前編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(前編)を公開
  18. 特別編(後編) : 『あなたも狂信する』刊行記念! 往復書簡特別編(後編)を公開
  19. 第17回 : 依存症を引き起こすのは、トラウマ?ADHD?それとも?(横道誠)
  20. 第18回 : アディクションと死を見つめて(松本俊彦)
  21. 連載「酒をやめられない文学研究者とタバコがやめられない精神科医の往復書簡」記事一覧
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