劇場版第1作目『機動戦士ガンダム』の大ヒットと新たな試み/安彦良和 マイ・バック・ページズ

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2022年6月3日(金)に公開を控えた、映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』。本作の監督で漫画家・アニメーターの安彦良和がこれまでに手掛けてきた「全仕事」を、30時間を超えるロングインタビューで語り下ろした『安彦良和 マイ・バック・ページズ』(2020年11月発売)。ここでは、安彦良和作品のファン、そして最新作の公開を待つ方々にとっても永久保存版となる本書の中から、映画がもっと楽しみになるエピソードをご紹介します。『機動戦士ガンダム』のテレビシリーズで大きな手応えを感じていた安彦を襲った突然の胸の痛み。作品の途中で現場を離れること余儀なくされた安彦。その復帰作もまた「ガンダム」だった――。

やり残しの思いをぶつけた、劇場版『機動戦士ガンダム』

入院によってアニメーションの現場を長期間離れていた安彦は、退院後に現場に復帰することになる。その復帰作となったのが劇場版『機動戦士ガンダム』だった。

テレビ放送が視聴率低迷のために打ち切りになる一方で、アニメ誌では放送終了後も特集記事が組み続けられ、全国では高校生や大学生が中心の『ガンダム』ファンが集まった小規模なファンコミュニティが多数生まれ、機関誌や同人誌を作って盛り上がっていた。

その状況を裏付けるように、アニメ誌の別冊として発売されるムック本は20万部を売り上げた。また、放送終了後の1980年にバンダイ(現:BANDAI SPIRITS)から発売されたプラモデルのブームは社会現象となり、小学生をも取り込む形でさらに拡大した。

本放送時が5パーセントに満たなかった視聴率も、再放送時は20パーセント台を維持するまでとなり、まさに大ヒットと言える状態となっていた。そんな流れの中で、実現したのがテレビシリーズの再編集版に新作カットを追加した劇場版『機動戦士ガンダム』だった。

退院後の安彦は、再編集にあたって物語の繋がりを調整するかたちで挿入される新作カットを制作するために、再び『機動戦士ガンダム』の現場に入った。

今でこそ、放送がされたアニメの映像を、ソフト化に合わせて作画の修正が行われること、テレビシリーズを劇場用作品として再編集する際に新作カットが入れられることなどは「当たり前」となっているが、当時のアニメ業界では「新規作画を追加して物語の整合性をとる」という作業は行われておらず、劇場版『機動戦士ガンダム』で初めて試みられたのだった。

『安彦良和 マイ・バック・ページズ』より

作品の途中で離脱してしまったということもあって、『ガンダム』のテレビシリーズ後半に関しては未練タラタラだったからね。

今となってはなかなか理解してもらえないけど、あの頃は再編集するだけじゃなく、絵の直しを入れてもらえるというのは本当に特別なことだった。再編集の映画となると、当時は『宇宙戦艦ヤマト』しかなかったし、『宇宙戦艦ヤマト』はテレビシリーズを再編集しただけで作画の修正を入れない、元手をかけない丸儲け的なやり方だった。だから、当初サンライズもそれでいいと思っていたようなんだけど、劇場版にするにあたっては「絵の修正を入れる」という、条件闘争を富野氏が制作側としていて。その結果条件を勝ち取ってくれた。まさに「良くやった、でかした!」って感じで、それくらい特別なことだった。

新規作画を行うことは決まっていたが、『機動戦士ガンダム』のテレビシリーズを作っていたスタジオは、放送終了と共に解散。すでにスタッフはバラバラの状態となっていた。そこで、安彦が主導する形で新規作画用の新しいスタジオが作られることになる。そのため、新たなスタジオの作画スタッフに関しては、安彦の意向を大きく取り入れての立ち上げとなった。

作画スタッフに関しては、大勢かき集めたり、当時の段階でベテランと呼ばれていた古い人たちに頼んだりしないということを最初から考えていて。それで、若手を中心とした小ぢんまりとした形でやるようにしたんです。

業界的に言うと、劇場版『ガンダム』からは、第一原画、第二原画というシステムを採用していて。第一原画を俺が描いて、まだ若くて仕事を飲み込めていない連中に第二原画を描かせる。そうするとリテイクの手間がいらないので、仕事の効率がいい。ただ、自分がメインになって描かなくちゃならないし、作画修正も入れなくちゃならないから処理能力は限られるというのがあったんですが。

現在だと、第一原画と第二原画の前にレイアウト(原画の前に描かれる、カットの完成像を描いた「原画の設計図」的なもの)というものがあるんですよ。このレイアウトというのが、微妙なもので、そんなものを作っているからアニメ制作に時間がかかってしまう。そこで、『ヴイナス戦記』や『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』では俺の描いた絵コンテを拡大コピーしてレイアウトにしている。絵コンテを完成させた段階で原画のもとになるレイアウトは終わっているので、現場作業を早くできるし、こちらの意図を伝えやすいのでなかなかいい手法なんですよ。

劇場版1作目の『機動戦士ガンダム』が大ヒットを記録し、第2作目となる『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士』の制作も決定。その間に、日本サンライズではスタッフを補強するために、アニメーターの募集を行った。『機動戦士ガンダム』の人気が高まる中での新人募集ということもあり、50人以上のアニメーター志望の若者が集まった。

その中から採用者を選ぶというポジションに安彦もおり、その募集では最終的に4人を採用。そのうちのふたりは安彦が選んだ人材だった。『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士』から九月社のスタジオに入ったそのアニメーターは、その後も活躍し続けている佐藤元、高橋久美子だった。こうして、作画スタッフは若手を中心に補強がされ、より安彦の作画の意向がダイレクトに伝わるスタジオが完成していった。

また、同じタイミングで安彦は自身の会社であり、現在も安彦作品の権利を管理している個人の会社である「九月社」を設立する。

当時『アリオン』の単行本や画集を出版した関係で、わりと多めの印税なんかも入り始めた時期で、知り合いから「会社を作っておいた方がいいよ」と教えてもらって作った個人の会社が「九月社」なんです。だから、元々はアニメ制作のスタジオではなかった。

流れとしては、劇場版『機動戦士ガンダム』の新規カットや『クラッシャージョウ』での仕事を九月社で確保するから、そこにアニメーターが入るという形を取ろうということで始まったという感じで。もちろん、スタジオ代わりのマンションの家賃はこちらで持つわけで。

日本サンライズで仕事をすると、アニメーターはどうしても出来高で評価されてしまう。そうすると、いい仕事はするんだけど、なかなか数をこなせないという人は悲惨な結果になってしまう。そういう状況を、九月社で雇って給料を出すことで、出来高制から解放して仕上がった仕事の質に対しての支払いをするようにしていたんです。

あとは、新人の育成。どこの業界もそうだけど、新人はほとんど非生産的な立場だからね。非生産的だから給料を払わなくていいのかと言えば、そんなことはないし、それじゃあ新人も育たない。だから、九月社で雇って新人を育てるのにも力を入れるという部分でも重宝してね。

また、自分の仕事に関しても、まだ病み上がりみたいな時期だったから、マイペースでやりたいという思いもあった。日本サンライズのスタジオに通い詰めるとまた壊れるんじゃないかという思いもあったんじゃないかな。距離的にも通うとなると片道小一時間かかるわけだから、その時間も惜しくて。そこで、自宅の最寄り駅の近くにマンションの一室を借りて、そこをスタジオにしてみんなで作業をしていたという感じで。

ちなみに、会社の屋号である「九月社」の由来は、安彦が、「夏が苦手」というところから来ている。

夏が苦手だから、9月になると「秋だ」って嬉しくなるんですよ。それから、中島みゆきさんの曲で「船を出すなら九月」という歌があって、これがいい歌だったので「会社を作るなら九月」って思ったのが「九月社」にした理由ですね。

1作目の劇場版『機動戦士ガンダム』では、ほんのわずかながらも新たに加えられた、高いクオリティの作画による新作カットが大きな話題となった。劇場で目にしたファンからも「安彦良和の描いたハイクオリティの絵がそのまま動いている」と大きな注目が集められ、雑誌でも新作カットにフォーカスした記事がいくつも作られている。

そうした状況から、劇場版第2作目となる『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士』、第3作目の『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』と、作品を重ねるごとに新作カットが増えていくことになる。当初は「再編集によって物語の辻褄が合わない部分を調整するための新規追加シーン」であったが、『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士』、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』では、一部の既存カットを新たに作画し直しており、新作カットが増加。特に『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』では、安彦が不参加だった後半シーンの作画に関しては、大部分が刷新されることになる。

そこで気になるのが、新作カットへの追加はどのように選別されたのかという部分だ。

新作カットに関しては、俺から希望を出したのではなく、完全に富野氏の指定ですよ。元のテレビシリーズの映像を見ながら「これ直し、これ直し」ってやっていったように記憶しているけど、だいぶ忘れてしまったね。

辻褄合わせとか人物のシーン以外は、板野一郎とチェックして、描き直すべきところを選んだ記憶がある。爆発とかのエフェクトカットをはじめ、変な作画のところがいっぱいあるんだよね。タイミングが甘々だったり。だから、本編の映像を流しながら気になるところを板野が「ここですかね?」って言ってくる。そこは以心伝心みたいなものがあって、呼吸で「ここ直しなんだな」ってのがわかるみたいで。それで発生した直しが結構あって、その直しのほとんどを板野が担当してくれた。全体から見れば全然足りないんだけどね。

その一方で、重要な見せ場のシーンは富野氏から指示があったり、ラストの方なんかはこちらから直したいと言ったんじゃないかな。

たとえば、あのラストシーンのアムロ。「止め絵でフォロー」はダメだよね(笑)。あれは入院中の病院で観ながら地団駄を踏んだカットでね。やっぱり、みんなのもとに帰っていくアムロは回転しなきゃ。もし、自分が現場にいたら、テレビでも同じことをやったよ。そういうこだわりたい部分を直す機会をもらえたのは良かった。ただ、新規カットは尺のわりにはあまり意味のある直しじゃないというのもあったんだよね。ニュータイプの表現のところで、かなり富野リテイクというか、富野追加があって、説明カットが結構入っている。「これはいらねえな」って思ったんだけど、総監督権限で追加しているんだから気持ちはわかる。でも、やりながら「こんなに尺を使うなら、他に直したいカットがあるのにな」って思ったね。

でも、直そうと思えばいくらでも出てくるからね。実際に手を入れられたのは最後の3本目はかなり多かったけど、前の2本はほんのわずかだったし。

ある雑誌で、富野氏と井上瑤さん、鵜飼るみ子さんが鼎談をしていたのを読んだら、井上さんが1本目を見て「直すなんて言うから観たけど、全部そのままじゃない!」って怒っていたんだけど、そんな感じで。でも、3本目はかなり手を入れることができて、「ここまでやれたからまあいいか」って思ったね。

ちなみに、劇場版での新作カットの分量はどのように決められていったのだろうか?

直しの箇所に関しては、予算というよりはスケジュールを重視した結果だね。たくさん直すなら、たくさん人をかき集めてやればいいんだけど、それをやると本編の繰り返しになっちゃう。「直しになってない!」って直しの直しを入れるようになるから。だから、そのやり方は捨てて、俺が「こいつらは可愛い」と思える若手だけ集めて、経験が浅くてもいいやと思って、本当の少人数で直しをやったんですよ。

そういう意味では、決して機動力はないので新作カットはスケジュールの制限をもろに受ける。『Ⅰ』と『Ⅱ』は公開の時間があまり空いてないので、時間がなかった。でも、3作目はちょっと余裕があったんだよね。だから、お金の問題よりも、機動力とスケジュールの問題が大きいということだね。

直しの班自体がとても小規模だったし、当時の作業は、日本サンライズ本社のある上井草の隣の駅の井荻にあった物置みたいなスタジオでやっていたから。日本サンライズもそんなに大事ごとにはしたくなかったんだと思う。だから地道にやるしかなくて、日本サンライズ的にもあの程度の直しで良かったんじゃないかな。大々的に作り直せなんていう会社じゃないから。

こうして、プライベート的な九月社のスタジオで、気心の知れた若いアニメーターを中心とする形で、制作された『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙』の新作カット数はかなりの数にのぼり、それはファンからも大きな支持を受けた。そして、ここで培ったノウハウが、安彦が率いる九月社が手掛ける次回作へと受け継がれていくことになる。

* * *

本書『安彦良和 マイ・バック・ページズ』では、アニメ『機動戦士ガンダム』のほか、『クラッシャージョウ』『巨神ゴーグ』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』、漫画『アリオン』『虹色のトロツキー』『天の血脈』『乾と巽-ザバイカル戦記-』などの作品についてのインタビューや、単行本発収録となる漫画『南蛮西遊記序章』(オールカラー24ページ)も収録。安彦良和の「マイ・バック・ページズ=歩んできた長き道のり」、その軌跡のすべてが詰まった一冊。書籍・電子書籍ともに好評発売中です。
また、ゲーム&カルチャー誌『CONTINUE』では、『安彦良和 マイ・バック・ページズ』が特別編として復活! Vol.76から全3回の予定で、待望の監督最新作となる映画『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』の公開を控える安彦良和氏に再びロングインタビューを敢行。こちらも併せてチェックしてみてください。

筆者について

安彦良和 × 石井誠

1947年生まれ。北海道出身。1970年からアニメーターとして活躍。『宇宙戦艦ヤマト』(74年)、『勇者ライディーン』(76年)、『無敵超人ザンボット3』(77年)などに関わる。『機動戦士ガンダム』(79年)では、アニメーションディレクターとキャラクターデザインを担当し、画作りの中心として活躍。劇場用アニメ『クラッシャージョウ』(83年)で監督デビューする。その後89年から専業漫画家として活動を開始し、『ナムジ』『神武』などの日本の古代史や神話をベースにした作品から、『虹色のトロツキー』『王道の狗』など日本の近代史をもとにしたものなど、歴史を題材にした作品を多く手掛けている。2001年から『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の連載をスタート。10年にわたる連載終了後、アニメ化。現在『月刊アフタヌーン』にて『乾と巽-ザバイカル戦記-』を連載中。2022年6月には待望の監督作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』が公開された。

1971年生まれ。茨城県出身。アニメ、映画、特撮、ホビー、ミリタリーなどのジャンルで活動中のフリーライター・編集者。アニメ作品のパッケージ用ブックレット、映画パンフレット、ムック本などの執筆や編集・構成。雑誌などで、映画レビューや映画解説、模型解説、インタビュー記事などを手掛けている。著書に『マスターグレード ガンプラのイズム』(太田出版)、『機動戦士ガンダムの演説から学ぶ人心掌握術』(集英社・共著)、『不肖・秋山優花里の戦車映画講座』(廣済堂出版・共著)などがある。

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