『完全自殺マニュアル』から30年、60歳を迎えた著者が自らの人生を賭して書いた楽に生きるためのマニュアル『死ぬまで落ち着かない』。「今ある中高年像は時代に合っていません。それなら自分で作ればいい。かつての私のように、心の問題で苦しんでいる人に特に読んでほしいと思っています」と綴る、楽に生きる方法とは。
「ここまで変わらないのか」
私が六十歳になった時の率直な感想は、
「ここまで変わらないのか」
ということでした。
四十代や五十代から変わらないと言っているのではありません。そんなことは当たり前です。
二十代や三十代と比べても、世間で思われているような中高年のようにはならない。というより、「なれない」のです。
もちろん体力や記憶力の衰えは痛切に感じます。嵐のような不安も、すっかり慢性のうつに変わりました。
けれどもそういったことを差し引いても、やはり「若い頃と変わらない」としか言いようがありません。
こんな自分でも、さすがに六十歳になれば、年相応に達観して、多少は威厳もある人間になるのだろうと予想していたのです。
私のような人間は、どれだけたくさんいたことでしょう。
内面は病んでいるのに、うわべだけはニコニコと取りつくろってしまう心の病がよく取りざたされます。たとえば「微笑うつ」は、単なるうつよりも発覚しづらいので危険とされています。
ただでさえ人間の行動は、こうした「うわべばかり飾る」傾向にあります。
しかも中高年は若者に比べてはるかに、悩みを表に出しづらい圧力を受けています。
中身は若い頃と大して変わらず動揺しているのに、悟ったような、平気なふりをしてきた中高年たちは、どんなに苦しかったことでしょう。
磯野波平は五十四歳
人気アニメ『サザエさん』に出てくる「波平」という中高年男性がいます。頭はほとんど禿げていて、今の感覚で言えば「おじいさん」に見えます。
その波平の年齢は五十四歳です。『サザエさん』のマンガ連載開始は一九四六年。その当時の五十四歳は、こんなものだったのでしょう。
波平はサザエさん一家のなかでも、厳格で気難しく、カツオやタラちゃんをよく叱る人物として描かれています。
中高年になるにつれて、達観して威厳を持つようになり、徐々に老賢人になっていくようなイメージがあります。その元になったのは、中国から来た儒教でしょう。
「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」という言葉で知られる、あの『論語』[*1]を基にした儒教です。
儒教の教えを取り入れ明治から始まった修身や漢文の授業は、日本人にそんなイメージを植えつけました。
私たちが持っている中高年のイメージは、もう古すぎるのです。
今ある中高年像は時代に合っていません。若者像が〇〇世代、××世代と目まぐるしくリニューアルされるように、中高年像もリニューアルされるべきです。
さいわい私は、六十歳だと言うとたいてい驚かれます。けれども見わたしてみれば、そんな年齢不詳の中高年は、有名人にも身のまわりにも普通に見かけるようになりました。
それなのに新しい中高年像は、なかなかできあがりません。
それなら自分で作ればいい。
自分の人生を振り返り、それを参考にしてもらって、新しい生き方を提案したい。
そう思って私はこの本を書きました。
「落ち着かない」中高年でいい
その新たな中高年像をひと言で言えば、
「落ち着かない」
ということになるでしょう。
ローリング・ストーンズのミック・ジャガーは、八十代になっても「満足できないぜ」と歌っています。
私自身、六十歳になっても全然落ち着かないのです。それなのに達観したふりなどしたくありません。
不安でいたたまれなければ、普通にそれを表に出したい。
新しいことにも手を出したいし、人生の総まとめになんか入りたくない。
今は四十歳からの人生は『サザエさん』連載中の七十五年前に比べて、十年も伸びたのです[*2]。新しいこともどんどん始められるようになりました。
さらに医学的に見れば、中高年が心も体も元気に生きるには、むしろ「落ち着かない」ほうがいいとしか思えません。
若い人に嫌われたくないあまりに、言われっぱなしでいる中高年にもなりたくありません。
「おじさん、ダサい」「キモい」と言われても、筋が通らなければしっかり反論できる中高年でありたい。マイノリティが世の中に認められるためには、そうした勇気も必要です。
そんな反論をすると、不当な「老害呼ばわり」を受けるかもしれません。
ただ、そもそも「老害」になれるような、人にガミガミ言える立場にいる中高年など、どのくらいいるのでしょうか。
私が目にするたいていの中高年は、若い人に気おされて隅でおどおどしているような人たちです。
確かに社会のなかで最も強い権力を持っているのは、政界や経済界のリーダーを見ればわかるとおり中高年男性です。そのせいで、中高年の解放など必要ないと思われてきたのでしょう。
けれども「カネのないキモいおっさん」と呼ばれる人たちだって中高年層です。どんな層にも強い人も弱い人もいるのです。
加齢についての自虐ネタは私もよく口にします。けれども不当に低く見られている時にまで、自虐はしたくありません。
アメリカで広まったマイノリティへのエンパワメント
先進国と呼ばれる地域、特にアメリカの都市部では、様々なマイノリティを肯定して元気づける空気が強まっています。
そのマイノリティとは、国内にいる少数民族や少数人種、LGBTQ+といったセクシャル・マイノリティ、心の病を持つ人、プラスサイズ体型の人などです。
映画のアカデミー賞で、アジア系の監督や俳優の作品が続々と賞をとったことに驚いた人も多いでしょう。音楽のグラミー賞にもその傾向はあります。
また以前には恥ずかしいこととされたうつ病を、カミングアウトするスポーツ選手やミュージシャンも急に増えました。
私はこれらの動きを「胸を高鳴らせながら」見ていました。
けれどもこのなかに「中高年」というマイノリティは入らないのでしょうか。
グレイヘアの流行といった流れは多少あります。けれども、中高年肯定のムーブメントと呼べるものはないと言えるでしょう。
だから私は自分でそれをやりたい。
中高年をエンパワメントする何かを、中高年の私自身がやってみたいのです。
長い目で心の苦しさを見てみる
この本で見ていくのは「人生」です。
人生や人の生き方はヨーロッパの哲学でも、古代ギリシャ時代から中心となるテーマでした。けれども飽きられたせいか、ここ五十年ほどはすっかり語られなくなりました。
その古臭いけれども大切な「人生」を、もう一度持ち出したいのです。
人生は時間軸を持ったものです。
長い目で見たらどうか、という視点を大事にしました。
この本には、私の人生の経験をこれまで以上にたくさん書きました。
まさに波乱万丈の人生でした。
内面はもっと荒れ放題だったので、私は心の中を凝視し続けました。この本はかつての私のように、心の問題で苦しんでいる人に特に読んでほしいと思っています。
心の問題を長い目で見ていると、不思議なことに気づきます。
長い目で見ると、そんなに絶望的ではない。
と言うより短期的に襲ってくる心の波のほうが、激しすぎるのです。
「不幸感はしばらくたてば終わる」「予期不安は当たらない」「もうおしまいだと思っても五年後には忘れている」「若い頃よりうつっぽくなる」といったことは、ある程度長く人生を生きなければわかりません。
今のような変化の激しい社会では、年長者の持つ知識はすぐに役に立たなくなります。年長者が尊敬されなくなるのは当たり前です。
けれども、ある程度の人生経験がある者なら、これについては役に立つことが言えるかもしれません。
死後の世界はない
またこの本には初めて、死についてのまとまった考えを書きました。それが第三章です。
「死を見誤ることは、生を見誤ること」と私はいつも思っています。
死についての考えなしに、中高年の生き方は語れません。
「死後の生」と「死後の世界」はありません。死ねば地球上の物質世界に還るだけ。
ただし何を信じるかも個人の自由。それが私の立場です。
以前に「死なんてない」と書いている人の本を読んで、深く頷きました。つまり「生の終わりがあるだけ」で「生と死」と対置して言うほどのものではないということです。
まさにそのとおりなのです。
中高年の人生は死という最終地点に向かうなだらかな下り坂で、その先はない。
死は最後に一気にやってくるものではなく、少しずつ始まっているもの。
それくらいは心に刻んでおかないと、中高年時代のペース配分を間違います。
日本では死について、あるいは死ぬ間際の医療について、思ったとおりに発言することは、なかなかできません。
けれども死は、考えることを押さえつけている人たちだけのものではない。他でもない自分自身が死ぬのです。考えさせない状況は、変えていかねばならないはずです。
「人はこうあるべき」に従わない
こういう本を書きながら中高年のあり方を考えていると、十代の後半の頃を思い出します。
そもそも「人は〇〇であるべき」というのは誰が考えるのでしょう。誰もが幸福になれるたったひとつの型がわかるほど賢い人がいるのでしょうか。
当時は十代の若者は勉強とスポーツに全力で打ち込み、友達との友情と異性との恋愛に熱中するべきだと言われていました。私は勉強とスポーツと友人との交際を全力でやりました。
それらすべてが苦しく、今は思い出したくもありません。
「こうあれ」と言う人も、決して悪意で言っているわけではないのでしょう。よかれと思って言っているのでしょう。
ただ、それほど突き詰めて考え、心の底から叫んでいるわけでもなさそうです。
十代にあったことで私がよかったと思えるのは、恋愛をしなかったことです。「あれはなかなか俺らしかったな」と心が和らぎます。
どんなに「若者は恋愛をするべき」という圧力があっても、これだけは自分の思うとおりを貫けた。今から思っても、無理にしていたらこれもまた、思い出したくもない記憶となったでしょう。
自分のなりたい姿がまわりの理想像と違っていれば、新しいのをひとつ作ればいい。
そんなものだと思います。
[*1] 『論語』は、紀元前六~五世紀の中国の思想家・孔子の弟子たちがまとめた言行録。日本では仏教とも混ざり合いながら紹介され、江戸時代には道徳観の柱として、権力者に都合よくゆがめられて広まった。
[*2] 『サザエさん』連載中の一九五〇~五二年で見てみると、四十歳の男性の平均余命は三十年、女性は三十三年。人生の後半はだいたい七十歳くらいまで。二〇二四年には、これが男性四十二年、女性四十八年まで伸び、八十代まで生きる感覚に変わった。厚生省令和6年簡易生命表「主な年齢の平均余命の年次推移」
書誌情報

『死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと』
著=鶴見済
定価:1600円+税
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筆者について
一九六四年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したあと、一九九〇年代初めに文筆家に。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は十代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)、『0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方』、『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』(以上、新潮社)、『完全自殺マニュアル』、『人格改造マニュアル』、『檻のなかのダンス』、『無気力製造工場』(以上、太田出版)などがある。
X(旧Twitter):鶴見済(@wtsurumi)/note:鶴見済(https://note.com/wtsurumi)


