コロナ禍と娘の保育園に通う時期が重なり、親同士もプライベートな付き合いがほとんどないまま3年間が過ぎた。それが今年から急激に変わった。親が集まるときはノンアルという暗黙の了解も徐々に崩れはじめた。そして、初めてのパパ友飲み会が開かれることとなった。パパミーツパパ!
関係性の広がり
0歳児クラスから今の保育園に通いはじめた娘も、早6歳。今年度が小学校に上がる前の最後の年になる。ただ、その間のかなり大部分をコロナ禍が締めるという特殊な状況もあり、クラスメイトの親同士や家族ぐるみで付き合ったり、遊んだりするという機会は、これまでほとんどなかった。ところがそんな状況ががらりと変わり始めたのは、つい最近のこと。
きっかけはこの連載の「子供の成長」という回に書いた、今年(2023年)の花見が大きかった。そろそろコロナも落ち着いてきているし、お花見くらいみんなでやって、子供たちも遊ばせてあげたいよね。仲良しの子供たちのお母さんの間でそんな話が出たらしく、ありがたいことに我が家も声をかけてもらった。家族づれで、兄弟がいる家もあるから、数組が集まればけっこうな集団。しかも花見だ。それまでも、ちょっとした規模のピクニックくらいはしたことがあったけど、基本的に暗黙の了解で、ノンアルコールが基本だった状況を、もう破ってやれと。思い切って酒を持参してみたら、意外とみんな大好きで、コンビニに買い足しにまで行く大宴会になったのだった。
あれ以来、子供たちだけでなく、そこに父母も加えた関係性が、加速度的に複雑に広がりはじめている。娘の友達の家に招いてもらうような機会も出てきたし、地元の店「ムームー・サンドウィッチワークス」を借りて妻とその友人たちが1日だけの飲食イベントをやった際も、保育園のクラスメイト家族が何組か遊びに来てくれたりしていた。
園への送り迎えの場でだけ顔を合わせ、挨拶をするのとは違い、一度でもプライベートな場で会ったり、あまつさえ、酒まで一緒に飲んでしまえば、どうしたって「顔見知り」からフェーズは移行してゆく。「こないだはけっこう飲んじゃいましたね〜。次の日大丈夫でした?」「いや〜、ダメでした(笑)」。これ、もはや飲み友達の会話だろう。
なんなんだ、この濃さは
先日、あえて呼ばせてもらえば、そんな「パパ友」たちだけでの、初めての飲み会が開催された。しかも、ピクニックやおたがいの家などではなく、夜の酒場で。メンバーは僕を含む4人。
初めに関係性が近くなったのは、この連載にも何度か登場している、娘がクラスでいちばん仲のいいNちゃんのご家族だ。これまでの人生、常に裏道や横道ばかりを通って生きてきた僕からすると、まぶしいくらいに爽やかなご夫婦なんだけど、よく顔を合わせることもあり、お父さんとは、そのうち飲みに行きたいですね〜なんて話をよくしていた。
続いて、元気な男の子、Tくんのお父さん。保育園も最後の年となると、園公式のイベントとは別に、親たちが自発的に、なにか記念になるものとか、思い出を残せる企画を考えましょう、という動きが出てくるもののようだ。そのなかのひとつのプロジェクトに関し、デザイン経験がある父母関係者ということで、僕とTくんのお父さんにご指名がかかった。そこである日、喫茶店でふたりで打ち合わせをすることに。
Tくんのお父さんはいつ会ってもものすごくにこやかで穏やかで、きっといい人なんだろうなと思っていた。実際に会うとやはり僕の予想どおりで、とても話しやすく、アイデアや意見も的確で、共同作業がとてもしやすくありがたい。一方で、ただそれだけではないオーラも、実は以前から感じていた。絶対になにかこう、内にあふれる情熱とか、表現したいものとか、譲れないこだわりを持っていそうな人だ。ぶっちゃけそれが、隠しきれていない。そこで何気なく聞いてみる。「Tくんのお父さんって、音楽とか好きそうですよね。なにかやられてたりしないんですか?」。するとやはり「えぇと……やってますね」。決してぐいぐい「オレ、こんなのやってるんすよ〜!」とくるわけではない。けれども「興味あります!」と聞くと、躊躇するでもなく教えてくれる。自分の活動に自信のある証拠だ。しかも、プライベートなことになるから詳細は書けないけれど、教えてもらったそのバンドが、予想の100倍ぶっ飛んでいた。僕の超超超大好きなタイプだ。Tくんのお父さんはそのバンドのボーカルだった。
もうひとりが、娘とはクラスメイトの人数が今よりずっと少ない0歳児クラスから一緒だった女の子、Iちゃんのお父さん。初めてお会いして以来、園で会えば挨拶をするくらいのあいだがらのまま、もう6年目になる。しかしこれまた先日、クラスメイトのある家に招いてもらった宴会で初めて、長くお話をすることができた。
Iちゃんのお父さんもまたふだんは物静かで、けれどもその柔らかい物腰に優しさがあふれている人だ。が、なぜかこんなパターンばっかりになるけど、一方で、ただそれだけではないオーラも、実は以前から感じていた。 Tくんのとことまったく同じこと書いてるけど。そこでよくよく話を聞いてみたところ、僕よりも10歳ほど年下ではあるけれど(そもそも僕が、クラスのなかではだいぶ上だと思われる)、今より若いころは主に高円寺で、日々飲んだくれていたそうで、僕が同じように高円寺で過ごしていた時期ともかぶる。「最終的に、道ばたで知り合ったやつと飲んでるんですよね」「そうそう。で、最後は自分が道に倒れてて」なんて話で盛り上がり、もしかしたら当時すれ違っていたか、なんなら一緒に飲んだことすらあったかもしれない。
もちろん聞いてみる。「Tくんのお父さんって、音楽とか好きそうですよね。なにかやられてたりしないんですか?」。するとやはり「あぁ、やってましたね」と。しかも、教えてもらったそのバンドが、Tくんのとことはまた別の方向に、予想の100倍ぶっ飛んでいた。これまた僕の超超超大好きなタイプだ。Iちゃんのお父さんはそのバンドのボーカルだった。って、なんなんだ、偶然出会っただけのはずの、この人たちの濃さは!
「呼び名決め」タイム
そんなメンバーで、なんとなく飲みに行こうという話が出はじめ、実現したのが数日前。
Nちゃんのお父さんが焼鳥好きで、以前から、僕の好きな石神井公園の焼鳥屋「ゆたか」へ行こうという話をしていた。そこで、石神井飲みの年季だけは入っている僕がコースを提案。まず、午後6時半から7時くらいを目安に、仕事の終わった順に、商店街にある角打ちができる酒屋「伊勢屋鈴木商店」の店頭テーブルに集合する。集まったらゆたかへ移動。と思いきや、予定の日はうっかりゆたかの定休日だったため、これまた名店で、もつ焼き屋ながら一部に焼鳥もある「加賀山」へ。そのあとは流れで。という計画を立てた。
当日、僕は早めに仕事を終えて銭湯に行き、準備万端、一番乗りで伊勢屋へ行く。初夏の夕方という極上の空気のなか、風呂上がりのハートランド瓶をちびちびと飲みつつ待っていると、続々集まってくるメンバー。それぞれが好きに酒を買ってきては乾杯し、すでに楽しくて嬉しくてしょうがない。
全員が揃ったら加賀山へ移動。ひとつだけある小上がり席を予約できていたのも良くて、絶品のもつ焼きやつまみを味わいつつ、キンミヤのボトルを入れてホッピーをがぶがぶ飲みながら、数年ぶんたまった積もる話に花を咲かせる。特にピークだったのが、それぞれの「呼び名決め」タイム。なぜこんなに白熱するんだろう? という盛り上がりっぷりで、最終的に3人は、それぞれの名前の一部をとって「〇〇ちゃん」と決まった。これまで探り探り、「〇〇くんパパ」なんて呼んでいたのに、一夜にしてちゃんづけ。これぞ酒の力。ちなみに僕の呼び名は、すでに全員に仕事バレしており、かつ自分自身も、本名+ちゃんなんて呼ばれ慣れないにもほどがある結果、「パリさん」となった。
その日はまだまだ勢い止まらず、最終的に流れで、僕ですらその店を紹介して大丈夫な人かどうかを相当慎重に気にする、地元の最ディープスポット「ケンちゃんラーメン」にたどり着いた。いや、敷居の高い店とかではなく、むしろ逆で、完全に、東京には他のどこにも残っていないような、渋すぎる屋台酒場なのだ。
古い2台の屋台を中心に、鉄パイプで組まれた骨組みとビニールシートを組み合わせた、半分外のような店。引く人は確実に引くだろう。けれどもみんな、「この店、楽しいですね〜」なんて言いながら、引き続きバカ話や、いかに妻子のことが好きかみたいな、酔った勢いでしかできない話で盛り上がり続けている。本当にいい夜だったし、全員、バラバラにもほどがある人生を歩んできた4人が、なぜか石神井の屋台で、わきあいあいと飲んでいる。この出会いって奇跡そのものだよな。嬉しいな。と、なんだかずっと感動していた。
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パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第33回は、2023年7月7日(金)17時配信予定です。
筆者について
1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー、他。酒好きが高じ、2000年代後半より酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『つつまし酒 あのころ、父と食べた「銀将」のラーメン』、『ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある』、『晩酌わくわく!アイデアレシピ』、『天国酒場』、『つつまし酒 懐と心にやさしい46の飲み方』、『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、『酒場っこ』、『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『のみタイム 1杯目 家飲みを楽しむ100のアイデア』、『“よむ”お酒』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『酒の穴』(シカク出版)。