今日までやらずに生きてきた。左足のかかとがずっと痛かった。病院にも行かず、半年ほどが経った。放っておいたらいつの間にかよくなっていそうな気もして、そうなるように祈っていた。しかし、痛みが消えることはなかった。私は取材して文章を書くことを仕事の中心にしていて、歩かないとほとんどどうにもならない。オンラインで予約できるクリニックを見つけ、11月半ばだというのに日中は25度近くまで気温が上がるという日に、歩いて向かった。
歩くことがそのまま生きることになってきた
最近ずっと憂鬱なことがある。左足のかかとが重く痛むのである。私はお酒をずっと飲んでいるから、足が痛いときたら「ついに痛風か⁉」と、まずは思った。実際、かかとに痛風の痛みが現れる場合もあるそうなのだが、自分の症状と照らし合わせながらあれこれと検索してみるに、どうもそうではなく、「足底腱膜炎(そくていけんまくえん)」というものらしい。
足底腱膜炎(足底筋膜炎とも呼ばれるそう)は、足の裏にある足底腱膜という膜のかかと部分が炎症を起こしている状態を指すらしく、かかとにたくさん衝撃を受けるランナーなどに起こりやすいものだという。朝、起きて歩き出す時に痛みが強く出るとか、しばらく歩いているとその痛みが薄らぐとか、検索して出てきた症状が自分とぴったり合致するように思った。私は日頃ほとんど走ることがないから、なぜそれがこのタイミングで発症したのかはよくわからないのだが、歩くのは好きで、普段から割と長い距離を歩くので、それが原因なのかもしれないと思った。
「なるほど、足底腱膜炎というものなんだな」と、自分なりに調べて納得してから、特に病院に行ったりもせず、半年ほどが経った。少しも歩けないほどの痛みであればもちろんすぐに病院で診察を受けていたと思うのだが、そこまでという感じでもないのである。たまにめちゃくちゃ痛くて驚くこともあるが、だましだまし歩いていると痛みが薄らいできて歩けるし、夜も眠れないほど痛むとか、そういう感じでもない。自分の中で法則が掴みきれておらず、こういう条件で痛みが発生するというのがわからない。たまにずーんと重たくて、激しく痛むときは足を引きずって歩くのだが、放っておいたらいつの間にかよくなっていそうな気もして、そうなるように祈っていた。
しかし、痛みが消えることはなかった。かといって増してきたというわけでもないのだが、無意識にかかとに体重をかけないように歩いているようで(体重がかかると痛むので)、左足だけ歩き方が変になって、今度はその負担が膝に蓄積してきた。左足のかかとに加え、膝まで痛くなってきたのである。体のどこかにトラブルが発生すると、それがあちこちに波及し、思わぬ結果につながるという話はよく聞く。歯が悪くなると、食べ物をあまり噛まないから胃腸の消化に負担がかかるようになって……みたいな、風が吹けば桶屋が儲かる、のような連鎖反応。
そんなふうに、だんだん追い込まれてきた。足を引きずって歩きながら「とうとう焼きが回ったな」と思う。私はあれこれ取材して文章を書くことを仕事の中心にしていて、歩かないとほとんどどうにもならない。いや、仕事どうこう以前に歩くことが好きで、好きというか、歩くことがそのまま生きることになってきた気がする。気がふさいだらどこかを歩きたくなるし、天気がいい日にも歩かずにいられない。机に向かって集中しなければならないようなときでも、その合間に少しでも歩かないと頭がうまく回転しない。歩けなくなったらどうしよう……どうしようもないのだ。
さっさと病院へ行けという話だ。自分でもそれはわかるのだが、実際、こんなとき、どこへ行けばいいのか。「足底腱膜炎 梅田」と、家の近所の地名を入れて検索してみたら、すごくたくさんの病院やクリニックが表示される。そのなかのどこがいいのか、わからない。何を基準にして決めればいいのか、見当もつかない。あんまり説明が親切で饒舌な感じのホームページだと逆に胡散臭い気がするし、説明が簡潔過ぎればそれはそれで不安になる。どんな施術を行うかも施設によるようで、注射を打つとか、電気を当てるとか、色々あって自分に適したものがどれだかわからない。
「ここにするか!」とようやく決意したが「初診の場合はお電話でお問い合わせください」などと書いてあったりする。以前、心のバランスが激しく崩れて心療内科に電話したら、「2か月先までご予約が埋まっていまして」と言われたことがあって、それ以来、病院に電話するのに強い苦手意識がある。冷たく跳ね除けられそうで怖い。そんな弱気もあり、初診からオンラインで予約できるクリニックをやっと見つけて、手続きを済ませた。
早い時間の予約は埋まっていて、平日の17時の枠が空いていた。医療保険が適用される施設ではなく、整体院と呼ばれるようなクリニックである。初診の料金はホームページに明記されていて、8800円とのこと。自分にとっては高過ぎてうんざりする価格なのだが、「もういい。連載のネタにしよう」と考えて決意した。
住まいからそれほど遠くもない街にあるクリニックなので、早い時間に家を出て、そこまで歩いて向かうことにした。11月半ばだというのに日中は25度近くまで気温が上がるという日で、その異常気象ぶりに不安を感じるが、薄手のシャツで歩いていると気持ちがいい。
この金額を月に何度も払うことは私にはできない
こうして歩けるのも今のうちかもしれないのだから、と、大好きな川沿いの道を歩く。日差しが川面に反射して、視界の一部が真っ白になる。私の横を通り過ぎていく自転車、ベビーカーを押して歩く人、少し先の橋の上を向こう側へ歩いていく人、真っ白な視界の端を、屋形船が滑るように進んでいく。こうして、歩いて景色を眺めるのが好きだ。自転車にもそれほど乗らないし、車も運転できないし、いちばん楽な移動手段が徒歩だからという理由でよく歩いているところもあるが、歩く速度、歩いている視界で感じる外の世界がいちばん自分にしっくり来る気がする。道に落ちているものにもよく気が付く。今までどれだけの小銭を拾ってきたことか。まだまだ歩いていたい。
川沿いから、大きな駅のある街へと向かい、1時間ほど歩いて目的のクリニックにたどり着いた。エレベーターでビルの上階を目指す。よくある病院のような、ドアにガラスがはめ込まれていて、たとえそれが曇りガラスだったとしても内部の明るさがなんとなく感じられるようなドアではない。向こうの見えない、のっぺり一色で塗られたドアである。
それを思い切って開けると待合室のような空間に椅子がいくつか並んでいて、靴を脱いで上がるようだ。スリッパを履き、「こんにちは」と声をかけてくれた温和そうな男性に「予約していた者です」と名乗る。その方が私を担当してくれるらしい。受付の左手がすぐ施術室(診察室?)になっていて、そこに置かれたベッドにひとり、先客がいるようだ。私は別の部屋へ通される。
広い窓から夕暮れの空が見え、オレンジから夜空の紺へとグラデーションが鮮やかだ。そっちに目を奪われていると、「スズキさん、本日はよろしくお願いいたします」と改めて挨拶される。部屋の中央に置かれたベッドに、来たときの格好のまま私は腰かけ、このクリニックがどのような理念のもとに施術する場であるか、説明を受ける。それによると、この施設では、各人が問題を抱えている体の部位について、それ単独で見るのではなく、体全体のつながりのなかで解決していくことを目指しているのだという。かかとが痛み、それに伴って膝も痛み始めたということは細かく伝えたが、そこだけでなく、全身に数百か所もあるというツボ(というかポイント?)をくまなく触診し、何が原因でかかとや膝が痛んでいるかを確認していくという。
まずはベッドに腰かけたまま、頭や背骨、腰などから触診が始まる。次にベッドに仰向けになって、首や腹部、両足など、今度はうつぶせになって背中や腰、と移っていく。その触診のタッチはかなり穏やかで、まったく痛かったり不快に感じたりはしなかった。エンヤの曲が室内にずっと小さな音量で流れていて、母が好きでエンヤのCDが実家にあったから「一時期よく聴いていたなー。改めて聴くとかなりいいな」と、そんなことをぼんやり考えていた。眠くなってくる。
触診の結果、私の腰の真んなか(硬い骨があるあたり)に日頃から大きな負荷がかかっていて、そこで血流が悪くなった結果、左足のかかとに痛みが出ているのだという。腰から足の神経はつながっていて、互いに強く影響するらしい。また、私が酒で酷使している肝臓まわりにも負荷がかかっていて、それもスムーズな血流を邪魔しているとのこと。そう聞くと、たとえば、頻繁に走るランナーのかかとに衝撃がよく加わるから痛む、というような直接的な原因は私にはなく、他の要素からこの痛みが発生しているようである。
それがわかったあと、今度はまた腰掛けた状態から仰向け、うつぶせと姿勢を変えつつ、さっきの触診とは少し違う、要所要所を指でグッと押していくような施術を受ける。押すといっても本当に軽い圧力で、マッサージを受けるような感じとは違う。撫でさする、ぐらいだろうか。私は目を閉じていたので動作がよく見えないが、時折、すっすっと指を素早く横にスライドさせるような動きを加えているようだ。それにどういう意味があるのかはわからない。
「これで今、かなり整いました。ちょっと立ってみてください」と言われる。「かかとの痛み、いかがですか?」というのだが、私としては痛みが和らいでいるようには特に感じなかった。いつも通り、重く痛む。「まだ痛む気がします」と伝えると、「わかりました」と、もう一度、腰と足回りのあちこちを指で軽く押してもらった。
「今度はどうでしょうか」と言われて立ったが、やはり痛いままだ。ただ、少し軽くなったような気もしなくはないと思ったので、そのように言うと、「そうですか。今回はこれで終わりにして様子を見ましょう」とのこと。8,800円を支払い、「次は2週間後に来てください」と言われる。ただ、この金額を月に何度も払うことは私にはできないので、「一旦また予定を確認して連絡します」と、その場では言って、とりあえず帰ることにした。窓の外はもうすっかり夜の色になっていた。
どうせそのときは来るのだから
近くの駅から地下鉄に乗って日本橋駅へと向かう。階段を降りたり上がったり、ホームを歩いたりしながら足の感覚を確かめる。今のところ、普段と何か変わった感じはしない。やはりかかとは痛い。「回復の仕方は人それぞれです。なかには一度悪化したように感じ、その後によくなる方もいます」と言われたから、私はその部類に入るのかもしれない。
到着した日本駅の近くには「味園ビル」という、70年近く前に建てられたレジャービルがあって、その地下は「味園ユニバース」というホールになっている。もともとはキャバレーとして営業していたスペースで、「ユニバース」という名の通り、宇宙空間をイメージしたような内装で、面白い。今日はそこで坂本慎太郎バンドのライブがあって、私はそれを見に来たのだ。
残念ながら、老朽化のために味園ビル全体が間もなく取り壊されることになっていて、この味園ユニバースでライブを見ることができるのも、あと数か月のあいだだけなのだと聞いている。私は10年前に大阪に引っ越してきて以来、何度も「味園ユニバース」でライブを見た。一度は友人のバンドのライブの幕間のDJを任されたこともあって、あれは貴重な時間だったなと今も思い出す。坂本慎太郎のライブも、チケットが人気で抽選になるのが、いつも運良く当たったり、複数枚取った友人に譲り受けたりして、何回も見ることができた。でもおそらく、坂本慎太郎の演奏をこの場で体験できるのは、これが最後だろう。
コンビニで買った缶チューハイを景気づけにグッと飲み、入場を待つ人の列に並ぶ。ほどなくして受付へ通され、ドリンク代の700円を支払って中へ。階段を降りてたどり着くそのスペースは、いつも思ったより広くて、かなり混雑していても後ろのほうには逃げ場があって、私はここに居心地のよさを感じていた。
何人か、会場にいた知り合いと言葉を交わし、ステージはあまり見えない後ろのほうの、でもスピーカーが横にあって音はよく聴こえる場所に移動した。DJのキングジョーさんがかけているどこの国の何なのかわからない面白い音楽を聴いていたら、照明が暗くなって、バンドのメンバーがステージにすーっと現れて、演奏が始まった。
私が見てきた坂本慎太郎バンドの演奏は、いつも不安になるほどゆっくり静かに始まって、曲調も歌詞も歌い方も淡々としているから、激しく体を動かして踊りまくるというより、左右にふらふら揺れながら聴く感じだ。今日もそんなふうで、スローで訥々とした音の並びの面白さをじっくり味わうように聴いてみた。体をゆっくり動かして聴く。あんまり左足に体重をかけないようにして、というか足はそんなに動かさないようにして、ぼんやり揺れながら過ごした。
坂本慎太郎バンドは、歌よりも楽器の演奏のほうに熱量があって、特に坂本慎太郎の、曲間のギターソロがすごい。言葉よりも、その音がいちばん多弁な感じで、「またこの場所で聴けてよかったな」と思ったら涙が出そうになる。憂鬱なことばかりの世界だけど、好きな人もいるし、好きな音楽もあるし、また明日も目を覚まして動き出すしかない、と、坂本慎太郎の曲からいつもそういうメッセージを勝手に受け取っている。
1時間半の演奏が終わり、安田謙一さんのDJタイムがあって、その朗らかな打ち上げ感を楽しみ、知り合いに別れを告げて外へ出た。
駅前の帰り道にあるドラッグストアに寄って発泡酒を買い、グイグイ飲む。冷たくてうまい。坂本慎太郎の曲を頭の中で再生しながらゆっくり歩く。今日もいいライブだったな。知り合いとうまく話せなかったな。物販のTシャツ、やっぱり買えばよかったな。でもお金ないしな。帰ったら仕事しないとな。結局、足は全然痛いままだな。でもやるしかない。寝て起きて、また朝が来る。
そんなことを考えながら地下鉄の階段を降りる。左足の痛みはさっきよりも増してきている。長い距離を歩いたし、ずっと立って動きながらライブを見ていたし、仕方ない。「普段から腰に負担のかからない姿勢を心がけてください。足を組まないようにしてください」と言われたのを思い出す。それを心がけて過ごしてみよう。
家までの道、左足に負荷をかけないように妙な動きで歩きつつ、坂本慎太郎のライブを見ていたとき、ふいに時間がギュイーンと早回しになるような感覚を覚えたのを思い出した。すごいスピードで時間が流れて、味園ユニバースのステージも、建物もろともなくなって、バンドのメンバーもいなくなって、もちろん自分もいなくなる。
いい音楽を聴きながら体を動かした記憶も、そのときに感じていた足の痛みも、いつか消えてしまうというのは、なんだか痛快なことだなと思う。どうせそのときは来るのだから、それまでできるだけ長く、たくさん歩きたい。
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スズキナオ『今日までやらずに生きてきた』は毎月第2木曜日公開。次回第7回は12月12日(木)17時公開予定。
筆者について
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』を中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』、『「それから」の大阪』など。パリッコとの共著に『ご自由にお持ちくださいを見つけるまで家に帰れない一日』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ”お酒』、『酒の穴』などがある。