三島由紀夫と政治の季節 「ホテルオークラ」東京都港区

三島由紀夫 街歩き手帖
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来年1月の生誕100年を前に、三島由紀夫が愛した店や旅行先、執筆場所や作品の舞台などを紹介するガイドブック『三島由紀夫 街歩き手帖』が、8月20日(火)に刊行されます。全三部構成で、現在も営業中の飲食店やホテル、観光地、風景を手がかりに、三島とその作品に迫る本書(一部、休業・閉店中のものを含みます)。第三部では遺作となった大作『豊饒の海』四部作の謎解きも試みられています。

わたしは作品論や作家論を、このガイドブックに託そうとしているわけではない。三島由紀夫の作家論や評伝は膨大である。それらに感銘をうけ、新たな発見に愕かされることも少なくなかった。これほど評者たちに愛された作家は珍しい。だがその多くは、評者たちの思想や哲学のなかで加工され、あるいは観念化・独自化されたものだ。その理由も、三島の仕掛けた「謎」の大きさによるのだ。そこで本書は、ひたすら作品の解説につとめることで、「謎解き」のための「事実」のみを明らかにしよう。言うまでもなくそれは、三島が語った「事実」である。

刊行を記念して、OHTABOOKSTANDにて、本文の一部を全6回にわたって公開します。ゆかりの地に行き、思いをはせる三島作品の新しい読書ガイドブックをお楽しみください。

 『夜会服』には、オークラの二階の小宴会場でのランチが登場する。ヒロイン訽子の父・稲垣保が薬品業界の重鎮に呼び出され、娘と滝川俊男の縁談を告げられるのだ。

 山ほど大きなフラッペ水を積み上げて冷やしたキャビアを、二人の製薬会社の経営者はメルバ・トースト(乾燥するまで焼き上げたパン)の上へ載せて食べる。重鎮が選んだ葡萄酒は、もう給仕されているのだろうか。英国大使館での正式のお見合いが、これでセットされたのである。

 光文社の櫻井秀勲が「女性自身』の編集長になったとき、三島は就任祝いにオークラでビーフステーキをご馳走している(『三島由紀夫は何を遺したか』)。三島が三十二歳のときである。

理容米倉 オークラ東京店

 三島が常連客で、市ヶ谷事件前の十一月二十日に最後の調髪した店。新婚旅行のさいも、大阪グランド店で調髪している。佐藤栄作もここを利用していたので親しくなり、昭和四二年の三月に「参院選か東京都知事選挙に出ないか」と声をかけられた。

 その年の七月に首相官邸に母親とともに招かれ、そこに居合わせた福田赴夫(当時大蔵大臣)に「お前は大蔵省にいたらまだ課長だ。それ(選挙出馬)をイヤだとは何事だ」と冗談まじりに出馬強要されている。福田赴夫は大蔵省時代の三島の上司だったのである。すでに政治行動に踏みきっていた時期だが、清濁あわせ呑む政治の世界は、行動に純粋さをもとめる三島には無理だった。

 理容店は大正七年(一九一八)に米倉近が創業し、修行を積んだ東京日本橋「篠原理髪店」と、義父後藤米吉の「三笠館」の流れを汲む、当時最新のタイプのヘアサロンとして開業。現在は主要都市の高級ホテルに店を展開している。ほかに三島が利用した理容店には、銀座松坂屋横の「阿川」がある。

 三島は昭和四五年の六月十三日に、このホテルの822号室に楯の會の三人を集めている。自衛隊には期待できない、独自の計画を立てなければならないというものだ。東部方面総監を拘束する具体策が練られた。

政治と三島由紀夫

 市ヶ谷事件の顛末を、楯の會による「憲法改正運動の失敗」として、三島由紀夫は政治的には素人だったと評価されることが多い。だが、そもそも三島が政治運動を行なったのではないとすれば、六〇年代後半のかれの「政治的行動」を解説するのは無理である。

 『太陽の季節』で鮮烈なデビューをはたし、のちに政治家に転じた石原慎太郎は、東京都知事という首長権力にのぼりつめた。当時は絶大な人気を誇つた三島にも、可能だった政治家の道である。

 政治の汚濁を嫌う三島には、しかしその選択肢は初めからなかった。三島の死とともに解散する予定だった楯の會にとっても、憲法改正はお題目にすぎなかった。市ヶ谷事件も左翼勢力の敗北(六九年国際反戦デー)、それによって自衛隊の国軍昇格が失われた悲劇を訴えたにすぎない。楯の會は財界の支援を拒否し、幹部会員が右翼から資金援助をうけたことに、三島は衝撃を受けている。こころざしは純粋でなければならず、出処進退の潔癖さをもとめる思想運動が、政治運動であろうはずはなかった。

 三島を政治の季節に駆り立て、「諸君の情熱だけは宿じる」(東大駒場シンポジウム)と言わしめた三派全学連・全共闘運動も、やがて革命的な情熱を捨てて政治的安定を模索し、共産党の学園統治と変わらぬものへと変節していく(内ゲバによる学園支配)。六〇年代のひとときの政治的な興奮がつくり出した時代の熱こそが、三島によっての「政治的行動」だったのである。

* * *

文学には「住所」がある。

 三島作品の舞台や執筆場となった、数々の店や場所、風景。
 「行って、馳せる」読書を愉しむための新ガイドブック!

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