一年に一度あるかどうか、東京都心に雪が降った。それだけで特別な一日だけど、妻は仕事、娘は「おなかがいたい」と保育園を休むことになった、父と娘ふたりで過ごした日。娘に昼ご飯を作り仕事をしながら、酒場ライターである僕はいかにして雪見酒を飲んだのか。
珍しく雪の日に
朝から雪が降っていた。
僕の住む東京の都市部で雪が降ることはまれで、積雪となれば年に1、2度あるかないか。が、この日の雪はわりと本気なようで、朝の8時くらいにはもう、窓から見える周囲の家の屋根がうっすらと白くなりはじめていた。酒飲みというのは……と、ひとくくりにしてしまうのは乱暴すぎるな。僕のように、一部の酔狂な酒飲みは、こういう非日常な事態に興奮する。さて、今日はどんなタイミングで雪見酒をしてやろうかと、朝から気が気じゃない。
ただそのためには、まずは家のことや、仕事などのやるべきことを片づけてしまわなければならない。保育園に行く前の娘に、朝食はなにがいいかを聞くと、パンケーキとのこと。そこで、先日買ったホットプレート「BRUNO」の、ミッフィーのキャラが浮き出る型で、パンケーキを焼いてやる。
ところが娘は、好物であるはずのそれをたったひとつ食べたところで、首元までこたつに潜り込んで横になってしまった。ひとつが大判焼きほどの大きさもないものだ。どうしたのかと聞いてみると、「おなかがいたい。おなかのなかにごろごろが3こある」と言う。表現が独特で詳細まではわからないが、腹痛であることは確かなのだろう。発熱やその他の風邪症状などはなく、ただ、いつもより元気がないことは確かだ。心配になり、「お医者さん行く?」と聞くと、首を横に振る。娘はさほど病院が嫌いということはなく、本当に辛いときはこういう場合、行くと答えるタイプだ。
妻は仕事で出社の日で、早めにどうするかを決めなければいけない。幸い、僕は夜に、酒場でのとある対談仕事の予定があるだけで、日中は原稿を書いていようと思っていた。通常なら仕事場へ行くが、別に家にいてもできる。そこで夫婦で話し合い、大事をとって保育園は休ませ、妻には仕事に行ってもらって、夕方までは僕が、家で娘の様子を見ていることにした。
めんつゆ玉ねぎ丼
娘はしばらく横になっていたが、少しずつ具合が落ち着いてきたのか、むくりと起きて保育園でもらってきた塗り絵をはじめたり、相変わらずハマっているポケモンのアニメの動画が見たいと言い、iPadでしばらく見たりしていた。
その間、僕は、こたつの向かい側に座って仕事をする。といっても、いつもいつも「どこそこでなにを食べて飲んだ。うまかった」などという雑文を書いているだけの男が生意気なことだが、やっぱり、文章を書くという行為にはそれなりの集中力がいる。たびたび娘から、「みて。ここまでぬれた!」と塗り絵を見せられたり、近くでアニメの音が流れていたりしながらだと、長い原稿は書けない。そこで、ある媒体に掲載している自分の日記を、最近のことを思い出しながらちびちびと書いたり、今後記事に使う予定の写真の選定や、その調整作業などをのんびりと進めていた。
昼すぎ、娘が僕に言う。
「パーパ、ぼこちゃん、おひるにたべたいものきまった。おやこどん!」
さすがにお腹が空いたのだろう。健康的でいいメニューだ。ちょうど、最近レシピの連載用に試作を重ねていた関係で、鶏むね肉が冷蔵庫にある。よし作ろう!
と、キッチンへ行き、鶏肉を小さめにカットして、熱を通しても柔らかくなるようにすっすっと隠し包丁を入れてゆく仕込みの作業をはじめたところ、娘が近くにやってきて言った。「パパ、いいことかんがえた! おやこどんに、おにくとたまごもいれちゃうってのはどう!?」。決して小ボケとかではなく、さもすごい発明をしたかのように目をまん丸に見開いて言うから笑う。肉と玉子が入っていない親子丼は、「めんつゆ玉ねぎ丼」だ。
できた親子丼をどんぶりによそって出してやり、自分も一緒にそれを食べる。娘はぱくぱくと勢いよく食べてくれ、それを見てひと安心。食べながら、お腹の痛みはどうかと聞くと、「ごろごろがなくなった」との返答。もはやいつもどおりに元気な様子で、このぶんだと、容態が急変して病院に行くというようなことにもならなそうだ。
今日はもうお仕事おしまい!
ふたたび仕事に戻ってしばらくしたところで、「積雪があるので大事をとって、今夜の対談取材は延期にしましょう」という連絡が、編集さんからあった。そうか、と立ち上がり、窓の外を見る。この天気だからか出歩く人はほとんどいなく、しんしんと降る雪が音を吸って、ものすごく静かだ。なんだかとことんのんびりした日だな。たまにはこんな日もあっていい……と思った瞬間、突然、居ても立っても居られない気持ちが自分のなかに舞い降りてきた。
あ、酒飲みてぇ。
毎年この時期になると僕は、キンミヤ焼酎でおなじみの宮崎本店の名酒「宮の雪」の瓶を1本買って部屋にストックしておく。むろん、貴重な雪見酒チャンスを逃さないためだ。大好きな酒だし、なにしろネーミングやデザインが、雪見向きにもほどがある。いつも窓から見ている風景が真っ白に雪化粧した様を眺めながら、あれが、たまらなく飲みたい。それも、日が暮れてしまう前に。そう思ってしまうと、欲望はむくむくとふくらみ続ける一方だった。
そこで、残っている今日やるべき仕事を大急ぎで片づけ、午後4時前、娘に告げる。
「よ〜し、パパ、今日はもうお仕事おしまい!」
無論、娘に告げると同時に、自分の気持ちを切り替えるためにも言っている。おいおい早すぎないか? と思われるかもしれないが、その日のことをこうして原稿に書いている時点で、僕にとってはそこから先も一応仕事の延長ではあるのだ。まぁ、だいぶ強引な理論ではあるけれど。
ほくほくと部屋へ向かい、宮の雪とお気に入りのおちょこをとってくる。つまみは先述の、レシピ連載用の試作料理「鶏むね肉のオイル漬け」を皿に盛り、わさび醤油をかけたもの。それから、最近ハマっているらっきょう。まだ夕飯前の早い時間に、娘の目の前でいきなりそれらをやりはじめるのは気が引け、「パパ、ちょっとお腹が空いちゃってさ〜」と見え見えの言い訳を言いつつ、「ぼこちゃんもなにかおやつ食べる?」と聞くと、おせんべいがいいと言うので、小分けで1袋2枚入りの小さなサラダせんべい「ぱりんこ」を2袋あげ、一緒に食べる。
静かな部屋に、ぱりぱりとせんべいをかじる音が響く。「美味しい?」と聞くと「うん!」と嬉しそうだ。一方の僕は、うやうやしくおちょこに注いだ酒を、ついにゆっくりと口に含み、目をつぶってじっくり味わう。フルーティーな米の香り。しっかりとした旨味と、それでいてしつこくないキレ味。ほんのりと苦味も感じるような気がして、そのアクセントがまた心地いい。
低温でしっとり柔らかくゆで、オリーブオイル漬けにしておいた鶏むね肉は、ゆでたてよりもさらにとろりと柔らかい。わさび醤油との相性もばっちりで、これがもう、酒とめちゃくちゃに合う。しゃきしゃきのらっきょうもいいな。こんなにも深遠な酒と肴の世界より、娘はまだ、サラダせんべいのほうが好きなんだよな。そう考えるとなんだかほほえましく、そして、大人って、酒って最高! としみじみ思う。ほろ酔いのせいで、ふわりと少しだけ浮き上がったような心で。
そろそろ風呂の準備をしておこう。寒空の下、仕事から帰ってきた妻がすぐ、なんなら娘と一緒に入れるように。それから僕も風呂に入って、いよいよ夕食(と言う名の、僕にとっては晩酌の延長戦)だ。今日は買い物には行けてないし、妻にも、足もとに気をつけてまっすぐ帰ってきてほしいと伝えてある。家にあるもので、なにが作れたっけな。もちろん宮の雪と、今夜の雪に合う料理であることは大前提で……。
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パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第27回は、2023年3月3日(金)17時配信予定です。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。