ツール・ド・フランスで見せた双子の熾烈な争い

旅するツール・ド・フランス
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人気漫画『弱虫ペダル』の著者である渡辺航も推薦する、フランスの自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」について記された愉しく感動的な旅行記、『旅するツール・ド・フランス』(小俣雄風太)が2024年5月17日に太田出版より刊行されました。

日本では誰も知らないようなフランスの街並みやレースの様子を、著者の体験や写実的な文章によって「ツール・ド・フランス」を知っている人はもちろん、知らない人でも楽しめる一冊となっています。

OHTABOOKSTANDでは、本書の刊行を記念して全6回にわたり本文の一部を試し読み公開します。最終回となった第6回は、前回・前々回に続き第1ステージについてです。著者が体験した現地の方との交流は一体どのようなものだったのでしょう。

2024年の「ツール・ド・フランス」は6月29日– 7月21日の間で開催されます。本書を読んで少しでも気になった方は是非観戦してみてください。

第1ステージ

話題の尽きない1日目

 この日最後の撮影ストップは最大の勝負どころ、ピケ峠だった。フィニッシュまで残り10㎞地点にある、登坂距離2㎞、平均勾配10%の3級山岳[*]だ。初日ステージ優勝を狙う選手、すなわち「マイヨ・ジョーヌ」の栄光を夢見る選手にとって攻撃の仕掛けどころ。激しいレースが展開されることを、バスクのファンたちもよく知っていて、ビルバオのスタート地点よりも観客でごったがえしていた。ここは峠道だから、町もないし人家もほとんどない。集まっているのは「家の前を通るツールを見に来た」ライトな観客ではなく、「わざわざ人里離れた山の中までツールを見るためにきた」コアな観客たちである。

[*] ツールではポイントとなる上り坂に級付けをして難易度を表す。登坂の距離や平均勾配を考慮したカテゴリー分けで、低い方から4級、3級、2級、1級となる。さらに最難関の山岳は超級と呼ばれる。このピケ峠の場合、平均勾配10% はかなり厳しい上りだが、距離が2km と短いことで3級になったと思われる。これが7km 続けば1級だろうし、15km 続けば超級でおかしくない。

 アルプスだと関係車両をバンバンとお構いなく叩きまくるおおよそフーリガンと言ってもいい酔っ払いが一定数いるものだが、ここではハメを外す人間はいない。バスク人は温厚で慎み深い国民性と言われるが、これがそのことを示しているのだろうか。とはいえ、こんな峠まで来るくらいだからレースを間近で見たい人たちだ。選手に先立って通過していく関係車両とほとんど接触しそうなくらい沿道から道路へと乗り出していて、選手たちが走れるスペースがあるのか、ちょっとハラハラする。バスク人たちのお祭り会場と化したピケ峠で、どこに陣取ろうか悩んでる様子の女性2人組がいた。ワンピース姿の服装も町中にいる素敵な女性のそれで、気合が入った自転車ファンには見えない。この峠にピクニックに来て、たまたまツールの一団に遭遇してしまった、という風情である。

 「人の数がものすごいですね」と声をかけると「Sorry?」と怪訝な顔をされた。その間に僕の首にぶら下がっているプレスパスを見て察したらしい。「あなたはジャーナリストなの?」と逆に聞き返される。スペイン語のイントネーションがない流暢な英語を話すのは、マヤさん。このツールを直に見たくて、ピケ峠までやってきたのだという。「選手たちを応援したいの」という彼女がカバンから取り出してみたのは、大きなデンマーク国旗だった。さすがにこのバスク人たちの人混みの中で国旗を掲げて歩くのは主張が強すぎるだろうな、と思っていたら「イクリニャ[*]と色が似ているから紛れないようにしっかり広げなきゃ!」と嬉々として言う。夏にはテレビでツール観戦を楽しむ家庭で育ったというマヤさんは、ビルバオで仕事をしている友達を訪ねるタイミングをツールに合わせたらしい。街中ではなく、わざわざこの山中に来る熱心さ。デンマークは2022年のツールのグランデパールになったこと、そしてデンマーク人のヴィンゲゴーが優勝したこともあって、空前のロードレースブームに沸いている。それでも、遥かビルバオまで直にツールを観に来る人はそう多くないだろう。

[*] 赤と緑と白で構成されるバスクを象徴する旗。バスク地方のレース沿道には数え切れないほどこの旗がはためく。

 登り坂、それもレース最終盤だから、選手たちはバラバラになってやってきた。先頭でやってきたのは、ヴィンゲゴーとポガチャル。2022年の総合優勝者と2位の選手が、大会初日から勝負どころで火花を散らした格好になった。沿道のファンたちの迫り出し具合はこの時ピークを迎えたが、バスクのファンたちは距離感を心得ているのか、選手と接触するようなトラブルは見ている範囲では一切なかった。ただ、選手たちには前を走る選手を追い抜けるだけのスペースもなかった。観客が多いことによる影響は、この後大会が進むにつれ無視できないものになっていく。

 この日の結果は、ツール史上に残るような珍事が起きた。山頂からフィニッシュまでの下りで有力選手たちが合流し、最後はUAEチームエミレーツのイギリス人、アダム・イェーツが勝ったが、2位が双子の兄弟のサイモンだったのだ。以前から瓜二つで知られていた2人が最終盤に抜け出して優勝争いを演じてみせた。かつて同じチームに所属していた2人だが、数年前に袂を分かち、今ではいいライバル関係にある。勝ったアダムはポガチャルのチームメイトで、チームの第2エースを務める選手だ。2位になったサイモンはオーストラリアのチームでエースを担う。総合優勝候補の山頂での熾烈な争いの後にやってきた双子のワンツーフィニッシュ。こんなに話題豊富な大会一日目は珍しい。

 珍しいといえば、今日はスタート地点とフィニッシュ地点が同じ街だ。ホテルのチェックインに急ぐ必要がないので、レース終了後も時間にゆとりがある。むしろ少し時間を持て余したので、この間にポッドキャストの収録を行う。というのも、ここスペイン・バスクではレストランが開く時間が遅い。20時になってようやくレストランが開き始める。遅い夜はこれから始まるが、夜更かしはできない。なんといってもまだ大会初日なのだ。

* * *

美しい田舎町を駆け抜ける選手たち、道端で出会うヴァカンス中の人びとの熱狂──食、宿、自然etc…普通のガイドブックには載らない、フランスの原風景を体験できる“特別な3週間”の道しるべ。
小俣雄風太×辻啓 ポッドキャスト 書き起こしも抜粋収録されています。

生活の横をレースが通過する!ー「ツール・ド・フランス」がどのようにしてヨーロッパの人々に親しまれているのか、その魅力が詰まった一冊です。

『旅するツール・ド・フランス』(小俣雄風太は現在全国の書店、書籍通販サイト、電子書籍配信サイトで発売中です。

  1. スポーツでありながら、旅 世界最大の自転車レース「ツール・ド・フランス」
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  3. ツール・ド・フランスに行ってきます
  4. なぜツール・ド・フランスはコースが変わるのか
  5. ツール・ド・フランス取材を成功させる3つの撮影戦略
  6. ツール・ド・フランスで見せた双子の熾烈な争い
『旅するツール・ド・フランス』試し読み記事
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