自分を捨てる旅
第10回

枝豆とミニトマトと中華そばと

暮らし
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コロナ禍でずっと行けなかった山形に数年ぶりに行くことができた。両親ともに山形県の出身で、幼い頃から毎年正月には連れていかれていた。ここ数年、どれほど願ってきたかわからない山形への旅の記録。

悩み疲れて途方に暮れるようなとき、必ず山形に行きたくて仕方なくなる

山形新幹線に乗って、かみのやま温泉駅までやってきた。父、母、私の3人でだ。新幹線を降り、父がホームを改札に向かって歩いていく。そのうしろを少し遅れて母が歩き、新幹線やら駅名表示やら色々スマホで撮影していた私がさらにあとからついていく。かみのやま温泉に両親と3人でいるという現実を不思議に思う。

新幹線の駅ではあるが、改札を出たら駅前はぽかーんと静かにロータリーが広がっているだけで、温泉街の賑わいがあるわけではない。タクシー乗り場には2台のタクシーが停車している。その先頭の車のドアを開けてもらい、運転手に私がさっきスマホで検索しておいた蕎麦屋の名前を告げる。蕎麦屋ではありながら中華そばも美味しいらしく、山形にはそういう「蕎麦屋のラーメンが実はうまいと大人気」みたいなスタイルの店が多いので、期待できそうだと思った。「期待できそう」というと大げさで、私はとにかく、自分のイメージのなかにある山形っぽいラーメンが食べたいのである。食べログ高得点の店に行きたいわけではなく、地元の人にそこそこ愛されている店であればもう十分ありがたいのだ。

意外なことに、運転手は「あれー。そんな名前の蕎麦屋、聞いたことないですね」と言う。新幹線の中で母と話していて「着いたらどうする?」「なんか駅前で食べたらいいかね。軽くでも」「山形っぽいラーメン食べたいな。普通の醤油の。ちぢれ麺の」「そういう店、あるかね」という流れになり、それで慌てて検索した結果だったから、何か私の勘違いがあったのかもしれない。

別にその店でなくても、シンプルな中華そばが食べられればそれで構わない私は、「運転手さんの好きなラーメンって近くにないですか?」と聞いてみた。いつもならそんなにグイグイと積極的に話しかけたりするほうでもないのだが、父と母がいる手前、「テキパキと行動できる俺」という感じを出したかったのかもしれない。

「ありますよ。中華そばを出してる蕎麦屋さんで、せっかく乗ってもらって申し訳ないような、すぐそこなんですけど」と運転手は一度直進しかけた交差点を左折して駅前方向へ戻り、「川芳」という店の駐車場に車を停めた。

「たぶんこの時間、まだ開いてっと思うんですけど、今ちょっと聞いてきます。大丈夫です、子供の頃から行ってるような店なんで」と先に立って歩き、店の戸を開けて中へ入り、「やってました!」とこちらへ歩いてくる。よかった。

タクシー運転手が子供の頃から好きな味だという「川芳」

長方形の店内の、入り口から見て手前側にテーブル席があり、奥はお座敷席になっている。私たちがテーブル席に座ると、お座敷で食事をしていたふたりが立ち上がって厨房へ向かう。どうやらご夫婦でやっているお店らしく、私たちが来るまでふたり並んでお昼ご飯を食べていたようだった。

申し訳なくて「食事中すみません! ゆっくりで大丈夫です!」と言うと、「いえいえ。食べ終わったところです」とのこと。「ご注文はどうしましょう」の声に「瓶ビール、グラスふたつ」と父が即答する。

お店の方の昼食を急かしてしまったようで申し訳なかった

スーパードライの大瓶とグラスふたつ、そして枝豆の入った小鉢が運ばれてきた。父とビールを注ぎ合い、まずはゴクゴクと飲んだ後で、「どれどれ」と枝豆を手に取る。「産毛がふさふさしてるな」と、それだけ思いながら、半ば惰性のようにグイっと皮を押して豆を口の中に放り込んだ。そして、その旨さに、猫背に丸めていた体がシャンとなった。「うまあっ! この枝豆、やけに旨いよ」と私が言うと、先にひとつ食べていた父が表情も変えず「うん」と小さく声を出し、「ほんとかね」と手を伸ばした母がゆっくりとそれを食べ、「うん。うん。山形の枝豆って感じするね」と言った。

父も母も割と平然と食べているが、私はこの枝豆の風味の濃さに、「やっぱり山形だ! これが山形なんだ!」ともうすでに心の中が騒がしいのであった。

この枝豆だけでひれ伏したくなるほどだった

父も母もふたりとも山形県の出身で、私は幼い頃から盆と正月には必ず山形に連れて行かれた。山形に行くと年の近いいとこがいて、いとこと遊ぶのがすごく楽しかったから、そのおかげで私も山形が好きになった。

父は山形から東京に働きに出て、その後に母とお見合いをして結婚し、以来ずっと都会で暮らしていたから、私が生まれ育ったのも東京の町だ。だから両親にとっては生まれ故郷でも、私は山形を「ふるさと」と呼ぶ権利を持っていない。いや、呼んだっていいのかもしれないけど、「山形のことを何も知らないくせに」と自分で自分にツッコミを入れてしまうようなところがある。

だが、山形弁は話せないし、山形で過ごした時間を合計したってたかが知れているのに、それでも私は、悩み疲れて途方に暮れるようなとき、必ず山形に行きたくて仕方なくなる。コロナ禍の数年も、早く情勢が落ち着いて山形に行けるようにならないかと、どれほど願ってきたかわからない。

かあちゃんもよく居間でテレビを見ながら、「なんだべ、まず」と言っていた

今回、ようやく念願がかなって、両親と山形へ来た。山形の枝豆の味が、食べたそばから口の中を去っていこうとするのが悔しい。

父も母も私もみんな「中華そば」を注文したから、同じものが3つ運ばれてきた。まさにこういう中華そばが食べたかったと、見た目ですでにわかるラーメンと、その脇の小皿に、ミニトマトが3つ。

いい店を教えてもらえて幸せだ

ミニトマトはお店の畑でとれたものだそうで、これも枝豆同様、味がとにかく濃い。甘みと酸味のバランスがよくて、これ一粒ですでに一品料理のようである。よく野菜の美味しさの根拠を「水と土がいい」と言うのを聞くけど、これこそがまさにそれじゃないだろうか。

で、中華そばだ。かつお出汁の風味を感じるスープから現れる黄色くて縮れた麺よ。そのもちもちした歯ごたえを感じながら、涙が込み上げてきそうになるのを、さすがに親の手前だからこらえたい。まだひと口も食べてないのにいきなり卓上の酢を取ってまわしかけている父を見たら涙が引っ込んだので助かった。

「うまいなぁ」と麺をすすりながらふと奥のお座敷を見ると、お店の人が戻ってきて座り、お茶を飲み始めた。さらにその奥に置かれたテレビには高校野球の中継が映っている。どこ対どこの試合かわからないが、ピッチャーが投げた球を打者がふわっと打ち上げ、山なりの打球が外野手の手前に飛んだ。外野手が走って飛びつこうとするが、伸ばしたグローブは惜しくも届かない。球がグラウンドに落ちて転がる。それを見て「なんだべ、まず」とお店の人がつぶやくのが聞こえた。

「ふふ」と母がそれを聞いて笑い、父が「かあちゃんと同じだな」と言う。「かあちゃん」というのは母方の亡くなった祖母の愛称だ。穏やかで朗らかな性格で、亡くなる間際まで元気いっぱいで、親戚たちから慕われた人だった。

そのかあちゃんもよく居間でテレビを見ながら、「なんだべ、まず」と言っていた。「なんだべ、まず」という言葉は「なんだろうね、まったく」ぐらいのニュアンス。たとえばゴルフ中継を見ていて、グリーン上、パターで打った球がギリギリのところでカップインしなかったとして、そこで「なんだべ、まず」と言う。祖母はまったくゴルフに興味がない。内容はなんでもよく、とにかくテレビの映像に対してそのように言葉を投げかけるのが習慣なのだ。

祖母の丸い背中を思い出し、それが今ラーメンを食べながらぼんやり見ている風景と重なって、私はまた涙が出そうになる。

「川芳」の建物のすぐ横を川が流れていた

駅まで歩いて戻る途中に酒屋があって、父が「なんか買ってくか?」と言うので寄ることにした。棚に「宝っこ」という瓶入りの甲類焼酎が並んでいた。宝酒造が作っているものらしいが見慣れないラベルだ(あとで調べてみると、東北限定で売られているものらしかった)。それと炭酸水を何本か買い、これで寝酒の準備も完了である。予約してあったホテルに電話してみると車で迎えに来てくれるというので駅前でそれを待ち、車で5分ほど走った場所にある今日の宿へ。

部屋に荷物を置き、夕飯の時間まで横になって過ごすという両親(さっきラーメンを食べたばかりだが)を残してすぐに私は外に出る。

山形の山はかっこいいと思う

かみのやま温泉駅にはもう10年以上も前に、やはり新幹線に乗って来たことがあった。そのとき、駅前をうろうろ散策していたら安い料金で入れる公共浴場があって、立ち寄った記憶があるのだ。あのときは一面の雪景色だったな。

こっちが駅方面だろう、とおおまかな感覚で歩いていくと、「下大湯公衆浴場」の立派な建物にたどり着いた。近くにあった石碑の文章によれば、江戸時代に開かれた浴場で、このあたりで最も古い公共浴場なのだとか。ということは他にも浴場があるのか、と思いながら建物に入る。

迫力のある「下大湯公衆浴場」

券売機でチケットを買って入ると、右手に大きな湯舟があり、左は壁に沿ってカランが並んでいて、そこで体を洗っている人がいる。空いている場所に座り、蛇口をひねろうとすると、蛇口がない。あの、まわすところがないのだ。「ん? ここは壊れてるのかな?」と他の蛇口を見ても同じようになっていて、なるほど、蛇口を使うのには別料金が必要で、お金を払うとあの「まわすやつ」を渡してくれるようなのだ。それを利用しない人は湯舟から桶でお湯をすくって体を洗っているようだ。私もそうする。

タオルを頭に乗せて湯舟に浸かりながら、もしかしたらさっき蛇口がひねれなくてキョロキョロしていた私の動きは、周囲の人にとって目立ったかもしれないなと思った。

新型コロナウイルスの感染状況について、私が住む大阪や、両親が住む東京はもうすっかり慣れてしまったところがある。特に2022年の中頃から、感染者数がこれまでと桁違いに増えると、あまりにその数がすごすぎて思考が停止し、私は「いつかかってもおかしくないと思って暮らすしかない」というふうに半分開き直ったようになっていた。しかしここは、大阪はもちろん、東京からも遠く離れた山形である。「よそ者」に対する視線は厳しいかもしれない。せっかくのんびり入浴しに来た地元の人を緊張させてしまうような気がして、すぐにお風呂から上がった。

テレビの画面から発される光だけが照らす薄暗い部屋で、眠る両親をぼーっと眺める

出口付近に、この近くにあるいくつかの公共浴場を案内したパンフレットが置かれていたので、一枚もらう。地図を頼りに前まで行ってみて、開いてそうだったら入ることにしよう。

「二日町共同浴場」も歩いてすぐの場所にあった
浴場近くの雰囲気もいい

ちょうどよく開いていた「二日町共同浴場」と、もうひとつその近くの「新湯共同浴場」をハシゴした。

歩ける範囲にいくつも共同浴場があって楽しい

特に「新湯共同浴場」のほうはその時間の客が私ひとりしかいなかった。許可を得て湯舟の様子を写真に撮らせてもらう。

正円形の湯舟が可愛らしかった

風呂上がりに受付の方と少しお話ししたところ、この「新湯共同浴場」は半年ほど前に改修工事が終了したばかりだそうで、どうりで建物の隅々が新しくて綺麗である。私のように、かつては旅行客が宿泊ついでに立ち寄り入浴をしていくことが多かったそうだが、コロナ禍ではあいにくの客入りらしかった。今、2階の休憩スペースで近所の整体院が出張営業をしているという。「やっていったら?」と言われ、価格を聞くと20分間で1000円という安さ。利用してみることにする。

白衣を着た整体師に「よかったー! 今日はじめてのお客さんです」と言われ、2階へ案内される。真新しい畳敷きの間に通され、施術を受けた。

近所の整体院が宣伝も兼ねてお試しサービス的にやっているらしかった

「肩が凝って、首のうしろがよく痛むんです」と伝える。「パソコンに向かって仕事をしたり、あと、お酒を飲み過ぎて疲れることも多くて」と言うと「ああ。んだなっす。けっこう凝ってますねぇ。なんだか、ちょっと、くたびれた体ですね」と整体師。会社の重要なポジションについて一所懸命がんばっている同年代の人たちと比べたらめちゃくちゃにサボり倒している私の体でも、それはそれなりにくたびれているんだろう。

20分間でもだいぶ体がほぐれた気がして、時間がもう少し早ければ両親も連れて来たのにと思った。お礼を言って外に出て、宿へ戻る。

大浴場へ行って来たという両親はすでに浴衣を着ていて、しばらくして夕飯の時間となる。夕飯はバイキング形式。部屋で食事しようと思うとだいぶ料金が高くなってしまうので、予約をした私の判断でバイキングを選んだ。しかし、考えてみれば、旅館の食事ってだいたいいつも満腹になりすぎて困る。私は小食なほうだし、父も母も70歳代で、そんなにたくさんは食べない。そうなると好きなものを好きな分だけ食べられるバイキングは、無理をすることもなくていいなと思った。腹八分目で食事を終えてもいいのだ。

浴衣の両親とバイキング

バイキングには里芋の入った「いもこ汁」や「田舎そば」や「青菜漬け」など、山形らしい料理もたくさんあってどれも美味しかった。2杯目の生ビールを飲みながら「バイキングいいね」「そうだな。コースだと、もう食べれないっていうのにステーキが出てくるから困るんだよ」と父と話す。

食事を終えて部屋に戻ると布団が3つ、並べて敷かれている。買ってあった甲類焼酎でチューハイを作って父と飲み直し、しばらくして大浴場に行って、22時過ぎに両親は寝た。

「いびきうるさかったら足を反対にして寝な。テレビ見て起きてていいからね」と布団の中から母は言う。父も母も、大きないびきをかく。父のほうがうるさいが、母も負けていない。私が小さな音量でテレビを見ながらチューハイを飲み続けているうちに、いびきはどんどん大きくなっていく。この音量に負けないぐらいの眠気を待つためにも、もうしばらくチューハイを飲み続ける必要がありそうだ。

テレビの画面から発される光だけが照らす薄暗い部屋で、眠る両親をぼーっと眺める。空になったグラスに「宝っこ」の焼酎を注ぎながら、私はこのふたりの子供なんだなと、しみじみ思う。眠くなってくるまで、まだだいぶかかりそうだ。

翌日、かみのやま温泉駅前の地面にスマホを置いて記念撮影

筆者について

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』、『集英社新書プラス』、月刊誌『小説新潮』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『酒ともやしと横になる私』、『関西酒場のろのろ日記』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『「それから」の大阪』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』がある。

  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
連載「自分を捨てる旅」
  1. 第1回 : 蔵前のマクドナルドから
  2. 第2回 : 上を向いて有馬温泉を歩く
  3. 第3回 : つながっている向こうの場所で
  4. 第4回 : 敦賀の砂浜で寝転ぶ
  5. 第5回 : 家から歩いて5分の旅館に泊まる
  6. 第6回 : 煙突の先の煙を眺めた日
  7. 第7回 : 犬鳴山のお利口な犬と猫
  8. 第8回 : 暑い尾道で魚の骨をしゃぶる
  9. 第9回 : 湖の向こうに稲光を見た
  10. 第10回 : 枝豆とミニトマトと中華そばと
  11. 第11回 : あのとき、できなかったこと
  12. 第12回 : いきなり現れた白い砂浜
  13. 連載「自分を捨てる旅」記事一覧
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