ねそべるてつがく
第3回

豆乳鍋と抵抗

学び
スポンサーリンク

紀伊國屋じんぶん大賞入賞作『水中の哲学者たち』で話題の永井玲衣さんによる新連載「ねそべるてつがく」。つねに何かを求め、成長し、走り回らなければならない社会の中で、いかにして「考える自由」を探し求めることができるのか。「ただ存在するだけ運動」や「哲学対話」を実践する哲学者がつまづきよろめきながら、言葉をつむいで彷徨います。「考える」という営みをわたしのものとして取り戻す、新感覚の哲学エッセイ!  

完全に受動的になってしまっているひとはかわいい。

たとえばエスカレーターに乗っているひと。みんなそれぞれの表情で、それぞれの仕方でぼうっと運ばれている。小さいころから好きで、よく駅ビルやデパートでエスカレーターの近くに腰掛け、いつまでも眺めていた。みんな、自分がどこへ向かっているのか、何も知らないような表情で乗っている。

彼らは、きょとんとした顔でおとなしい。たまにきょろきょろと周りを見渡して、だが慎ましく従順である。一列に並んで、自分を機械に運ばせている。

だが、そうした受動的な状態をかわいいと思う自分のまなざしに、ときおりぞっとする。おぞましさを感じる。それは従順さを愛玩する抑圧的な欲望なのではないか、と何かがささやく。

無抵抗なひとはかわいい。本当にかわいいのだ。

先日、煙草くさい喫茶店で友だちと会った。店内にはまばらにひとがいたが、誰もが各々の思考に忙しそうで、互いのことに興味がなさそうに座っていた。

「昨日デカルトの『省察』を読んでいたとき、急に思ったんですけど」と友だちは言った。

「“人生楽ありゃ苦もあるさ”って、本当にそうなんですかね?」

わたしは、友だちの言葉を聞きながら、学部生のころに読んだ『省察』のことを思い出していた。喫茶店にかかっている音楽の音量が大きくて、あやふやになる過去をたぐりよせる。何もかもを疑おうとしたデカルト。神を探しまわるデカルト。目の奥で、昔の記憶をよみがえらせていると「いや、デカルトは全然関係ないんですが」と友だちは言った。関係がないのか。だがそういうことはよくある。わかる話だ。

「人生、楽だけでもいいじゃないですか?」

友だちは真剣だった。このひとはいつも笑っているが、いつも真剣なのだ。わたしは彼のそういう部分を尊敬している。「苦があるということを、あきらめてますよね」。相変わらず、まだにこにことしている。だがもしかすると怒っているのかもしれない。それはわからない。

とはいえ、人生には苦があるのだ。疑いようのない、事実なのだ。楽があれば苦があるのだ。そういうものなのだ。だが、彼はそれに抗おうとしていた。

抗うとは何だろう。問いがやってきて、すとんとわたしの隣に座った。

どこかにも書いたことがあるが、高校生のころわたしはルールや言いつけを守ることに熱中していた。そして、どうしようもなく意味がなく空疎なものであればあるほど、それを守り抜くことにこだわった。

誰にも知られず、古ぼけた校舎の片隅の、誰も使わないような教室の床を雑巾で拭き上げるとき、ペットボトルで水を飲むことを我慢するとき、規程の長さにスカートを合わせるとき、起立・礼を丁寧におこなうとき、わたしは快感だった。なぜなら、わたしはこれのバカバカしさを心から理解しながら、完璧にそれを守っていたからだった。ルールはわたしを縛っているように見えて、縛ることはできなかった。わたしはこれを腹の底で従わないと笑いながら従うことで、わたしの人生のただの選択のうちのひとつにしたのだ。

「これこそが反抗だ」と17歳のわたしは考えた。誰よりも従順に、だが反抗するということをわたしは誰にも知られずに楽しんだ。

わたしは抵抗をしていたのだろうか?

デモに行く。当たり前のようにデモに行きたい。デモがこわいと思いながらデモに行きたい。デモとは何だろう?と思いながら、デモに行きたい。そして、人々と集うことで、互いがばらばらのまま、共にあるということを試みたい。

たくさんの人々がそこにいた。マスクで顔をほとんど覆っている。数年前のデモとは異なって、みな黙り込んでいた。ほんの少しずつでも距離をとりあって、ぽつりと立っていた。あなたは「戦争反対」というプラカードを手に持っていた。あなたは「NO WAR」と書かれた紙をにぎりしめていた。

あなたと声を合わせたくはない。そうではなく、あなたと考えるためにわたしはここに来た。ここに来ていないあなたとも考えるために、わたしはここに来た。あなたもきっとそうだろう。

わたしたちは抗っていたのだろうか?

電車の中でもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから

『水中翼船炎上中』穂村弘 / 講談社 / 2018年

学生のとき、電車でペットボトルの水を飲むなと言われた。「品がない」と先生は言った。わたしたちは水筒の水をごくごく飲んだ。ごくごく、ごくごく飲んだ。電車で足を組んで座るなと親に言われた。電車で化粧をするなと駅のポスターに言われた。電車で通話をするなと車内アナウンスで言われた。

しかしこの詩は、わたしたちにセックスをせよと言う。システムの外側で、エネルギーを燃え立たせよと命じている。そして、この詩はかなしい音をたてている。戦争へ行くのはあなたではなく、わたしたちだからだ。だが、本当にわたしたちだけなのだろうか?

戦争をしているっていえば、おれたちはみんなしているんだ。おれが手を挙げ、葉巻を吸う、おれは戦争をしている(、、、、)。サラが男たちの狂気を呪い、パブロを腕に抱きしめる、彼女は戦争をしている(、、、、)。オデットがハムサンドを紙に包むとき、彼女は戦争をしている。戦争がすべてを捉える、すべてを拾い集める、何も逃しはしない、思考でさえも、身振りさえも、それなのに誰にも戦争は見えない[……]。

『自由への道 4』ジャン=ポール・サルトル / 岩波文庫 / 2010年 / 251ページ

戦争はすべてを飲み込んでいく。わたしたちの日常の所作、コンビニで買ったコーヒーの蓋を閉めるその手つき、PCのキーボードを叩く爪の音、ハッピーデー5%オフの旗のはためき、見知らぬひとのスーツの埃っぽいにおい、すべてを拾い集める。

だが、その戦争を誰も見ることはできない。それをはじめたひとさえも。

まちを歩く。公園がある。中心部に「平和」と書かれたモニュメントがある。そのまわりを子どもたちが走っている。くたびれた大人がサンドウィッチをかじっている。風が吹いて、砂埃が少しだけ舞う。母親らしきひとが「約束守れないなら、もう来ないよ」と子どもに声を投げかけている。わたしは公園に入り、土でうっすらと汚れた平和という字を見上げる。わたしはここにいる、誰のことも知らない。

ぼくたちを徴兵しても意味ないよ豆乳鍋とか食べてるからね

『感電しかけた話』伊舎堂仁 / 書肆侃侃房 / 2022年

ある午後の道端で、友だちにこの詩を見せる。「いいですね」と友だちは言う。「豆乳鍋食べてますから」とわたしが言う。「意味ない」とまた友だちが言う。

豆乳鍋を食べているひとはかわいい。だが、かわいくない。抵抗しているからだ。豆乳鍋を食べることで、反抗しているからだ。わたしはいつも豆乳鍋に、豆腐と油揚げを入れるのだった。それはもはや大豆鍋と呼んだほうがいいかもしれないし、そうではないかもしれない。

わたしたちはとぼとぼ歩く。西日が目に入ってまぶしくて、少しだけ目を閉じて歩く。あなたは若くて、男性で、そうか、いざとなったら戦争に行くのか、と思う。冷たい風がどっと吹いて「さむい」とあなたは身をこわばらせる。

あと何回豆乳鍋を食べたら、このひとは戦争に行かなくてすむだろうか。

抵抗とは、どのようにして可能なのかと、またとぼとぼと歩きながら考える。きっぱりと表明すること、最前線に躍り出ること、ひとと集まること、考えること、笑いながら従うこと、公園に座ること、豆乳鍋を食べること。どれも抵抗と呼んでいいだろうか。

抗うとは、そうでない仕方であろうとすることかもしれない。どんなにわかりにくくとも、そのままで身を委ねないようにもがくことなのかもしれない。

そうであるならば、問うことは、それ自体として反抗的である。本当に?と口からこぼすこと、なぜ?と思うこと、それはすでに抵抗なのだ。とまどい、混乱して、言葉を選びかねていたとしても、それは無抵抗さとは決定的に異なっている。

寝そべることもそうだ。わたしたちは意識して寝そべる。抵抗として寝そべる。大きい声につられて走り出さないように、般若の顔をして寝そべる。むずむずと走り出したくなる足を抑えて、はいつくばる。そして、弱々しくとも、まとまらなくとも、問う。

目を覚ましていなければならない。うっとりとした眠気にさそわれて、頭をぼうっとさせたとしても、苦しみに満ちた現実に目をそむけたくなったとしても、強い光にまぶたを閉じてしまいそうになったとしても、目だけは覚ましていなければならない。

何の意味があるのだと笑われたとしても、目を覚ましていよう。もうすぐ春だ。

筆者について

永井玲衣

ながい・れい。哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と漫才と念入りな散歩が好き。

  1. 第1回 : ぱちん
  2. 第2回 : まだいます
  3. 第3回 : 豆乳鍋と抵抗
  4. 第4回 : ぬるり
  5. 第5回 : 重いの
  6. 第6回 : 絶句
  7. 第7回 : 笑う
  8. 第8回 : 遅くなりました
  9. 第9回 : 手のひらサイズ
  10. 第10回 : ひとがいる
  11. 第11回 : ずるい
  12. 第12回 : つながっている
連載「ねそべるてつがく」
  1. 第1回 : ぱちん
  2. 第2回 : まだいます
  3. 第3回 : 豆乳鍋と抵抗
  4. 第4回 : ぬるり
  5. 第5回 : 重いの
  6. 第6回 : 絶句
  7. 第7回 : 笑う
  8. 第8回 : 遅くなりました
  9. 第9回 : 手のひらサイズ
  10. 第10回 : ひとがいる
  11. 第11回 : ずるい
  12. 第12回 : つながっている
  13. 連載「ねそべるてつがく」記事一覧
関連商品