2017年に『君は月夜に光り輝く』でデビューし、現在はエッセイ『母へ』を「yomyom」で連載中の小説家・佐野徹夜さんに、たろちん著『毎日酒を飲みながらゲーム実況してたら膵臓が爆発して何度も死にかけた話』(太田出版)の書評を特別寄稿していただきました。本書とあわせてぜひお読みください。
シラフの自分というのは他人が勝手に作り出した実体のない幻影に過ぎず、僕にとっての酒は嗜好品ではなく、この退屈で薄汚れた世界の解像度を下げぼやかすための、曇ったレンズのようなものだった。安いアルコールを消化管に流し込めば、神経伝達物質の分泌が変化し、世界は少しだけその輪郭を曖昧にする。僕は十数年の間、そうやって自分の脳を騙し続け、かろうじて今日まで生存を維持してきた。だからこの本を手に取ったとき、自分の死体を夢の中で見つけてしまったような気持ちになり、血管の中をアルコールが巡っていない状態ではとてもではないが読み進められないと思った。
本書の著者であるたろちん氏は、ゲーム実況者でありライターでもある。彼の実況スタイルを支えていたのはアルコールだ。二十代の頃から休むことなく飲み、酩酊しながらゲームを遊び続けた日々は、三十七歳で唐突に重症急性膵炎という病気により物理的な限界を迎えて強制終了する。一命は取り留めたものの、彼は一生酒が飲めない身体になった。
何かに依存しアイデンティティの一部として生きてきた人間が、突然それを奪われたとき、どうやってプレイスタイルを立て直せばいいのか。本書はその具体的な思考法が書かれた一風変わった闘病記だ。
僕がいま、ぬるい缶ビールを握りしめている間にも、内臓は終わりに向かって進行しているのかもしれない。この本に書かれていることは他人事ではなく、自分の未来のネタバレかもしれないと思いながら読み進める。
著者はこの最悪な状況を、まるでダメなゲームを実況するように語る。意識が朦朧としている中でも、心のどこかでこれはコンテンツとして成立すると計算していたのかもしれない。その業のような精神が、過酷な闘病生活を、どこかカラッとした読み心地のエンターテインメントに仕上げている。
しかし、現実は時折ゲームのようであっても、決してゲームそのものにはなってくれない。ゲームというのは、どんな理不尽なクソゲーでも、基本的にはクリアへの道筋が用意されている。行き詰まればセーブポイントからやり直せるし、失敗はなかったことにできる。
だが、一度壊れた膵臓は元には戻らない。現実では、セーブデータは常に上書き保存のみで、選択肢を間違えたからといってロードし直すことは誰にも許されていない。ステータス異常を抱えた身体のまま、続きをプレイしなければならないのだ。
自分の人生を振り返ってみれば、そこにあるのは修復不可能な人間関係の破綻や無為に垂れ流された時間といった不可逆的な失敗の記憶だけだ。僕はただ、アルコールとコンサータという化学物質を脳に投与し、人工的な興奮状態を作り出すことで進行する破滅から目を逸らしてきた。
もし明日、内臓が壊れて医者から酒を禁止されたらどうなるか。それだけならまだしも、肝臓が悪いからコンサータも処方できませんと言われたら、僕はもう終わりだ。それは単に快楽が減るというレベルの話ではない。僕の唯一の社会的機能である書くことが不可能になるということだ。シラフの僕の萎縮した脳から何かが生まれることはない。
この本が真に迫るのは、著者がそれでもなおこのクソゲーをプレイし続けるしかないかと、覚悟を決めてコントローラーを握り直す過程が描かれている点にある。
理不尽なゲームも、愚痴を言いながら、たまに笑いながらプレイし続けることはできる。それは絶望を乗り越えるための技術だ。人生はクソゲーかもしれないが、プレイヤーとしての態度は選び取ることができる。本書には、そのような攻略法が書かれている。
僕はまだ酒を飲んでおり、手元の缶ビールは空になりかけているが、この本のことはおそらく忘れないだろう。
■佐野徹夜
1987年京都府生まれ。2017年に『君は月夜に光り輝く』でデビュー。同作は2019年に映画化される。他の著書に『透明になれなかった僕たちのために』など。



