うたた寝は生活を狂わす
第1回

元号越し蕎麦「へいせいろ」を知った夜

暮らし
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なんてことないことがなくなったら、なんてことあることしかなくて大変だ。これは、カルチャー誌『ケトル』の副編集長である花井優太が、生活の中で出会ったことをざっくばらんに、いや、ばらっばらに綴り散らかす雑記連載です。おそらく毎週更新されます。おそらく……。第一回目は、元号越し蕎麦の話。

* * *
年越し蕎麦は聞いたことがあれど、元号越し蕎麦というのは聞いたことがなかった。しかしテレビを見ていたら、そんなものもあったらしい。いや、実際にあったのだ。偶然にも出くわしてしまった。

2019年4月30日の夜、僕がいたのは浅草の蕎麦屋。理由は、一杯ひっかけた後のサッパリした2軒目が欲しかったから。蕎麦屋でなければならなかったわけではない。友人に連れられるがまま歩いていたら、たどり着いたのである。千鳥足よろしく、まではいかないものの、アルコールは程度良くまわっている。唐揚げやら、牛タン焼きやらを食べたあとだったが、なんだかまだ口寂しい。酒も肴も〆もある場所は、お誂えだろう。

暖簾が頭に引っ付き、引き戸は音を立てて開く。ちょうど2人分空いていた掘りごたつの席に腰をおろした。飲み物はいかがしますか? 中瓶でビールを、加えて刺身もオーダー。味噌と生姜の選択肢を与えられたホタルイカは、生姜でお願いした。一つ前の店で口の中をまわった油は、だいぶ影を潜めてここでリセット、といった感じだ。小さなグラスに注いだビールは、舌の根潤すのに十分な量流れ込んでくる。日付が変わろうって時間だというのに、今飲み始めましたとでも言わんばかりの勢いを取り戻した。

さっきまで余裕がなかった胃も、随分と隙間を見せてきた塩梅だ。へいせいろ……あと少しで改まる元号をもじった蕎麦。壁に貼られたお品書きにある文字が目に入る。これを食べるために、ここに導かれたかのような、いやこの偶然に乗っかりたくなる妙な感覚がみぞおち辺りから湧く。周囲をよくよく見てみれば、みんなへいせいろを頼んでいる。偶然居合わせた人々がこぞって同じものを食べて新しい時代を迎えるとは、悪くないかもしれない。そう思ったのだが、店内のテレビ越しに見る渋谷のスクランブル交差点は、賑わっているにもほどがあった。

2つの光景を交互に目に入れていると、なんだか自分はへいせいろでなくても良い気分になってきた。それよりも、お品書きの横に書かれた「紅の豚」に惹かれる。これはきっと、豚肉が入っている辛い蕎麦なのだ。ピリリと辛い、刺激を投じるべきだという御達しだ。そうに違いない。地に足つかない現在から、浮力をもっている未来への問題提起。へいせいろをここで頼んだら、見えない何かに屈することになるじゃないか。平成から離れるこのタイミングで、ポルコ・ロッソの声がする。さあ、ご唱和ください。

「飛ばねえブタは ただのブタだ」

ですよねー‼︎ 俺、紅の豚にするわ。宣言などしなくても誰も止めやしない。また、へいせいろでなくていいの? なんてことも聞いてきやしない。なのに何の宣言なんだろう。誰に向かってのメッセージなのだろう。人間にはたまにこういう不思議なことがあって、自分も例外なく当てはまる。ともかく、元号越し蕎麦は紅の豚に決定した。カッコイイとは、こういうことさ(違う!)。

友人はちょっと失礼なんていいながら、年季の入ったスマホを耳に当てる。話の内容から察するに、恋人と話しているようだ。一時間ごとに写真を撮って送れと言われた、と彼は言う。どこの男女にもその2人だけのローカルルールが存在するだろう。そこにとやかく口を出すつもりはない。というか、さして興味もない。そういうことはな、人間同士でやんな!〈(C)ポルコ・ロッソ〉

自分は味わったことのない未知の体験を目の前で友人がしている。面白くなってしまった僕は、一時間ごとに自分を撮らせることにした。毎回ポーズを変え、しかし固定しきったアルカイックスマイルでレンズに向き合うのだ‼︎

同じ笑顔をした人間が、平成から令和、またその後草木が眠っても一時間おきに友達の彼女に“証拠”として送られる。ホラー以外の何者でもないじゃないか。でも、あくまで僕の存在は証拠にすぎないからして、そんなホラー染みた様式は何の意味も持たない。きっと、誰に見返されることもないまま、なかったものとなっていく。まあ、大事にとっておかれても困るんだけど。

そうこうしているうちに運ばれてきた紅の豚は、辛いつけダレに豚肉がたっぷり入った蕎麦だった。つけ蕎麦だった。ほぼ予想通り。食べ始めたあたりで、「おめでとう」が店内に響く。子時の辛味と蕎麦は魔法的な食欲と背徳感を生む。どんぶりが着陸するまでに、大した時間はいらなかった。

腹もいっぱい。お酒も十分。睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに、美容にも良くねぇ。帰るならいまだろう。が、しかし、まだ次の店に行かなくてはならない。よくお邪魔するバーの、スーズモーニが待っている。飲めば全てがリセットされる酸味の魔法。ノルマンディが生んだ多年草の根っこ。ピカソが愛した薬草酒。開けて広いワニの口、コンクリートは熱く焼けることなく通り雨に染められる。ここにはスコールさえもない、おもてはそぼふるこぬか雨。真夜中のDisk Jockey、特集はリンドストローム。そして、結局いつもと同じように夜が朝に溶けていく。楽しい夜更かし明日は休み。

◼️NOTES
1●元号
西暦とは別の日本の年代に与えられる称号。5月1日、令和になりましたね。

2●浅草の蕎麦屋
夜中もやっている美味しいお蕎麦屋さんっていうのは貴重です。しかもここではコブクロ刺しが食べれちゃう。探してみてください。

3●ホタルイカ
ツツイカ目ホタルイカモドキ科に属するイカ。たしか富山産でした。そりゃあ酢味噌でも美味いです。でも、この時は生姜がよかったんですねえ。

4●へいせいろ
せいろ蕎麦です!

5●紅の豚
1992年に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画。舞台は大恐慌時代のイタリア、アドニア海。

6●ポルコ・ロッソ
『紅の豚』の主人公、自分で自分に豚になる魔法をかけた豚人間。元イタリア空軍エース・パイロット。

7●飛ばねえブタは ただのブタだ
ポルコ・ロッソの名言。これが一番有名ですね。よく「飛べねぇ」で聞くことがありますが、正しくは「飛ばねぇ」なのです。もし日常生活でこの名言が飛んできたら、間髪入れずに「ばか!」と返しましょう。

8●カッコイイとは、こういうことさ。
『紅の豚』の広告で使用された糸井重里考案のコピー。

9●そういうことはな、人間同士でやんな!
ポルコ・ロッソの名言。

10●アルカイックスマイル
古代ギリシアのアルカイック期に作られた彫像にみられる表情。口角があがって、ちょっとニマッとした感じ。生命感と幸福の両方を表現するものです。

11●魔法的
小沢健二が2016年におこなったライブツアー「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」から拝借。

12●睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに、美容にも良くねぇ。
またもや、ポルコ・ロッソの名言。

13●スーズモーニ
フランスの薬草リキュール「スーズ」とグレープフルーツジュースを氷の入ったグラスに注いでステアしたあと、トニックウォーターを注いだカクテル。酔いが醒めます!

14●ノルマンディ
フランスの北西部に位置する地域。シードルやカルヴァドスで有名。

15●多年草
2年以上生存する草本植物。

16●ピカソ
パブロ・ピカソ。スペイン生まれの芸術家。1881年10月25日生まれ、1973年4月8日死没。

17●開けて広いワニの口
大瀧詠一が1975年にリリースした『ナイアガラ・ムーン』収録の「楽しい夜更かし」より。

18●コンクリートは熱く焼けることなく通り雨に染められる
小沢健二節といいますかなんといいますか、アスファルトは熱く焼けるしコンクリートは通り雨に染められるものです。

19●ここにはスコールさえもない、おもてはそぼふるこぬか雨
伊藤銀次が1977年にリリースした『DEADLY DRIVE』収録の「こぬか雨」より。教授のアレンジがこれまたいいですよねえ。

20●リンドストローム
ノルウェーのDJ/音楽プロデューサー。この日流れたのは、たしか『It’s a Feedelity Affair』と『Where You Go I Go Too』の2枚。

■筆者プロフィール
花井優太(はない・ゆうた)
プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。昨年一番聴いたアルバムはSnail Mail『LUSH』。タイトルが載った写真は関口佳代さんに撮っていただいたものです。Twitter : @yutahanai

【関連リンク】
ケトルVOL.48

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

筆者について

花井優太

はない・ゆうた。プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。昨年一番聴いたアルバムはSnail Mail『LUSH』。タイトルが載った写真は関口佳代さんに撮っていただいたものです

  1. 第1回 : 元号越し蕎麦「へいせいろ」を知った夜
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連載「うたた寝は生活を狂わす」
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