縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム
第1回

戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの

学び
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『中村屋のボース』『秋葉原事件』『「リベラル保守」宣言』『親鸞と日本主義』など数々の著書で日本という国について、新たな、独自の視点で論じてきた政治学者・中島岳志さんによる本格論考連載がスタート。初の著書『ヒンドゥー・ナショナリズム』が出版されてから節目の20年目の2022年に始まる論考のテーマは「縄文」。人は「原始」の中に「イノセントなもの」を見出し、いま生きる社会の閉塞を突破しようとする。「縄文論」は、ヒッピームーブメントとも接続する一方、右派的なスピリチュアリズムとも結びつく。いまの時代こそたどるべき、「縄文」から読み解くまったく新しい「縄文と日本」の系譜学。

火起こし器に魅了される

小学校2年生の夏休みだったと思う。

当時、私の祖母が静岡に住んでおり、お盆休みを利用して家族で遊びに行った。祖母の家は居心地がいいものの、子供はすぐに時間を持て余す。私は、親に「どこかに連れて行ってほしい」とねだった。父は、私の要望を聞き入れ、車を走らせてくれた。

行先は、登呂遺跡だった。

これは静岡市にある弥生時代の遺跡で、戦後すぐの発掘調査によって、この時代に稲作文化が花開いていたことが証明された。教科書にも登場する有名な遺跡である。広場には住居や高床倉庫が復元されており、私は公園の遊具で遊ぶのと同じように、駆け回った。

敷地内には博物館があった。まったく興味がなかったが、親に手を引かれ入場した。

薄暗い室内には土器などの展示品が並んでいた。再現された村のジオラマもあったと思う。しかし、詳細を私は覚えていない。ほぼ素通りに近い形で、先に先に進んだ。

その一角に、体験コーナーがあった。

弥生時代の道具や着物を再現したものを触れることができ、当時の生活の一端を体験できた。

片隅に、火起こし器が置かれていた。学芸員の方だろうか。中年の男性がデモンストレーションを行い、実際に火を起こす様子を見せてくれた。

のちに調べて覚えたのだが、その火の起こし方は「舞錐(まいぎり)法」という。木の軸にはずみ車がついており、ひものついた横木を上下することで、軸が回転する。その摩擦熱を使って火を起こすのだ。

私は、この火起こし器を持たせてもらった。もちろんレプリカである。弥生時代に使われていたものではない。

しかし、それを手に取り、ゆっくりと上下に動かした途端、私の体は古代人とつながった。軸が回るリズムが古代と交わり、私は不思議な「時」の感覚にとらわれた。体が古代に持っていかれるような感覚だった。

私は、夢中になった。

順番を待つ人にその場を譲らなければならないのはわかっていたが、どうしても「この感覚」を手放したくなかった。

「いい加減にしなさい」

そう親に言われ、我に返った。私の後ろには、列ができていた。しぶしぶ手を離し、次の人に代わった。しかし、古代の手触りが残った。

博物館の出口に売店があった。ミュージアムショップだったのだと思う。そこには絵葉書や書籍と共に、火起こし器のレプリカが売られていた。実際に火がつかないように加工された観賞用だったが、横木を上下させると、軸は勢いよく回った。

私は、親に「これをどうしても買ってほしい」とせがんだ。「変なものを欲しがる子やな」「もっと他にもええもんあるやろ」と言われながら、私は手に持った火起こし器を離さず、買ってもらうことに成功した。

その日から、レプリカの火起こし器が私の「宝物」になった。毎日のように手に取っては、軸を回転させて遊んだ。ときにそれは半日近くに及んだ。まったく飽きなかった。

そのときは、うまく言葉にできなかったが、私は古代人と対話しようとしていたのだと思う。火起こし器を動かしているとき、私は古代の世界に紛れ込んでいた。古代人と言葉にならない言葉を交わし、ときに体を寄せ合った。私は静かに目を閉じ、火起こし器を回し続けた。

線刻壁画と死者の世界

古代人との交わりは、やがて私を古墳の世界へと導いた。

私が生まれ育った大阪には、無数の古墳が点在する。よく知られるのは百舌鳥(もず)古墳群や古市(ふるいち)古墳群の巨大な前方後円墳だが、奈良県との県境に位置する東部の山並み(生駒山地)には、後期群集墳といわれる無数の円墳が残っている。中学生になった私は、この小型の群集墳に魅了され、週末の休みになると、古墳探索に出かけた。

特に何度も通ったのが、大阪府柏原(かしわら)市の高井田(たかいだ)横穴群と、その近くにある平尾山(ひらおやま)古墳群だった。高井田横穴群は、大和(やまと)川に隣接する斜面を掘り込んでつくられたもので、そのいくつかの横穴には線刻壁画が残されている。この壁画は、死者の世界や葬送儀礼の一部と思われるものが描かれており、古くから多様な解釈がされてきた。

私はこの線刻壁画にのめり込んだ。

いかなる解釈がなされてきたのか、中之島の府立中央図書館(当時)に籠って学術書や論文を読み漁った。のちに研究を仕事とすることになったので、この時が学問への目覚めだったかと思うことがあるが、それはあと付けの物語で、正確ではない。私は、やはり古代人と会話しようとしていたのだ。

そこに描かれているものは何か。いかなる思いが込められているのか。

正しい解釈を手にすることに、興味はなかった。論文を読みながら、私は何度も目を閉じた。すると、目の前の闇が古代とつながった。古代に生きた彼らも目を閉じ、同じ闇を見たに違いない。その闇の先で交差する関係性を、私はひそかに友とした。

平尾山古墳群には、1400を超える古墳が確認されている。すべて小規模なもので、多くは原形をとどめていない。しかし、山道を歩いていると、不意にむき出しになった石室に出会う。

私は、そっと石室に入り、そこに座って闇を見つめた。古代のあの人たちも同じ闇を見たことを思うと、時間がねじれた。私はいまどこにいるのかがわからなくなった。その感覚が、心地良かった。

古墳のあり方をめぐっても、様々な学説がある。専門書を紐解くと、考古学者によるあらゆる見解が記されていたが、私はその正否に、あまり関心がなかった。むしろ、これだけの遺物が発掘、発見されながら、なおわからないことが大半を占めるという「余白」に、心惹かれた。

よく考えると、いまを生きる私たちの心も、そう簡単にはわからない。親しい人の心どころか、自分の心もよくわからないのが常である。まして、古代人の心がそう簡単にわかるわけではない。しかし、対話はできる。いまを生きる人たちと異なる方法で、私たちは死者と対話している。考古学は、それを科学的な実証によって進めていく学問だ。しかし、それ以外の方法もある。

古代史が持っている余白の大きさは、様々な想像力を掻き立てた。そこから紡ぎ出されたものが、ときに芸術となり思想となってきた。その表現は、鋭利な近代社会に対する批判となり、日本人の自画像をめぐるアイデンティティの問題へと発展した。

私は実証的な古代史研究に関心を抱く以上に、現代人が古代に向けた想像力のほうに、関心を抱いた。私の瞼の奥の暗がりは、誰かと共有することができるのか。他の人たちは、古代人といかなる会話をしようとしたのか。その動機付けはなんだったのか。現代人が、古代のなかに見出そうとしたイメージと世界観がどうしても気になった。

プリミティブへの憧憬——ルソーにおける「透明」と「障害」

大学に入って、1冊の衝撃的な本と出会った。J.スタロバンスキー『ルソー 透明と障害』(山路昭 訳、みすず書房、1993年)である。

ジャン・スタロバンスキー『ルソー 透明と障害[新装版]』山路昭 訳/みすず書房/2015年

ジャン=ジャック・ルソーは、18世紀に活躍したフランスの啓蒙思想家で、その与えた影響の大きさから「近代の父」とも言われる。一方で、彼は生涯を通じて精神のバランスを保つことが難しく、特に晩年は精神状態が悪化し、人間不信が続いた。

そんなルソーについて考察したスタロバンスキーは、彼の思想のキーワードとして「透明」と「障害」を挙げている。人間関係に深く悩んだルソーは、近代人が他者との関係性において障害物を築いていると考えた。人は本来、全人格的なつながりを持ち、透明な精神の交流を行う。しかし、近代人は「外観」による上っ面の社交を繰り返すうちに、他者とのあいだに障壁を築き、関係の透明性を失っていった。近代人が疎外から脱出するためには、内的に構築した「障害」を取り除き、透明な関係を取り戻さなければならない。これが、ルソーの悲痛な叫びだったと、スタロバンスキーは読み解いた。

ルソーは、古代ギリシャの人たちの生活を礼賛し、そこに透明な世界を幻視した。

彼らは他者とのコミュニケーションをめぐる「障害」を持たず、透明な交流を持っていた。彼らは、疎外に悩まされることなく、健全で豊かな人間関係を持った。

そう、ルソーは考えた。

私は古代ギリシャの実態についての知識を持ち合わせていない。そのため、ルソーの理解がどこまで正しく、どこまで不正確なものなのかはわからない。興味が沸き立つのは、ルソーが古代世界に対する「原始ユートピア」観を持ち、その観念が近代に対する痛烈な批判と表裏一体の関係にあった点である。ルソーにとって、古代社会は「透明な共同体」だった。そこでは、人は全人格的につながり合い、喜びや悲しみを共有した。そんなプリミティブな世界に対する反転した憧憬が、ルソーの思想の根底には存在した。

ルソーが描いた古代の人間像は、当時の社会に対する強烈なアンチテーゼだった。古代は古代として単独で存在しているのではない。ルソーのなかでは、古代との対話こそが、18世紀ヨーロッパ社会に対峙する視座の源泉であり、目前の世界への反逆だった。

古代への想像力と志向性は、ときに自己が生きる世界に対する批判的介入となり、ロマン主義的なヴィジョンを生み出す。人は「原始」のなかに「イノセントなもの」を見出し、いま生きる社会の閉塞を突破しようとする。古代についての語りや表現は、そのときの「いま」をめぐる認識と直結している。

縄文をめぐる戦後精神史へ

スタロバンスキーのルソー論を読みながら、私の脳裏に去来したのは、岡本太郎だった。周知のとおり、岡本は「太陽の塔」で知られる前衛芸術家である。私の子供の頃にはよくテレビ番組に出演し、目を見開きながら「芸術は爆発だ!」と叫んでいた。

岡本は1930年代のパリに留学し、ピカソやバタイユ、マルセル・モースらと出会った。彼がパリで出会ったものは、アヴァンギャルドや神秘、秘儀、生贄、死、エロス、未開といった近代の外部だった。

約10年間のパリ滞在から帰国した彼は、日本の芸術や風景のなかに物足りなさを感じた。彼の眼には、日本の美とされるものが形式主義に陥り、活力を失っているように映った。日本の現実と対決しながら、ディオニソス的美を探究していたとき、彼の眼に飛び込んできたのが縄文土器だった。

岡本は、縄文土器に「超自然の神秘によびかける想像を超えた造形」を見出した。そして、これが「日本発見であると同時に、自己発見」となった。

「原始」が一転して「前衛」となる。そして、日本的美に批判的に介入し、美術史を書き換える。獲物と儀礼が混然一体となったおどろおどろしい存在が、岡本太郎によって日本美術の原初として立ち現れた。彼はここから『日本の伝統』(光文社、1956年)、『日本再発見 芸術風土記』(新潮社、1958年)、『忘れられた日本 沖縄文化論』(中央公論社、1961年)、『神秘日本』(中央公論社、1964年)などを書き、日本列島の民衆的エートスを再興しようとした。

岡本太郎『神秘日本』角川ソフィア文庫/2015年

岡本の「縄文発見」以降、日本の思想家、芸術家たちのなかで、縄文時代への関心が高まった。彼らは、それぞれ独自の解釈を通じて「縄文」を描き、現代日本のあり方に介入していった。そこには目の前の日本とは異なる「もう一つの日本」を見出そうとする営為があり、「可能態としての日本」の探究があった。

1950年代末には、柳宗悦(やなぎ・むねよし)や濱田庄司といった民藝運動を支えた巨匠たちが、縄文のプリミティブな造形のなかに、賢(さかし)らな計らいを超えた「本当の美」を見出した。1960年代に入ると、日本列島をミクロネシア、ポリネシアに連なる「ネシア文化圏」として位置付けた島尾敏雄が、稲作以前の縄文のなかに天皇以前の原日本人を見出し、天皇制支配を前提としない日本の原初形態を提示した。これは吉本隆明に大きな影響を与え、彼を南島論へと向かわせた。

縄文論は、やがて八切止夫(やぎり・とめお)の日本原住民論や太田竜の革命論と結びつき、三菱重工爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線のイデオロギーにも取り込まれていく。彼らは縄文人をアイヌや琉球と結び付け、周縁化された原日本から、戦後の経済的な日本帝国主義の打破を目指した。

一方で、縄文論はオカルト言説とも結びついた。遮光式土偶は宇宙人の姿を現したものとされ、1971年7月の『文藝春秋デラックス』(第3巻第7号)では「古代遺跡とUFOの謎」という特集が組まれた。この流れはヒッピームーブメントとも接続し、やがてニューエイジやスピリチュアリズムとも結び付いていった。

1970年代後半には、梅原猛が「縄文」を「古神道」と結び付ける議論を展開し、自然と調和した霊的世界を提示した。縄文と日本的なるものと定位し、称揚する動きは、神道系の新宗教と結び付き、右派的なスピリチュアリズムを構成していった。この延長上に、近年話題となった安倍昭恵の言動がある。

「縄文」をめぐる言説は、考古学の実証的研究の成果と連動しながら、戦後日本に対するアンチテーゼとして展開していった。「縄文」をめぐっては、考古学的に解明されていないことが多い。しかも、次々にイメージを塗り替える新発見が続き、メディアを賑わす。しかし、その遺物に込められた縄文人の精神は、判然としない。

この「余白」に、多くの人が想像力を掻き立てられ、近代の外部を投影してきた。現代社会の行き詰まりを突破する世界観を「縄文」に求め、ときにロマン化しながら言論を紡いできた。この歩みをたどることは、新たな戦後日本の思想史を描くことにつながるのではないか。

戦後日本の芸術家や思想家、運動家、宗教家たちは、「縄文」に何を見出していったのか。戦後日本は何につまずき、いかなる願望を「縄文」に投影していったのか。  

その軌跡を追うことで、戦後日本を別の角度から検証したいと思う。

筆者について

中島岳志

1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。なかじま・たけし。北海道大学大学院准教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『パール判事』、『秋葉原事件』、『「リベラル保守」宣言』、『血盟団事件』、『岩波茂雄』、『アジア主義』、『下中彌三郎』、『親鸞と日本主義』、『保守と立憲』、『超国家主義』、『保守と大東亜戦争』、『自民党』、『思いがけず利他』などがある。

  1. 第1回 : 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
  2. 第2回 : 岡本太郎の縄文発見
  3. 第3回 : 岡本太郎「縄文土器論 四次元との対話」
  4. 第4回 : 岡本太郎 対極主義と伝統
連載「縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム」
  1. 第1回 : 戦後日本が「縄文」に見ようとしたもの
  2. 第2回 : 岡本太郎の縄文発見
  3. 第3回 : 岡本太郎「縄文土器論 四次元との対話」
  4. 第4回 : 岡本太郎 対極主義と伝統
  5. 連載「縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム」記事一覧
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