複雑な物事や自分ではどうしようもできない脅威にであってしまうと、頭は混乱し、判断の頼りを求め、不安になってしまう。そんなとき、人はどのように歩みを進めていくのだろうか──一生答えが出ないような問いを背負いながら、物語をつくり続けるクリストファー・ノーラン監督の3年ぶりの新作『TENET テネット』が今年9月に公開され、大ヒットしました。彼の多くの作品は時間がテーマになっていますが、同時に“象徴的なモノ”が登場するのも特徴。3つのモノから彼の作品を読み解いてみましょう。
【シルクハット】
世紀末のロンドンを舞台に、互いの力量を競い合う2人のマジシャンを描いた『プレステージ』(2006年)では、ヒュー・ジャックマン演じるアンジャーは、いつもシルクハットを被った紳士として振る舞っています。そのルックスと人気から「偉大なるダントン」とも称される彼は、ライバルであるボーデンの瞬間移動マジックに勝つため、あまりにも危険極まりない、禁断のマジックに挑戦してしまいます。
すでに評価を得ていたにもかかわらず、なぜ彼はそんなリスクを冒したのか。実はアンジャーは貴族の出身で、自分の価値は家名や財産だけではないと証明するため、身分を隠してマジシャンになった人物。しかし、そこまでマジックに身を投じたのに、手品そのものではボーデンに勝てない。紳士的なシルクハット姿と対照的に、その心は醜い嫉妬で渦巻いていたのです。
シルクハットは別名「トップハット」とも呼ばれ、それは「最上の帽子」という意味があります。まさに権威を象徴する帽子であり、アンジャーが常にこれを被っていることで、ノーランは彼の正体を暗示しているのです。
「馬子にも衣装」や「人は見た目が9割」という言葉があるように、どんな人も身なり次第で印象を変えることができます。ただ、それは同時に「見た目だけでは真実は分からない」ことも意味しています。
【青い花】
金持ちの御曹司ブルース・ウェインが「バットマン」になる過程を描いた『バットマンビギンズ』(2005年)。闇のヒーローの原点を描いた同作で、ブルースは犯罪と戦う力を得るため、世界を巡る旅に出ました。犯罪者の心理を知るために、自身も犯罪者となり、やがて刑務所に送られるブルース。そこで出会ったヘンリー・デュカードという人物に導かれ、彼はラーズ・アル・グールが率いる「影の同盟」のメンバーとして訓練を受けるのです
が、その条件がヒマラヤの山に咲く「青い花」を摘んでくること。ブルースは花を摘んで入団し、訓練の末に超人的な戦闘能力を身に着けます。しかし、実は青い花は強力な幻覚剤の原料であり、影の同盟がそれを使った大規模なテロを計画していたことから、彼は正式な参加を拒否。クライマックスでは自分を鍛えてくれた恩人と対決することで、ブルースは街の守護神である「バットマン」となりました。自分が変わるきっかけを掴んでも、油断は禁物です。そこには困難な試練も潜んでおり、それを乗り越えて初めて本当に変わることができるのです。
「青い花」は現実には存在しない映画オリジナルの植物。ただ、ヒマラヤには神秘的な青い花を咲かせる「青いケシ」と呼ばれるケシ科の植物(メコノプシス)が実際にあり、映画はここから発想したと思われます。
【時計】
親子の絆から生まれる感動的な物語をSF映画として描いた『インターステラー』(2014年)では、「時間」が重要な役割を担っています。
作中では時の流れは重力によって異なると説明され、主人公のクーパーたちがある星に数時間滞在した際には、母船に帰還すると23年もの時間が経過していました。当然、地球に残してきた子どもたちも一気に成長しています。特に科学者となった娘のマーフは、父親から長年連絡がないことから、自分は見捨てられたと思っていました。それでもクーパーは家族のため、命がけでブラックホールの調査を実施。すると、ある地点を越えたところでは、時空を超えてマーフとコミュニケーションが取れることに気が付きます。
彼は娘にプレゼントした時計の秒針を通じてモールス信号を送信。その内容は人類を救う鍵となる量子データです。勝手に動く秒針はクーパーからのメッセージだと理解したマーフは、父親は常に自分を見守っていたのだと知りました。愛情は時の流れとともに風化するといいます。しかし、時の流れを超えるものもまた「愛」なのでしょう。
クーパーが娘にプレゼントした腕時計は、2019年にハミルトンがデザインそのままに商品化。唯一違う点は秒針にモールス符号が刻まれているところで、その意味は映画を観たファンだけが知ることができます
◆ケトルVOL.56(2020年10月15日発売)
【関連リンク】
・ケトル VOL.56-太田出版
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