読売新聞、日経新聞、週刊文春で話題!
元祖インフルエンサーが衝撃の過去を告白し、全米で大ヒットとなった『PARIS The Memoir』(パリス・ヒルトン著、村井理子訳)。ADHD(注意欠陥・多動性障害)でおとなしく机に座っていることができなかったヒルトン家のお嬢様・パリスは、お嬢様学校から脱落し、ある日、両親の目の前で、ふたりの男に自宅のベッドから引きずり出され、手錠をかけられる。そして16歳から18歳の2年間、子どもを「矯正」し、「家族を再びひとつにする」と謳う施設で、スタッフから強制的に薬を飲まされ、裸にされ、性的虐待を受け、暴力的に拘束され、独房で隔離されていた。
00年代の女性の扱われ方を清算し、未来へ力強く踏み出す骨太のメモワール。本書の読みどころを、訳者の村井理子さんが語る。
私の記憶に残るパリス・ヒルトンの姿は、世界がミレニアムを迎えた2000年前後のロサンゼルスやニューヨークの街で大勢のパパラッチを引き連れて歩き、人懐っこく、明るい笑顔を振りまいているイメージがほとんどだ。ある時はミニスカート姿でフェンスをよじ登り、ある時はクラブで大勢の人々の注目を集めながら踊っていた。連日マスコミを賑わす元祖お騒がせセレブは、世間の評判など一切気にする様子もなく、派手できらびやかな日々を心から楽しんでいるように見えた。彼女と彼女の取り巻きたちは、多くの若者の関心を集め、その持ち物や身につけている商品の一つひとつが話題になった。
手にする商品が話題となり、そしてそれが売れることで商品の広告塔としての役割を果たした彼女は、今にして思えば、元祖インフルエンサーという存在だった。同様に、キム・カーダシアンやブリトニー・スピアーズのように、パリスと一緒に派手な生活を楽しんでいた友人の多くが、今現在に至るまで優秀な起業家、あるいは著名人として活躍している。彼女は常にその中心にいて、人脈のハブとしても機能していた。
元祖お騒がせセレブの誕生は、彼女が10代後半の頃に遡る。数々のゴシップ誌が彼女の行動のほとんどすべてを書き連ね、辛辣で、時には残酷なタイトルをつけ、世間に公表した。当時は、ゴシップ誌に写真を売り込むことで生活費を稼ぎ出すパパラッチが山ほど存在していたため、彼女は常にそのような人々から追いかけられる対象となっていたのだ。彼女が新しいボーイフレンドを作れば、それもすべて記事になった。飲酒運転で逮捕されれば、それも大きな話題になった。大人は若い彼女の行動に眉をひそめ、やれやれと首を振った。彼女は常に世間の嘲笑と批判に晒される存在となっていた。
それでもパリスが夜の街から離れる気配はなく、やがて自由奔放な姿は広く世界中に知られることとなった。相棒として、彼女と一緒にリアリティー・ショーで一世を風靡したのは、ニコール・リッチー。ふたりが出演した『シンプル・ライフ』(2003年〜2007年)は大ヒットし、ふたりは一躍セレブの仲間入りを果たした。ふたりは喜んで「おバカキャラ」を演じているように見えた。遊び好きで、苦労なんて一度も経験したことがない、ホテル王・ヒルトン家のわがまま娘。なんの才能もない、ゴシップで名が売れただけの有名人。「有名であることで有名」。これから先の彼女の人生も、お騒がせな日々に違いないというのが、世間がパリスに抱いた印象だっただろう。私の彼女に対する印象もほとんどそのようなものだったし、多くの読者のみなさんの彼女に対する印象も、それに近いものだったのではないだろうか。
しかし、そんなパリスの、一見派手で破天荒な行動の裏に、凄絶な虐待を受けた数年を耐え抜いた葛藤が隠れていたことを、一体どれだけの人が知っていただろう。多くの人々の印象に残っている彼女の独特のキャラクターは、学校とは名ばかりの施設で連日虐待を受け、時には独房に閉じ込められ、それでも生き延びるために、イマジネーションを駆使して作り上げた未来を具現化したのだ。本書は、問題を抱えた若者を「再教育する」と謳われた収容施設(CEDU)で、虐待を受けたパリスが、その苦悩に満ちた日々を初めて振り返った一冊となる。そしてそのような問題児産業の撲滅を目指して精力的なロビー活動を展開する今現在のパリスと、両親との和解、トラウマからの回復、そして愛する夫との出会いが赤裸々に綴られている。
本書の中心となっているのは、彼女が自分自身のADHD(注意欠如・多動性障害)について触れている記述だろう。当時は発達障害について社会的認知が不足しており、彼女の行動が周囲に理解されることはなかった。子どもの頃から大人しく座っていることができず、常にそわそわして落ち着かなかった。それゆえ、周囲に馴染むことができなかった。頭の中では常に思考が繰り返され、考えがまとまることはなかった。中学ではひどいいじめを経験した。特性を理解されないことが原因で教師や周囲の生徒と衝突し、何度も転校を繰り返し、次第に優等生である妹のニッキーとの間に差が開いていく。14歳頃から家を抜け出してクラブに通う日々が続き、その存在にパパラッチやゴシップ紙が気づくようになる。
両親は、彼女を愛するがゆえに、そしてヒルトン家という華麗な一族のブランドを守るために、彼女をどうにかして家に閉じ込めようとした。そのような両親に反発し、ありとあらゆる手段を駆使して家から抜け出していたパリスだったが、ある夜、突然ふたりの屈強な男に自宅から無理矢理連れ去られることになる。大声を上げ、泣き叫びながら助けを求めるパリスが目撃したのは、寝室のドアの向こうに隠れるようにして、もがく彼女を見て、涙を流す両親の姿だった。この日を境に、パリスの地獄のような生活が始まる。
パリスが強引に連れて行かれたのは、全寮制の私立校とは名ばかりの、職員による暴力や虐待が横行する場所だった。問題のある子どもを再教育するという名目で、人里離れた場所に建設されたこのような学校では、職員による子どもたちへの虐待が常態化していた。体腔捜査(麻薬などを隠していないか検査するため、体内まで調べること)、シャワーの監視、飲食の制限、強制的な長時間労働が行われ、行政の指導が入ることもなかった。何時間もかけて子どもたちに互いを罵らせ、精神的に追いつめ、それでも反抗的な態度を取る者は独房に監禁した。劣悪な環境と粗末な食事が子どもたちを苦しめた。逆らう者には容赦ない暴力が振るわれ、必要のない投薬まで行われていた。
そんな危機的状況下でも、自分を見失うことを拒絶したパリスは、虎視眈々と脱走するチャンスを狙い、職員の隙を見ては脱走を繰り返した。脱走した先で家族に連絡をすれば、必ず施設や警察に通報され、強制的に引き戻され、再び職員による熾烈な暴力で制圧された。助けてくれると信じた家族に裏切られ続けたパリスの絶望は深かっただろう。互いを監視させ、密告することで生徒を管理する環境で、パリスは繰り返し裏切られる経験をすることになる。妹のニッキーもドキュメンタリー『パリス・ヒルトンの真実の物語‘This is Paris’』(2020年)の中で、姉について「彼女は信頼を裏切られ続けている」と証言している。だから彼女は、誰のことも信用できず、孤独なのだと。このドキュメンタリーの公開により、パリスの過去が世間に広く知られ、彼女のイメージが大きく更新されるきっかけとなった。
18歳になり、施設からようやく解放されたパリスは、想像の世界で思い描いていた未来の姿を実現することに必死になった。深いトラウマを抱えた彼女は、すべてを忘れるため、浴びるように酒を飲み、朝まで踊り、自由奔放な暮らしをした。今も世間の記憶に残るパリスは、この時代のパリスの姿だ。朝まで遊んでへとへとになっても、眠ることはできなかった。ようやく眠りにつくと、今度は悪夢に苛まれた。突然、ふたりの屈強な男に手足を拘束され、連れ去られた夜のことが甦るのだ。そんな状況は、今現在でも続いているという。
彼女は本書の中で、両親への気持ちを正直に吐露している。そしてふたりに対して、迷惑をかけて申し訳なかったと謝罪もしている。家族の中では、パリスが虐待の横行する施設で過ごした数年についてはタブーとされており、これまで一切、会話の中に登場することはなかったそうだ。パリスの母親は、「当時、実情を知っていたら、決してそんな学校にあなたを通わせることはなかった」とパリスに言ったそうだが、パリスはそれをどこまで信用しているのだろう。今現在でも、当時のことを涙なしには語ることが出来ないほど深刻なトラウマを抱えているにもかかわらず、パリスの両親への愛情はとても深い。そこに、パリスの素直で純粋な人柄が垣間見える。ヒルトン家に生まれた誇りと、それゆえの苦労も、正直に綴られている。
彼女にとって大きな衝撃だったセックステープの流出については、今でもその傷は癒えていないようだ。現代とはプライバシーに関する考え方も、女性の生き方に関する社会の視線もまったく違った時代だ。当時の彼女には著名人を含む世間から、からかいやいわれのないバッシングなど二次加害的なコメントを大量に浴びせられた。テープが18歳だった彼女の意思とは関係なく世界に公開されてしまったこと、そしてその後に彼女にかけられた言葉の数々に、彼女は今現在でも苦悩し、怒りを抱えている。彼女だけではなく、彼女の家族も、同じように苦しみを抱いているようだ。
突然、パーティーガールだったパリスの姿が2010年代に一時的にマスコミの前から消えたのは、彼女が本気でビジネスをスタートさせようと、自分のキャリアを第一に考えたからだった。両親に対して抱いた恨みはすべて、成功へのモチベーションにしたと語るパリスは現在、経営者として巨額の利益を得ている。パリス・ヒルトンは元お騒がせセレブで、パーティーガールで、優秀な起業家というだけの存在ではない。彼女はインフルエンサーの第一人者で、セルフィーを流行させた人物で、「Paris World」というメタバース空間を制作し、「メタバースの女王」という名までほしいままにしている。起業家、投資家、DJ、そしてホテルのオーナーとしても活躍するなど、その勢いは止まるところを知らない。香水から調理器具まで幅広い事業展開により、年収は100万ドルを超えると報道されている。
プライベートでは、心から愛し、信頼できる伴侶・カーターを見つけ、代理出産を経てふたりの子どもの母親となった。SNSアカウントからは、現在の幸せな暮らしが垣間見える。動物への愛情が深いことで知られる彼女だが、今でも多くの動物との暮らしを楽しんでいるようだ。
ヒルトン家のお嬢様で、元お騒がせセレブ。彼女のことを、ただそれだけの人と考えているのなら、ぜひ本書を読んで、彼女の別の一面を知ってほしい。彼女は優秀な起業家を生み出してきたヒルトン家の中でも、群を抜いて優秀な起業家であり、今も世間を騒がせているスターなのだ。
2025年1月 村井理子
※『PARIS The Memoir』の訳者あとがきより抜粋