『ANN』草創期の伝説 「社員の歌が大ヒット」「アフリカに米5000トン」

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アナウンサー、ミュージシャン、俳優、芸人……色々なジャンルのパーソナリティが登場する『オールナイトニッポン(ANN)』は1967年10月にスタートし、昨年50周年を迎えました。今や深夜ラジオの代名詞となったANNですが、番組開始当初の1960年代と今とでは、当然環境は大違い。60年代にはスケールの大きなエピソードが数多く残されています。

1967年、関西で人気を集めていたザ・フォーク・クルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』というシングルを、ニッポン放送の関連会社だったパシフィック音楽出版(現・フジパシフィックミュージック)専務であり、土曜を担当していた高崎一郎が「若者の共感を集めている曲としてANNで独占的に紹介。すると、日本初のミリオンヒット(最終的には200万枚を突破)となっただけでなく、放送開始から間もないANNが若者人気をつかむきっかけとなりました。

一方、「社員」がヒットを飛ばしたこともあります。ニッポン放送の社員だったパーソナリティの亀渕昭信(制作部)と斉藤安弘(アナウンサー)が、番組人気の高まりから「カメ&アンコー」というコンビを結成。ザ・フォーク・クルセダーズが「ザ・ズートルビー」名義で発表した『水虫の唄』という曲をカバーして発売したところ、なんと20万枚を売り上げました。放送局の社員にすぎないはずのANNパーソナリティたちが、当時の若者からいかに支持されていたか。それを象徴するエピソードといえるでしょう。

番組が国を動かしたこともあります。内戦による混乱に端を発した飢餓に苦しんでいたアフリカのビアフラ。若者たちがその窮状に心を痛めていることを知ったパーソナリティの亀渕昭信は、番組で同国の救済キャンペーンを実施。リスナーに向けて、「日本からたくさんの米を送るよう外務大臣にハガキを出そう」と呼びかけたところ、外務省には3000通ものハガキが送られ、日本政府は5000トンの米をビアフラに送ることを決めました。今も多くのファンに愛されるANNですが、社会現象を生み出すパワーに関しては、往年のリスナーには敵わないのかもしれません。

◆ケトルVOL.45(2018年10月12日発売)

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※この記事は、「太田出版ケトルニュース」に当時掲載した内容を当サイトに移設したものです。

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