飯島愛のいた時代
第3回

ランキングから消える飯島愛の「変化」

飯島愛のいた時代
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『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。

ダントツの売上を記録し、圧倒的な人気を誇っていたにも関わらず、なぜ『オレンジ通信』の1992年度AVアイドル賞の10位内にも飯島愛はランキングされていないのか。
AVアイドル賞を発表した1993年2月号に掲載された「’92 嵐のAVライター座談会」という記事にその理由が書かれていた。秋元康介、藤木TDC、宇田川久志、沢木毅彦の5人のライターが、1992年のAV状況を総括するという座談会だ。

秋元 女の子がAVをどのように利用したら自分のメリットになるのかっていうか、金銭的に計算してそれでさっさと引退しちゃうというAV利用法みたいのがあって、それは不景気というのとは別の部分でAV業界の一つの転機じゃなかったかなと思う。たとえばAVを踏み台にしてメジャーに行こうって人はさあ、本気にそう思って言ってるのかねえ。

沢木 そう、不思議に思うよなあ。何パーセントくらい本気なのかねえ。事務所もどこまで本気で売り出そうとしているのかね。イイ加減な所が多いけどね。

藤木 本来ならアイドル部門上位のA・Iが事務所の意向でランキングから削られた理由も雑誌として語らなくては駄目でしょ?

――A・IサイドはTV他でマルチアイドルとしてAVの過去は消したいんじゃないかト。(中略)
藤木 A・Iはランクの低い雑誌には載せたくないってことでしょ。

沢木 そーか、ナメとんなァ。事務所も悪いんだろーけどな。嫌ァなハナシ。

A・Iと伏せ字にはなっているが、明らかに飯島愛を指している。
この号の別のページに掲載されているライター水津宏による「’92 AV総括」という原稿で、この件に触れた下りには、しっかりと「飯島愛」と書かれているのだが。

(前略)そんな状況の中で、際立った活躍をした女優に飯島愛がいる。3月に『HiFi美少女館22』(英知出版)でビデオデビューした彼女は、テレビ東京の『ギルガメッシュないと』にレギュラー出演すると共に、4月25日『激射の女神 愛のベイサイドクラブ』(FOXY)でアダルトビデオにデビュー。あっという間にスターダムに駆け上がった。が、厳密に言うと、彼女の場合はアダルトビデオが生んだスターとは言い難いものがある。彼女の人気はテレビを始めとするマスコミによるところが大きく、〝その彼女がアダルトビデオにも出ている〟といった色合いが強い。彼女にとってアダルトビデオに出たということは、ひとつの付加価値をつけるためであり、事務所が彼女を売るための戦略であった。それが桜樹ルイら、アダルトビデオ出演をメインの価値にした今までのスターとの決定的違いであり、ある意味では全く新しいタイプのスターと言えよう。したがって、現在飯島愛の裸はもちろん、アダルトビデオ誌ではインタビューも禁止という事務所からの通達も、事務所サイドからすれば〝当然〟ということになる。このことに多くのアダルトビデオ関係者が不快な表情を見せているが、従来の発想の枠内で考えていては対応出来なくなるだろう。

この時期の飯島愛がAV業界にどのように見られていたか、そしてこの「メディア規制」に対する反発の状況が見て取れる。
飯島愛が、初めて登場したメディアである『オレンジ通信』にもこうした対応をしていたというのは、編集サイドがモヤモヤした気持ちを抱えてしまうのは当然だろう。
なにしろ1992年度の全12号を振り返る企画(1993年2月号掲載)でも、飯島愛マスコミ初登場となった巻頭グラビアについて全く触れていないのだ。事務所側から、よほど強い圧力があったのではないかと憶測したくなってしまう。あるいは刺激しないようにと編集部側が忖度したのか。

『プラトニック・セックス』が発売された後の『噂の真相』2001年1月号の記事で、男性誌編集者が当時を回想するこんな発言が掲載されている。

「ちょうどTバック愛ちゃんの人気がブレイクした92年の夏くらいからビデオもリリースが始まるんですが、雑誌のインタビューでは『Tバックアイドル』の肩書しか使用を認めず、勝手にビデオを掲載した雑誌には烈火のようなクレームが来るようになった」(「大ヒット本『プラトニック・セックス』で飯島愛が唯一隠し通したAV本番歴」)

“裏”の流出騒動

毎月1~2本出演作をレビューで取り上げていた『ビデオ・ザ・ワールド』でも、1993年2月号の『義姉の生下着3』(KUKI)を最後にピタリと飯島愛作品の掲載を止めている。いや、実は3月号では表紙にまでも大きく載せるほどに、とある作品の情報を掲載している。それが『特別AV秘蔵版 飯島愛』。記事のタイトルは「業界大パニック!! Tバッククィーン飯島愛の局部まるみえ裏ビデオが遂に発売!!」。そう、それは無修正で流出した裏ビデオだった。

またまたビックリ、ドッキリ。大物AVギャル、飯島愛のモザイクなし無修正ビデオがなぜか突然出現し、チマタの好き者たちはエキサイトし、中には狂喜乱舞のファンもいるとか。すでに1月中旬からスポーツ誌や写真週刊誌が争って報じているので(中略)収録時間は約58分で画面上にタイムコード(計時数字)の入ったモザイクを入れる一つ前の段階で、いわゆるワークテープというヤツのようだ。多重ダビングされたらしきテープの画質は悪くザラザラ、ボケボケに近いが目をこらして見つめればなんとか視聴できる程度で感動はイマヒトツ。(中略)元ネタは1992年8月に倒産したフォクシー(KKタイリク)が直前の6月にリリースした旧作『美乳ナース・暴淫棒食』で、もれ聞くところによると、某下請けプロが制作しKKタイリクにはワークテープも提出していたらしい。おそらくそれか、そのコピーがなんらかの原因で流出してしまったようだ。(中略)1992年12月中旬からひそかに流出し始めたというこの飯島愛流出版は1月、2月とベストセラーになるだろう。

何しろトップ人気のAV女優であり、テレビタレントとしても活躍している飯島愛の無修正ビデオである。もちろんこの流出作(『ゴールドAV飯島愛』『AVアイドル飯島愛』などのタイトルでも流通)は大ヒットとなる。当初はプレミア価格で取引され、一説では30万本以上が出回ったと言う。
さらに数箇月後には、朝岡美嶺、浅倉舞、後藤えり子といった人気AV女優とのオムニバス版も流出。当然こちらもベストセラーとなった。

ちなみに、本人はこの流出作について聞かれると

「なんか裏ビデオ騒動になってんだけど(アッケラカンと)、私も見てみたいくらい。誰かサシカエで作られてんじゃないの~」(『週刊ポスト』1993年2月12日号「超過激!マドンナの『BODY』をセクシーアイドル飯島愛と見に行く」)

と、存在を認めない態度を貫いた。
飯島愛急死の後に出版された『飯島愛 孤独死の真相 プラトニック・セックスの果て』(田山絵理 双葉社 2009年)にはAV関係者の証言として、裏ビデオが流通した当時の様子が語られている。

「事務所はもちろんですが、何よりも本人が怒ってましたね。それで、犯人を見つけ出して流出に対して200万円くらいの慰謝料を請求したことがありました。これ以上、流出をさせないための処置でした」

同じ時期に発売された『独りぼっちの飯島愛 36年の軌跡』(豊田正義 講談社 2009年)には、ホステス時代からの親友による、「流出」事件に対する飯島愛の反応が生々しく語られている。

「(前略)それからしばらく経って愛の裏ビデオが流出したんです。愛はあたしの部屋に駆け込んできて、『もう死ぬしかない!』と、ずっと泣き叫んでいました。あたしもショックが大きくて、『死んじゃダメだよ』と慰め続けたのを覚えています。ホントに愛が自殺しちゃうんじゃないかと考えて……」

この「流出」事件が、飯島がAV業界に対してネガティブな意識を持つきっかけのひとつとなったことは間違いないだろう。

話を1992年に戻そう。前出の『オレンジ通信』の「’92 嵐のAVライター座談会」の中で「A・Iはランクの低い雑誌には載せたくないってことでしょ」という発言があったが、メジャー誌である『週刊ポスト』でも、こんな「トラブル」が起きている。

〝百万円の乳首〟事件

《本日取材して頂きました写真、VTR等でヌード部分の雑誌、新聞、その他出版物への掲載は固くお断りさせて頂きたく、(中略)なお、その事実が発覚された場合には、罰金として、金100万円を請求させて頂きます。》 AVギャルの撮影会(AV GALS 92 SUPER LIVEという催し)から帰って来た本誌カメラマンは、こう書かれたプレス用リリースを手渡した。「ナニ、コレ? フィルムにはオッパイが映ってるじゃないか。事務所に聞いてみろよ」と本誌デスクは絶叫した。この日のモデルはいまや人気ナンバーワンといわれるAV女優、飯島愛クン。(中略)
 さっそく、事務所に問い合わせると、
「ヌードの掲載ですか? そりゃダメですよ。うちはハダカで商売してますから。100万円払ってくれなきゃ」とつれない。
「うーむ、100万円。2ページで100万円は払えない。ただでさえ、経費の引き締めがきびしいっていうのに」(本誌デスク)しかし愛ちゃん。半年前は、確か、ン万円で『ポスト』(5月1日号で~す)でその美しいオッパイを見せてくれたのに……。読者の皆様ゴメンナサイ。

『週刊ポスト』1992年10月16日号モノクログラビアページの「飯島愛『百萬円の乳首』」という記事である。サブタイトルは「読者の皆様、申し訳ございません。高価すぎてお見せできません」となっている。
事務所はかなり強気な姿勢を見せているように思え、これで『週刊ポスト』は怒り心頭、飯島愛と縁を切るのかと思いきや、その約1箇月月後の11月27日号に、撮り下ろしのヌードグラビアが掲載されている。
タイトルは「飯島愛 愛のサイボーグ」、サブタイトルは「読者の皆様、百万円の乳首をお見せします」だ。
グラビアには、こんな文章が添えられている。

本誌10月16日号での〝百万円の乳首〟事件から1か月半。ようやくギャラの折り合いがつき、愛ちゃんのヌードがポスト誌上でも発表されることとなった。いま最も人気のあるAV女優として、業界に君臨する愛ちゃんのミラクルボディをご覧ください。

折り合いのついたギャラがいくらだったのかはわからない。しかし、こうなってくると最初から出来レースだったのではないかという気もしてくるのだが、こんな展開が成り立つほどに、飯島愛の人気は高かったのである。

〝百万円の乳首〟事件は1992年なので、まだ扱いはAV女優であり、プロフィール欄には出演した近作AVのタイトルが書かれている。しかし『週刊ポスト』1993年7月30日号のヌードグラビアでは、プロフィールにはAVの文字は一切なく、「日本を代表するセクシーアイドル」となり、AVの代わりに写真集の情報が掲載されている。
同時期の『週刊現代』1993年8月14日号の「細川ふみえ・飯島愛 悩殺戦争」という記事でも『ギルガメッシュないと』出演、レコード発売、写真集発売に関してのみ書かれ、AVについては全く触れられず、完全にタレント扱いだ。写真集では「過激なヘア・ヌードまで披露した」と書かれており、まるで初めて脱いだかのようだ。

実際、1993年夏の段階で、飯島愛の新作AVのリリースは終わっている。
いわゆるAVとしては1993年7月23日発売の『ラストTバック』(コンフィデンス)が最終作品となるようだ。パッケージには特に「AV引退作」とは書かれていないが、タイトルからそれも読み取れる。
1992年4月の『激射の女神』でデビューしてから、飯島愛のAV出演作は計30本(イメージビデオ、書店売りビデオ、Vシネマなどを除く)ということになる。

飯島愛がAV女優として活動したのは1年と少しという短い期間だった。
そして彼女と入れ替わるように、8月28日に飯島愛のそっくりさんという触れ込みで、飯島恋というAV女優がデビューしている。正直、それほど似ているというわけではなかったが、断続的ではあるものの2000年代まで息の長い活動をしていた。

筆者について

安田理央

やすだ・りお 。1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家。美学校考現学研究室卒。主にアダルト産業をテーマに執筆。特にエロとデジタルメディアの関わりや、アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている。 AV監督やカメラマン、漫画原作者、イベント司会者などとしても活動。主な著書に『痴女の誕生―アダルトメディアは女性をどう描いてきたのか』『巨乳の誕 生―大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』、『日本エロ本全史』 (以上、太田出版)、『AV女優、のち』(KADOKAWA)、『ヘアヌードの誕生 芸術と猥褻のはざまで陰毛は揺れる』(イーストプレス)、『日本AV全史』(ケンエレブックス)、『エロメディア大全』(三才ブックス)などがある。

  1. 第0回 : はじめにー90年代に何が起きていたか
  2. 第1回 : “ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛
  3. 第2回 : 1992年は飯島愛の年だった
  4. 第3回 : ランキングから消える飯島愛の「変化」
  5. 第4回 : 「AV業界」との複雑な関係
連載「飯島愛のいた時代」
  1. 第0回 : はじめにー90年代に何が起きていたか
  2. 第1回 : “ノスタルジックで清楚な美少女”ー初期の飯島愛
  3. 第2回 : 1992年は飯島愛の年だった
  4. 第3回 : ランキングから消える飯島愛の「変化」
  5. 第4回 : 「AV業界」との複雑な関係
  6. 連載「飯島愛のいた時代」記事一覧
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