『毎日酒を飲みながらゲーム実況してたら膵臓が爆発して何度も死にかけた話』の刊行記念として、著者のたろちんさんと『パーティーが終わって、中年が始まる』(幻冬舎)の著者・phaさんの特別対談をお送りします。
過度な飲酒習慣がたたり突如膵臓が爆発(重症急性膵炎)、これまでの生き方を変えざるを終えなくなったゲーム実況者・ライターのたろちんさんと、長年運営していたシェアハウスをやめ、衰え行く今後の人生に向き合うphaさん。それぞれの形で「パーティー」を終えたおふたりに、「残りの人生をどうやって生きていくか」を語り合っていただきました。
死はすぐそばにあるもの
たろちん 最後にphaさんと会ったのは僕がまだ「ねとらぼ」で働いていた頃の、ライターや編集者が集まる麻雀大会でしたね。phaさんはその後、『パーティーが終わって、中年が始まる』という本を出していますが、僕も膵臓が爆発してパーティーが終わったので、今日はぜひ「残りの人生をどうやって生きていったらいいのか」という話ができればと思っています。
pha 懐かしいですね。お久しぶりです。『毎日酒を飲みながらゲーム実況してたら膵臓が爆発して何度も死にかけた話』、面白かったです。インターネットっぽい軽い文章で読みやすいし、本として読んでも違和感がない、完成度が高い作りですよね。入院中に何度も死にかけたたいへんな経験をゲーム実況みたいに書いているなあと思いました。
たろちん いろんな人から「ゲーム実況みたいな文章」という感想をいただいているんですけど、僕としては「そうなんだ」って感じなんですよね。確かに自分を俯瞰する癖があって、「自分はこういう人間だから、こういうことをしているんだ」って理屈でものを考えているところはあります。一方で、右脳で生きているような、アーティストみたいな人への憧れがずっとあって、それができないから酒を飲んで感情を爆発させているところがありました。
pha 俯瞰をせずに感情をガッと入れた文章って重い感じになるんですよね。だから、どこか他人事のように書いているたろちんさんの文章は、シリアスな内容なのに読みやすかったんだと思います。
たろちん phaさんは『パーティーが終わって、中年が始まる』で「現実への現実感のなさ」について書かれていましたが、いまも現実感はないですか?
pha 「これが自分の人生なのか?」みたいな感覚はまだ薄っすらあるかなあ。昔はそれを良くないことだと思っていたんですけど、これが自分の現実感なんだから仕方ないなって開き直るようになりました。たろちんさんも本の中で「生への執着がない」って書かれていましたよね。いつからそう思っていたんですか?
たろちん 昔からです。phaさんと同じで、僕もずっと死のことを考えていたんですよ。生きることに苦しさが伴っていたから、「生きる意味ってなんだろう」って思っていたんです。そうすると自動的に「死ってなんだろう」って問いが生まれて、僕にとってそれは解放だな、と。
僕は『天 天和通りの快男児』の「赤木しげる葬式編」がバイブルなんです。その中で死の感覚に触れた赤木が「なんだ……やっぱり……大して怖くねぇ……!」って言っていて、僕も昔からそんな気がしていたんです。もちろん死を経験したことはなかったし、痛いとか苦しいとかそういう怖さもあったんですが、今回死にかけたことで「やっぱりそうだったじゃん!」って思えたんです。
pha えー、すごい。人生観は変わりました?
たろちん 死はすぐそばにあるものだってわかったので、「毎日を後悔なく生きる」「明日死んじゃってもしょうがないや」って意識になりましたね。
pha かっこいいなあ(笑)。
たろちん いや、かっこよく言っているだけなんですけど(笑)。
一生懸命生きようとしてから死のう
pha 退院後の生活を書いている第四章を読むと、意外とうまく行っているなあと思いました。支えてくれる人が周りにいて、「精一杯生きよう」って感じがある。そんなに暗くないですよね。
たろちん 強がっているところもあるんですよ。いまだって「もう酒は飲めないんだ」って思うし、退院後に精子がなくなっていることが発覚したり、糖尿病になったりして、それはやっぱりしんどいです。
実は本のもとになっているnoteの最終回は、最初かなり暗いことを書いていたんです。「命は助かったけどこの先の人生を考えると気が重い部分もある」みたいな。そのときの正直な気持ちだったから、これでいいかなって思っていたんですけど、公開前に妻に読んでもらったら「『生きて帰ってきてくれてよかった』って思っている人に、こういうのを読ませるのはよくないんじゃない?」って言われて。そうかあ、と思って書き直してみたら、読み心地も書き心地もそっちのほうがよかったんですね。人生にはいろんな側面があるけど、何かを表現するときは良い面を出すほうが生き方としてもいいなってそのときに気づきました。
pha ああ、その話を聞けてよかったです。人間って、前向きなばかりじゃないですもんね。それにしても奥さんは、本当にすごいですよね。たろちんさんが救急車で運ばれて緊急入院してから、ずっと大活躍している。
たろちん プロでしたね。普通にしているとめっちゃしんどかったからプロに徹することで自我を保っていたところがあったみたいです。
pha たろちんさん一人だったら「いつ死んでもいいや」って感じになっていたんだろうけど、生に引き留めてくれている感じがありました。
たろちん 入院中に「あ、このままだと死ぬかも」と思った瞬間がありました。ずっと死は解放だと思っていたから正直「それでもいいか」ってなりかけました。でも、結婚したばかりの妻のことを思い出して「もう自分一人の人生じゃないんだから、このまま投げ出すのは無責任だ。一生懸命生きようとしてから死のう」って、意識をグッと入れたら死なずに戻ってくることが出来たんです。「病は気から」とか言いますけど、死についても気持ちが結構影響するんだなって感覚を得ましたね。
pha その気持ちなかったらそこで死んでいたかもしれないですよね。奥さんのおかげだなあ。感動的でした。
あんな風に生きるしかなかった

pha 退院してから数年が経ちますが、いまも「酒を飲みたい」と思います?
たろちん うーん……酔っぱらったときの無敵感が欲しいっていうのは常にありますね。今も昔も、過去の失敗を思い出したり同じことをずーっと考えたりしてぐるぐるしちゃうタイプなんで。そういうのを吹っ飛ばすために、めちゃくちゃ飲んで酔っ払うっていうのをやってた。
pha 飲み続けられる生活の方が、今の生活よりもよかったと思います?
たろちん そこはマジでわからないんですよ。まさか酒が飲めなくなって、この先何十年も生きなきゃいけなくなるなんて思ってもなかったんで。
幸福とか不幸とかって感情は全部自分の脳が生み出しているわけですよね。そこに直接作用する、ドラッグとしての酒ってすげえ強いなって思うんです。社会的に見たら、破滅するとか周りに嫌われるとかあるけど、それすらも酒で脳をバグらせて、幸せを感じながら死んだら、その人生は幸せだったと言えるんじゃないかって考えていたんです。その考え方自体は今でもそうだと思いますね。
pha もっと上手に飲めばよかったとは思っている?
たろちん それはありますね。僕は酒に救われてきたし、あんなに強烈に、強引に幸せを感じさせてくれるものは他にない。だから同じ酒飲みには、膵臓が爆発しないように上手に一生酒を楽しんでほしいと思っているし、今でも酒を飲んでいたことは後悔していないです。phaさんは、後悔していることってありますか?
pha うーん、僕は意外とないかなあ。2008年から始めたシェアハウスを39歳になる2019年に辞めているんですけど、もっと早く辞めておけばよかったかなあ、と思うくらい。30代後半に入る頃にはもう飽きてきていたので。
たろちん シェアハウスをやらなきゃよかったと思うことはありますか?
pha それはないかなあ。当時はうまく生きることができなくて、会社を辞めて誰とも繋がりがなかったときに、ネットの仲間を集めたら生きていける気がするって思ってシェアハウスを始めたんです。いま振り返れば、全部が正しかったのかはわからないし、配慮が足らなかったなって思うところもあるけど、あのときはあれしかできなかった。だから第二章に書かれているたろちんさんとゲーム実況仲間の話は、「シェアハウスを始めたころはこんな感じだなあ」って思って楽しく読めたし、膵臓が爆発しても酒を飲んでいたことを後悔していないってたろちんさんが書いているのも実感を持って伝わりましたね。
「歳を取ったらわかるよ」
pha 同じことをぐるぐる考えちゃうのは変わらないんですよね。酒を飲めなくなったいまはどうしているんですか。
たろちん 発散の方法を、酒を飲むことから行動することに変えました。文章を書いたり、運動したり、あと仕事を頑張ったり。はたからは、すげえちゃんとした人間になったように見えると思います(笑)。
pha あはは(笑)。僕もぐるぐる考えちゃうほうなんですけど、酒を飲んでも無敵感は得られないんですよね。
たろちん どうやって発散していたんですか。
pha 昔はネットによくわからないことを書き殴ったり、めっちゃお菓子を食べたりしてたかなあ。
たろちん 『どこでもいいからどこかへ行きたい』(2017年に刊行された『ひきこもらない』の文庫版)に、目的もなく散歩をするのが好きだって書かれていましたが、それも発散のひとつだったんですか。
pha それもあったのかもしれないなあ。最近はあんまり歩かなくなりましたね。なんであんなに意味もなく歩き回っていたんだろう……。
たろちん 歩き回らなくなったのは『パーティーが終わって~』を出したあとくらいですか?
pha そうですね。『パーティーが終わって~』は42~44歳の頃の、若者から中年へ切り替わる時期に書いた感じがあるんですけど、中年になってからは、あんまりぐるぐる考えなくなりました。
たろちん いまはどうやって発散しているんです?
pha たろちんさんと同じです。仕事ばっかりやっているし、それが楽しい。若い頃はあんなに「働きたくない」「労働は敵だ!」って思っていたのに(笑)。
たろちん そうなんですよ! ずっと「仕事が楽しい」って言うことに抵抗があったんです。酒を飲みながら「そんな意識の高い人間になったら終わりだ!」「社会に牙をむいていないとだめだ!」って管を巻いていたのに、突然膵臓が爆発してパーティーが強制的に終わったら、その対極にある、日々をちゃんと過ごすことに喜びを見出すようになった。フリーランスになって働き方が変わったのも大きいですが、いまでは「そんな敵対しても何もいいことないな」って思うようになっちゃいました。
phaさんの場合は、自分から生き方を変えたわけじゃないですか。10年以上続けていたシェアハウスを「もういいかな」って思うようになったのはきっかけがあったんですか?
pha 大きなきっかけはなくて、徐々に「なんか違うなあ」「昔ほど楽しくないなあ」って思うようになったんですよね。同世代がシェアハウスから減っていったし、「変な生き方をしている奴が面白い」と思って集めていたけど、少しずつ面白がれないくらい破滅してしまう人も出てくるようになった。それが厳しくなっていって、「お金がなくてもなんとなるって思っていたけど、ちゃんとしたほうがいいのかな」「人間は仕事をするべきなんじゃないか」って考え始めて。
たろちん 若い頃はダメでも許されていたけど、40歳くらいになってくると笑えなくなるとも書かれていましたよね。僕も、かつて酒を飲む者としての絆を感じていた友人がむちゃくちゃな飲み方をしていると、「そんな飲み方しちゃダメだよ……」って真っ当なことを思うようになってきました。飲み会に行っても、2時間くらいすると、楽しいんだけど「早く帰ってゲームしたいな」って考えはじめてたり。
pha 酒を飲めなくなると、特にそう思いそう。
昔の自分が「仕事が楽しい」とか言っている今の僕をみたら、「つまんない大人になったな」って思うんだろうなあ。でも「君も歳を取ったらわかるよ」としか言いようがない(笑)。そして、若い頃の自分はそんなことを言われるのも絶対に嫌で、「わかんねえよ、だっせえ」って思っていたはず。でも、やっぱり、そうとしか言いようがないんだよなあ……。
若い頃は本当につらかった

たろちん 年を取ると、肉体的にできることはだんだん減っていくわけじゃないですか。でも僕はICUで寝たきりになっていたときも、いつもと同じように「音楽聞きてえ」「酒飲みてえ」って思っていたので、性格や感覚ってこの先も変わらない気がするんです。これから20年、30年を生きていく中で、どう希望を維持していけばいいんですか。
pha いや、僕もちょっと途方に暮れている……。中年って意外と長いんだよね。中年の次が老人だとしたら、60歳くらいまでが中年ってことで、僕はいま47歳だから、まだ十数年ある。
ただ、できることが減るばかりでもないですよ。昔は書けなかった文章が書けるようになったり、良いと思っていなかったものの良さがわかるようになったり、新しい趣味が出来たり、体力が落ちたからこそ見えることもあります。意外と希望はあるのかもしれない。
たろちん みんな、そんな話をもっとしてくれ……!
pha あはは(笑)。僕は43、44歳くらいに壁があったんだけど、もう若くないんだって覚悟を決めたら、壁を越えられた気がしますね。
たろちん 若さを諦めることが出来たってことですか。
pha うーん、そうかなあ。諦めてから、昔とは違ってじっくりと旅行をするようになったり、美術館に行って楽しさを知ったり、新しい感性が芽生えてきた感じがある。若いときは勢いがあったからできたことがあったんだと思うけど、いまは勢いがなくなったことで物事を立ち止まって見ることができるようになったってことなのかも。たろちんさんの場合は、人よりも早く切り替わる時期がくるかもしれないですね。
たろちん そうかもしれないです。自分の遺伝子の子供を持つことはもう無理だってバッサリと切られましたし、お酒以外にも多くの制約ができてしまったので、いろんなことを割り切るしかないと思っています。ただ別に悪いことだけじゃなくて、選択肢が狭まったおかげで迷わなくなったし、限られた選択肢の中から選ぶ楽しさが生まれてきている気もしていますね。
pha 確かに、若い頃は可能性が広がりすぎていて、よくわからないことに手を出したり、自分に向いてないことをやったりすることが多かった気がする。年を取って可能性が狭まったのはもちろん寂しいんだけど、でもできることを集中してやれるようになったし、仕事とかの生産力も増えている感じがあるかも。
昔の日記を読むと、本当にどうでもいいことをずっと書いていて「くだらねえな、もっと行動したらいいのに」って思うようになりました(笑)。昔は何をあんなに迷ったり考えたりしていたんだろうね。何もできないのに何でもできる気持ちになって失敗ばかりしたし、なんでもかんでも迷っていたし。「わからなくてもいいから、わからないままでいろいろやるしかない」って方向に切り替わったら、すごく楽になった気がする。そう考えると、若い頃って本当につらかったなあ。
「淡々とした暮らしって尊いじゃん」
たろちん 残りの人生の発言を全部「遺言」だと思うようにしたら、素直に生きられるようになった気もしますね。昔から「僕はバカで~す」って言うことはできたんですけど、それって「こいつはバカだ」って言われても「そうですよ? 自分から言ってますよね?」って言うための防御でもあったんですよ。頑張ってやっていることを「ダメ」って言われたら、すげー傷つくじゃないですか。それが最近だと、真正面から「一生懸命やってます」って言えるようになって。そのほうが健全だなって思いました。
pha それもよくわかります。僕も「頑張ってます」って言わないようにしていたんで。「何にもやりたくないっすねー」みたいな態度を気取ってました(笑)。
たろちん 気取ってましたよね(笑)。昔のインターネットのムーブでもありますよね。冷笑して、斜に構えているほうが強い、みたいな。
pha 「記事を書いたからみんな読んでね」みたいなのはできなかったし、みんなも今ほどやってなかったですよね。
たろちん ちょっとやっただけで「商業主義になった」とか言われたり。いま思えば、ゆがんだ時代ですよねえ。
pha そうですねえ。でも当時の雰囲気も好きだし、SNSで宣伝ばっかりするのに抵抗はいまもまだあるかな……。
たろちん それはめっちゃありますねえ。僕も「教育されたことと違うことをやっている!」って思いながら、無理して宣伝しています(笑)。
あと最近、新しいことをはじめてみようと思うようになりました。先日、40歳になってはじめて運転免許を取ったんです。他にも資格の勉強をしてみようかなとか、将棋で初段を目指してみようかなとか、いろいろ考えています。昔だったら「そんなダサいことしたくない」って思っていたけど、この歳からまっすぐ何かに取り組むのってお手軽に自己肯定感を得られるし、人生が豊かになるなあって思っています。phaさんも40代になってからドラムを始めて、バンドを組んでいますよね。最近何か新しく始めたことはありますか?
pha 4年くらい前から、蟹ブックスっていう高円寺にある本屋で働き始めました。この年になって、何もわからない一年生としてやっているのは楽しいですね。
たろちん そうそう、phaさんが本屋で働き始めているのを知って、めっちゃいいなって思ったんですよ。
pha 週1、2回くらいお店に行っているだけなんですけどね。毎日やると大変だけど、そのくらいの頻度なら楽しくできる。接客も意外と嫌いじゃないんですよね。若い頃にコンビニのバイトをしてたから、20年ぶりくらいに「いらっしゃいませ」って言っていますよ(笑)。
若くて、尖ったところがあったときだったら「一日中同じ店の中になんていたくねえよ」って思っていたんだろうな。あの頃は「わけわかんないことが起こってほしい」とか「なんかすごいことをやりたい」と思っていたし。中年になって「もうパーティーは疲れたな」ってなってきたからできていることなのかも。
たろちん 疲れたっていうのもありますね。「毎日がパーティーであるべきだ、そのほうがいいに決まっている」みたいな過信が昔はあったけど、「淡々とした暮らしって尊いじゃん」って気づけるようになったのかもしれないです。
中年、悪くない
たろちん パーティーが終わってからの生き方は少しずつ見えてきているんですけど、その先はどうなるんだろうなって気持ちもあります。
本に書きましたけど、入院中に一番怖かったのが脳出血して自分で自分のことを認識できなかったときだったんですよ。僕は意識がないんだけど、体は動いていて、目を見開いてワーって何かを言っていたらしいんです。数日後に意識を取り戻したとき、「自分で自分を制御できなくなっていた」という事実にショックのあまり号泣しました。
あと鎮痛剤が効きすぎてせん妄状態になっていたとき、看護師さんから「今日は何月何日ですか?」って聞かれてカレンダーを見ても、それがカレンダーであることも、「何月何日」って概念も理解できるのに、数字が認識できないんです。「わからないわけないだろ、なめるな」ってすげえ思うんだけど、答えられない。正解を教えてもらって「あ、そうだった」ってそのときは納得するんだけど、もう一度カレンダーをみたら、もうわからなくなっていて。認知症になるのってこういうことなのかなって思いました。
pha 自分が自分でなくなるのは本当に怖いよね。読んだり書いたり考えたりする能力がなくなったら、どうやって生きていけばいいのか……。
たろちん 僕もやっぱり書いたり読んだり考えたりするのにアイデンティティを持っている気がするので、それがなくなるのはかなり厳しいですね。寝たきりになっても頭がはっきりしていたらまだやりようがあるじゃないですか。
pha そうなったら死ぬって赤木しげるは言っていて、僕も昔はそれに憧れていたんだけど、最近はそれが彼の限界なのかもしれない、とも思うようになりました。ボケていろんなことがよくわからなくなっていっても、意外と幸せかもしれないし、周りの人だってそれでもいいから生きていてほしいって思ってるかもしれないじゃないですか。赤木の限界はひとりで生きることの限界なんだろうな。
たろちん 僕はやっぱり、死と友達になったほうがいいと思いますね。あんまり怖がらず日常に溶け込ませてしまったほうが生きやすいというか。
pha 中年が終わったあとは、自分が崩壊していって、死に向き合う時期がくるんでしょうね。でもいまはもうしばらく、このままでいいかなあ。
たろちん 僕も今は、楽しんでいれば勝手に時間は経つし、時が来たら死ぬんだろうって感じです。
pha そう考えたら何にも難しくないよね。中年、悪くないですよ。まずは長い中年を生き延びましょう。
■たろちん
ゲーム実況者、ライター。1985年10月14日生まれ。本名は大井正太郎。2008年、ニコニコ動画で「たろちん」としてゲーム実況を開始。Webニュースサイト「ねとらぼ」のライター・編集者を経て、現在フリー。お酒をこよなく愛する人間だったが、2022年に「重症急性膵炎」を患い膵臓の3分の2が壊死。現在は生涯禁酒の身。noteでも闘病体験やその後の生活を綴っている。
■pha
1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職に就かず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。



