子供の成長は驚くほど早い。子育てとは「卒業」の連続だ。子供があらゆるものから卒業するのと同時に、親もあらゆることから卒業しなければならないのだ。
まだ「パパママ」でいいのに
1カ月ほど前のある朝、前日まで僕と妻のことをそれぞれ「ぱぱ」「まま」と呼んでいた娘が、とつぜん「ねぇねぇ、おとうさん、おかあさん」と話しかけてきた。僕はびっくりして「どうしたの? 急に呼びかた変えて」と聞くと「きょうからそうやってよぶことにしたんだ〜」との返答。どうやら、見ていたアニメかなにかに影響されたらしい。
きっと一時的なブームで、すぐに飽きるだろうと思っていたが、その呼びかたは今日にいたるまで続いており、呼ばれるたびになんだかムズムズしている。娘に「おかあさんどこ?」と聞かれたりすると、「ママ? ベランダにお洗濯物干しに行ったんじゃない?」などと、こっちは意地でも呼びかたを変えなかったり。そもそも娘が生まれたとき、「我々に対する呼称はどうするか?」問題について、「将来的には“お父さん”“お母さん”が望ましいけれど、小さいうちは“パパ”“ママ”でいいだろう」と話し合ったにもかかわらずなので、我ながら矛盾している。けどもはや、かわいいから、家のなかでは一生パパママでいいかとも思っていたくらいだったのにな……。
同様に、以前この連載にも書いた「言い間違い」も急速に減少していて、僕のメモにここ3カ月で追加された項目は、妻と娘が一緒にハマっている「ちいかわ」というアニメに出てくるキャラクターの「鎧さん→よりおさん」。それから、「チャルメラ→ちゃらめる」「秘密基地→ひみつちき」のたった3つだけだ。
ご存知『酒のほそ道』の作者、ラズウェル細木先生が、ちょうど今の僕と同年代のころに描いていた子育て漫画『パパのココロ』に、似たようなエピソードがある。いちごのことを「ごちご」という娘さんがかわいくて、必死で“逆矯正”を試みるんだけど「10回に9回は『いちご』と言う。ああ、くやしい」と嘆くラズ先生。一方的に心の師匠と尊敬している大先輩も、かつて僕と同じような経験をしていたんだな。と考えると、なんだか不思議な気がする。
授乳、おむつ、ベビーカー
子供の成長とは驚くほど早いもので、日々があらゆるものからの「卒業」の連続と言える。
たとえば娘は「おむつ」がとれたのが比較的遅めで、保育園の同じクラスの親御さんと、「おむつどうですか?」「うちはこないだとれたんですよ〜」なんて話をするたび不安になり、妻と深刻に悩んでいた。
ところが保育園の方針もあり、徐々に昼間はパンツで過ごすようになり、妻が根気強く、「ぼこちゃん、今日からパンツで寝てみようか?」と提案しだして数日目。娘が「うん」と答え、その夜からあっさりおむつを卒業してしまった。おねしょも、僕がうっかり寝る前にトイレに誘うのを忘れてしまった時の3回だけ。しばらく前まで、おむつを変えてやりながら、「人生であと何回、これをするのだろうか……」なんて思っていたのに、あっけなさすぎじゃないだろうか?
思えば卒乳もそうだった。生まれたときから母乳で育ち、「おっぱいのみたい」が口癖のようだった娘。これも遅めで3歳になるくらいまでは卒乳ができていなかった。男の僕には想像することしかできないけれど、授乳というのは妻にとって、育児の上でも特別大変なことのひとつに思え、任せることしかできずに心苦しかったのを覚えている。
そこである3連休。ここを使って絶対に卒乳しよう! と計画を立てた。娘に「今日からはおっぱいなしね」と入念に説明し、万が一禁断症状でひどい大泣きなどをしてしまう場合は、特別におやつなどをあげることもやぶさかではないとした。3日間、家族で眠れぬ夜を過ごすことになるかもしれない。が、とにかく一致団結して耐え忍ぼう。この3日間を越えれば、娘は一歩成長できるのだから。
というわけで、最大の関門でもある1日目の夜。寝る前にふたたび妻が説明すると、「うん、がんばる」とけなげに答える娘。もちろん、今までいつでも飲めていたおっぱいが飲めない辛そうさはあったものの、本当にがんばってしまい、驚くほどすんなりと卒乳が完了してしまったのだった。
自分もまた……
思えばこの連載のタイトルにもなっている「ベビーカー」だってそうだ。
記憶にあるのは数カ月前の大雨の朝。娘を保育園に連れていくのに、いくらレインウェアを着ていても、自転車でびしょ濡れになりながらだと風邪をひきそうだった。そこで入念に防寒し、カバーつきのベビーカーに娘を乗せて送っていったあの日以来、一度も使っていない。もはや「缶チューハイとベビーカー」というシチュエーションは、僕の人生にはないのだ。
昨夜、床に寝っ転がってクッションを枕にし、ぼーっとTVを見ていた僕の上に、娘がどすんと乗っかってきた。やたらと顔を近づけるので、「ぼこちゃん、パパ、TVが見えないよ」と、首を右に傾ける。すると娘も同じ方向に首を傾ける。そこで僕がこんどは左に傾けると、またまねをする。娘はそれが楽しかったようで、にっこにこでしばらくその遊びを続けていた。僕は「も〜、見えないってば〜」なんて口では言っているんだけど、その実、とてもじゃないけど娘がかわいらしすぎて、内心「この時間よ、永遠に続いてくれ!」と思うのだった。
ただ、そうやって無邪気に父親にくっついて遊んだり、全身全霊で甘えたりといった行為からも、そう遠くない将来、卒業する日がやってくるのだろう。その日を思うと、もう……酒でも飲まないとやってられない。
酒といえば先日、地元に、イベントなども頻繁に行われるカフェと雑貨屋の並ぶ一画があり、休日に散歩がてら娘を連れていった。僕は、店内にあるおもちゃで娘が遊ばせてもらっているのを眺めながら、並びの酒屋で買った缶チューハイを、店の前のスペースでちびちび飲んでいた。そういう自由な過ごしかたも許容してくれるありがたい場所なのだ。
あるとき手がすべり、チューハイを地面に落としてしまって「おっと!」と声を上げる。するとすかさず、娘が店内から「おとうさん、おさけこぼしちゃったの?」と聞いてくる。僕は「周囲の人になるべく威圧感を与えないように」という理由で、屋外で酒を飲むときは必ずペットボトル用のカバーなどをつけるようにしている。つまり、娘には僕がなにを飲んでいるかなんて、というか、店で売られている酒とソフトドリンクの区別すらも、そこまではっきりとはついていないと思っていた。ところが娘は、僕の思う以上にいろいろなことをきちんと理解していたのだ。
あらためて、子供は、親の想像をはるかに超えたスピードで成長し、日々さまざまなものから卒業していくのだろう。僕も、その寂しさを酒でまぎらわそうとする行為からは、そろそろ卒業しないといけないのかもしれない。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。