縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム
第10回

吉本隆明『共同幻想論』と「異族の論理」

学び
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思想家・吉本隆明にとって、真の日本の古層の探求は、天皇以前の縄文の探究に他ならない。そして、天皇以前の基層に回帰したとき、そこに真の意味での沖縄の価値が立ち現れる。縄文が立ち上がる。国家を超えた新しいヴィジョン。ここに縄文左派の輪郭が立ち現れる。

吉本隆明『共同幻想論』

吉本隆明は、1950年代後半に一躍論壇のスターとなった。花田清輝と論争を繰り返し、非転向として英雄視された日本共産党のリーダーを「転向の一形態」と切って捨てた。大胆できっぷのいい批評は、若い世代から圧倒的な支持を獲得した。

吉本は、1966年11月から雑誌『文芸』で連載を始めた。タイトルは「共同幻想論」。のちに吉本の代表作と見なされるもので、国家とは何かに迫る大作だった。連載は1967年4月まで続き、1968年12月に単行本として出版された。

吉本隆明『共同幻想論』角川ソフィア文庫/2020年

吉本が捉えようとしたのは、日本における天皇制国家の起源である。この起源を掴むことができれば、天皇制国家以前の原初共同体のあり方が見えてくる。それは天皇が存在しない別の共同性によって成り立っているはずである。

ここで吉本が注目するのが、各地に伝わる「民俗譚」である。「民俗譚」は「未開の<幻想>のさまざまな形態をかんがえるための唯一の資料」であり、その読み解きによって、日本における共同性の古層を捉えることができると考えた。

吉本は柳田国男の『遠野物語』に着目する。原初的なコミュニティでは、禁制(タブー)が共有されることによって、共同幻想が構築される。人々は共通の「恐怖」を抱くことで共同性を獲得し、徐々にその範囲を広げていく。

そのとき、重要になるのが<兄弟>と<姉妹>の対幻想である。同一の母を崇拝の対象とする兄弟・姉妹が、空間的に散らばり、祭礼行為を通じて対幻想を共同幻想へと拡張する。『古事記』では、巫女組織の頂点に君臨する姉(=アマテラス)と、土俗社会の政治的頂点に君臨する弟(=スサノオ)の関係が重要になる。原初共同体の象徴であるスサノオは事件を起こし、罰を受ける。この罪はプリミティブな社会が背負った「原罪」となり、スサノオは高天原を統治する宗教的権力・アマテラスに服従する。原初共同体は「法」の支配下に入り、宗教的権威による広範囲の統治が実現する。

共同幻想は、血縁的な社会集団の水準を離脱するとき、法的な共同規範を必要とする。これは前農耕的社会から農耕的社会への移行であり、強い規範性と権力を持った「宗教-法-国家」という共同幻想誕生の瞬間である。

ここにヤマト政権が成立し、天皇の君臨が始まる。国家形成以前から日本列島に住んでいた原住民の共同幻想は、国家という共同幻想に従属する。「禁制」によって結びついた「恐怖の共同性」は、「罪」と「法」の構造によって、国家という共同幻想へと移行する。

吉本は、日本国家成立のプロセスを提示することで、日本列島の住民を天皇制の呪縛から解放しようとした。天皇を頂点とする国家は、天皇が存在しない原初共同体から生成されたものである。天皇制国家は共同幻想の拡張によって生み出された存在であって、原初的存在ではない。原初共同体に、天皇はいない。

島尾敏夫×吉本隆明

この『共同幻想論』の執筆と同時並行で進められたのが、島尾敏雄論だった。吉本は連載終了と同じ1967年4月に出版された『われらの文学8 島尾敏雄』の「解説」として、「島尾敏雄<原像>」を寄稿している。そして、その2か月後、吉本は島尾と対談し、「島尾文学の鍵」を発表している。

この対談は吉本が島尾の経歴の詳細を問う形式で進む。島尾が作成した自作年譜の詳細を確認し、時に島尾のプライベートの領域に踏み込んだ質問を行っている。

話は、島尾が暮らす奄美のことに及ぶ。すると、島尾は持論を展開し、「日本全体にヤポネシアとも言うような、南太平洋の中の島嶼群の一つの性格があるのではないかという感じがする」[1972:287]と述べた。そして、その要素が南西諸島と東北地方に残っていると論じ、次のように語った。

ぼくが東方で子供の時からいろいろ受けた感じとみると、奄美では異国に来たという感じがしないですよ。むしろ九州とか中国地方とか近畿地方などに行ったほうが異国の感じがするのですよね。

[吉本1972:286]

島尾は、日本列島の根っこの部分には「どうしても南方的要素が考えられますね」[1972:286]と言い、その「琉球の原質」こそが日本の古層であると論じた。

これに対し、吉本は次のように応答している。

霊力信仰みたいなことになって来ますと、これは相当古い社会を想定しないと成り立ちませんね。つまり、これは一般論だけれども、太陽信仰であるとか月信仰というのは、大体農耕社会以前の、つまり狩猟であるとかそういうようなところでならば考えられるわけですね。もっと前……。

[吉本1972:288]

吉本は、南島の霊力信仰のなかに、農耕社会以前の社会のあり方を見ようとしている。そこには「国家以前の国家」が存在し、天皇以前の日本の共同性が垣間見える。島尾を通じて獲得した南島への関心は、『共同幻想論』における探究と接合し、古代への関心と交差していった。

吉本は雑誌『群像』1968年2月号に「島尾敏雄の世界 戦争小説論」を掲載した。ここで吉本は、島尾と妻のミホを、それぞれ<ヤマトからやってきたマレビト>と<古代的で官能的な少女>と捉える。そして両者のあいだに「古代的な習俗的な性愛の要素」を見出し、南島の古代性を強調した。[吉本2015:365]

1968年12月、吉本が『共同幻想論』を出版すると、島尾は間もなく『琉球弧の視点から』(1969年2月)を出版した。吉本は『群像』1969年4月号に、『琉球弧の視点から』の書評を寄せ、次のように言う。 

わたしが南島について関心をもったとしても、それはじぶんの考えをすすめるのに都合のよい関心にすぎない。ただわたしでさえも、沖縄の本土復帰だなどと、なにもわからぬくせに口にしないだけの節度はわきまえている。復帰しなければならないのは本土のほうであるかもしれないという歴史学的な疑念を、わたしは失っていないからだ。

[吉本2017:677]
『吉本隆明全集13』晶文社/2017年

当時、沖縄の本土復帰が話題となっており、政治プロセスへの関心が高まっていた。そのようななか、吉本は、沖縄が本土に復帰するのではなく、逆に本土が沖縄に復帰しなければならないという見方を提示する。

吉本にとって、日本の古層は本土ではなく、沖縄にこそある。沖縄の文化を掘り下げることこそが、日本人の「根っこ」にたどり着く道である。にもかかわらず、政治的な話題は、沖縄が本土に復帰するという視点に終始している。それはおかしい。復帰しなければならないのは本土のほうである。沖縄の土着性にこそ回帰しなければならない。そうすることによって、本土は日本の始原へと回帰し、天皇制国家のあり方を超えることができる。

吉本は、この見方に基づいて決定的な論考を書く。「異族の論理」である。

「異族の論理」

1969年『文藝』12月号に掲載された「異族の論理」で、吉本は沖縄の知識人を容赦なく批判する。

わたしは、沖縄や琉球出身の研究者たちが、本土の研究者の学風の口まねと、うけ売りばかりやって、ひとつもそこからはみだそうとしないのをよむと、むかむかしてきてしかたがない。一事が万事で、これは政治的なかけひきにもあてはまる。かれらはたんに軍事的や政治的にだけではなく、地理的にも歴史的にも学問的にも風俗や慣習としても、琉球・沖縄が本土や中国大陸や東南アジアや太平洋の島々にたいしてもっている重要な、多角的な意味あいをじぶんたちで判ろうとも、じっくり掘りさげようともしてはいない。そして戦後二十数年のあいだ、せめて本土の都道府県なみの扱いと、経済援助をやってくれなどと保守政府に訴えつづけてきたのである。かれらが購いえたものは、よろず薄っぺらで無智な本土の進歩的知識人の、なんの役にもたたない同情心だけである。

[吉本2015:171]
『吉本隆明全集11』晶文社/2015年

沖縄の知識人は、自分たちの文化の本質を掘り下げようとせず、常に本土の顔色を見ながら、「本土の都道府県なみの扱い」を求めて来た。しかし、日本列島に住む人間の本質をつかむためには、沖縄を探求しなければならない。南島の文化や慣習、言語のあり方こそを追究しなければならない。

日本の歴史の表層を覆っている文化は、たかだか約2000年の歴史しかない。しかし、民衆が話してきた言葉は、それよりも以前の長い古層から連続しているものである。日本語の中核は、中国大陸の文字を使って表現される以前から続くものである。「弥生式文化の成立の上限を二千年とし、たったこれくらいの年代のところで、日本語の本質的な、つまり中核のところでの変化や同化を想定するのは不可能だというべきである」。[吉本2015:173]

吉本にとって、中国からの影響は「たかだか二〇〇〇年くらいしか遡行できない弥生式文化の移入の問題」であって、「言語の文化的環境の問題」にすぎない。日本語そのものの構造と、その言語によって思考されてきた世界観を掴むには、その奥にある古層に目を向けなければならない。[吉本2015:173]

ではどうすればよいのか。

吉本は、琉球語に注目すべきであるという。九州語と琉球語の隔たりは、九州語とその他の本土の言葉との隔たりよりも大きい。だとすれば、ここに日本語の古層のあり処が見えてくる。大陸からの言語的な影響が本土に大きく波及するなか、「琉球・沖縄がその影響をさほどかぶらずに、わりあいに閉ざされた離島の環境で固有な方言性を強めていった」。だから、琉球語にこそ日本語の古層が存在する。[吉本2015:175-176]

これは言語だけの問題ではない。日本の古層そのものが沖縄のなかに保存されている。

琉球や沖縄には、文化的にも種族的にも本土よりも旧い層が離島という条件で特異な変形をこうむりながらも保存されているという考えかたが成立してくるはずである。

[吉本2015:176]

弥生式文化が成立する以前の古層が、琉球・沖縄に比較的にととのった条件で保存されているのではないか。

[吉本2015:178]

そして、吉本は縄文に言及する。

わたしたちは、琉球・沖縄の存在理由を、弥生式文化の成立以前の縄文的、あるいはそれ以前の古層をあらゆる意味で保存しているというところにもとめたいとかんがえてきた。そしてこれが可能なことが立証されれば、弥生式文化=稲作農耕社会=その支配者としての天皇(制)勢力=その支配する〈国家〉としての統一部族国家、といった本土の天皇制国家の優位性を誇示するのに役立ってきた連鎖的な等式を、寸断することができるとみなしてきたのである。いうまでもなく、このことは弥生式文化の成立期から古墳時代にかけて、統一的な部族国家を成立させた大和王権を中心とした本土の歴史を、琉球・沖縄の存在の重みによって相対化することを意味している。

[吉本2015:179]

吉本にとって、縄文の探究は、沖縄の探究と一体化している。この探求は、天皇を中核とする国家観の解体に行きつく。稲作農耕社会とそれを統治してきた天皇という共同幻想を解体することができる。

沖縄は「本土中心の国家の歴史を覆滅するだけの起爆力と伝統を抱えこんでい」る。しかし、沖縄の知識人は、そのような深層を探ろうとせず、「たんに辺境の一つの県として本土に復帰しよう」としている。これは「愚行」以外の何ものでもない。

たしかに沖縄には問題が山積している。島全体がアメリカの軍事基地にされ、ベトナム戦争での攻撃起点として機能している。住民は「不断の脅威と生活の畸型化という切実な課題」を抱えている。それに比べれば、日本の古層の問題は「迂遠な問題にしかすぎないとみなされるかもしれない」。しかし、「この問題の提起とねばり強い探究なしには、本土に復帰しようと、米軍を追い出そうと、琉球・沖縄はたんなる本土の場末、辺境の貧しいひとつの行政区として無視されつづけるほかはない」。沖縄は、「本土の弥生式以後の国家の歴史的な根拠を、みずからの存在理由によって根底から覆え」す必要がある。これがなし得たとき、沖縄に「いくばくかの曙光」が訪れる。[吉本2015:179]

吉本にとって、真の日本の古層の探求は、天皇以前の縄文の探究に他ならない。そして、天皇以前の基層に回帰したとき、そこに真の意味での沖縄の価値が立ち現れる。そして、縄文が立ち上がる。

この構想が、『共同幻想論』と呼応する。

わたしはこの可能性を、理論的に琉球・沖縄における<姉妹>と<兄弟>のあいだに特別な意味をあたえている祭儀や習俗の遺制にもとめてきた。もしもこの遺制が、共同体の観念的な上層におしあげられたところまで遡行して、復元しうるならば、かならず<姉妹>によって宗教的な権威が維持され、その<兄弟>によって政治的な権力が掌握される氏族的(または前氏族的)な<国家>の存在した時期にゆきつくからである。そして、じじつこの権力形態の古い遺制は、室町期以降に琉球王朝によって再編成されて実在したことを歴史はあきらかにしている。この統治形態は世界史に共通した概念では、すくなくとも数千年をさかのぼれるとして、この統治形態の成立は、それよりも遥かに以前であたっとみなすことができ、考古学的な年代区分でいれば、縄文期またはそれ以前の時期に対応するとみなすことができる。

[吉本2015:180]

『共同幻想論』が導き出した議論では、天皇以前の縄文の共同体は、<姉妹>と<兄弟>の対幻想によって成立していたとされる。そこには、「禁制」(タブー)に基づく「恐怖の共同性」が存在した。しかし、この形態は、社会集団が血縁的な範囲を超えたとき、より抽象化された規範によって乗り替えられる。前農耕的社会から農耕的社会へ移行したとき、「宗教-法-国家」が一体となった新たな共同幻想が生み出される。これが天皇制国家の誕生である。

一方、沖縄には、天皇制国家以前の<姉妹><兄弟>による対幻想に基づいた権力形態が続いていた。琉球王国は、この古い遺制を復活させ、再編成してきた。この原理こそが、原初共同体の「共同幻想」である。

弥生式文化を背景として成立した大和王権は、琉球・沖縄にだけ遺制をとどめている統治形態を、最古の古典である『古事記』や『日本書紀』のなかで、<神話時代>として保存するほかはなかった。そして同時にこれを大和王権の統治的な祖形とみなして、<アマテラス>という女神と、その弟であり、またわが列島の農耕社会を統治する最初の人物としての<スサノオ>という男神に、役割としてふりあてて描いたのである。

[吉本2015:180]

「アマテラス」と「スサノオ」の神話は、天皇以前の共同幻想を描いたものである。この形態は、本土では神話のなかに押し込まれ、琉球においては持続・再生した。しかし、これまでの日本では「弥生式文化系統の威光」が強く、琉球・沖縄は文化的にも種族的にも「辺境」とみなされ、低い地位を押し付けられてきた。そして、沖縄の人たちも「本土への弱小感」を植えつけられ、従属を余儀なくされて来た。「しかし、この考えかたは、いずれの側からもまったく根拠の薄弱なものというべきである」。[吉本2015:180]

弥生式文化の移入と、それを背景にした政治勢力による統一国家の成立は、どんなに無理をしても二千年をでるものではないが、縄文式文化時代またはそれ以前から、わが列島に集落をつくって生活してきた縄文時代人の<国家>や、その統治形態や、習俗は、これとは比較にならぬほど遥かな時代から、この列島に散在していたとみなしうるからである。そしてあからさまにその遺制を保持しているものとして、琉球・沖縄は特異な重たい存在権をもっている。

[吉本2015:180-181]

吉本にとって、縄文と沖縄は、日本列島を天皇制国家から解放する中核的存在だった。縄文は、日本をヤマトから解放する。天皇から日本を解放する。そして、国民国家という枠組みを超えて、南洋に広がっていく。

だから、沖縄が本土に復帰するのではない。本土が沖縄に復帰しなければならない。沖縄に回帰し、太古に遡行することによって、国家を超えた新しいヴィジョンを描くことができる。これが吉本のヴィジョンだった。

そして、ここに縄文左派の輪郭が立ち現れる。天皇制を超えた共同体のヴィジョンを描こうとする左派にとって、これまで「未開」で「野蛮」な社会でしかなかった縄文が、積極的な意味を持って思想の視界のなかに入ってくることになった。

縄文は新たに左派思想の展開のなかに置かれることになる。

【引用文献】
吉本隆明 1972 『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』筑摩書房
____ 2015 『吉本隆明全集11』晶文社
____ 2017 『吉本隆明全集13』晶文社

筆者について

中島岳志

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。なかじま・たけし。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』、『秋葉原事件』、『「リベラル保守」宣言』、『血盟団事件』、『岩波茂雄』、『アジア主義』、『下中彌三郎』、『親鸞と日本主義』、『保守と立憲』、『超国家主義』、『保守と大東亜戦争』、『自民党』、『思いがけず利他』などがある。

  1. 第1回 : 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
  2. 第2回 : 岡本太郎の縄文発見
  3. 第3回 : 岡本太郎「縄文土器論 四次元との対話」
  4. 第4回 : 岡本太郎 対極主義と伝統
  5. 第5回 : 縄文とフォークロア
  6. 第6回 : 民藝運動と縄文
  7. 第7回 : 濱田庄司の縄文土器づくり
  8. 第8回 : 最後の柳宗悦
  9. 第9回 : 島尾敏雄の「ヤポネシア」論
  10. 第10回 : 吉本隆明『共同幻想論』と「異族の論理」
連載「縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム」
  1. 第1回 : 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
  2. 第2回 : 岡本太郎の縄文発見
  3. 第3回 : 岡本太郎「縄文土器論 四次元との対話」
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