ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。
古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。マンチェスター最終日は、マンチェスターを代表するミュージアムがどのように「多様性」を取り入れていったのかを見ていきます。
マンチェスターを代表するミュージアムに、その名もズバリ「マンチェスター・ミュージアム(Manchester Museum)」がある。マンチェスター大学附属の自然科学・考古学・人類学の博物館で、19世紀初めから大学各部門が蒐集してきたコレクションを公開している[*1]。大学が保有のコレクションをミュージアムが管理する「大学博物館」の種別では、英国最大のミュージアムである。
いま「博物館」という言葉をつかって説明したが、訪れた後にこう呼ぶことに少しの違和感を覚えている。「美術館」のような展示が随所に見られるのだ。キュレーションや展示の設計にアートを導入する方針は1990年代後半まで遡る運営改革以来徐々に進められてきたが、150万ポンドもの資金が当時された2023年のリニューアルオープンによって事業が統合され大々的に宣伝された。
改革された展示のキュレーションには「多様性」の視座が導入されている。芸術事業を用いることで、多様な立場の人々が関わり、様々な視点が交差する場を生み出たのだ。展示の様子が「博物館」よりも「美術館」のように見えたのは、単なる展示のビジュアル面の演出ではなくこうしたキュレーションの結果である。
マンチェスター編最終回となる今回は、マンチェスター・ミュージアムの改革におけるアーティストとのコラボレーション事業に焦点を当てて、ミュージアムがアートによって多様性を取り入れる方法について考えていこう。
包摂、想像力、ケアリング
館長エスメ・ワードはリニューアル宣言文で、改革の理念と特徴を次のように説明している。
マンチェスター・ミュージアムで2023年2月に開始されたhello future改革プロジェクトのミッションは、持続的な世界をつくることに「文化」がいかに重要なのか理解を深めることである。
この説明からしてすでに、いわゆる自然科学系の「博物館」が従来担ってきた役割と異なるという点を強調しているものだ。
ミッションは、①社会包摂的で(インクルーシブ)、②想像力を働かせ(イマジナティヴ)、③気遣う(ケアリング)、という三つの価値観を重視してなされる。以下は、それぞれの点を説明した箇所だ。
我々の生きる世界を将来も持続できるようにするというミッションのために、様々な立場にある互いを尊重しながら人々が共同して文化的価値を創り出すことの大切さが強調されており、ミュージアムはそのための器となり場を提供するという考えが明示されている。
より具体的なところを読むと、次のような事業を挙げつつ、歴史博物館として過去とどう向き合うのかとその姿勢が宣言されている。
インクルージョンとは、協働(collaboration)と共同制作(co-production)を強化し、多様な視点を前面に出すことで、私たちが仕える地域社会にふさわしい存在となることを意味します。
イマジネーションとは、大きなアイデアに取り組み、人々と一緒に物語を語り、問いかけや探求を行うことです。
ケアとは、住んでいる世界や互いに対する理解・共感(empathy)・愛を私たちが築けるように、蒐集されたモノだけでなく、人々やその考え方、人間関係を大切にすることです。[*2]
同館は「世界で初めてカーボンリテラシーのあるミュージアム」となった。これは、2038年までにグレーター・マンチェスター地域で炭素ゼロ目標を達成するマンチェスター大学環境持続可能性戦略におけるミュージアム部門になったという意味である[*3]。自然史博物館は教育面でそれを支えるのだ。気候危機やエネルギー政策などは、自然界単体ではなく「自然と人との関係」から理解されるべきである。自然史の研究や教育とは、過去ではなくむしろ現代社会や人類の未来についての物語である――こうした姿勢を強調する。
また同館は、「ヨーロッパで初めてオーストラリアに〔先住民社会から持ち出した〕聖遺物や儀礼品を無条件で返還した」ミュージアムでもある。同館は2019年に43点のこうした所蔵品を自主的に返還したことを誇っている。リニューアル時の目玉のひとつ、専門家が年代順にキュレーションする予定だった大英博物館との提携による南アジア・ギャラリーでは、代わりにマンチェスターに住む南アジア系コミュニティの31名が共同キュレーションを行うことになった。共同キュレーションで「当事者目線」を取り入れる手法は、文化人類学系の展示でしばしば活用されてきたものだが、ほかにもダブリンのように家賃が上昇して厳しい住宅事情のある地域ではホームレスの人々との共同キュレーションなどの例もある。
植民地主義などにより元の状態を壊され散り散りとなった彼らディアスポラの声をキュレーションに取り入れ、それも「普通の人々(ordinary folk)」の多数の声を並べる「多声的」なアプローチを取る[*4]。また先住民の視点や現在の彼らとの有効な関係を前面に打ち出す。これらによって、帝国主義に加担した支配地域研究や、収奪に由来するコレクションといったミュージアムの持つ暴力的な過去に向き合い、透明性を担保し真摯に「博物館を脱植民地化する(decolonizing museums)」姿勢を強調している。
これらの宣言には、同館が「歴史」に向きあう態度が表れていよう[*5]。
近代以降の社会が孕む人種暴力や社会の不公正、歴史における語りの不均衡という問題に、ミュージアムによって取り組む。ワードが同館で初の女性館長となったことも、この方向性を象徴するものである。ワードは言う。アーティスト、文筆家、教育者、社会活動家、起業家やスタッフや学生で協働して、この厄介な歴史が我々の未来にとって最重要なものだと示すことこそが我々の使命だ、と[*6]。
「自然の支配」から「自然との共生」へ――〈Living Worlds〉
他者への理解を育むために、他者との協働(collaboration)・共同制作(co-production)・共同キュレーション(co-curation)を行う。「共同(co)」という、その主体を多様化する方法が英語の接頭辞に表れている。こうした語りにおける多様性の方法がキュレーションによってなされているのである。
三つの「共」はどのように実現されているのか具体的にみてみよう。
こうした取り組みを代表するのが、博物学(自然史)のセクション〈Living Worlds〉の部屋である。同室は2011年に旧〈Animal Life Gallery〉から改装され、その趣をガラッと変えたセクションである。
展示空間は天井まであるクラシックな展示キャビネットが、均等かつシンメトリーに並べられている。その高さは人の身長の1.5倍ほどである。天井は吹き抜けになっており、まっすぐ延びた廊下空間の奥にある階段で、中二階からキャビネットの上面に当たる上層階の展示室へと抜られる。
これは十九世紀型博物学の思想を具現した典型的なミュージアム空間である。哺乳類・猛禽類・齧歯類……などと均一に、効率よくモノを配置するように展示ケースや空間がデザインされている。できるだけ多数の標本を蓄積して並べながら考察する博物学や病理学の理にかなったものだ。
クラシック、と思しき部屋の雰囲気はかなりモダンでもある。どういうことか。
展示ケースには、煌びやかなネオンで展示セクションサインが付され短いタイトルがついている。たとえば、「気候変動CLIMATE」「資源RESOURCE」「災害DISASTER」「象徴SYMBOLS」「平和PEACE」「人生LIFE」といったキーワードである。動物の骨格やホルマリン漬、剥製などといった蓄積された標本コレクションが、現代的かつ領域横断的なメッセージの素材となっている。
「資源」を例に取ろう。「私はここマンチェスター大学の環境開発学部で、人が環境や他の人たちへ与える影響をより良い形にして、共生できる方法について研究しています」と、同学教授の記名でキャプションが書かれている。
キャビネットには、帽子飾りなど人間の装飾品のために絶滅した鳥やパイソンなどの剥製が、「人が動植物を利用するとその数に大きく影響しうるのです」という文と展示されている。トウモロコシや蚕、染め物の原料植物は、「動植物は私たちがつかう日用品の多くの原料です」と説明されている。
続いて、「私たちが持っているものはすべて自然や地球に由来します。(…)自然とは異なり、ときに私たちは資源を一度きりで捨てるものと考えてしまいます。(…)“次の産業革命”に向けた私たちの課題は、自然の再利用のために、持続的で安全な自然サイクルへのフィードバックについて学ぶことです。」とある。このように、コレクションされていた博物学資料に新たな物語が付与されている。
自然史=博物学=natural historyとは、元来どのような学問だっただろうか。それは、人間は自然をいかにその管理下に収めることができるのかという探求から生まれたものである。
ルネサンス以降、「個人」という存在が明確に自覚されるようになった。例えば神、教会、共同体のものであった絵画はこの時期から画家個人のものとなった。ミケランジェロであり、レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラント……作品に画家の名前が付けられるようになったのもこの時期だ。
彼らやアルブレヒト・デューラーに代表される画家たちは、世界を精巧に映しとる後のカメラの歴史へと通じていく図版技術者でもあり、観察という世界認知の方法を更新していく。航海技術と探検は初期の植民地主義を導き、各地から伝聞だけでなくモノを通じても届けられる「自然」の観察という経験論的な学問を確立させた。
個人という意識に基づいた我々「人間」と対置させる形で、脅威や畏怖の対象でもあった「自然」が存立される。そして制御し支配する対象として大学そしてミュージアムで理解を深めていく。自然史とはそのような思想的背景をもった学問であった。こうした技術と思想、認知の枠組みに基づき、「自然界」を表象するサンプルとして、剥製、骨や臓器の標本が博物館へと保存されていった。
マンチェスター・ミュージアムのコレクションには剥製師ハリー・フェリス・ブラゼナーの手になるものが多く含まれている。ロンドン以南のブライトンで成功した剥製会社の家に生まれ、マンチェスター・ミュージアムの職員として多数の剥製を制作した。マッコウクジラの骨格やポーラーベアの剥製は現在でも目玉の展示物である。展示室の中央に吊るされたマッコウクジラの「上に」座るブラゼナーは、「人による自然の支配」というこの部屋の「過去」を示すキーヴィジュアルとしてエントランスに掲げられている。
平和教育と文化外交のアート・インスタレーション
この部屋には、さらに踏み込んだ方法を採った展示もある。
「平和」のディスプレイは、一羽の鶴の剥製が中心に置かれ、その周りには飛び交うように配置された折り鶴(千羽鶴)で構成されるインスタレーションである(図)。原爆投下時に溶けたガラス片も添えられている。ヒロシマにおける平和祈念の歴史を伝えるものであり、核開発という自然開発・科学技術を人間が制御できなくなったとき起こる災厄について語るものでもある。キャプションでは被爆によって命を落とした佐々木禎子について紹介されている。
この展示は、広島市長が会長を、マンチェスター市長が副会長を務める平和団体「平和首長会議(Mayors for Peace Network)」と同館の協働事業である。ミュージアムという公的な空間は、文化外交という公的な事業におけるメッセージを発するには最適な器である。またこの展示のすぐ横の床に入った大きなヒビは第二次大戦時にドイツの空爆の際のもので、多くのイギリス国内のミュージアムが空爆被害を被った歴史とも交差したものになっている[*7]。
アプリとインスタレーションで歴史の印象を書き換える
旧来の自然史の意味を別の物語へと書き換える。この部屋のディスプレイもまた、こうしたキュレーションをヴィジュアル面で支えている[*8]。ワード館長が謳うところの「我々の世界の美しさと脆弱さに焦点を当てた」展示方法である。
改装を請け負ったヴィラ・ウジェニーは、ディオールやシャネル、ルイヴィトンなど名だたるハイファッションのキャットウォーク・ショーをプロデュースしてきたベルギーのイベント会社である。ブルックリン流のヒップスターなブリューパブを思わせるネオンサインに見られるように、硬派とは真逆のアプローチは、ともすると批判の対象にもなっただろう。
開館時のインタビューでコレクションを担当するキュレーターのヘンリー・マクギーは、これは全く表面上の装飾ではなく、館の使命は過去、現在、未来について考えるきっかけを与えるためにコレクションを活用することだと物語が重要であること、つまりキュレーション面を強調している[*9]。
彼女が広島の少女の原爆被害によって「人と核という自然開発との関係」について語るキュレーションを実現したきっかけは、ヴィラ・ウジェニー創設者エティエンヌ・ルッソが「博物館自体が〔古めかしい墓場のような〕“博物館行き”にならないためには、展示に感情を込めるべきだと」というアドバイスだったとという。モノという客観的なファクトを元にしながらも、感情的な物語となるよう強調したことが、このキュレーション面での大きな方針転換であった。
古くて堅苦しいイメージはすべて取り除くべきだ。ルッソによるこのもう一つのアドバイスは、展示のヴィジュアルを「インスタレーションとして見せる」という方向で実現した。「モノ、キャプション、モノ、キャプション、モノ、キャプション……」と彼女はその旧態依然の「博物館」展示の退屈さを強調するが、つまり、展示空間を総体として美しく見せる/魅せる方法でそのイメージを書き換えたのである。
コンサルティングによってはアプリの開発も実現した。展示をスマートフォンで楽しむ、というのは今では当たり前のことのようだが、2011年当時には普及率の低さもあってまだ新規なものであった。マクギーは、「ギャラリーが15年もここにあるとしたら、タッチスクリーンのスマートフォンを持つ人はますます増えるでしょう。端末上の情報をコントロールすることで、ミュージアムを訪問した後にやるべきことをこちらから簡単に案内できるのは、すばらしいですよ」と先駆的な発言をしている。
業界によって、革新的なものに対する忌避感や変化の身軽さは異なる。ファッション業界に比べればミュージアム業界は、さらに言えば美術界や科学博物館よりも歴史や民俗系博物館の世界は、こうした点では“遅い”傾向があるだろう。共同制作・協働によって、おそらくは館内の関係者では思いつかなった、あるいは実現まで至らなかったアイデアが現実のものとなり、ある種の共同キュレーションへと結実していったのである。
アーティストとのコラボレーションで物語る「過去への批評」
アーティストとのコラボレーションもこうした「共同」事業の一環として進められてきた。
2004年のアルケミー・プロジェクトでは四組の作家を招聘し、ミュージアムのコレクションによって制作を行なった。その一組ジェイコブ・カートライト+ニック・ジョーダンは、英国で発見された外来種が在来の野生生物へ与える影響についてインスタレーション作品を作り、「ガイドブック」という形で出版作品も発表した。地質学、古生物学、肖像画、コレクションの由来・蒐集の過程やアーカイブなどミュージアムそれ自体など、アーティストは様々に批評的な視座をコレクションやミュージアムに投げかけた。
2005年には、外部から招聘したアーティストと共同して丸々ひとつの部屋を制作した。コンテンポラリー・アーティスト マーク・ダイオンの展示室である。現代美術界において高い評価を得ているこの作家は、なかでも考古学や自然科学系の博物館、民族学・民俗学博物館、驚異の部屋など「博物館」とのコラボレーションで知られるアーティストである。
このときダイオンがシュルレアリスム遺産研究センター招聘企画として制作した一室のインスタレーション作品《事務局Bureau》は、いまでも常設展示として残されている。
鳥の頭が取りつけられた盾、後ろ足が四本あるモルモットの標本など、驚異と好奇の品々が所狭しとだが整然と並べられ、「ミュージアムの収集方針がまだまだ曖昧だった1920年代のキュレーターの部屋」をイメージしたものとされる。
ここに、近代科学のタクソノミーのイデオロギー性、すなわち「過去の自然史博物館という思想・制度」に対する批評性を読むことは難しくはないだろう[*10]。この招聘事業は、マンチェスター・ミュージアムが「自身の過去の反省と刷新」のためにアーティストの視座を導入し、共同で語った(collaboration)物語だと見ることもできるだろう。
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新たな装いのマンチェスター・ミュージアムに見られた“共同”キュレーションとはこのようなものであった。「普通の人々」、異なる分野の学者、政治家、文化事業者、アーティストなど様々な立場の「他者」の仕事を交差させる状況をつくり出し、視点を多様化する。これらを通して過去の物語を新たな意味に読み替えながら、外部の「展示言語」をもつ者との共同制作によって伝えるターゲットも拡大する。
多様性とは、女性やマイノリティの歴史を取り上げるというように、語られる対象の多様さによってのみなされるものではなく、ましてや耳触りのよいスローガンではない。協働/共同制作/共同キュレーション――「共に(co)」を接頭辞にもつ様々な「共同」の形によって、ミュージアム自体を多様な主体で運営する場にしながら、少しずつ社会へと実装していくものなのである。
[*1] Manchester Museum, Manchester Museum Guidebook(Scala Arts & Heritage Publishers, 2023).
[*2] “Making the Museum,” Manchester Museum website.
[*3] “Building a more sustainable world,” Manchester Museum website.
[*4] Mark Brown, “Manchester Museum to reopen with ‘ordinary folk’ co-curating new gallery,” The Gardian (Oct 31, 2022).
[*5] “Making the Museum,” Manchester Museum website.
[*6] Manchester Museum Guidebook, 11−12.
[*7] 館内のほとんどの箇所は3Dによってヴァーチャル公開され、上述の展示・パネルを読むことができる。”Virtual Tours,” Manchester Museum website.
[*8] Manchester Museum Guidebook, 52.
[*9] “Fashion makeover for Manchester’s Living Worlds gallery,” BBC (April 13, 2011).
[*10] 展示パネルキャプションの文言(2024年5月14日来館)。以下にも転載されている。“Mark Dion The Bureau of the Centre for the Study of Surrealism and Its Legacy,” Art Fund_National Art Pass.
筆者について
こもり・まさき 1982年岡山生まれ。武蔵大学人文学部准教授、立教大学アメリカ研究所所員、ウェルカムコレクション(ロンドン)及びテンプル大学歴史学部(フィラデルフィア)客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。美術・映画批評、雑誌・展覧会・オルタナティブスペースなどの企画にも携わる。著書に、『楽しい政治』(講談社、近刊)、「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す、美術品をポチって戦争の記憶に参加する──藤井光〈日本の戦争画〉展にみる『再演』と『販売』」(artscape、2024)、「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」(『人文学会雑誌』武蔵大学人文学部、2024)、「共時間とコモンズ」(『広告』博報堂、2023)、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」(『あいちトリエンナーレ2019 ラーニング記録集』)。企画に、『かじこ|旅する場所の108日の記録』(2010)、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」(2024)、ウェブマガジン〈-oid〉(2022-)など。連載「包摂するミュージアム」(しんぶん赤旗)も併せてどうぞ。https://masakikomori.com