うたた寝は生活を狂わす
第6回

紡がれるmellow wavesのち、兆楽へ

暮らし
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なんてことないことがなくなったら、なんてことあることしかなくて大変だ。これは、『ケトル』の副編集長である花井優太が、生活の中で出会ったことをざっくばらんに、いや、ばらっばらに綴り散らかす雑記連載です。第6回。

* * *
仕事が休みだったものだから、昼頃に起きてその日の気分に全てを委ねることだけは前日から決めていた。なんだってできる、円を好きなだけ画定できるほどの時間が目の前にある。にもかかわらず、なんと芸のないことか。ぼくが選んだのは、アップリンクに映画を観に行くこと。これじゃあ、他の日となんら変わりがない。思えば、年末も年始もアップリンクにいた。少し離れたところにある駐輪場にミニベロを停め、松濤の裏路地へと足を進める。この動作をもう幾百幾千と繰り返している気もするが、流石にそんなに繰り返しちゃあいねえよ。

家を出る時に、チケットは予約しておいた。今泉力哉監督の『mellow』だ。主演は田中圭、ヒロインに岡崎紗絵。花屋というより、フラワーショップという言葉が似合う店「mellow」を営む田中扮する夏目誠一は奥手で鈍感だが、モテる。

近所にある美容院の中学生の娘だったり、花を届けにいっている家の人妻だったり……そして、亡き父が始めた寂れたラーメン屋を一人で切り盛りする岡崎扮する古川木帆もまた、夏目のことが好きだ。田舎とも都会ともとれない街で、地味だが心優しい男性が多方から愛される。日常のなかで陽が当たらない、表面化しにくい気持ちが、この作品では露わになる。

伝えられることなく、生硬粗雑な時間が積み重なる毎日と人間関係に埋没していきかねない感情が、ヒロインたちからはっきりと届けられるのは気持ちがいい。好きって、そんなにしょっちゅう言われる言葉じゃないよね? リップノイズまで拾う録音を通して聞こえる彼女たちの声、花屋と中華屋のコントラスト、いやらしくない配置でアフォーダンスを醸す黄色い花、細やかさの行き届いたミザンセーヌによって、発せられる言葉に立体感が付与されていく。

毎日のように夏目が通い食すラーメンは質素ではあるが、多くの人が思い浮かべる典型的な見た目をしていて味が口の中に広がるし、そんな時間かけたら伸びるじゃない、とツッコミも待ったなし。これは、木帆の父の視点だろうか。不思議と、主人公にもその周りの女の子たちにも感情移入はない。ただ側から、彼らの生活を眺める。

こりゃあ、『タンポポ』に続いてラーメンを食べたくなる映画の称号が与えられるなあと思うとともに、なぜかある別の映画のことを思い出していた。爆破事件の犯人となり姿を消した父に残された兄弟は、父を探す旅に出る。そう、ハル・ハートリーの『シンプルメン』である。

チンピラ風情の兄ビルは、旅先であったケイトに素直であろうとし、弟デニスは持病持ちのエリナから隠れた真実を聞き出そうと向き合う。どこが同じなんだと、唾棄必至の表情を浮かべられた方もいらっしゃるでしょう。しかしながら、いま伝えなければと、伝えることに目覚めていく点でとっても重なる。誰もが失うことを覚悟して、または失ったものの重大さを噛み締めながら、言葉にする。

そういえば、『mellow』のラーメン屋の色と、『シンプルメン』でデニスがハクスリーを読みながら腰掛けるオイスターバーの椅子の色は、同じような赤ではなかったけ? また、ともさかりえ扮する人妻に告白されたあと、その家の前で夫に小突かれながら、宝物を見つけた犬と同じ軌道で円型にグルグルと周るような人の動きの面白さは、ハートリーもしくはゴダールからも観せられたものではなかったか。重なったからどうということではないし、自分の中の大切な作品と、出会った作品を勝手に結びつける非礼をお詫びするとともに、わたしはこうした類を楽しんでしまうのですという気持ちを正直に述べておく。勝手にしやがれ。

ベルナール・エヴァンもきっと舌を巻くラスト手前のシーンは、なぜ花屋と中華屋だったのかに意味を持たせてしまう美しさ。閉めるラーメン屋が最終日お客さん一人ひとりに手渡す花はバラでなければならなかったと、ここにきてわかる。そして、行ったこともないのに、このラーメン屋のラーメンがもう食べられないのかと落ち込む。ぼくはもう、この店の客だ。高円寺でも、江古田でもない、どこにあるのかわからないこのラーメン屋「太陽」の。

エンドロールを見届け席を立ち、ぼくが向かった先は兆楽だった。だって、ラーメンずっと食べたかったんだもん。ルースーラーメンセットを注文し、水を飲み、あることに気づく。腕時計をしていない。手首に目を向けてもそれがない。幾千幾万と繰り返してきた動作が、腕時計の不在を気づかせる。不思議なのは、なんで今更気づいたのかということだが、言うまでもない。時間を見ることをぼくの体が忘れていたからである。

ルースーラーメンと半チャーハンは、想像以上にボリュームがあった。学生の頃は楽勝だった気がするんだけどねえ。店の白い壁を見ながら、麺をすすって思う。映画で観たようなシンプルなラーメンは、赤い壁の店に会うまでおあずけだ。あと餃子も。

◼️NOTES
1●アップリンク
渋谷と吉祥寺と京都にある映画館。ぼくがいつも行くのは渋谷。新宿にもできてほしいと天に願っている。年間会員になると映画一本が1000円で観られる。お得!

2●ミニベロ
日本語で小径車と書かれるが、要するに小さい自転車。フランス語でVEROは自転車。今はラレーに乗っている。

3●今泉力哉
1981年生まれ。映画監督。作品に『サッドティー』『知らない、ふたり』『アイネクライネナハトムジーク』『愛がなんだ』など。2020年は『his』『mellow』の2作がすでに公開。5月に『街の上で』を公開予定。

4●岡崎紗絵
1995年生まれ。モデル、女優。集英社の雑誌『Seventeen』の「ミスセブンティーン2012」オーディションで広瀬ずずらとともに選ばれ、同誌専属モデルとしてキャリアをスタート。主な出演映画に、『ReLIFEリライフ』『不能犯』『午前0時、キスしに来てよ』など。

5●タンポポ
1985年公開の日本映画。伊丹十三監督。主演は宮本信子。未亡人のラーメン屋店主タンポポは料理の腕が立つもののラーメン作りは苦手。偶然店に立ち寄ったトラック運転手のゴローは、タンポポの店を人気ラーメン屋にすることを決意する。

6●ハル・ハートリー
1959年生まれ。アメリカの映画監督。インディ映画界の雄。『シンプルメン』では、ゴダールの『はなればなれに』で有名なダンスシーンのオマージュが見られる。バックで流れるのはソニックユース。

7●エリナ
役名だが、女優の名前もエリナ。エリナ・レーヴェンソン。1966年生まれルーマニア出身。ハル・ハートリー作品の出演で有名。とにかく可愛い。

8●ハクスリー
オルダス・レナード・ハクスリー。 1894年生まれ、1963年没。イギリスの作家。科学者の家系で生まれ育つ。ディストピアの名作『すばらしい新世界』で有名。自身に幻覚剤を投与して経過を追ったことを記した『知覚の扉』は、ドアーズのバンド名のもととなった。

9●ベルナール・エヴァン
フランスの映画美術監督。1929年生まれ、2006年没。ジャック・ドゥミ、トリュフォー、ルイ・マル、ゴダール、シャブロルなど名だたるヌーヴェルヴァーグの監督たちを支えた。

10●太陽
高円寺にある中華屋。煮干しスープのラーメンと大きな餃子が最高。江古田には「らーめん太陽」という店があり、ここでも煮干しスープのラーメンと大きな餃子が食べられる。

11●兆楽
渋谷のセンター街にある中華屋。普段はラーメンを頼まずルースーチャーハンを頼む。食べるたび、学生時代を思い出す。美味しい。

12●ルースーラーメン
ルースーはチンジャオロースの「ロース」の部分。肉の細切り。肉の細切りあんかけが乗ったラーメン。最高。

■筆者プロフィール
花井優太(はない・ゆうた)
プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。Twitter : @yutahanai

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ケトル VOL.52-太田出版

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

筆者について

花井優太

はない・ゆうた。プランナー/編集者。太田出版カルチャー誌『ケトル』副編集長。エディトリアル領域だけでなく、企業のキャンペーンやCMも手がける。1988年サバービア生まれサバービア育ち。昨年一番聴いたアルバムはSnail Mail『LUSH』。タイトルが載った写真は関口佳代さんに撮っていただいたものです

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