数年ぶりに家族旅行に出かけた。コロナの影響で、娘を旅行に連れていけなかったことがずっと心残りだった。想定外のことばかり起きたが、だからこそ強く記憶に残る旅となった。
次こそ大浴場に
コロナの影響で、娘を長らく旅行らしい旅行に連れていってやれなかったのは、現在までの子育て人生において、特に無念と感じることのひとつだ。3、4、5歳という、心身が成長しまくる期間、できればいろいろな場所へ一緒に行って、旅先ならではの刺激や、その楽しさを味わわせてあげたかった。
そんな家族旅行に数年ぶりに行けたのは先日のこと。行き先は、鎌倉。
妻の実家が神奈川県の相模原市にあり、今年の年始に帰省する予定があった。ところがタイミング悪く僕が体調を崩してしまい、いったん延期させてもらって次の機会。こんどは娘が体調を崩し、また延期となってしまった。長らく娘に会えていない妻のご両親に申し訳なく思いつつ、ついに帰省が実現したのが今年の4月。娘の誕生月ということもあり、妻の実家に泊まった翌日、そこから遠くない鎌倉に宿をとって、家族で娘の誕生記念の旅行に行こうということになったのだ。
家からのアクセスが良いこともあり、湘南、鎌倉方面は大好きで、妻とは何度も旅行に行ったことがある。娘がまだ1歳半のころ、家族でも一度行っていて、そのときのコースや宿がとても良く、思い出もたくさんある。僕がだっこ紐に前向きにのせ、生まれて初めての海を見せてやったときの、娘の不思議なものを見るような表情。海辺の直売所で買った、とれたての生しらすやかまあげしらすの美味しさ。部屋と洗面所を仕切るのれんがやたらと長く、まだよちよち歩きの娘が、何度もそこを「ばあ!」とくぐっては、大笑いしていたこと。それから、宿に温泉大浴場があり、それがとても良かったこと。ところがその大浴場は、おむつのとれていない子供は入れない決まりがあって、僕と妻は交代で入り、娘は部屋風呂にしか入れてやれなかった。そのとき、「ぼこちゃん、大きくなったらまたここに来て、そのときは大きいお風呂に入れるといいね」と、親子で話したことをよく覚えている。
荒れ狂う海を眺めつつ
今回もその宿「鎌倉パークホテル」に宿泊した。と、言いたいところだけど、まず宿に対する誤解がないよう先に説明しておくと、鎌倉パークホテルに大浴場はない。つまり、僕も妻も一緒になって、思い出の宿を間違えて記憶し、鎌倉パークホテルを予約してしまっていたのだった。今回の久々の家族旅行は、そんな調子で、なんだか想定外のことばかり起き、だからこそ強く記憶に残る旅となった。
旅行当日の、僕の理想的計画はこうだった。妻の実家を午前中に出発し、まずは鎌倉方面へ行くときに必ず寄るしらすの直売所「三郎丸」で、生しらすと釜揚げしらすを1パックずつ購入。そこからすぐ近くの鎌倉パークホテルに行って一度荷物を預け、どこか海沿いのカフェなどで昼食をとる。時間になったら宿にチェックインし、すぐに温泉でひとっ風呂。浴衣に着替え、眼下に広がる陽光きらめく相模湾を眺めつつ、しらすをつまみにちびちびと酒を飲む。やがて早めの夕食の時間になったら家族で旅館の料理に舌鼓を打ち、もう一度温泉に入って、あとはふかふかのふとんでのんびりと過ごす。なんと完璧で、贅沢な一日だろうか。
ところがまず、その日はあいにくの雨だった。しかも生半可な雨量ではなく、海岸線までたどり着くと、引くほど海が荒れている。じっと見ているとこわくなってくる。それでもなんとか目的の三郎丸へ到着。ところが無念にも、店のシャッターは降り、そこにはこんな貼り紙があるばかりだった。「荒天のため、本日の漁および営業はありません」。考えてもみなかったけど、そりゃあそうか。いきなり出鼻をくじかれてしまった。
とりあえず宿に向かい、荷物を預けることにする。その際、不安定な場所にあった娘のお気に入り、『ミュークルドリーミー』の、れいくんのぬいぐるみが、トランクをあけた衝撃で水たまりに落ちてしまう。とっさに拾ったから汚れはさほどではないけれど、ふさふさだった毛並みがしっとり塗れ、なんだかかわいそうな見た目になってしまった。そこで大泣きしたり怒ったりせず「も〜」と言うくらいの娘の、なんと人間のできたことか。
幸い宿の隣に「ヴィーナス カフェ」という店があり、この天気だと昼食はもはやそこしか選択肢がなさそうだ。そこで「湘南シラスのポキボウル」「シュリンプタコスセット」「ふわふわパンケーキ」を頼み、家族でシェア。プラス200円で頼めるランチビールでひと息つきつつ、目の前の荒れ狂う海を眺めながらのおしゃれカフェランチは、料理も美味しくてとてもいい経験となったが、外は油断するとすぐ傘が裏返りそうになるほどの雨。たった数メートルの往復で、全員びしょ濡れになり、娘は悲鳴をあげていた。
まさかの勘違い
その後なんとか宿に到着して人心地着くも、なんだか妙な違和感がある。まず例の、部屋と洗面所を仕切るやたらと長いのれんがない。それから、チェックイン時、温泉大浴場に関する説明がないことも気になった。宿のしおりにも、どこをどう見ても大浴場がない。そこでやっと、僕と妻が大いなる間違いをしていたことに気づく。あの、のれんと大浴場の、前回家族で泊まった宿、ここじゃなくて同じ海沿いの「KKR鎌倉わかみや」という宿だった! ここ、鎌倉パークホテルは、そのひとつ前の鎌倉旅行で、夫婦で泊まった宿だ。ふたりとも、すっかり記憶を混同してしまっていたようだ。なんてこった。妻はしきりに「勘違いしちゃってた、ごめん……」と謝るが、僕も完全に同罪。旅行前、「ぼこちゃん、今回は大きいお風呂に入れるよ! 楽しみだね〜」なんて話していたのに、その計画は白紙になってしまった。それでも娘は不満を言うことなく、いつもと違う環境に興奮して「ホテルっていいところだね〜」「パパ、みて! おへやのおふろ、ふかいよ!」などと喜んでいてくれ、心からありがたい。
それはそれとして、突然にすることがなくなってしまった。しかたがないので僕は、ずぶ濡れになりながら徒歩5分のコンビニに行き、漬物や乾きものなどを買ってきて、ちびちび飲みはじめた。その横で娘はごろごろしながら、タブレットで大好きなポケモンのアニメを見ている。ふだん家にいるのとやっていることが変わらない。なんなんだこの状況は。それでも妻は、「そのうち雨が止んで、虹でも出たらいいね」なんて言ってくれ、つくづく僕は、家族の前向きさに救われているなぁと感謝しつつ、缶チューハイを飲んでいた。
信じがたいことだけど、しばらくしてふと窓の外を眺めると、海上に見事な二重の虹がくっきりと浮かんでいて、あわてて妻に伝える。その瞬間、僕はこの旅行のこと、ずっと忘れないだろうなと強く感じた。娘にも教えてあげようと見ると、はしゃぎ疲れたのか、座布団の上でぐっすり眠ってしまっている。のんきなもんだ。夕食も近かったので起こそうとするけれど、どうにも起きてくれない。ただ、そのことを宿の人に相談すると、柔軟に時間をずらしてくれたり、娘の体調を心配してくれ、なんだかんだ、今回この宿に泊まれて良かったなと思えた。
その日の夕食がすごかった。あまり記憶にないから、前回は素泊まりだったんだろうか。刺し、ゆで、焼き、鍋、食べきれないほどのたらばがにとずわいがにのオンパレードに、これまた信じられないくらいうまい和牛のしゃぶしゃぶなど、こんなごちそうを食べたのはいつ以来だろう? という豪華さ。合わせて頼んだ湘南の地酒「天青」もうまい。宿泊費でいえば我が家的に少々値は張ったけど、そこらの料理屋ならば食事代だけでももっと高額になるに違いないことを考えると、あまりにもお得な宿だ。あぁ、次回の鎌倉旅行では、鎌倉パークホテルとKKR鎌倉わかみや、どっちに泊まろうか……。
翌日は天気もすっかり回復し、やっと穏やかな海を眺めながら朝食をとることができた。その朝食がまた絶品すぎ、ふだん朝は食べないのに、ごはんのおかわりまでしてしまった。その日はビーチ散策や鎌倉観光などを楽しむことができて、荒天、晴天、両方の鎌倉を味わえたことは、むしろラッキーだったんじゃないかと思えたほど。
これからの人生であと何回、家族で旅行に行けるだろうか。自己満足なのかもしれないけれど、娘になるべくたくさんの経験をさせてやるためにも、仕事、がんばんないとな……。
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パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第31回は、2023年5月19日(金)17時配信予定です。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。