やさしい生活革命――セルフケア・セルフラブの始め方
第1回

セルフケア・セルフラブを取り戻す――資本主義的「ご自愛」への抵抗

暮らし
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「カルチャー ×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、デビュー作『世界と私のA to Z』が増刷を重ね、新刊『#Z世代的価値観』も好調の、カリフォルニア出身&在住ライター・竹田ダニエルさんの新連載がついにOHTABOOKSTANDに登場。いま米国のZ世代が過酷な現代社会を生き抜く「抵抗運動」として注目され、日本にも広がりつつある新しい価値観「セルフケア・セルフラブ」について語ります。本当に「自分を愛する」とはいったいどういうことなのでしょうか? 一緒に考えていきましょう。

「セルフケア」の日本における受容

最近、「セルフケア」という言葉が日本でも急速に広がりつつあるが、「セルフケア」という言葉を聞いて、どういうことを想像するだろうか。いつもより少し贅沢な保湿パック、いつもは買わないデパートのチョコレート、シャンパングラス片手に泡風呂、またはちょっと遠くまで一人旅。「自分で自分のご機嫌を取れる」のが大人であり、自分で自分にお金を使うことで「ご自愛」をする。日本語圏において「セルフケア」という言葉は、雑誌やテレビなどのメディア、そしてSNSや商品広告などを通じて、このようなイメージが流布していった。

自分を愛するという行為は、決して簡単ではない。電車に乗れば、「ムダ毛を脱毛しろ」「頭の毛を増やせ」「ダイエットをして痩せろ」「老いないために運動しろ」と、「今のままの自分ではダメだ」と四方から責められ、理想的な自分を獲得するために変わらなければならない、そしてそのためにはお金を払わないといけない、という圧力に囲まれる。人間にお金を使わせるには、特定の理想像を見せつけ、その生活や容姿を獲得するためには何かしらの特定の商品やサービスを購入「しなければならない」という、羨望と緊迫感を植え付けることが最も有効だ。そしてその効果を発揮させるため、「今の自分のままではいけない」という否定的なメッセージもセットで伝えられる。

最近の広告のキーワードとなっているのは「努力」と「向上心」だ。美容や整形、ダイエット関連商品やサービスの隆盛、そしてビジネス書や自己啓発本が相変わらず売れているという現象からは、「あなたが向上心を持って努力さえすれば、人生はうまくいく」という自己責任論の気配を感じる。「より良い自分」を目指すことは各々の自由であり勝手だが、その原動力が広告などによって植えつけられた焦燥感や恐怖心になってしまってはいないだろうか。経済的な格差や制度的な抑圧の存在は、誰にとっても決して無関係ではない。しかし多くの人が、人生における「成功」や「幸せ」は環境的な要因ではなく、個人の「努力」と「向上心」次第であるかのように思いこまされている。私たちはそのような欺瞞に無自覚になってしまっていないだろうか。

資本主義社会において自分を「嫌い」になるように訓練されている我々は、今の自分には「ない」ものを求めて懸命に働き、懸命にお金を使うのだ。そんな環境の中で、「自分を好きになる」行為は、社会に対する一種の「抵抗」である。

抵抗運動としての「セルフケア」と資本主義との緊張関係

お金を使うことに「生産性」を感じたり、「生産性」を感じることで自分を肯定できるようになるのは、単なる資本主義への隷属であり、精神的な問題の根本的な解決にはならない。一時的に何かを購入したり、消費をすることで「コーピング(ストレスを対処するための行動)」や「趣味」として息抜きには役立ったり、応急処置的に気分が良くなったりするかもしれないが、果たしてそれは本当に「自分を愛する」行為なのだろうか? 「自分で自分の機嫌を取ろう」とはいうけれども、そのような耳障りのいいフレーズが、そもそも「機嫌」が悪くなる原因である社会構造を批判したり、改変したりする意欲を削ぐように目を背ける要因になっていないだろうか。

本質的なセルフラブ・セルフケアの話をするのであれば、近年アメリカでも問題視されている「不安やイライラの根本的原因である資本主義を批判せず、その構造に加担することでコーピングすること」または「モノを売る手段としてセルフケアの概念が利用されること」を意識する必要がある。先鋭的なフェミニストによる教えだった「セルフケア」が、いかにして資本主義的な「大衆ウケ」を志向し、政治性を剥奪されたのか。本連載ではこのような、現代における「セルフケア」の矛盾を詳しく考察していきたい。その文脈を辿り、私たちがセルフラブ・セルフケアを実践することを困難にさせている社会の構造と変化を分析することで、初めてセルフケアの本質が見えてくる。

「消費を通じた自己実現」という構造に、セルフケア・セルフラブの価値観が回収されてしまっては、ストレスを再生産するサイクルから抜け出すことが難しくなってしまう。現代社会において、根強く抑圧されている層は女性である。しかしそのストレス発散の方法が「自分の機嫌は自分で(金を使って)取る」ということと結びつくと、白人女性中心的・資本主義的なミレニアル世代の「ガールボス」的なセルフケアに陥りがちになる。「ガールボス」的なカルチャーとは、世の中に存在する特権、資本主義に起因する格差などを「お金の力」で突破し、自らが「権力者側」になることを美化するムーブメントをいう。例えば女性が起業したファッションブランドで、表向きは「女性社長によるエシカルな会社」と謳っているのに、実際には発展途上国の有色人種の女性の労働力を低賃金と劣悪な環境やパワハラで搾取しているなど、結局は男性中心的で資本主義的な社会規範に則って、より社会的に弱い立場に置かれている他の人々を搾取しながら「成功」を目指すような「ガールボス」的なフェミニズムは、決してインクルーシブ(包摂的)でもなければ、持続可能でもない。今やアメリカでは「ガールボス」という言葉自体がけなし文句やミームとして使われるようになっていて、例えば医療ベンチャー企業・セラノス を創業し、時代の寵児ともてはやされたのち、詐欺罪で逮捕されたエリザベス・ホームズなど、有害な男性性に基づいた経済的な「成功」を求めた女性たちを形容するのに使われる。

このような資本主義的、「白人ガールボス的」セルフケア(お金で問題を一時的に解決し、他者を搾取してまでも欲しいものを手に入れること)は、あくまで限定的な快楽にすぎないのだ。

この連載でも回を追って紹介するが、「セルフケア」のムーブメント自体は、そもそもブラックパンサー(ブラックパンサー党。1966年に結成され、1970年代にかけてアフリカ系アメリカ人のコミュニティーを人種差別や暴力から守るために活動した黒人解放闘争のための自衛組織)が形成したものだと言われていて(※1)、白人中心社会に対抗する黒人アクティビストが、社会問題と向き合って戦っていくため、自分を大切にすることの必要性を広めたことに始まっている。だからこそ、ここで語るインターセクショナルなZ世代的価値観の文脈におけるセルフケア・セルフラブは、個人主義と資本主義に基づくナルシシズムという自らの殻に閉じこもることではなく、コミュニティと連帯し、共に学び合いながら社会を良い方向に変えていくための、自分というエネルギー源を守る手段として扱いたい。この考え方の背景には「自分のことを愛せずして、社会のために戦えるはずがない」という問題意識がある。一見、セルフラブという概念は「自分自身」を最優先に考え、自分の周りの家族や友人たちのことにのみ関心を向け、社会問題を無視することのように感じられるかもしれないが、苦しさや生きづらさの根本的な原因になっている経済問題や環境問題などの存在を認め、それらがどう自分に影響を与えているのかと向き合わないままでは、永遠に「自己責任」のループから抜け出すことはできない。

個人主義の行き着いた先には「自分を自分で守らないといけない」という、コミュニティによる相互ケアや慈善からくる利他の概念からは遠い「孤独」が待ち受けている。「セルフケア産業」は、そのような不安や孤独に漬け込むことで栄えるのだ。環境を変え、人間的な繋がりを通して「お互いをケアする」のではなく、あくまでも個人で個人をケアする、新自由主義的なセルフケアは、どこまでも孤独で、終わりがない作業だ。

企業の利益のためにねじ曲げられたセルフケアのトレンドは、「有害なセルフケア」とまで称され、アメリカでも問題視されている。仕事の効率を上げるためのメディテーションや、肌を癒すためのフェイスマスクなども、元来は「気分を良くするもの」として有効なツールであっても、またすぐ「生産性」に結びついてしまうことがジレンマとなる。このような資本主義的なセルフラブ・セルフケアの概念は、日本に導入するならもっと慎重に、企業が「セルフラブ・ウォッシング」をしていないか、そのセルフラブは他の誰かを踏みにじっていないか目を光らせ、消費者自身が資本主義的な謳い文句に絡めとられることに抵抗し、ラディカルなセルフラブを推進していく必要があるのではないだろうか。

高度に発達した資本主義社会において、労働者は「自分を愛する」という権利さえ奪われている。だからこそ、消費から来る自己嫌悪に立ち向かうためのセルフケアまでもが、「生産性」に結びついてしまうのは虚しい。社会が変われば、セルフラブ ・セルフケアのあり方も当然変わってくる。社会と切り離された「自分のことだけをする」セルフラブではなく、社会と向き合うことで自分も周りも解放できるようなセルフラブが、今こそ必要なのではないだろうか。

※1 The Radical History of Self-Care | Teen Vogue

次回は、11月8日(水)17時更新予定。

筆者について

たけだ・だにえる 1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、リアルな発言と視点が注目されるZ世代ライター・研究者。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。著書に文芸誌「群像」での連載をまとめた『世界と私のA to Z』、『#Z世代的価値観』がある。現在も多くのメディアで執筆中。「Forbes」誌、「30 UNDER 30 JAPAN 2023」受賞。

  1. 第1回 : セルフケア・セルフラブを取り戻す――資本主義的「ご自愛」への抵抗
  2. 第2回 : 歴史からみるセルフケアの「政治性」
  3. 第3回 : 「生産性」に回収されない、ヘルシーなセルフケアとは?
  4. 第4回 : その理想の体型は誰のため?――ボディポジティビティとセルフラブの複雑な関係
  5. 第5回 : それって本当に「マストハブ」?アメリカで爆発的な人気!「スタンレーカップ」への熱狂と混乱
  6. 第6回 : 燃え尽き症候群を防ぐセルフケアの実践――あなたは「バウンダリー」を設定できていますか?
連載「やさしい生活革命――セルフケア・セルフラブの始め方」
  1. 第1回 : セルフケア・セルフラブを取り戻す――資本主義的「ご自愛」への抵抗
  2. 第2回 : 歴史からみるセルフケアの「政治性」
  3. 第3回 : 「生産性」に回収されない、ヘルシーなセルフケアとは?
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  5. 第5回 : それって本当に「マストハブ」?アメリカで爆発的な人気!「スタンレーカップ」への熱狂と混乱
  6. 第6回 : 燃え尽き症候群を防ぐセルフケアの実践――あなたは「バウンダリー」を設定できていますか?
  7. 連載「やさしい生活革命――セルフケア・セルフラブの始め方」記事一覧
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