先生と呼ばれる人たち

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何もない“おしまいの地”に生まれた著者・こだまの、“ちょっと変わった”人生のかけらを集めた自伝的エッセイ集「おしまいの地」シリーズ。『ここは、おしまいの地』『いまだ、おしまいの地』に続く三部作の完結編『ずっと、おしまいの地』発売を記念して、シリーズ第1作目に続き、シリーズ第2作目となる『いまだ、おしまいの地』からも6つのエピソードを特別に公開します。
今回は、“先生”について。

傍から見ると何者なのかわからないが、なぜか一部の人間から「先生」と呼ばれる人物がいる。これまで仕事の都合で各地を転々としてきたけれど、どの地域にも謎の「先生」が存在した。

いちばん身近なところでは私の父である。

父は野良犬に太腿を咬まれて「治療してください」と動物病院に駆け込んだり、しいんとした授業参観の最中に教室の前の戸を勢いよくバーンと開けて入ってきたり(「ご自由に見学してください」という貼り紙に従っただけと言い訳)と、これまで数々の無知を晒してきた男だが、かつては地元の独身男性たちから「先生」と崇められていた。

私が小学校高学年のころだ。当時、我が集落は「農家の嫁不足」という深刻な問題に直面していた。

地元の人間は農家の大変さを肌で感じている。畑や家畜の世話に休日はない。家族や外部のサービスに頼らなければ外泊するのも難しい。機械を購入するたびに膨らむ借金。基本的に二世帯、三世帯の大家族。「好きな人と一緒なら、どんな苦労もいとわない」と簡単には言い切れないのが現実だった。

そこで年寄りたちは地域挙げての「集団お見合い」を考案した。どうせやるなら大々的に。隣町なんかじゃ駄目だ。田舎暮らしに憧れる女性がいい、と。

そんなわけで20代から40代の男性陣を引き連れ、東京でのお見合いツアーを組む運びとなった。あろうことか、その団長に父が選ばれてしまったのだ。リーダーシップがあるとか社交性に富んでいるといった真っ当な理由ではない。

「東京に行ったことがあるから」

 その一点が決め手となった。

テレビでも似たようなお見合い番組がある。独身男性の多い離島やみかんの産地などに都会の女性たちが訪れるあれだ。沿道では住民が盛大に出迎え、佐藤B作の「バスが来たぞー!」で始まるあれだ。つまり、父は男たちを援護するB作のポジションだった。

父からお見合いツアーの話を聞いた私は、子供ながらに「恐ろしいことが起こるぞ」と思った。水や空気がきれい、食べ物がおいしい、のんびり暮らせる。そうやって都会の女性に田舎の良い面ばかりを吹き込み、騙して連れて来るようなものだ。これは詐欺じゃないか。

父はサラリーマンだが、祖父母の代は農家だった。毎日泥だらけになって働いても先が見えない生活を目の当たりにしてきた父は、祖父の死後、畑と家畜をすべて売った。そんな離農者が団長でいいのだろうか。「農業は素晴らしい」と心から言えるのか。

東京に出発する直前、父は我が家に「お見合いの勉強会」と称して5、6人の男を呼び集めた。特に心配な人物に声を掛けたらしい。

その中に景山さんという最年長の40代男性がいた。父とほぼ同世代だ。小太りで赤ら顔、伸び放題の髪はベタついて束になっていた。よれよれのシャツに、よれよれのズボン。口数が少なく、年下の男たちに「はげ山ちゃん」とからかわれても、はにかんで笑うだけだった。

私は料理をふるまう母を手伝いながら、景山さんの様子をちらちらと窺った。しきりに頭をぼりぼり搔くのが癖らしい。実際に痒いのかもしれない。こんな身なりでは都会の女に馬鹿にされるんじゃないか。他の男はどうなってもいいが、人が良さそうな景山さんが笑われるのは無性に嫌だった。

何を訊いても煮え切らない返事ばかり繰り返す彼に、父が強い口調で問い詰めた。

「本当にお見合いする気あるのか? 補助金を出してもらうんだから遊びじゃねえんだぞ。やる気がないなら帰れ」

家ではいつもおとなしい父が突然団長の顔になり、なごやかだった居間に緊張が走った。

「結婚は……したいっす」

景山さんは絞り出すように言った。

意外だった。ひとりのほうが気楽でいいんじゃないかと思っていた。無理やり連れて行かれるように見えていたのに。

団長の一喝が効いたのか、男たちは「スーツを新調する」「前日に床屋に行く」など、それぞれの「改造計画」を語り、頰を上気させた。

「趣味とかちゃんと話せるようにしておいたほうがいいですよ」と一回りくらい年の離れた青年に助言された景山さんは、もじもじしながら「好きなものって言われても……猫……かな」と消え入りそうな声で言った。家の内外に10匹以上も飼っているらしい。

「猫って。40過ぎのおじさんの答えじゃないだろ」

みんなに散々冷やかされた景山さんだが、結果的にはこの「猫」がよかったらしい。猫好きの素朴すぎるおじさんを気に入る女性がいたのだ。

参加した男性10人のうち、5人が意中の人に好意を持たれ、3組が結婚までに至った。その1組が景山さんだった。「女とは無縁の、あの景山さんが」という噂はすぐ集落中に広まり、引率した父の呼び名は「団長」から「先生」に昇格した。

おそらく父は現地で特に何もしていない。景山さんの潜在的な良さに気付いた女性が素晴らしかったのだ。「騙されて田舎に連れて来られる」という私の心配は杞憂に終わった。大学で農業を学んできた人や大家族が好きだという人もいるらしい。

現在も景山さんだけは父のことを変わらず「先生」と呼んでくれている。

* * *

2年前に引っ越してきたこの街にも謎の「先生」がいる。

転居して間もないころ、美容院に予約の電話を入れた。

「その日は混んでいて、もう予約がいっぱいなんですよ」

「そうですか、じゃあまた今度にします」

諦めて切ろうとした瞬間、相手が意外なことを言った。

「あ、でも指名とかないなら……先生でもいいですか?」

いまの妙な間はなんだろう。「先生でも」って。そんな言い方は先生に失礼ではないか。先生が一番いいじゃないか。

それが私と「先生」の出会いだ。

当日、美容院で名前を告げると、受付の人がどこかに電話をかけた。

「先生、お客様がいらっしゃいました」

どうやら「先生」は大事なときだけ召喚されるシステムらしい。

どこから来るのだろう。どんな人なのだろう。

首にケープを巻かれ、鏡の前で待機すること数分。ふと窓の外を見ると、豪雨の中こちらに向かってびしょ濡れになって歩いてくる前かがみの大きな男の姿が目に入った。傘も差さず、焦ることなく、のっそのっそと直進している。

いや、違うよね。あんなびしょ濡れの巨体が「先生」なんかじゃないよね。

彼は店のドアノブに手を掛けた。何かの間違いであってくれと願ったが、嫌な予感だけは当たる。「先生」は体格のいい、おじいさんだった。

体力をかなり消耗したらしく、ふうふうと肩で息をしている。今からこのおじいさんが私の髪をカラーリングするのだ。不安しかない。

「先生」は色の見本を持ってきて「どんな感じになさいますか」と訊いた。私が考えているあいだ「先生」は自分のびしょ濡れの髪や肩をタオルで拭っていた。その仕草を鏡越しに盗み見ながら、「先生でもいいか」と問われた真意を知り、心細くなった。

「先生」のブラッシングは独特だった。頭皮を強めに叩きつけるように梳かす。時おり「先生」の指先が瞼をかすめる。爪が長い。目がかなり悪いのか、距離感を摑めないようだ。

「先生」がカラーリング剤をペタペタと髪の生え際に塗っていく。ひやっとする感触があり、鏡を見るとおでこの真ん中に500円玉くらいの茶色い液体がべったりと付着していた。「先生」は自分の手元に夢中で気付いていない。ちゃんと落ちるんだろうか。人をあてにしないで自分で拭こう。目の前のティッシュに手を伸ばそうと前傾姿勢になったとき、鏡の中の「先生」と目が合った。出会ってからずっと心ここにあらずといった表情の彼が初めてハッと目を見開き、先にティッシュを奪い取り、乱暴な手つきで汚れを拭いた。だが、落ちない。「先生」は手元にあったタオルを霧吹きの水で濡らし、私の黒ずんだおでこをゴシゴシこすった。特に謝るでも、恥らうでもなく、無言、無表情で。必死に床のよごれを落とすように。

今度は私がハッとする番だった。

そのタオルはさっき「先生」がびしょ濡れの頭を拭ったやつじゃないか。

シャンプー台に移ってから、もうひと展開あった。耳に容赦なく水が入るのだ。顔に被せた布は絞れるほど水を吸っている。もはや顔面パックだ。どうやったらこんな不器用にできるのだろう。「先生」と呼ばれる人なのに。私はだんだん楽しくなってきた。

ヘアアイロンを手に取った「先生」は「これどうやって使うの」と隣の若いスタッフに訊いた。わからないものを無理して使わなくていいから。普通のドライヤーでいいから。何ならびしょ濡れのままでいい。

「先生」に会ってから一瞬も気を抜けない。鏡の中の私はジェットコースターを乗り終えたような疲れと髪のぐしゃぐしゃ具合。よく見ると顎や頰にも焦げ茶色のカラーリング剤の染みが付いている。美容院へ行き、薄汚れて帰宅するのは初めてだった。

「もう二度と利用するか」と激怒してもいいはずだったが、数ヶ月後、私はまたその店に予約の電話を入れた。

「指名ありますか」

「ないです」

「では……」

来るぞ。わかるぞ、この間合い。

「……先生でもよろしいですか?」

「お願いします」

こうなったら受けて立とうじゃないか。私のために呼び出された「先生」は、やはり窓の外から前傾姿勢でずんずんと直進してきた。相変わらず雑な扱いを受け、思い出し笑いをしながら帰宅した。

すでに何度も利用している。この街で「先生」を断らないのは私だけだと思う。

ところで、私は商業誌にエッセイを載せてもらえるようになってからも、できるだけ肩書は「主婦」にしている。「エッセイスト」も「作家」もどこかこそばゆく、不似合いに思えるのだ。「できるだけ」というのは、たとえば人様の作品に推薦文を書く場合、「主婦」よりも「作家」のほうがいいのではないかと考え、担当の方にお任せすることが多い。

書籍化された今でも肩書きが「作家」になっていると一瞬戸惑う。「いや違うんです」と言い訳をしたくなる。

教職に就いていたため、以前からネット上の知人にからかいを込めて「こだま先生」と呼ばれることが多かった。だから本を出したあと、読者に「先生」と呼びかけられても普通に受け入れてしまった。

もしかしてこの場合の「先生」って私の思っている「先生」じゃないってこと? そう気付いたのは、しばらく経ってからだ。赤面した。

作家という意識はゼロだが「先生」と呼ばれることには違和感なし。腰が低いのか厚かましいのか自分でもわからない。

* * *

本書では、とあるオンラインゲームで「神」と崇められる夫、小学生を出待ちしてお手玉を配る祖母……など、“おしまいの地”で暮らす人達の、一生懸命だけど何かが可笑しい。主婦であり、作家であるこだまさんの日々の生活と共に切り取ったエッセイが多数収録されています。
また、こだまさんの最新刊『ずっと、おしまいの地』は絶賛発売中! ぽつんといる白鳥が目印です。

筆者について

こだま

エッセイスト、作家。デビュー作『夫のちんぽが入らない』でYahoo!検索大賞を2年連続で受賞(第3回、第4回)、『ここは、おしまいの地』は第34回講談社エッセイ賞を受賞。ほか『いまだ、おしまいの地』、『縁もゆかりもあったのだ』など。

  1. 九月十三日
  2. 逃走する人
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  4. 先生と呼ばれる人たち
  5. 崖の上で踊る
  6. 郷愁の回収
『いまだ、おしまいの地』試し読み記事
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