ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。
古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。
グラスゴーは首都エディンバラに次ぐスコットランドの第二都市。16世紀の尖塔がシンボルのグラスゴー大学は丘の上のお城の佇まい。実際の撮影地ではないのにハリーポッターの舞台に似すぎてファンが撮影に訪れたりしている、といえばもう少しその雰囲気が伝わるだろうか。
この大学地区にはグラスゴーを代表する学術や教育の機関が立ち並び、ミュージアムならケルビングローブ博物館美術館(前回記事:「植民地主義にツッコミを入れる スコットランドのケルビングローブ美術館・博物館」)と「ザ・ハンタリアン」が有名だ。ハンタリアンはグラスゴー大学所属のミュージアムグループで、「美術館」「博物館」「動物学」の三つの部門に分かれている。
2016年に事件があった。そのコレクションが大西洋奴隷貿易で得られた財に依存してきたと館が公式の見解として認めたのだ。以来、ハンタリアン博物館はコレクションの負の歴史の効果的な伝え方について模索してきた。以下では、1807年に創設したこの「スコットランド最古の公共博物館」が矜持を見せたその取り組みについて紹介しよう。
グラスゴー大学ハンタリアン博物館の脱植民地化
博物館名の「ハンタリアン」とは解剖学者・産科医ウィリアム・ハンターに因んだものだ。そのコレクションは医学にとどまらず、古代エジプトやギリシャ・ローマからの考古学資料、鉱石や隕石、動植物・恐竜の化石や工芸品など、幅広く自然科学をカバーしている(なお、ロンドンにある弟ジョン・ハンターの解剖学コレクションのハンタリアン博物館は同じ名前だが別組織)。
メインの展示室は、天井まで吹き抜けの広い一階部分に中二階を加えた構造。一階中央に巨大な展示ケースが一つ、それを取り囲むように壁面側に10点の大ケースがセクションごとに配置されている。これは典型的な19世紀型の博物学的展示空間だ(第5回記事:「多様性」のあるミュージアムとは何か? アートが共同する場をつくるマンチェスター・ミュージアム」)。
エントランスを入って右手には、コレクションにかかわる奴隷制の影響について反省する「脱植民地化」の展示がある。
展示の空間設計を見れば、脱植民地化の物語を前面に押し出す企画の姿勢が伝わってくる。その配置は入室するとまず目に入るものだ。ビビッドなオレンジのボックスが壁から飛び出し、壁三面をつかったモダンな展示は他のセクションとは異なる印象を残す。この箇所のパネルは、この部屋全体の趣旨を説明するパネルよりもその規模が大きく目立つ。つまり、一本の決まった動線がないこの部屋で、入室した者をまずこのセクションに遷移しようという意図が読み取れるのだ。全体の展示の物語をこの脱植民地化のコンセプトで包み込んでいるようなイメージだ。
「不快感をキュレーションする」プロジェクト
脱植民地展示のパートの説明を見ていこう。「不快感をキュレーションする(Curating Discomfort)」というタイトルでこの博物館の改革について解説されている。
「不快感をキュレーションする」プロジェクトは、博物館展示や私たちの活動全体の歴史的な力の不均衡に対処するために、ザ・ハンタリアンによって開発されました。今あなたが見ている介入はプロジェクトの一部にすぎません。博物館を誰にとってもかかわりのある場所にする工夫の第一歩です。
改革の意義に関して、このミュージアムが誰にも開かれているということ、つまりその公共性の重要さが強調されている。「誰にとっても」と強調することで、これまでミュージアムの歴史が取りこぼしてきた奴隷制の犠牲になった人々とその子孫について想像することを促している。
スコットランドの複雑な歴史のなかで最も顕著なのは人種にかかわるもので、今日まで続く複数の不平等と偏見につながっています。(…)グラスゴー大学は18・19世紀には奴隷制度廃止論のスタンスを打ち出していたにもかかわらず、奴隷制から利益を得た人々からの寄贈や遺贈を受け入れてこのミュージアムの目標を推進し続けてきました。本館はこれを2016年を公式に認めたのです。
植民地主義の最悪の形である奴隷制度は、大学とミュージアムの運営基盤や経営利益に直につながっていた。反省すべきその歴史が堂々と示されている。
この展示を見て、ちょうど1年前2023年の10月に起こったイスラエルによるガザ侵攻を思い出した。ガザ地区やヨルダン川西岸地区とは、イスラエルのユダヤ人が入植した土地であり、つまり植民地である。そして元を辿ればその原因にはイギリス政府による植民地主義政策と不公正な三枚舌外交あった。こうした歴史的背景から、特に昨年来入植者であるイスラエル国家に対して様々な企業がビジネス上の利益を与えていることが強く批判されてきた。
日本国内の件で記憶に新しいのは、展覧会「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」の一件だ。川崎重工業などを公式パートナーとする国立西洋美術館が主催したこの展覧会のオープニングイベントで、飯山由貴、遠藤麻衣ら出品作家の有志と支援者が抗議行動を行い、川崎重工に対してジェノサイドを続けるイスラエルからの武器輸入停止を要求し、ミュージアムへも働きかけるよう求めた [*1]。
西洋美術館設立の中核となった松方コレクションとは、川崎重工の前身川崎造船所の初代社長・松方幸次郎がヨーロッパで収集した美術品である[*2]。つまり、声を上げた彼らは現代の政治問題だけに焦点を当てるのでなく、ミュージアムや展覧会を支える植民地主義的な歴史背景や社会経済的な基盤といった構造そのものについて批判していることになる。
ハンタリアン博物館もまた、その歴史的構造から現代における経済的な構造まで、現状の仕組みを支える力学そのものを問うべきである、という見方が提示されている――少なくとも、展示における表向きの姿勢としてはそのように主張される。
このメッセージは「不快」なものかもしれない。コレクションを“純粋に”楽しみたい、という人々はノイズになると「不快感」を訴えるかもしれない。しかしそれこそが本プロジェクトのねらいであり、ミュージアムの歴史とコレクションが持つ過去を、現在このミュージアムがどのように扱うのか、その姿勢を宣言しているのだ。
パネルにはこうも記されている。
博物館のコレクションとは政治的な行為です。収集されたもの、博物館がそれらを手に入れた方法、〔登録して〕文書化したり〔その意味を〕解釈する方法――それらすべて、これまでの博物館の運営の歩みでありその結果なのです。「不快感をキュレーションする」の一環として、私たちはコレクションを注意深く精査しました。この〔展示室への〕介入のために選ばれた展示物は、奴隷制、植民地主義、帝国の遺産について何か言いたいことがあるのです。
コレクションの見方が多様化することで「不快」と感じる人はいるかもしれないが、ミュージアムが発信する歴史の語りの総体としてはより豊かなものになることは間違いない。
どんな物品もさまざまな視点で解釈することができ、伝えるべき物語は決して一つだけではありません。例えばこれらの二つの小さな物は、よく見つめることで、私たちの解釈がどれほど豊かであるかを示すでしょう。ハンタリアン博物館やその他の博物館へ批判的なまなざしを向け、ここで展示される物のなかにはそうした遺産がどのように現れるかを考えてみてください。
こうした物語の多様化を目指す介入型のキュレーションは、単に一つの展示物を批判的に読解することや、展覧会が過去の反省の姿勢を見せるということ以上に意味がある。それは、植民地化という歴史が現在の社会のルールや構造に与えた影響それ自体を改革すると自ら認めることになるからである。歴史の多様な見方をコレクションから見せると同時に、ミュージアムにおけるコレクション構築という制度・基盤それ自体のバイアスについて意識させるものなのである。
「トカゲをジャマイカに返す」とみんなで決める
具体例が必要だろう。あるトカゲの標本コレクションについての展示を取り上げてみよう。ここでは、トカゲは展示されていなかった。つまり、コレクション自体はここにはなく、パネルと解説、そしてトカゲのホルマリン漬けを見つめる地域キュレータの写真が展示されている。トカゲは、この企画の過程で原産地ジャマイカの研究所へとすでに返還されていたのだ。
この展示は、「なぜ展示されていないのか」という問いからコレクションにまつわる物語をひもといていく戦略を採った。この不在の展示は、次のような説明が続く。
ジャマイカのような植民地に住んでいたトカゲの種の多くは、宗主国が植民地の天然資源から富を生もうとおこなった農業のプロセスで絶滅してしまいました。その一つの例が、1840年に最後の記録を残して絶滅したこのトカゲの種なのです。
サトウキビ農園――もちろんそれは宗主国によって植民地から搾取のために作られたプランテーション・ビジネスである――を成功させるために、農作物を狙うネズミを駆除するためのマングースが輸入された。しかしマングースはビジネスにとって無害なトカゲも駆除してしまった。宗主国の、そして人間の都合で、まったく関係のなかった動物種がこの世から失われたのである。
こうしてみると、この返還が意味することは単なる物品の返還にとどまらないだろう。それは象徴的な生態系の回復の物語であり、同時に、象徴的な植民地主義の負の遺産を――もちろんそれは不可逆なものであるが――見直そうとする試みなのだ。歴史的な文脈を意識することで、こうした批判的まなざしを現在のミュージアムやコレクションを支える構造へと向けることができるのである。
キャプションは続く。「愛称セレステの名前で知られる彼女〔トカゲの標本のこと〕が本国へ到着したことは、ジャマイカの科学界とジャマイカに国民に驚きと関心、驚喜を持って迎えられました。」これは単に科学的な検体が移動されたことにとどまらず、ミュージアム展示で物語る人文学的な力で、植民地主義やミュージアムという帝国主義の歴史についての認識を変える文学的で政治的なアクションなのである。
「地域のキュレーター」プロジェクト
いま「ミュージアムの力」と述べたが、その一つには「開かれた場所」という特性がある。
「不快感をキュレーションする」と併せて導入された「地域のキュレーター」のプログラムは、ミュージアムが持つ開かれた場としての力が遺憾無く発揮されている。
この方法は、市民の視点を博物館展示へと反映させようとするキュレーションの試みだ。ミュージアムをハブに人々の問題意識や知識を集め、コレクションについて考える機会をつくり、彼らの意見をひとつの展示の物語として編み上げる。それによって、その地域がもつ意思を公共空間で示していく。研究者、社会運動家や教員などが参加し、各々がもっている属性や境遇・専門性などに基づき様々な視点で展示物に新たな語りをつけていった。およそ六カ月間をかけてそれらは調整を経て現在の「不快感をキュレーションする」展として公開された。
「地域のキュレーター」企画趣旨のところに大きくチャートマップが展示されている。手書きに書かれたような字体でランダムに言葉が並んでいる。これは「Listen Think Draw」というメソッドで作られたものだ。ミーティングで集まった人々から出てきたアイデアを付箋や図、イラストでビジュアル化して記録していき、最終的には一つの大きなグラフィックとして俯瞰できる形に整理する方法だ。障害者支援の文脈で創案されたもので、アイデアの全体を参加者が大まかに理解しながらミーティングを進めることができ、その修正に参加しやすいという点に特徴がある。専門的知識やテキスト読解力を持つ人が力を持ちがちな一般的なミーティングのありかたに対して、その能力の不均衡を前提にして、多く参加者の知見を集約させようとするより民主的な方法だ[*3]。この意味でこのプロジェクトに採用されたのだろう。
成果物としてのグラフィックはそのまま展示物として使われている。思考のプロセス、“地域キュレータ会議の裏側“を見せているのだ。
ここでは、どのようにすればこの脱植民地化の取り組みがうまくいくのか、地域キュレーターたちが議論をした内容がキーワードやイラストレーションで示されている。
例えば、「脱植民地化はどのようにすれば継続的に持続可能になるのか」という問いならこう。「何人雇用すべき?」→「名前を変える[*4]」「ブログ」「展覧会」と示されつつ、その横には「言い訳=脆弱なままでいるのは心地よい(例:この本の出版は難しい!)→現状維持→底辺にいる人々はいつも無力」のように、想定される課題が書かれている。こうした具合である。
本展示の展示物として発表された結果について、意図やプロセスが説明されているようなイメージだ。実展示はこの展示室の各所にある。
本展示の展示物として発表された結果について、その意図やプロセスが説明されているようなイメージだ。実展示はこの展示室の各所にあるので、地域キュレーターがどういう問題意識で何を伝えようとしたのか、併せて考えることができる。
*
グラスゴー大学のハンタリアン博物館はそのコレクションの植民地主義的な過去を認めるだけでなく、いかに未来へと伝えていくのかを試行錯誤している。
地域キュレータを負の歴史の“語り部”として採用する方法には、ミュージアムという権威が反省の「正しい」物語を上から語るという方法ではなく、社会へと少しずつ根づかせる回路をつくろうというねらいが見て取れる。「トカゲをジャマイカに返そう」と、みんなで決めることが大切なのだ。
人々が集い対話する場をつくり、その方向性を言葉にし、不特定多数がアクセス可能な公共空間で公開し、その記録を残していく。これがミュージアムという場が持つ力である。2024年「スコットランド初の公共博物館」はその歴史に恥じない試みを見せていた。
[*1] 福島夏子「国立西洋美術館で飯山由貴らアーティストがパレスチナ侵攻に抗議、美術館パートナーの川崎重工に訴え。遠藤麻衣と百瀬文の抗議パフォーマンスも」Tokyo Art Beat(2024年3月11日) https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/protest-nmwa-news-202403
[*2] 国立西洋美術館ウェブサイト「松方コレクション」
[*3] クレア・ミルズ氏は創案したこのサービスを学校やミュージアムなど教育現場に提供している。https://www.listenthinkdraw.co.uk/
[*4] 拙著『楽しい政治』の第11章「言葉のモニュメント――形のない「記念碑」で記憶する」ではこうした名前変更運動について詳述している。小森真樹『楽しい政治』講談社、2024年。
筆者について
こもり・まさき 1982年岡山生まれ。武蔵大学人文学部准教授、立教大学アメリカ研究所所員、ウェルカムコレクション(ロンドン)及びテンプル大学歴史学部(フィラデルフィア)客員研究員。専門はアメリカ文化研究、ミュージアム研究。美術・映画批評、雑誌・展覧会・オルタナティブスペースなどの企画にも携わる。著書に、『楽しい政治』(講談社、近刊)、「『パブリック』ミュージアムから歴史を裏返す、美術品をポチって戦争の記憶に参加する──藤井光〈日本の戦争画〉展にみる『再演』と『販売』」(artscape、2024)、「ミュージアムで『キャンセルカルチャー』は起こったのか?」(『人文学会雑誌』武蔵大学人文学部、2024)、「共時間とコモンズ」(『広告』博報堂、2023)、「美術館の近代を〈遊び〉で逆なでする」(『あいちトリエンナーレ2019 ラーニング記録集』)。企画に、『かじこ|旅する場所の108日の記録』(2010)、「美大じゃない大学で美術展をつくる vol.1|藤井光〈日本の戦争美術 1946〉展を再演する」(2024)、ウェブマガジン〈-oid〉(2022-)など。連載「包摂するミュージアム」(しんぶん赤旗)も併せてどうぞ。https://masakikomori.com